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補助軍兵A氏作アイマス・トータルウォー支援SS「咆哮する軍旗」第四話

補助軍兵A氏から頂いたITW支援SSの続編です。
新キャラクターや懐かしいキャラクター!
そして、まさかの夢のタッグ…!


では、どうぞお楽しみください!



10 最も長い一年(Ⅰ) 海を越えて


 アスクルムから三年。ピュロスはイタリアから去った。だが、完全なる撤退ではなく、シチリア攻略に向かっていた。ローマ攻略のための拠点としてシチリアを奪取しておこうというのだろう。しかし、後にシラクサと呼ばれることになるシュラクサイの援護を受けてメッサナの攻略を完了させ、次はリリュバエウムという状況で手詰まりらしい。

 そんな中、ローマ元老院に使者がやってきた。メッサナの住民である。専制的に振舞うピュロスを追い出すために手を貸してほしい、というわけだ。元々はカルタゴ領の人間だったはずだが、カルタゴはギリシアと同様、征服した土地を搾取の対象にする。それならばクリエンテスという形にしても同盟状態にするローマについた方がよいと考えたのだった。それに、ローマの軍事力も魅力的であったという事情もある。しかし、ピュロスを追い出すとは真っ向から戦うということでもある。それは兵士、つまりはローマ市民を死に追いやる羽目になる可能性もある。これでは、人選は慎重にならざるを得ない。しかも会議の中、このような意見が出された。

「仮にピュロスを追い出したとして、誰がメッサナを統治するのか。」

 これは大問題である。ユリウス家が統治するとするなら、既にアッレティウムとアリミヌムを有している以上、パワーバランスが崩れかねない。ブルトゥス家の管轄とするなら、所領同士が近いのだから、問題なく統治はできるのだが、協定上南イタリア一帯をブルトゥス領とすることは決まっている。これでは、ターレスを諦めない限りは所領数に問題が生じる。
 
ここで白羽の矢が立ったのがスキピオ家であった。所領と呼べるのはカプアを中心とするカンパニアのみで、バランスを崩す懼れはない。それに、ここ数年で目覚しい戦果を挙げているのは、このスキピオ家である。飛び地になるという問題はあったが、それは彼らの努力しだいというところだろう。

「しかし、いくらスキピオ家の者が勇敢とはいえ、戦術の天才相手には戦いにくいのではないのか。」

 という意見から、再び元老院議員の中での揉め事が起こる。いくら公共心の強い人々とはいえ、死にたくはないだろう。打撃を与えられるのならよいが、手出しすらできずに敗退しかねない。
 
ここで、ユリウス家の総領であるフラウィウス・ユリウスから意見が出された。

「ティベリウス・クラウディウス・ネロ殿と、ドゥルースス・ポンピリウス・コルウス殿のご兄弟に出てもらってはいかがか。彼らの武勇は私自身が見聞きしている。信頼できる方々だ。」
 
その会議には名を呼ばれた二人も出席していた。自分から立候補しなかったのは、ティベリウスは二度も敗戦の原因を作ったようなものと思っていたからであり、ドゥルーススはそんなことも想像していないだけだ。二人は揃って目を丸くした。

「私も同意します。彼らは勇敢で、ティベリウス殿がいれば兵士たちはそれだけでついてくる人望があり、ドゥルースス殿には数で迫るガリア軍を死者なしで勝った知恵があります。できることなら、彼らの援護に私も回りたいのですが、よろしいでしょうか。」

 こう口にしたのは、オタキリウスだった。彼は30歳となり、議席をティベリウスの計らいで得ていた。アスクルムの一年後には議席を持てる年齢に達していたが、代々の議員が渋ったので遅れた。だが、既に軍団の財政を管理するクワエストル、財務官を経験している。しかも、ローマの娼婦管理をはじめとする風紀取締りと、祝祭日のイベントプロデュースを担当するアエディリス、按察官にもこの年の始めに選出されており、キャリアは十分だ。
 ティベリウスとて42歳ともなれば、プラエトル、つまりは法務官を既に経験している。官職の重みは知っていた。サムニウム人がここまで出世するとは、誰も思っていなかった。オタキリウスの言葉の重みは、ローマを背負う者のそれだった。ならば、とティベリウスは言葉を紡いだ。

「オタキリウス殿が参戦していただけるなら、これほど心強いものは無い。この話、受けさせて頂く。ただ、総大将は私ではなくクイントゥス・スキピオ殿として頂きたい。スキピオ家の領地としてシチリアを切り取りに行く以上、建前でもスキピオ軍としておくべきかと。そうでなければ彼らからの信頼を失うことになるだろう。」

 大勢の元老院議員はそれで納得した。クイントゥスはカプアでの内政で留守だ。この場にいない人間に押し付けているようだが、実戦経験豊富ということでは誰もが認めるところだ。ここで出席している父のコルネリウスにすれば、という意見はない。彼の能力は南イタリアからエペイロス別働隊が攻めてきた場合に備えての、守りの切り札である。クイントゥスは、あくまでも「攻め」に向いた人材だった。

「では、クイントゥス・スキピオ殿を指揮官として、副官にティベリウス・クラウディウス・ネロ殿とドゥルースス・ポンピリウス・コルウス殿、補助部隊(アウジリアリス)隊長としてマニウス・オタキリウス・クラッスス殿にシチリアに向かってもらう、ということで……。」

 議長役の執政官が決定を下そうとしたところで、議会が開かれていた神殿の扉が荒々しく開けられた。息を切らせて入ってきた人物は、トーガを身に着けていない。伝令らしいが、余程あわてていると見受けられる。

「大変です! パドゥス河をガリア軍が突破して侵攻中! アリミヌムに向かっている様子です! 旗印と刺青からすると、三年前とは、別の部族の模様!」

 静まりかけていた議場が、どよめきの波にさらわれた。これでは論争の再開になってしまう、と思ったが、今度はティベリウスが口を開いた。

「オタキリウス殿に、ユリウス家の支援として向かってもらおう。迅速に動かせる戦力ならば、飛び道具の方がよい。そちらが片付いたところで、我らと合流してもらえればよいのではないのか。」
「しかし、それではシチリアの方が手薄にならないのか?」

 議員の中からは、当然このような意見も出てくる。ティベリウスは落ち着いて返事をした。

「二月ほどでシチリアに来ていただければ。我らも、その程度ならば保つかと。ドゥルースス、意見はないか?」

 いつもの幼い笑みを浮かべた、ということは、無表情のドゥルーススはいつも通りの調子で口を動かした。不思議なことに、彼も30歳を過ぎているというのに髭がやけに薄かった。それに、美青年といわないまでも、あまり顔立ちも男と呼べるようなものではなくなり始めていた。あまりにも中性的過ぎて、幼さが一向に減衰してくれなかった。さすがに声は男とはっきりわかるものだったが、黙っているとよくわからなくなるほどだ。

「問題ありません。シチリア北東部攻略は、一年以内に完了できます。予定外の事象が起こらなければ、半年もかからないでしょうね。こちらが壊滅することはありませんよ。」

 この言葉に、議員の一人が声を挙げた。

「たった一年だと!? 無茶だ!」
「無茶と仰る戦線に送り込む人がそれを言いますか? やり方次第では、ピュロスをシチリアから追い出せると言っているだけですよ。」

 尤もその後ピュロスは確実にローマに攻め込むだろうね、と心で付け加えながら、自分より年配の議員に反論した。メッサナ住民の依頼は、ピュロスの撃破ではない。シチリア島からの放逐が目的である。それこそ、やり方次第だった。

「む……。」
「ローマのために命をかけて戦いましょう。フィデスとユピテルに誓います。」

 しれっと言い放ったドゥルーススに向かって反論する気力は、誰にもなかった。この男と応対するのは、命が抉られるかと思うほど疲れる。議員仲間では兄とオタキリウス、クイントゥスにフラウィウスくらいで、執政官経験者では、ラエヴィヌス程度しか話せないほどだ。当人に悪気は無くても、壁のようなものを感じてしまうらしい。
 しかし、本人は気に留めた様子も無く、口を開いた。
「今は対ガリアの迎撃を急ぐべきかと。フラウィウス・ユリウス殿を早くアッレティウムに帰還させるべきでしょう。サムニウムにも動いてもらう必要もあるはずです。」
 この幼い男の、目の前の状況の処理は早かった。誰もが黙るしかない。あっさりと議会は解散になった。


 ドゥルーススからの書状を受けて、クイントゥスとプロデウスはローマに出向くことにした。クイントゥスも議員なのだから元老院に顔を出す必要があるのは勿論だが、元老院側の司令官との相談も重要だ。
一応はシチリア方面軍の指揮官に任命されているのだから、ティベリウスやドゥルーススと顔を合わせて相談をした方がいいに決まっている。クラウディウス家の屋敷に集合、とはいかなかった。ティベリウスはクラウディウス家の養子とはいえ、伯父であるアッピウスの早くして夭折した息子たちの遺児、つまりティベリウスにとっての甥たちの成人までの中継ぎである。この状況で友人を招いて、というのは心苦しい。
 というわけで、二人はドゥルーススの家、ポンピリウス家に出向くことにした。貴族階級の邸宅が並ぶパラティヌスの丘の、麓付近にあるらしい。

「しかし、ポンピリウス家といえば、傍流であっても名門ですよ。どのような家なのでしょうか。」
「……案内状では、ここらしいぞ。」

 随行もないクイントゥスとプロデウスの二人は、ローマでは一般的な住宅の前で足を止めた。掃除はこまめにしているらしいが、裕福な家とはいえない。家に付属した玄関両脇の貸し店舗の様子からしても、一般的な範囲でとどまっている。ドゥルーススの愛馬を飼育するスペースすらない。
ローマ人は農業を重視する民族であるため、都市生活とは別に郊外に別邸を置くことも少なくなかったので、そこで馬を飼っているのだろう。だが、市内の家がこれでは、別邸も大した規模でもあるまい。

