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補助軍兵A氏作アイマス・トータルウォー支援SS「咆哮する軍旗」第五話

補助軍兵A氏から頂いた支援SS続編です!

始まったシチリアでの戦い。
悪戯鴉が名将達を引っかき回す!





では、どうぞお楽しみください!




12 最も長い一年(Ⅲ) 悪戯鴉


 メッサナの西と南をぐるりと取り囲む軍勢は、ずらりと林のように並んだサリッサであった。この軍勢がエペイロスのそれであることが、メッサナの壁の内側から眺めるドゥルーススには理解できた。だが、その後方に別の軍勢が控えていることがわかると、シチリア方面軍副将は自らの口元に手を添えた。そのまま、自らのコグノーメンである「コルウス」に見立てたのか黒く塗装し、羽飾りまで黒くした鎧兜を身につけた姿で、ぶつぶつ呟きながら考え込む。


「今シチリアで活動できる大規模軍勢って、どこ……? シュラクサイにそこまでの兵力はないはずだし……まさか、カルタゴ? エペイロス相手に戦争してたはずなんだけど、攻撃している様子も無い……。貿易権結んでいるから大丈夫とタカを括っていたけど、そう甘くはないか……。……カルタゴ軍だとしても、司令官次第だね。軍団長クラスの人材だと最悪だけど……ピュロスくらい頭がよくて我の強い将軍なら、逆にありがたいんだよね……。」


 そのピュロスクラスの人材であるハミルカルが、カルタゴの将軍としてエペイロスの背後に控えていた。これがドゥルーススにとっての幸運となった。この彼の発言の意味は、「指揮系統の不統一が発生する」ということだった。
エペイロス軍はピュロス一人の軍才によって支えられている。この手の人物が、同等の知能の持ち主と組むことになれば、間違いなく喧嘩を始める。なまじ指揮力があるだけに、互いに自分が主導権を握ろうとするからだ。
そもそも、ギリシア人とフェニキア人は仲が悪い。ローマのような他民族との融合など、怖気が走ることだろう。こうなれば、歩調を揃えるなどという話は夢のまた夢だ。互いに好き勝手に動くならば、大軍も烏合の衆に変わる。それをドゥルーススは期待したらしい。


「ま、最悪の事態の方を予測してるけどね。どっちにしても作戦は変わらない。さあて、嫌がらせに行きますか。……いや、その前に。やることいっぱいあるじゃん。うっかりは禁物だって、僕。」


 ドゥルーススは敵の守りが薄い南に全騎兵を、西に歩兵と射撃部隊に加え、徴発した「秘密兵器」をそれぞれ配備していた。だが、それでも不確定要素を取り除いておく必要がある。後方に控える軍勢の所属と、その意図の把握である。幾人かローマから連れてきた間諜を放ち、状況を確認する。
結果は、カルタゴ軍がエペイロス軍と協調体制に近い状態にある、ということだった。どうやら、カルタゴは今のところは手出ししないつもりらしい。だが、ローマに協力する気もなさそうだ。そして、問題の指揮官は、ハミルカル・バルカ。ドゥルーススが待ち望んでいた、「我の強い有能な指揮官」である。彼は楽しそうな笑みを浮かべ、護衛兵、そしてローマ共和国所属シチリア方面軍第二軍団の面子に向かって叫んだ。


「よし、全員配置に! 散々なほどに嫌がらせを仕掛けてやるんだ! 今までの借りをエペイロスに返す時が来た! 僕の指示があるまで動かないように!」


 おう、と声が返ってくる。特にハスタティたちはドゥルーススよりも若く、成人したばかりの兵士たちも少なくない。この「悪戯」のような作戦に、若い兵士たちはわくわくしていたらしい。だが、ドゥルーススはこの戦いの前、そして後の方が重要であることを、目の前の状況を目にしつつも頭に置いていた。

 まずはカルタゴ軍の動向を探る必要がある。ドゥルーススは勿論、シチリア戦線の責任者であるクイントゥスも、ティベリウスも、援軍として来る予定のオタキリウスも、そして元老院全体も、シチリア北東部はローマが領有するという結論で固まっていた。シチリアは穀倉地帯であり、イタリア半島の少なくない地域が小麦の栽培に適していない以上、食糧確保という意味では自国領の方が都合がよい。
 カルタゴ相手に戦争に突入することを、元老院は予想していなかったらしいが、現場の司令官がよしとすれば、元老院は作戦実行中ならば口出しできない。こうなればクイントゥスの一声で決まる。そのためには、クイントゥスをハミルカルと直接会談させるため、一度メッサナの西側に移動させる必要がある。だが、それは同時に全軍の迎撃体勢を整えるということも兼ねている。カルタゴが、このローマの準備を手伝うか否か。ドゥルーススにとっては大きな賭けだった。