「ここが、ドゥルーススの自宅、ですか。」
「そうらしいな。」

 二人は取次ぎを頼んでから、ポンピリウス家の中に入った。想像していた邸宅ではないが、奴隷たちは健康そのもので、礼儀正しく応対してくる。これだけでも、一応は貴族としての生活はしていると思わせた。彼らの案内で、一室に通された。

「お待ちしておりました。貴方が我が息子の友人とか。」

 通された部屋にいたのは、四十代後半から五十代半ばではないかと思われる女性だった。実際には58歳なのだが、プロデウスたちには若く見えた。立ち居振る舞いは上品だったが、目つきの鋭さは告訴人を思わせた。どこか、情というものを感じさせない。貴族的さが良くも悪くも表に醸し出されている。ティベリウスとドゥルーススの母親、クラウディアだった。

「はい、私はプロデウス・ナムロスと申します。こちらは我がパトローネスのクイントゥス・スキピオです。どうぞ、お見知りおきを。」

 プロデウスとクイントゥスが揃って頭を下げると、彼女はどこか値踏みするような目つきで彼らを見遣る。

「確か、クイントゥス殿はスキピオ家の跡取りとか。このような方こそ、我が息子の友人にふさわしい。」

 プロデウスの存在を無視している。おそらくは、クイントゥスの使用人としか見ていないのだろう。だが、プロデウスはそれを甘んじて受けるつもりだった。所詮はエクイテス階級でしかない。相手にされないことも、慣れていた。だが、それに抗議したのは彼女の息子の方だった。

「母上、僕の友人に失礼だよ。プロデウスも僕にとっては大事な友達なんだから。」

 幼い笑みを浮かべたドゥルーススに、クラウディアは表情を崩さずに言葉を紡ごうとした。

「ですがドゥルースス。貴方は貴族ですよ。貴族は貴族としてふさわしい……。」

 ドゥルーススは普段プロデウスたちには絶対に見せないような、冷たい視線を自らの母親にくれた後、一言で切り捨てた。

「邪魔しないでくれる? これから作戦会議だから。母上の出番じゃない。」

 その一言で、彼の母親は唇を噛み締めながら黙って家の奥に向かっていった。二人の方に振り向いた彼は、幼い笑みを満面に湛えて口を開いた。

「見苦しいとこみせちゃったね、ごめん。とりあえず、ゆっくりしていってね。」

 これでは何かに憑かれているのか、とすら思えてしまう。クイントゥスとプロデウスは、思わず顔を見合わせた。ティベリウスはまだ到着していないらしいが、ドゥルーススは大枠だけでも、と話を始めた。

「まあ、とりあえず。基本方針を明らかにしておくよ。これについては兄者にも話してあるしね。……今回はピュロス相手に正面から戦う気は無いんだ。殴るだけ殴ったら、さっさと引き上げる。その繰り返しで戦力を減らすことを目的にするから。」

 せこい方法だ、と二人は思った。だが、確かにそれしかないだろう。正面から戦った二回とも壊滅状態である。ならば、正面から戦わなければよい、とは考えるだろう。

「だが、殴るだけ殴るにしても、足が無ければ逃げられんぞ?」

 クイントゥスの疑問は尤もだが、幼い男はなんとも無いように応えた。

「だから蛮族騎馬傭兵団を確保したんだ。ほら、僕は一騎打ちでガリアの副長に勝ったけど、あの部族の騎兵を雇ったんだよ。剥き出しの力を見せておけば、結構簡単に雇われてくれるんだよね。ついでだから報酬の一つに、シチリアから帰還したら市民権与える約束したから、帰ってこられれば正規戦力に化けるしね。」

 そのための一騎打ちか、とクイントゥスは納得したものだが、代わりの疑問が浮かんできた。背筋に寒いものを感じながら、スキピオ家の嫡男は口を動かした。

「……ちょっと待て。どうやってその約束を取り付けた? 市民権の報酬など、元老院が簡単に承認など……。」
「ああ、それ。脅したよ。連中を従わせたければ、その方がいいってさ。それに、報酬を渋ったらローマの街中で暴れるかも知れないね、なんて付け加えたら、あわてて5000デナリウスほどくれたよ。」

 いつもの幼い笑みを浮かべ、愉快そうに口を動かした。傭兵を雇う習慣の無いローマである。それでも傭兵を雇うとなれば市民権を与える他ないと、ドゥルーススは見抜いていたからだ。何にしても、えぐい事をする男だ、とプロデウスは思わざるを得なかった。

「5000デナリウス、ですか。それだけの資金、何に使うのですか?」
「うん、色々あるけど。手品のタネも買わなきゃいけないし、小麦と秣の買占めが必要だね。」

 手品はともかく、小麦と秣の買占めは納得できた。いくらシチリアが穀倉地帯であっても、これではピュロスも食料が調達しにくくなるはずだ。続けてドゥルーススは言葉を紡いだ。

「それから、ファランクスと象対策だね。ハスタティやプリンキペスなんかの歩兵部隊全般に言えることだけど、飛び道具はピルム一本だけにしてもらう。代わりに、工具の斧を戦場にも持っていってもらうことになるかな。ヘラクレアで見ていたから思ったけど、剣でサリッサを折るのは大変だしね。斧で叩き切ればいいんだよ。それに、アレクサンドロスはインドで象相手に斧を使ったそうだし。丁度いいと思うよ。」

 アレクサンドロスの文献まで参考にしたのか、とプロデウスが思っていると、ドゥルーススはトーガの襞の中から、とある道具を取り出した。ポタージュをかき混ぜるおたまに似ているが、おたまの頭を取り外し、先を丸めた嘴のような構造になっている。柄の長さは50センチメートル程度だろうか。掌で弄びながら、二人の眼前に突きつけるように言葉を紡いだ。

「後、これの量産をしてもらいたいな。僕が持ってる文献の一つにガリアの洞窟の壁画を模写したのがあってね。そこにあったものを、参考にして作ってみたんだ。」
「何に使うのですか、これは……?」
「んー、多分投擲槍を投げるのに使うんだと思う。壁画の模写で見る限りはそういう使い方してるし、実際に使ってみたら射程が延びたよ。この柄をしっかり持って、嘴のところで投擲槍の石突を引っ掛けて投げるんだ。」

 これは投槍器という道具で、後代にはアトラトルともスピアスローワーとも呼ばれることになる。かつて人類がマンモスを狩り、果ては絶滅させる原因となったものともいわれ、梃子の原理を用いて攻撃力を向上させる。これによって、分厚い皮膚を持つ象を打ち倒そうというのだろう。壁画まで参考にしたのは、ドゥルーススにとっては神の助けと思えたからだろうが、この手の発想と知識まで有しているとは、知識量が多いにしてもほどがあった。

「コツがいるから、ウェリティスの中で選抜しておく。これを装備させた部隊を使って、射程の誤認や象撃破なんかの撹乱に使おうと思ってる。」

 習得に技量を要するのか、とクイントゥスは思ったが、実際にはそうではない。慣れれば、誰でも扱える。ただし短時間で慣れ、扱いきれるかと言われれば、そうでもない。戦う中で力をつけていくのは重要ではある。しかし、今回ばかりは一年という制約がある。短時間でピュロスに諦めさせるのが目的だからだが、これではどうしても時間が足りない。それも当然計算に入れていたからこそ、選抜を行うと言っただけであった。

「兄者にはクイントゥスの部隊直属の副官……というか、騎兵隊指揮に入ってもらうことにしてる。兄者はその……うん、騎兵指揮が得意だから。僕は僕でローマ本軍の、シチリア方面軍第二軍団を指揮することになるから。後から合流するマニウスは僕の軍団に入ってもらうかな。」
「ということは、俺が司令官兼スキピオ家シチリア方面軍第一軍団長である以上、実質的な副官はまさか……。」
「そう、僕。副官役、頑張るよ。僕には一番適した役目だし。」

 副官適正というものがあるのか、とクイントゥスとプロデウスは同時に思った。だが、よくよく考えてみればナンバーツーでいる間は活躍できても、トップに躍り出た途端に総スカンを食らって失脚した人間は少なくない。ドゥルーススも自分をこの手の人材と思っているのかも知れない。
 玄関先で、物音がする。奴隷たちの声の調子からして、客人か誰かが来たらしい。一定のリズムの足音は、戦争経験の深さを物語っている。部屋の入り口に姿を現したのは、この場の全員が見慣れた武人だった。

「すまんな。遅れた。」

 ドゥルーススの兄、ティベリウスだ。トーガを丁寧に着こなしている様子からして、急がなかったか、でなければ輿か何かを使ったのだろう。二人はティベリウスが輿を使う様子を想像できず、歩いてきたのだろうと見当をつけたものだ。

「ドゥルースス、どこまで話した?」
「んー、基本方針と騎馬傭兵の事と、投槍器と、あとは僕が実質的な副官というとこかな。」
「そうか。」

 軽く遣り取りを交わすと、重々しい貴族の男は二人に目を向けた。息苦しさは相変わらずでも、どこか雰囲気が違う。普段より、明るい印象を受けた。

「話は聞いていると思う。とにかく、今回はまず二ヶ月だ。二ヶ月保たせる必要がある。」

 ティベリウスの意見に深く頷きながらプロデウスは言葉を紡いだ。

「そうですね。アスクルムで示されたように、オタキリウスの散兵の力は大きいですから、彼らが来れば戦力は大きく拡充すること間違いないでしょうね。」
「だが、オタキリウスの参戦を待って戦うのは問題が大きい。それに、戦況は刻々と変わる。これに対応するためには、私は機動力の確保が重要だと考えた。動きが早ければ、対応も違うのでな。弟もそれに同意してくれた。」
「僕は僕で騎兵が必要だと考えているからね。特にピュロスが相手なら尚更だよ。さすがにアレクサンドロスの後継者と名乗るだけのことはあるよ、騎兵を思いっきり歩兵に叩きつける戦術多用してくるんだから。テッサリア騎兵を拘束するためにも騎兵は必要だったんだ。」

 いかにローマ軍の歩兵が強くとも、機動力ばかりはどうにもならない。また、機動力に任せて背後に回られれば、ファランクス程ではないにしても、ひとたまりも無かった。騎兵を多用する敵がいる以上は、歩兵たちを保護する機動戦力はどうしても必要だった。クイントゥスとプロデウスが納得した顔をしたので、手元の蝋板を見ながらティベリウスは再び口を動かした。

「戦力配分については、我らで決めておいた。ハスタティ、プリンキペス、トリアリィ、ウェリティス、弓箭兵をそれぞれ2部隊ずつ、それにエクイテスを3部隊、私の護衛騎兵、計14部隊、1996人がローマ本軍から私が率いる形で貸し出される部隊だ。これらをスキピオ軍に合流させて一個軍団を編成する。クイントゥス殿、貴公が動員できる部隊はどの程度か?」

 クイントゥスは防衛部隊のことも鑑みて、頭の中で計算しながら、ゆっくりと応えた。

「そうですね。……ハスタティが6部隊、ウェリティスと弓箭兵2部隊……それから俺の護衛騎兵も加えて11部隊、1648人なので、一個軍団である20部隊を超えますね。」
「規定部隊数を超える以上は、独立した軍団にもできない以上、私が率いる軍勢は第一軍団付属の機動部隊扱いがよいだろうな。それから、ドゥルースス率いるローマ本軍はハスタティ4部隊、ウェリティスと弓箭兵、エクイテスに蛮族騎馬傭兵が2部隊、ドゥルーススの護衛騎兵を加えて13部隊、合計人数は1762人だな。」

 ここまで聞いて、プロデウスが自らの考えを表面に滲み出すように述べた。

「ドゥルーススの部隊は全体的に小規模ですね。それに、軽装な兵士が大半を占めている上に、騎兵の比率も高いようですが。」
「小規模なのと軽装の歩兵が多いのは……他に資金を使うところがあるから。それに……実践を積んだ兵士を増やしておけば、後々ローマにとって益になるはずだしね。……騎兵の比率が高いのはどうしようもない……というか、望んでそう編成しているというべきかな。あの傭兵たち、僕にしかついてきそうにないし……。ローマの戦術を見直す……何というか、実験も兼ねているんだよ、これからの一年間。」

 プロデウスの質問に応じたのはドゥルーススだったが、今までの饒舌さが嘘のように歯切れが悪かった。どうしたのだろうと顔を窺ってみると、幼い笑みが消えて真剣な目つきで兄の蝋版とシチリア周辺の地図を交互に眺めている。いや、見つめているというべきかも知れない。驚くほどに注視して何かを考えている様子だった。

「……!」

 ティベリウスがふっと微笑んだのを見て、プロデウスはこの兄弟を改めて見遣る。初めて兄弟とわかった時には、まるで似ていないと思ったが、それを今改めなくてはならない気持ちになった。ティベリウスの微笑みはドゥルーススの浮かべる幼い笑みに、ドゥルーススの真剣な目つきはティベリウスの鋭い視線に、よく似ていた。
顔立ちでは男らしいティベリウス、女性的に傾き始めたドゥルーススと、型は違っていても基本的な形状は似ているのだろう。雰囲気を無視できれば、共通項は見出せるものだ。思索が終わったのか、軽く顔を上げて、ドゥルーススはこの場の三人に向かって口を開いた。

「とりあえずなんだけど。早いうちにシチリアに向かおう。シチリアでできることをしよう。それが、僕たちがローマやローマに協力してくれている人たちのために、できることだと思うよ。」
「では、ローマ本軍がネアポリスに到着次第、シチリアに向かうこととしよう。ティベリウス殿はそれでよろしいですか?」

 ネアポリスはスキピオ家が統治するカンパニア地方の第一の港であり、ギリシア人の入植を起源とする街だ。シチリアに向かうためには船が要るが、ローマの外港であるオスティアでは規模が小さすぎた。海運に慣れたギリシア人の都市ならば、総勢5406人もの兵士を送り届ける船も十分に停泊させることはできよう。

「問題ない。……兵站ルートの確保も必要でもあることだ。ドゥルースス、各地に手配を。」
「うん。じゃ、僕はこれから商人たちに挨拶回りしてくる。色々用意しなきゃいけないものがあるし。クイントゥスもプロデウスもありがと。二人も準備のためにカプアに戻るのかな? ローマで手配できるものを探してもいいんじゃない?」

 これは、暗に泊まっていけと言っているようなものだった。二人はそれを受けることにし、荷物を置いてからローマの街を散策することにした。

「クイントゥス様、どちらに?」
「会いたい人間がローマにいる。」

 それだけ言うと、クイントゥスは地面を踏みしめて歩を進めて行く。プロデウスもあわてて彼の後を追った。足早に向かった先は、フォルム・ロマーヌムの商用スペースだった。列柱回廊を布で区切って、商用オフィスや裁判のスペースにするのがフォルムの役目だ。商談のような重要な内容は、奥でする決まりだった。

「会いたい人とは、ここにいるのですか?」
「おそらくはな。」

 区切った布に、「ドラベラ商会」の文字が見えたところでクイントゥスは足を止めた。プロデウスは納得したようにクイントゥスの顔を見た。彼のパトローネスはというと、顔色を変えようともせずに、ゆっくりと足を踏み出していた。

「いらっしゃいませ。」

 店員たちが声をかけてくる。クイントゥスは店の者の一人に尋ねた。

「このソチエタスの経理担当に会いたいのだが。ああ、私用なので、仕事が終わってからで結構だが。」

 急に赤い縁取りのあるトーガを着た男、つまりは元老院議員に声をかけられて驚いた店員だったが、気を取り直して言葉を紡いだ。

「経理担当……ああ、ソフォニカルですね。少々お待ちください。」

 店員が布の仕切りをくぐりながら奥の方に向かっていった。その場に取り残された二人は、何の気なしに周囲を見回しながら話しはじめた。

「そういえば、カプアの酒場の店長だと思っていたのは、このソチエタスの経理担当だったのですね。」
「カルタゴから逃げてきたと本人は言っていたからな、貿易でカルタゴ人が来客するときにカプアに逃げているらしいぞ。あの様子だと指名手配犯だろう。国家反逆にスパイ容疑と本人も言っていたのだからな。」

 人は見かけによらない、とプロデウスが思ったところで、背後からやってきた誰かがプロデウスの背中にぶつかった。その人物はふらついて横転し、持っていたパピルスのスクロールを取り落としてしまった。

「ああ、すみません!」
「申し訳ない!」

 その男はあわててしゃがんだままスクロールを持ち直したが、今度はなかなか立ち上がれない。どうも、足が悪いらしい。二人が改めてこの男を見てみると、彼は金髪と碧眼の持ち主であることがわかった。ローマ人に合わせて髭を剃り、短髪にはしているらしいが、前髪が不自然に切りそろえている。その妙な不恰好さが、不思議と似合っていた。

「んー、っしょっ! と。」

 ようやく立ち上がった。二人は一瞬白人系であることがわからなかった理由が、理解できた。彼の背丈がラテン人と変わりなかったからだ。服装も、トゥニカの上にトーガを巻きつけているというローマ人らしいスタイルだった。だが、よく見ればズボンも履いているらしい。それに、サンダルを穿いてはいても、足自体をその上から皮袋のようなもので覆っているようだ。
年の頃は、40少し前という程度だろう。生き生きとした顔つきで、目元のしわが彼の生活が順調すぎるほど順調であることを物語っていた。

「ぶつかってしまってすみません、お客さん。どのようなご用件で?」
「こちらこそ、申し訳ありませんでした。ちょっと私用で。ソフォニカルという方にお会いしたいと思いまして。今約束を取り付けてもらっているところです。」

 軽く頭を下げてから語ったプロデウスを、なるほど、という顔で金髪の男は見遣り、笑顔を見せた。

「うちの経理ですね。もしかして、カプアからいらしたんで?」
「何故そう思うのですか?」
「いや、ソフォニカルがカプアで仕事をしに行くと、よくそちらから客が来るんですよ。取引やら何やらを引き連れてなんですけどね。今回は、取引じゃないようですが、まあ、千客万来ってことで。」

 スキピオ家が拠点とするカプアは、ギリシア人が入植してできた街の一つで、ギリシア系の住民も多い。このギリシア人は通商で有名だ。商売人である彼らのことだ、酒場で出す物品が商売になると思って、ソフォニカルを訪ねる人間も多かったのだろう。

「っと、まだ名乗っておりませんでした。私はティベリウス・ゼヌミニウスといいます。」
「ティベリウス?」

 知り合いであるクラウディウス家の男と同じ名前だな、とはクイントゥスも思ったが、珍しいことでもない。この黄金色の髪の男も慣れているらしい。笑いながらこの男は口を開いた。