「カルタゴに急使を。できれば、エペイロスの動きを止めるように依頼してほしい。」


 この急使に持たせた知らせで、ドゥルーススは司令官たるクイントゥスとハミルカルの直接会談を望んだ。だが、ハミルカルは書簡での対応で終始するつもりらしい。この時点で敵側にいることがはっきりわかった。ローマの主力を港から動かしたくない意図が、明らかだった。だが、それでもドゥルーススは副将として交渉を続けた。続けると同時に、クイントゥスにも知らせを届け、ラッパを鳴らすと同時に全軍を進撃させるように、と連絡する。
ハミルカルは、「メッサナはカルタゴ領であるから、即座に撤退せよ。重大な条約違反である。」と言って寄こした。対するドゥルーススは、「メッサナはピュロスの脅威から逃れるためにローマを頼った。頼られてシチリアの土を踏んだ以上、エペイロスのシチリア撤退を見届けるまでは離れるわけにはいかない。」と返す。「カルタゴとエペイロスの問題に介入するつもりならば、ローマを敵と見做す。」という返事には、最早ドゥルーススは応えなかった。メッサナの保持を目的とする軍の副将である以上、撤退するなどという返事をできるわけがない。こうなれば、エペイロスとカルタゴを両方敵に回して戦うしかない。
太陽が中天に差し掛かったメッサナの街路で、黒馬に跨ったドゥルーススは呟く。


「まあ、カルタゴが攻撃を仕掛けない限り、こっちもカルタゴには仕掛けないけどね。口実与えたくないし。カルタゴも今回は様子見だろうしね。エペイロスだけに的を絞るかな……大義名分だけは確保しておきたいし。」

 よし、とその場で頷いたシチリア方面軍副将は、鎗を振り上げて指示を放ち始めた。

「……戦闘開始のラッパを鳴らして! ガリア騎馬傭兵団、エクイテスは僕の護衛騎兵と共に打って出る! カエソ、歩兵隊の指揮は任せるよ。」

 ドゥルーススの傍らにいた、彼の護衛で従兄の男はあまりにも予想外の出来事に、声を張り上げていた。

「俺っちかよ!? 無茶言うなや、俺っちは単なる護衛だっつーの!」

 にこにことした笑みを口元に、従兄のわがままに対する静かな怒りを目元に、それぞれ浮かべながら、ドゥルーススは馬に接近させてカエソに詰め寄った。

「規律正しい訓練を受けたローマの歩兵隊を指揮するのと、僕の言うことくらいしか聞きそうに無いガリア騎兵を指揮するのとどっちがいい? 任せるよ。どっちにしろ大きな損失出したり、逃げ出したりしたら、エペイロスのホプリタイに正面からスパタだけで突撃させてあげるから。」
「おいぃ!?」

 などと奇声を上げてはみたが、ドゥルーススの言うことも尤もだった。ガリア騎兵の手綱をまともに握れそうなのは、遠征軍の中でもドゥルーススただ一人だ。副将自らが率いていくほかあるまい。そうなると、指揮から逃げられそうも無い以上は、歩兵隊を指揮するしかなさそうだ。

「……お、おう、引き受ける、歩兵隊の指揮、引き受ける。ったく……。オメーはそういうとこがこええ……。」

 身震いしたカエソを無視して、ドゥルーススは淡々と言葉を紡いだ。

「わかってると思うけど。『あれ』を使うときは、できるだけ引き付けて。壁に破城槌が取り付いたら、そっちを優先して。門の真正面から来たときは、扉を開いて。お願いできるかな。」