「ははあ、お知り合いにティベリウスという方がいらっしゃるんですね。ならば、私のことはゼヌミニウスとお呼びください。」

 そこまで言ったところで、ゼヌミニウスのトーガの裾を軽く引っ張る者がいた。彼の部下か誰からしい。

「すみません、予定が押しています。」
「もうそんな時間か? ……では、仕事がありますので、これで。」

 それだけ言うと、ゼヌミニウスというローマでは聞きなれない名前を名乗った男は、左足を引きずりながら仕切りの布をくぐって、出て行った。

「船長、次の航海予定です。」
「あー、物資の輸送か。んー、イオニア海に回れるかな……戦争という話だし。ま、いいさ。傭兵たちにも覚悟はさせておいてくれ。」
「覚悟の無い人は殴り倒すんですよね、わかります。」
「当然だ。」


 などという会話が聞こえてくる。先ほどのゼヌミニウスという男は、どうも船長らしい。何にしても、妙な男だった。

「変わった方ですね。」
「このソチエタス自体も、大勢の外国人で構成されているらしいがな。」

 よくよく見てみれば、ギリシア人もカルタゴ人もおり、中にはガリア人、果ては東方人までいる。いかに外国人への抵抗が薄い傾向にあるローマ人とはいえ、ここまで雑多となると、目を剥くばかりだ。客への応対はラテン語でも、先ほどのゼヌミニウス船長とその部下を除けば、店員同士の会話はほとんどギリシア語が飛び交っている状態だった。
 この当時の地中海世界の共通語はギリシア語だ。雑多な民族が存在する以上、こればかりは仕方ない。だが、それにしても日常会話がこれでは、会長とやらも頭が痛いのではないのだろうか、とクイントゥスは思う。

「どうぞ、お通りください。お待ちしておりました、とのことです。」

 ソチエタスの者が、フォルムの奥に二人を案内する。そこには、さらにやつれて疲れたような、ブロンズ色の顔をした男が待ち受けていた。

「ドラベラ商会までいらっしゃるとは、珍しい。お久しぶりです。」
「まさか貴方が経理担当だと思っていなかった。カプアの酒場の店主かと思っていたぞ。」

 誤解するのも当然だ。クイントゥスが出向くと、何故かいたのだから。勿論、タイミングが合いすぎるほど合っていただけに過ぎない。それに、クイントゥスも毎日酒場に行っていたわけでもない。仕方の無い話だった。

「今日は私用で参りましたので。お顔を拝見したい、というか、なんと言うか。しばし遠出しますので、少し。」

 どう考えても物資調達のためではないだろうな、と思いながらプロデウスが口を動かすと、ソフォニカルは楽しそうに笑った。

「ええ、噂で聞いております。何やら遠征とか。会長にも許可は取ってありますので、ごゆるりと。ああ、お茶がよろしいですかな?」



 一方のドゥルーススはというと、各地に支店を置くソチエタスに声をかけた後、偶然会えた従兄弟とコンコルディア神殿の横で立ち話をしていた。この従兄弟の名はカエソ・センプローニウスといい、ドゥルーススより三歳年上だった。幼く女性的なドゥルーススと比べると、カエソは力強く逞しい印象を与える。トーガの重々しさもあって、ローマ人らしさが表現されていた。二人が並んでいると、どうしてもドゥルーススの違和感が強調されてしまう。
だが、ドゥルーススにとっては数少ない、話ができる相手であった。この幼い男にとっては、傾向の違う人間であるほど話しやすいのかもしれない。

「んで、俺っちもシチリアに来いってか?」
「うん。僕にもサポート役が欲しくてね。カエソは僕より強いし。」
「おいおい、ガリア人相手に一騎討ちして勝った人間が謙遜するんかい?」

 苦笑いしながらカエソは言葉を放つ。ローマの指導者階級の人間なら、一騎討ちを挑んで勝利した人物と、対ガリア戦の作戦立案者が同一人物であることくらい、誰もが知っていることだった。しかも、その栄誉をユリウス家に譲ったこともフラウィウスが隠しもしなかったので、兵士たちの間でもかつての十分の一刑の発言が薄れるほどの評判だった。

「ま、僕とカエソが喧嘩したら勝てる気がしないしね。貴方には護衛騎兵として参加してもらいたいし、うまくいけばクワエストルに手が届くようになるかも。センプローニウス家の政界進出、いい話だと思うけどな。」

このカエソはドゥルーススの父親であるデキムス・ポンピリウスの姉であるポンピリアの息子だ。彼女の嫁ぎ先は騎士階級、つまりはプロデウスと同じエクイテス階級のセンプローニウス家で、新興勢力に限りなく近い。出身もローマではなく、ユリウス領にあるアリミヌムだった。これでは、政界進出の機会も少なかった。しかし、田舎育ちゆえのやや乱暴な口調で、カエソは応じた。

「そんなもん、興味ねえって。俺っちが興味あんのは、戦ってローマに貢献すること、それだけだしな。」
「そう言うんじゃないかと思ってたけどさ。まあ、とりあえず来てくれれば。シチリアで戦うことは、ローマに貢献することにもなる。それは間違いないよ。」
「えらい自信だな?」

 カエソを見遣りながら、ドゥルーススは微笑みながら言葉を紡いだ。

「自信なんかないよ。支えてくれる人たちがいるから、やれるだけ。僕単体は大したことないし。」
「慎み深いのは美徳だとは思うが、もうちょっと自分のために生きてもいいんじゃないのか……っと、そういやぁ、そういう人間を得ることが目的だったっけか。じゃあ、自分のためにも十分生きているわけだな。なら、問題ないみたいだ、その人生が続くように俺っちが守ってやんよ。昔みたいにさ。」
「お願いするよ。」

 にっこりと笑ったドゥルーススに向かって、悪戯めいた顔でにっとカエソは笑ってみせる。カエソにしてみれば、昔は可愛い弟分だったドゥルーススが一軍の軍団長として、シチリア方面軍全体の副官として羽ばたこうとしているのが、妙に嬉しかった。本当に幼い頃、そして、その後に起きたことを考えれば、ここまでの歩みが奇跡だと思えるほどだった。

「あー、そういえば、俺っちに妹ができたんだが。言ってなかったよな。」
「んー? 聞いてないな。そんなことしたら伯母さん、体ガタガタなんじゃ?」

 おいおい、という顔でカエソはドゥルーススを見遣った。とはいえ、ドゥルーススの心配も無理はない。ドゥルーススの母親よりも10歳は年上だ。それに、血の繋がった家族という認識もある。そうは言っても、とりあえずは抗弁することにしたらしい。

「あのな。……拾ってきたんだよ。俺もヘラクレアには参加してな。あの近郊で、みなしごになってる妹を助けてきたんだっての。エペイロスの連中に両親を殺されたらしくてな、おまけにあの時12歳でしかなかったってのに、強姦されたらしい。で、俺っちが養女にするのもあれだから、妹にしておいたってこった。」

 なるほど、とドゥルーススは顔を曇らせた。ヘラクレア直後のクロトン周辺は大混乱で、戦利品目当てにエペイロスの兵士が略奪したと聞く。このような事件が起きたとしても、何の不思議もなかった。

「……ひどい話だね。でも、そういう子助けるカエソは、昔から変わってないね。道理に合わないことしたのなら、相手が大人でも食ってかかってたしね。優しい……お兄さんなんだな。」

 何となしに、年甲斐もなく照れてしまった自分に苦笑するように、カエソはこめかみを掻きながら口を動かした。

「あー、まあな。まあ、出陣のときにでも紹介するから。楽しみにしとけ。」
「そうするよ。」

 妙に寂しそうな笑みを浮かべたドゥルーススを見遣るカエソは思う。脆さだけは変わっていないのか、と。

 クイントゥスら三人は、しばらくの間会話を楽しむと、ソフォニカルに礼を言い、クイントゥスとプロデウスの二人はフォルムを後にした。クイントゥスが会いたい人間は、まだ別にいるらしい。

「次はどちらに?」
「ユリウスの小僧に会いに行くのもいいし、伊織に会いに行くのもいいだろう。」

 ああ、とプロデウスは納得する。とはいえ、ドゥルーススとは別の意味で疲れそうな二人ではあった。頭は良い割には遊び人というアムリウス・ユリウスと、スキピオ家の後援者の娘で、相手によってころころと態度を変える伊織・水瀬をまともに相手にできる人間など、この世にいるはずも無い。

「……大変なことになりそうですね。」
「とはいえ、顔を合わせないわけにもいかんだろう。これから海を渡ってシチリアに向かう以上、顔を合わせられない可能性もある。」

 ローマ人は後の世になって、こう言ったという。「まともなローマ人なら海を恐れる」と。ローマは個人レベルならともかく、軍隊の渡海など、今までしたことがない。したことがないと泣き言を言えるはずもないが、未経験は事実なのだから仕方ない。これで、まともに生きて帰ることができると思うほうがどうかしている。

「アムリウスはフラウィウス殿の名代でローマにいるはずだ。伊織の方は郊外の別邸の方だろうな。」
「一応、フラウィウス殿のご子息ですからね、務めを果たせると見られているようですな。」
「……プロデウス、嫌味か?」

 クイントゥスにとっては、そうとしか聞こえなかったらしい。それはそうだ。仕事から抜け出すためにプロデウスを使ったことなど、別に少なくない。後継者が務めを果たす、という言葉は、傷に塩を塗られた気分になるだろう。

「い、いや、そんな。」

 などという遣り取りがあったが、神々が哀れな百人隊長を守ったのか、プロデウスに不幸が降り注ぐ前にアムリウスと出会うことができた。アムリウスが、外を出歩いていたからだった。どうやらガールハント中だったらしい。だが、クイントゥスの姿を認めると、声をかけていた若い女に待つよう口説き、アムリウスの方から歩み寄ってきた。

「よう、おっさん。」
「誰がおっさんだ、小僧。」
「その頭、誰が見てもおっさんじゃないか。」

 アムリウスに言われるまでもなく、クイントゥスの頭は見事に禿げ上がっていた。もう髪の毛など、ほとんど残っていないらしい。クイントゥスは軽くこめかみを掻き、口を開いた。

「……まあ、いい。俺はこれからシチリアに行く。スキピオ家のクリエンテスであるオタキリウスを預けるからには、ガリア人にローマの地を踏ませるな。」

 軽いプレイボーイのアムリウスは、本当に軽い調子で応えた。

「大丈夫。親父は客人に無理をさせる気はないし、負けるつもりもない。」
「ならいい。俺はまだ会わなければならん人間がいる。……女漁りもほどほどにしておけ。」

 踵を返そうとするクイントゥスに向かって、ユリウス家の後継者である、未だ二十一歳の男が声をかけた。

「おっさん、待った。シチリア方面軍の副官のこと、理解できてるのか?」
「……どういう意味だ?」

 自分の方に振り向いたクイントゥスに向かって、アムリウスはゆっくりと口を動かした。

「俺も三年前にパドゥス河にいたんだよ。親父の付き添いで、初陣ってやつだ。あのドゥルースス・ポンピリウス・コルウスって軍団長、ただもんじゃないぞ。」
「そんなことは知っている。」

 普段の態度と打って変わって、真剣な目つきでアムリウスはクイントゥスに向かって言葉を放ち続ける。それを受け止めるクイントゥスは、これまた真剣な目つきでユリウス家の嫡子を見ていた。

「まだわからないのか。戦術にも武勇にも優れ、おまけにピュロス相手に戦おうって考えてるんだから、当然戦略眼もないわけがない。それでいて自分は副官だ。普通、そんな人間がいるわけがない。どこか欠けている部分があるのが当然だし、それほど能力があるなら、トップを狙ってもおかしくない。いくら俺たち貴族が平民と違う生活送ってるからって、あんなふうにはならないだろう。少なくとも、率先して先頭に立つはずだ。特殊な教育……いや、訓練というべきかも知れないが、とにかく、その手のものを仕込まれてる。」

 確かに、そう考えるのが自然だ。膨大な知識量と一騎討ちができる技量を、そう簡単に両立できるわけがない。だが、ドゥルーススを理解できていないわけがない、とクイントゥスは思う。不思議なところはあっても、この14年間付き合い続けてきているのは自分やプロデウスの方なのだから、と。

「お前に何がわかる。ドゥルーススは俺にとってもプロデウスにとってもよき友人だぞ。」
「まあ、わかんない人間はわかんないだろうな。……一つ言っとく。絶対にあの副官を突き放すなよ。奥底にあるものを読み取らないと、それこそ命に関わる。」

 アムリウスには、ドゥルーススの狂気の理由が理解できた。正確には、父親であるフラウィウスの方が知っているということだが、彼の父が結論付けた内容をアムリウスも納得したからでもある。だが、クイントゥスはそれを聞く気はなかった。

「…………俺はドゥルーススを信じる。」
「まあ、それなら大丈夫だろ。」
「スキピオの失敗を望まないのか?」
「冗談きついな。おっさんのとこのスキピオがやられてくれたら、今度はユリウス家がピュロスの相手をしなきゃならなくなる。勘弁してもらいたいな。」

 相変わらず食えない男だ、と思いながら、クイントゥスはその場を後にし、プロデウスも一礼してからそれに続く。やれやれという顔で二人を見送ったアムリウスが周りを見ると、口説いていた女性が消えていた。どうも痺れを切らしたらしい。女たらしで有名な男は溜息を吐くと、とぼとぼと屋敷に戻っていった。

「で、後は伊織だけだな。」
「郊外の別邸だとすれば、馬が要りますね。」

 軽くあごを撫でたプロデウスの横で、クイントゥスは思い出したように目を見開いた。

「……いや、待て。」

 確信したように歩き出すクイントゥスの後を、早足でプロデウスは追っていく。

「どうしたのですか?」
「確か、ウェスタの巫女に選出されたとか何とかと言っていたな。」

 ウェスタの巫女は、ほんの幼い頃から竈の火の神であるウェスタに祈りを捧げるのが仕事だ。期間は三十年ほどで、その間は男性との性的関係を断って生活せねばならない。とはいえ、伊織はまだ8歳でしかない。今のところは気にする必要はなかった。
 また、この禁を破れば生き埋めとはなっているが、事実上禁を破っている巫女たちも少なくはなかったらしい。プロデウスも巫女たちの浮いた噂は耳にしていたが、それをどうこうする気はなかった。それが人間というものだ。

「では、目的地はウェスタの神殿ですか。」
「そうなるな。」

 ウェスタの神殿に男が出向くのも面倒だが、そのようなことは言っていられない。早速スキピオ家とも血縁のある、親族の中では猫かぶりと有名な少女と会うことができた。前髪を後ろに流したロングヘアと、抱き締めている縫いぐるみは相変わらずらしい。

「久しぶりね! ……ガイウスは来てないわね?」

 この額の広い少女にとっては、クイントゥスの弟はどうにも肌が合わないらしい。周りをきょろきょろと見回す様子を、やれやれという調子で見遣りながらクイントゥスは口を開いた。

「今日は来ていない。これからの俺の仕事のことは、知っているな?」
「シチリアに行くんでしょ。そのくらい知ってるわよ。でも、大丈夫なわけ? 船に乗るのだって初めての癖に。」

 痛いところをついてくるな、と思いながら、スキピオ家の嫡男は返答する。

「大丈夫だ。」
「無理しちゃって。」

 こんなことならガイウスを連れてくるんだったな、とクイントゥスは思いながら、伊織に向かって再び口を開いた。

「とにかく、エペイロス相手の戦いだけに、油断は出来ん。万が一ということもあるからな。無駄死にする気はない。全てはローマのためだからな。」

 それだけ言って去ろうとすると、手にした縫いぐるみを抱きしめながら、クイントゥスに向かって伊織が言葉を投げかけた。

「帰って……きなさいよ。」
「無論だ。」

 実にあっさりと、しかし自信に満ちた声でクイントゥスは言い切った。



 出陣の日、ティベリウスとドゥルーススは元老院議員たちと挨拶を追えた後、彼らが率いていくローマ本軍の、3000人を超える兵士たちの前に立っていた。まずは、とティベリウスは静かな調子で演説を始めた。

「我ら兄弟、ローマのためにシチリアに向かう諸君を率いることとなった。これよりネアポリスに向かい、スキピオ軍と合流する。諸君らの中に海を渡ったことがある者は少ないと思う。我らも同じだ。だが、海を恐れるな。恐れるべきはエペイロスのピュロスと、彼らが率いる軍勢の方である。」

 ティベリウスの後を受け、ドゥルーススも緊張した面持ちで演説する。自分には似合わないことであっても、やるべきときにはやる。それが貴族というものだ。

「エペイロスの軍勢は、二度に渡って我らを壊滅させた恐るべき敵である! しかし諸君、人とは死すべき運命にある存在である以上、同じ人間であるピュロスやエペイロス軍も不死身ではない! 不死身でないのであれば、打ち倒すこともできよう!」

 ここで二人は同じ台詞を、タイミングを合わせて全くの同時に口から放った。

「我らローマに栄光あれ。我らが盟友スキピオ家に栄光あれ。我らがレス・プブリカに勝利あれ。プロ・ローマ。プロ・レス・プブリカ。」

 続けて、各隊の百人隊長の叫びがマルス広場に満ち、それが伝染するように兵士たちの間にも広がっていく。

「プロ・ローマ! プロ・レス・プブリカ!」
「プロ・ローマ!」
「プロ・レス・プブリカ!」

 右手を一斉に斜めに掲げる敬礼と共に、彼らの声から熱が溢れた。かつての勝者も敗者も心を共に戦うべきと、ティベリウスは考えていた。その願いが、叶えられつつある。この告訴人めいた男にとっては、うれしい限りであった。そんな中、ドゥルーススは自らの護衛役を受けてくれた従兄弟と顔をつき合わせていた。

「カエソ、準備は?」
「万全っ。問題ないっての。」

 マルス広場には、多くの見送りが姿を見せていた。その中で、心を閉ざしたような暗い顔付きの少女がいる。笑えば可愛い顔立ちだというのに、その沈んだ雰囲気は本人の過去の暗さをそのまま表していた。いでたちこそ富裕階級のものだが、どこか泥臭さを感じさせる。彼女のすぐ横に立ったカエソは、にやりと顔を綻ばせてドゥルーススに向かって言葉を放った。

「約束しただろ、妹に会わせるって。センプローニアと呼んでやってくれ。ほら、センプローニア。俺っちの従兄弟のドゥルースス・ポンピリウス・コルウスだ。挨拶。」

 軽い足取りでドゥルーススはセンプローニアに向かって歩を進める。だが、脅えたようにカエソの影に隠れてしまった。一騎討ちで勝利した強者という前情報もあり、恐ろしげな存在と思っているらしい。それに、兵士にしろ将官にしろ、「戦う者」に対してのトラウマを抱えている。これでは無理もなかった。

「……。」

 ドゥルーススは一瞬暗い顔付きになったが、すぐにそれを押し隠し、優しい笑みを見せて声をかけた。

「こんにちは、センプローニア。僕の名はドゥルースス。覚えてくれるとうれしいな。」
「……あ……。」
「まあ、人はいっぱい殺してるけど。でも、僕は人殺しが好きなわけじゃない。僕が戦って誰かが死なずにすむなら、それに越したことはないから。できれば、ローマもセンプローニアみたいな女の子も、守れたらいいな。」

 優しい笑みを振りまきながら、彼は本心を口にした。伝わるかどうかはわからないが、伝わってくれると信じるしかない。彼は振り返りながら声を張り上げた。

「行こう、僕たちの敵が待つところへ! 僕たちを待ち望む人たちのところへ!」

 ドゥルーススの声にローマ本軍の兵士たちが、おう、と返してくる。幼い男はくすぐったいような、胸を張りたくなるような気持ちになりながら、黒い愛馬に跨った。

 これが、ローマにとって、エペイロスにとって、シチリアの地を踏みしめるものにとって、最も長い一年の始まりとなった。





11 最も長い一年(Ⅱ) 巨星二人


 シチリアの領土を持つカルタゴが、シチリアのリリュバエウム防衛のために軍勢を送り込んでから、既に3年が経過していた。相手が相手だけに、いくら経済大国であるカルタゴでも消耗する。この時期は不平等条約があるとはいえ、ローマと貿易をしていたこともあり、彼らと敵対していたピュロス相手の戦争には、疑問を持つ必要はなかった。
この膠着した戦線を切り崩すための、そしてピュロスという脅威を排除するための切り札として、ついにカルタゴ最強の将軍がシチリアに向かうことになった。名は、ハミルカル・バルカ。後にローマを苦しめることになるハンニバル・バルカの父親であった。彼に与えられた兵士は、イベリア系、リビア系、フェニキア系の正規兵のほかに、傭兵団が加わっている。この傭兵団の大半が、13年前に一人の内政官が治安対策のために雇い入れた者だ。5年ほど前に内政官の首は文字通り飛んだが、彼の残した思いはハミルカルが預かる形となっていた。

「ハンニバルよ、お前は私とともにシチリアに来い。相手が戦術の天才ならば、学ぶ機会も多いはずだ。」

 というわけで、息子のハンニバルも連れてイベリア植民地から、はるばるシチリアに向かうこととなった。バレアレス諸島で投石兵を補充し、カルタゴ本国から象兵と正規兵を調達して、イベリアで鍛え上げた部隊と合流させて編成した、精鋭部隊である。ピュロスが相手である以上、どうしても必要だった。父に従うハンニバルも、それは理解していた。

「しかし父上、これは国内派の罠では? 我らの戦力をピュロスにぶつけて削り、イベリア派の力を削ぐつもりではないかと……。」
「そんなことはわかっている。だが、カルタゴ本国を滅ぼされるわけにもいくまい。今のところピュロスは、ローマ相手の戦争での拠点としてシチリアを欲しがっているが、あの戦争狂のことだ、すぐにカルタゴにも目を付けるに決まっている。リリュバエウムは対ギリシアの橋頭堡である以上、放置できるわけがない。」

 それでもハミルカルは、苦さを隠すことができなかった。あの、ハミルカルの師ともいえる内政官は、国内派もイベリア派も協調することを望み、警察力的な脅しとして傭兵団を雇い入れた。それが原因で、内政官は処断されてしまったのだが、この行く先のない傭兵団を放置しては社会不安となるため、ハミルカルが引き取ったのはよかった。しかし、このままでは治安維持目的の戦力を、イベリア派のものとして削られる。これ以上の皮肉はない。

「短期決戦で済ませることができれば、それに越したことはないのだがな。」

 だが、相手は戦術の天才ピュロスである。簡単に勝てる相手ではないことくらい、イベリアで戦い続けてきたハミルカルには、わかりきったことであった。

「カルタゴも、本気を出したらしい。ここから一歩も引けない戦いになったな。」

 風に髭を揺らされるピュロスは、宿営地で整列する自軍のホプリタイを見遣りながら呟く。シュラクサイの援護により、どうにか本国との連絡を取り、重装ホプリタイ6部隊を補充できて安心したところだったが、敵がハミルカルとなれば話は別だ。イベリアでの戦いではゲリラ相手の戦いに慣れ、正規軍を率いて傭兵団の反乱にも対応した男と聞く。いかな戦術の天才たるピュロスといえど、無傷で勝てる相手ではなかった。

「だが、ローマ相手に戦うには、絶対にシチリアは必要だ。」

 ローマ相手の戦争にピュロスがこだわるのは、簡単に言うと「意地」である。ピュロスはどこか戦争のための戦争をするところがあり、同時にやや飽き性なところがあった。たった2年でイタリア半島を放り出したのも、この飽き性故だ。
だが、負けたままで終わるのも、戦術の天才の名が泣く。ローマを諦めるわけにもいかず、拠点欲しさにシチリアに手を出したのは良かったが、戦線が膠着して、いつもの飽き性が顔を出し始めたらしい。それをピュロスは自ら感じ取ったのだろう。
その上、メッサナを留守にして半年近くになる。連絡も途絶えがちで、メッサナに戻る必要性を感じていたところだった。これでは、彼が意地になるのも当然だった。

「カルタゴ軍の編成は……イベリア歩兵、リビア槍兵、フェニキア歩兵、弓兵、バレアレス投石兵、散兵、それに円盾騎兵と長盾騎兵、ヌミディア騎兵、か。後衛に傭兵団がいるらしいが、ここからでは見えないな。」

 ハミルカルが到着してからのここ数日、カルタゴ相手に小競り合いばかりしている。前衛に散兵であるペルタスタイを出せば、ハミルカルはそれより射程の長いバレアレス投石兵を繰り出した。ならば、とロードス投石兵を前衛に出せば、今度は間隔を開けた軽装の剣歩兵であるイベリア歩兵を最前衛に出し、軽捷さを利用して悉く攻撃を躱していた。
投げ槍を装備した市民騎兵を使って攻撃を仕掛けてみても、意に介さずと反撃すらしてこなかった。どうやらハミルカルは、会戦になるタイミングを計っているらしいが、いかに飽き性のピュロスとはいえ、この程度で苛立ってもいられない。タイミングを見計らっているは、ピュロスとて同じことだった。

朝の冷たい空気が、カルタゴ軍とエペイロス軍を浚(さら)う。両軍が前衛に出したのは、どちらも弓兵。その背後に控えているのも、同じマケドニア式ファランクスだった。エペイロスはずらりとファランクスを並べているだけだが、カルタゴのフェニキア歩兵が形成するファランクスの両翼を守るのは、長さ3メートルの鎗を手にしたリビア槍兵だった。また、エペイロスはファランクスを作り上げたホプリタイの背後に重装ホプリタイが控えているが、カルタゴ軍の背後に控えているのは傭兵団とイベリア歩兵だ。
 カルタゴ軍は歩兵隊の両翼に騎兵を配していたが、エペイロス軍の騎兵は左翼に集結していた。散兵、投石兵は両軍とも後衛に控えさせている。何かあれば、一斉に投入するつもりなのだろう。そして、最終決戦兵器たる戦象部隊は両軍とも最後衛に配し、最後の一撃に投入する予定らしい。

「……。」

 今日ばかりは、どちらも睨み合いで終わるつもりはなかった。ハミルカルもピュロスも、ほぼ同時に声を張り上げた。

「前進、開始せよ!」

 穂先が銀色に輝く長槍の列が、串刺しにする対象を求めて互いにゆっくりと接近し始める中、弓兵同士の熾烈な射撃戦が展開されていた。尖った鏃が風を切り、放物線を描いて宙を舞う。どちらも一歩も引かないまま、死体の数だけが増える。
射撃戦では埒が明かないと、隊列の隙間から弓兵が後退し、ホプリタイとフェニキア歩兵が中央で、両翼ではホプリタイとリビア槍兵が激突し始めた。中央ではカルタゴが押しているようだが、両翼ではエペイロスが有利だった。
リビア槍兵は歩兵鎗を手にしているとはいえ、ファランクスを組んで戦うのではない。緩い隊列を由来とする機動性と運動性を利用して、ファランクスの両脇を騎兵からの突撃から守るのが仕事である。あくまでも対騎兵部隊であって、真っ向からファランクス相手に戦う部隊ではない。押されるのも当然だった。

「歩兵で囲い込んで攻撃……とはいくまい。ハミルカルのことだ、すぐに手を打ってくるはず……。」

 先手を打つべく、ピュロスはペルタスタイを両翼ホプリタイの背後に配し、警戒に当たらせ、同時にテッサリア騎兵を前進させて市民騎兵を後方に回しておいた。一方に騎兵を集中させたように見せかけ、右翼側にカルタゴ騎兵を誘い込み、飛び道具で始末するつもりだった。

「さあ、ハミルカル。どう出る……?」

 カルタゴ軍の後方で戦いの趨勢を見守っていたハミルカルは、にやりと笑みを見せてから後方のイベリア歩兵に命令を下した。

「イベリア歩兵、散兵、散開陣形で両翼に向かえ。ヌミディア騎兵、左翼に向かえ。騎兵が来るようなら、槍を投げよ。円盾騎兵、長盾騎兵、右翼に集結。散開陣形で前進せよ。」

 ハミルカルは手慣れたゲリラに近い戦い方で、攻撃するつもりだった。全体的に脆いイベリア歩兵と散兵を散開させることで一撃でのダメージを減らし、多方向からホプリタイを襲わせる。これでリビア槍兵の弱みをカバーしてフェニキア歩兵を保護し続けるというわけだ。

「バレアレス投石兵にも用意させておけ。テッサリア騎兵に備えよ。ハンニバル、マハルバル、私とともに右翼に来い。白兵戦になることも考えておけ。」

 ハミルカルは馬上で剣を扱き、馬を走らせて右翼に向かう。その先にはピュロスの姿が映っていた。このハミルカルの後ろに、息子のハンニバルと部下のマハルバルが続き、蹄鉄が地面を抉りながら鈍い響きを残して疾走する。

「突撃……!」

 突撃命令がハミルカルから下された。騎兵たちが風を切ってテッサリア騎兵に向かっていく。突撃を受ける形となったピュロスも、攻撃命令を下していた。

「サリッサ構え、突撃開始! 射撃部隊、接近する騎兵を迎え撃て!」

 だが、ここでハミルカルは騎兵隊全体を散開させた。軽装騎兵の弱点は、射撃武器による迎撃だった。これに対応するためには、散開することで飛び道具とテッサリア騎兵のサリッサを回避するのが上策だ。同時に、重装騎兵を全て反転させ、右に逸れた。これでは投石が当たらない。ピュロスの意図を把握していたらしい。これでは手の打ちようがなし、と見たピュロスとハミルカルは騎兵を下げ、後衛歩兵団を前進させた。

「ホプリタイは後退、重装ホプリタイ、前進ッ!」
「フェニキア歩兵、リビア槍兵、イベリア歩兵は後退せよ! ハギュア傭兵、前進! ファランクス体勢取れ!」

 ピュロスの切り札としての歩兵がエペイロス本国で手塩にかけて育て上げた重装ホプリタイなら、ハミルカルの切り札としての歩兵は、かつて国家に殺されたともいえる内政官が編成した傭兵団だ。名は、ハギュア傭兵という。これは内政官の名前が「萩原」と言ったからだが、そのままの名前で呼ぶわけにもいかず、萩原を訛らせて「ハギュア」という名前にしたのだった。この傭兵団をハミルカルは、特殊部隊として再訓練することで正規兵に近い存在へと生まれ変わらせていた。

「カルタゴを守れ! フェニキアの誇りを胸に!」
「誇りを胸に!」

 フェニキア歩兵、リビア槍兵、イベリア歩兵が後退する中を整然と、金属パイプで繋がれてリーチを増した6メートルはある長槍を突き出して歩む。エペイロスの重装ホプリタイとカルタゴのハギュア傭兵が、熾烈な白兵戦を展開する。実力は、全くの互角といってよかった。槍と槍がぶつかり合い、木や金属同士が打ち鳴らされ、楽曲にも似た音で戦場が満たされた。敵最前列の槍が味方の兵に当たりそうになれば、すぐ後ろの兵士たちが自分の槍で攻撃を逸らす。苦し紛れに互いの弓兵が矢を放ってみても、後方の槍が叩き落しただけだ。処置なし、である。
屍の発生速度が、数刻前と比べて格段に低下した。こうなれば我慢比べである。しかし、互いにギリシア人とフェニキア人という、文明の民としての誇りが譲ろうとしなかった。ならば、と互いの指揮官は象を投入するが、これも互いの巨体がぶつかり合っただけで、歩兵や騎兵に突進させることができなかった。象同士という、地を揺るがすような戦闘ではあっても、決定打にならないのでは意味が無い。
凡戦にしか見えない戦いが連続したのも、無理はなかった。二人とも戦術に長けた武将である。下手に手出しすれば、迎撃すべき地点に、必要な部隊を配置しているため、敵は適切に手を打ってくる。そうなれば、待っているのは自滅しかない。互いに決定的な手を打てないのも致し方なく、長期戦になるのも当然の流れだった。

「また引き分けかッ!」

 ピュロスは苦々しく吐き捨てた。ハミルカルは負けなければよいが、ピュロスは勝たなければ即座に負けである。ピュロスが遠征しているのだから、当たり前だ。兵站線の維持も、シュラクサイの気分次第だった。エペイロスとの中継地点であるターレスも、約束の傭兵を送ってこない。そればかりか、無駄な戦争ばかりして自分たちを守ろうとしないと、文句ばかり言ってよこした。必要な要素だと説明しても、埒が明かない。ピュロスにとっては焦る要素に満ちていたのだった。
 そのピュロスに、密偵からの知らせが届いた。「メッサナがローマに寝返った」「ローマが軍をシチリアに向けている」と。両方が同時に届いたのは、メッサナ住民が密偵を捕えていたため、二つの情報を届けざるを得なかったからだ。

「シチリアの橋頭堡を失ったか……しかも敵はローマだと……?」

 シュラクサイの支援をあてにもできない以上、敵中に放り出されたも同然だった。だが、ピュロスは一つのことが頭に思い浮かんだ。

「……兵士たちに伝えよ。『日没まで粘れ、その後すぐに宿営地に引き上げろ』とな。」

 日没後、ピュロスは講和の使者をハミルカルに送った。互いに非武装で直接会談することとなり、ピュロスはキアネスを伴い、ハミルカルはハンニバルを連れてリリュバエウムとエペイロス軍宿営地の中間地点までやってきた。

「講和とはどういうことだ。逃げ帰る気ならば、メッサナを返還して貰おうか。」
 開口一番にハミルカルが口火を切ったものだ。だが、当のピュロスはというと、軽く首を振って応えた。
「返還しようにも、もう返還できる状態ではなくなった。」
「……何?」
「ローマに寝返った。しかも、シチリアに軍を差し向けている。間違いなくメッサナを恒久的に自国領とするつもりだろう。カルタゴにとっても大きな損失になるはずだ。」

 ふん、とハミルカルは鼻を鳴らし、いぶかしむようにピュロスを見遣る。どうも嘘を言っているようには見えない。ピュロスは再び口を開いた。

「ローマの連中はしぶとい。2年戦った私が保証するが、そう簡単に返還に応じるとは思えん。」
「条件は何だ。回りくどい話は抜きにしてもらおうか。」

 ぎらりと睨みつけるハミルカルの視線をものともせず、ピュロスは口を開いた。

「ローマがシチリアから撤退するまでの間、共同戦線を張りたい。カルタゴにとっても、いい加減ローマは目障りだろう。」

 ハミルカルは軽く考え込んだ。確かに、ピュロスの言うことにも一理ある。ピュロスの発言からは、ローマとカルタゴをぶつけ合って漁夫の利を得ようとしていることは明白だったが、間違ってはいない。
 それにカルタゴとローマの間には、とある条約が存在していた。海上でのルールについてのものだったが、その中には「カルタゴの許可なく軍船を建造してはならない」「船舶に護衛の範疇を超える兵員を載せてはならない」という項目がある。加えて、「たとえ援軍としてであっても、カルタゴの要請もない限りは援軍とは見なさず、シチリアのカルタゴ領および本国に兵員が上陸した場合、敵と判断する」という条約まで存在していた。
このような条約ができた当時は、ローマがイタリア半島で戦うのが精一杯の時期であったからだ。海に出ていく必要もなかったため、不平等条約でも問題はなかった。この当時カルタゴ人は「カルタゴの許可がなければローマ人は海で手も洗えない」と言ったものだが、必要がなければそうなるものだ。
 これらの条件からすれば、ハミルカルにとってはローマがルール違反したとしか考えられない。ローマからすれば、前の二つの項目は緊急時で、頼られた以上は仕方ない、と言い訳をすることだろう。それに、メッサナがカルタゴの覇権下からエペイロスに移り、ローマを頼ってきた以上、最後の項目については違反していないとローマ上層部は判断したということもある。だが、カルタゴもまたギリシア人と同じく「覇権」という意識がそもそもなかった。彼らにあるのは、単に交易拠点と、その収益だけである。これでは、考えに擦れ違いが生じるのも当然だ。

「よかろう。だがピュロス、ローマの態度によっては、即座に貴公の喉元に我が軍が食らい付くことを覚悟しておくことだ。」
「……それで十分だ。」

 会談は終わった。ハミルカル親子がリリュバエウムに引き揚げる途中、彼らはメッサナに向かっていた偵察部隊の一人と合流した。彼はあわただしく馬から降り、膝をついて報告しようとした。

「たっ、大変です! メッサナが……。」
「ローマについたのだろう。知っている。」
「は……?」
「ローマの蛮族どもめ! 返答次第では、二度とカルタゴに歯向かおうなどと考えられぬように、徹底的に叩き潰してくれる!」

 彼は14年前に部下をローマ商船の護衛に殺されている。いかに部下の暴走だったとはいえ、燃え残った船の残骸や浮かんだ死体が、彼からすれば残酷で野蛮な振る舞いに映った。それで、ハミルカルは以前からローマ人に対して良い感情を持っていなかったものが、さらに強まっていた。そして、今度はローマの「裏切り」である。いかに感情で行動していないハミルカルとはいえ、これでは否が応でも燃えることになった。

 ネアポリスから出港したクイントゥスたちは、船室の窓から波打つ青い水面を眺めていた。クイントゥス自身、海を見ること自体は初めてではない。カンパニア統治のためにネアポリスの港や海岸縁を視察したことは以前にもある。だが、大勢の兵員を載せての航海など、したことがない。どうにも落ち着かず、クイントゥスの傍に控えている首席百人隊長に、スキピオ家の嫡男は言葉を投げかけた。

「プロデウス……お前はよく落ち着いていられるな。俺には到底我慢できないのだが。」

 だが、いつもなら返ってくる返事が、返ってこない。どうしたものかとプロデウスの顔を覗き込んでみると、白目を剥いて気絶していた。

「う……あ……。」

クイントゥス以上に不安で、意識が弾け飛んだらしい。これでは先が思いやられる、と彼は思ったものだが、ふと別の船に乗り込んでいるはずのローマ本軍指揮官の兄弟のことが気になった。

「彼らはどうしているのだろうか……。」

 クイントゥスが気になった二人はというと、クイントゥスのように落ち着かないわけでもなく、プロデウスのように気絶していたわけでもなかった。ましてや、一部の兵士たちのように船酔いに負けて吐瀉物を海に放り出しているわけでもない。ティベリウスとドゥルーススは、互いに顔を突き合わせて相談していた。
ティベリウスとドゥルーススは別々の船に乗っていたのだが、会議のためと無理やりティベリウスが小船を使って、ドゥルーススの乗る船に乗り込んだのであった。

「このままいけば、メッサナには着くけど。ただ、ピュロスが黙っているわけないんだよね。メッサナの港までやってくるだけの時間的余裕はないだろうけど、今頃僕たちの接近を知ったことだろうし、どんなに急いだところで一個軍団がメッサナに入ったところで包囲されるだけさ。」
「だろうな。私ならばメッサナにピュロスを引き入れて包囲するところだが、ピュロスはその程度予想しているだろう。それに、この方法はフィデスに背くことにもなる。」

 フィデスは「信義」という概念を神格化したものだ。神と人間との距離が近かった古代だ。この神への背信は、できうる限り避けたいものだった。しかも、メッサナ住民が頼ってきている以上、シチリアに向かう正当性を失うということでもある。ピュロスをメッサナに入れるわけにはいかなかった。

「僕なら、街の内側と外側から挟み撃ちにするね。これなら一番犠牲が少ないし。それに、ちょっと試したいことがあるんだ。僕直属の第二軍団を先行させようと思っているけど、どうかな?」

 軽く頷きながらも、呆れた顔でティベリウスは弟の顔を見遣り、言葉を紡いだものだ。

「悪戯じみた作戦を展開するのもいいが、効果が見込めるものにしておけ。今回はピュロスの撃破ではなく、シチリアから放り出すということを、忘れているわけではあるまい?」

 子供じみた笑みを浮かべたドゥルーススは、兄ティベリウスに向かって言い放つ。

「忘れてないよ。むしろ、この作戦を成功させることができるかに、全てがかかっていると思ってる。ピュロスの性格と僕の思考、生かしきって見せるよ。」

 自信に満ち溢れたような台詞を口にした割には、どこか不安げな顔でドゥルーススが言うのを見て、告訴人めいた男は言葉を選びながら口を開く。その表情は、単に兄と言うよりは保護者に限りなく近かった。

「私はお前が並大抵ではない努力を積み重ねてきたことを、十分に知っているつもりだ。ガリア人相手は確かに、単純な彼らの性向もあったからだとは思うが、お前ならば文明の民相手でも通じる。安心しろとは言わん。無責任に信じているとも言わん。だがな、お前の後ろには私やクイントゥス、プロデウスがついていることを忘れるな。オタキリウスが、お前の心配をしながら戦っていることを忘れるな。」
「うん……。」
「お前は他に得難い友を得ることができたのだ。それが幸せなのだろう? ならば、報いよ。フィデスに応えるときが、今だと思え。」

 ドゥルーススの顔から、幾分か不安が取り除かれたようだった。それを認めた、「果敢な男」と綽名される前法務官(プロプラエトル)の男は、軽く笑顔を見せてから自分の船に戻った。兄が去るとすぐに、ドゥルーススは船員に指示を下した。できる限り急ぐように、と。

「ピュロスに後れを取るわけにはいかない。僕がやるんだ。僕が……!」



 タッチの差でピュロスより先にメッサナに到着したドゥルーススは、招かれた統治者の邸宅の応接間で街の代表と会い、ローマの軍勢の説明をして彼らを安心させてから、「あるもの」を供出するように要請した。

「どこの家庭にもあるし、使い道がないでしょ? 損失にはならないと思うけど。」
「は、はあ……。」

 メッサナの代表は、ドゥルーススの発言に呆れてしまったらしいが、幼い男の方はどこ吹く風だ。彼からすれば、どこにでもあり、尚且つ不要なものを利用することこそが、重要だと考えていた。このドゥルーススが供出するように要請したものも、その部類に入る。彼にとって、利用価値は高かった。
とはいえ、それが誰にでも理解できるはずも無かった。首を傾げて各家庭から「あるもの」の徴発へと向かうメッサナの代表者の後ろから、今度はドゥルーススが思い出したように声をかけた。

「ああ、それから。ここの街に住んでる女の子一人を呼んで。この街での暮らしぶりを聞きたいんだ。戦争がないときの話をね。」

何がしたいのかさっぱりわからない、とメッサナの代表者には思われたらしい。だが、この指揮官にとっては、住民の暮らしぶりを聞くことは、単に統治の助けにする、というだけではなかった。別の意味も込められていたのである。
のんびりと応接間の椅子にもたれて待っていたドゥルーススの下に、一人の少女が案内された。年頃は16くらいだろうか。農家の娘だと名乗った彼女は、特に土埃を浴びている様子もなかった。おそらくは、奴隷を多用する大農園の経営者の家に生まれたのだろう、と幼い男は思う。彼女はドゥルーススが指し示した椅子に座り、首を傾げながら目の前のローマ人に問うた。

「あの、それで話は何をすれば……?」

 場合によっては、この男の夜伽にも付き合わなければならない、とでも思っているらしい。そのようなときにする会話など、わかるわけもない。だが、ローマのシチリア方面軍副将は、優しい笑みを浮かべて語りかける。

「ああ、うん。ここの代表の人にも言ったけど。この街のことが知りたいな。ここの暮らしはどう? 楽しい?」

 何を聞くのやら、と思いながらも、農家の娘は口を動かした。

「あ……はい。とても過ごしやすくて、港からも色々と……。食べるのに困っている人たちが、島の外には大勢いると聞きました。だとするなら、多分、豊かな街だと思います。冬は寒いですけど、防寒具をちゃんと着ていれば、凍え死ぬほどではありませんし……。時々エトナ山が火を噴いたりしますけど、そんなに頻繁でもないです。」
「……火を吹くってことは、エトナは火山? ウルカヌスの鍛冶場ってとこかな?」
「はい。前に火を噴いたときは人死にが出たと、父から聞きました。ですが、しばらくはウルカヌスも暴れることはないそうです。」

 なるほど、と頷きながら、ドゥルーススは相変わらずの笑みを浮かべたまま、彼女に再び問いかけた。

「ふむふむ……お父さんは、何をしている方なのかな?」
「農園の管理者です。たまに貿易もしているみたいです。カンパニアの方たちが作ったワインがおいしいから売れるって、お父さんが言ってました。」

 妙なところでスキピオ家と縁があるものだ、と幼い男は思わざるを得なかった。ついこの間までカルタゴの直轄領だったために、ローマと貿易をしていたために、イタリアワインがこの地に届けられたからだろう。だが、今度はそのシチリア島にローマの手が伸びている。幸運なのか皮肉なのか、ドゥルーススにはわからなくなった。

「そっか。色々教えてくれてありがと。」

 椅子から立ち上がったドゥルーススを見て、農家の娘は驚いたようにこの幼い男の目を見て口を動かした。

「えっ……それだけですか?」
「うん、それだけ。……あー、僕が性的関係を迫ると思った? 必要ないよ、僕には。僕にはまた、別の目的があってね。話を聞きたかっただけさ。」

いかに挟み撃ちにするためとはいえ、頼りになる友人たちから離れている。この状態で作戦考案という意味では、たった一人で天才相手に立ち向かわなければならない。ドゥルーススにとって、物質的な要因は満たしてはいたが、彼にはまだ不足だった。彼はこの不足分、むしろ不安というべきものを、自らの精神的要因を埋める形で補おうとした。
これは、街に愛着を持ち、自分の故郷たるローマと同じように守る姿勢を固めるためだった。「女の子」を選んだのは、別に性的にどうこうするためでもなく、普段の生活を聞き出すためだ。男が相手では、仲間の勇敢さや儲け話、富の自慢しかしそうにないと思ったらしい。だが、それを他者が理解できるはずもない。不思議なものだと思いながら、農家の娘も椅子から立ち上がり、ドゥルーススに頭を下げた。

「あ、はい……。では、失礼します。」

 戸口をくぐって街へと向かう少女を見遣り、ドゥルーススは小声で呟いた。

「……よし。後はピュロスを待って、勝つ。勝たなきゃいけない。絶対に……。」



 一晩明けると、メッサナをピュロスに包囲されていた。どうやら、夜のうちに包囲網を築かれたらしい。クイントゥスやティベリウスは、メッサナの港で待機せざるを得なかった。軍勢全てを船から降ろし、ドゥルーススやピュロスの動きを待つしかなかった。

「しかし、ティベリウス殿。あのドゥルーススとはいえ、ピュロス相手ですからね、大丈夫でしょうか?」

 クイントゥスがやや不安そうに口を開くのを認め、ティベリウスは静かに言葉を紡ぐ。

「問題ない。ドゥルーススならやり遂げてくれる。それに、ドゥルーススの方もまともに戦う気はないらしいぞ。」

 まともに戦わずに、どうやってピュロスの包囲を破るつもりだと思いながら、首席百人隊長の男も口を動かした。

「私も二度エペイロスと戦いましたが、そう生易しいものではないはずです。いったい、どうやって?」
「弟の話では、『叩き潰して後退させるわけではなく、相手から逃げ出すように仕向ける』ということらしい。詳しい話は私も聞いていないが、何か考えがあってのことだろう。」

 もったいぶっているのか、とクイントゥスとプロデウスは思ったものだが、本当はそれを口にするのは憚られる、ということだった。これを実行しようとしているドゥルースス自身、単なる嫌がらせにしか感じていないらしい。だが、嫌がらせをせざるを得ないのもまた、シチリア方面軍が直面している現実問題である。

 戦術の天才にして、ローマの宿敵となったハンニバルは、ピュロスの戦術を発展させたという。いわば、ハンニバルの師に当たる人物といえた。ローマ軍はエペイロス軍とカルタゴ軍が、事実上同盟を組んだことを知らない。ピュロスとハミルカル、ハンニバルにとっては師と父となる人物が、同時に牙を剥くことになるということを、ローマ上層部は、未だ誰一人として気づけなかった。



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