 ドゥルーススの言葉を耳にしたカエソは、従弟の言う「あれ」が使用される状況を想像して、げんなりした表情を見せた。

「『あれ』、なあ。確かにやる気なくしそうだな。あんなの使われたら、俺っち絶対逃げるっての。」
「それが目的なんだから。頼むよ。」

 楽しそうにドゥルーススが言葉を口にする。カエソにとって、これが救いだったかもしれない。

「へいへい。」

 黒馬に跨り、南門に集結した騎兵たちに下にドゥルーススは向かう。騎兵隊が掲げる旗印は、ローマ本軍の「紫地に鷲とS.P.Q.R.」、スキピオ家の「青地に咆哮する狼(ルパ)の横顔」に加え、「黒地に泉の上に浮ぶニンフ」まである。他の旗はそれなりに使われた形跡があったが、ニンフの旗だけは新品だ。このニンフは、ドゥルースス一家の紋章だった。
ポンピリウス家の祖先は、ローマの第二代の王、ヌマ・ポンピリウスである。ヌマはロムルスを失ったローマの統治を託され、穏やかな政治を行った。その結果、ヤクザ村でしかなかったローマが、文化的にして文明的な都市国家へと変貌を遂げたのだった。このヌマには、不思議なエピソードがある。
彼はしばしば、たった一人でパラティヌスの丘にあったという泉のある森の中で籠もり、そこから出てくる度に新しい政策を提案したという。人々は、政治の助言を受け取るために、エゲリアという名のニンフと逢瀬を重ねていると噂した。
 森に籠もる行為が、民衆を納得させるためのヌマによる演技なのか、彼を助けた女性がニンフに喩えられたのか、それとも本当にニンフが助言していたのか、は不明のままだ。だが、ポンピリウス家の傍流に生まれたティベリウスとドゥルーススの父、デキムス・ポンピリウスは「自分はヌマとニンフ、エゲリアの子孫である。」と公言したらしい。それで、ドゥルーススの家の紋章は、このエゲリアになったのだった。
 この旗は、裕福でないながらもドゥルーススが自ら金をはたいて作らせたものだ。ヌマを支え続けたエゲリアのような副官を勤め上げてみせる、という彼なりの気概である。彼は誇らしげにエゲリアの旗を見遣り、次いで声を張り上げた。

「騎兵団、出撃!」

 蹄鉄が扉の内の石畳みを蹴りつけ、扉の外の平原の草を巻き上げる。銀色に輝く騎兵の鎗の穂先が、陽光に照らされて金色に光った。この騎兵隊を上から見ることができれば、茶色と黄金色の髪が斑になりながら進んでいく様を確認できたことだろう。

「プロ・ローマ! プロ・レス・プブリカ!」

兄が勝者と敗者の融合を謳ったこの言葉を叫びながら、ドゥルーススは騎兵全軍の先頭に立った。騎兵たちも、ドゥルーススに続いて叫びを放ち、馬を走らせていく。

「プロ・ローマ! プロ・レス・プブリカ!」
「プロ・ローマ!」
「プロ・レス・プブリカ!」

 この言葉の意味を、ガリア人が完全に理解しているとは、ドゥルーススも思っていなかった。だが、「全員が同じ言葉を口にすること」、それこそが団結を生み出すものだと、兄から教わっていた。故に、蛮族騎馬傭兵たちにも叫ばせたのだった。
 次いで、副将ドゥルーススは軽く鎗を振り上げ、黒い愛馬を疾走させた。

「騎兵隊、続け! ガリア騎兵を先行させて! ローマエクイテス隊は後ろからついてくるように!」

 ドゥルーススは最早、蛮族騎馬傭兵の事を「蛮族」とは呼ばなかった。共に戦う以上、オタキリウスたちと同じ「アウジリア」、これをラテン語から訳せば「補助部隊」となる存在として扱っていた。アウジリアという言葉が定着したのは帝政でも、共和政時代からこの単語で呼ばれていた部隊は存在していた。同盟国軍の部隊がそれで、主力の重装歩兵に対する非主戦力の騎兵や射撃部隊で構成される。このアウジリアの元々の意味は「助っ人」である。彼にはその程度の認識でしかなかった。
 ローマ騎兵隊が向かった先は、テッサリア騎兵が集中しているエペイロス右翼である。テッサリア騎兵は今のところ整列して、サリッサを構えたままその場から動いていない。つまり、やや緩めのファランクスに向かって突撃しているのと同じだ。だがシチリア方面軍副将は、無謀な突進をさせる気はなかった。ガリア騎兵団を一斉に散開させ、多方向からテッサリア騎兵を襲わせた。

「ガリア騎兵、突撃!」
「うおおおお!」

 集団戦闘が苦手なガリア騎兵も、個人的な戦闘能力が発揮できる状況を作れば、活躍できる。しかしそれは時に暴走しやすく、勝手に突撃して壊滅することも少なくない。それで、「強者」たるドゥルーススがコントロールするのだ。そのための一騎討ちの勝利であった。

「続けてエクイテス、突撃! 僕たちも攻撃するぞ!」

ガリア騎兵の攻撃でばらばらに散らされたテッサリア騎兵に、ドゥルーススの命を受けたエクイテスと護衛騎兵が整然と突撃する。いくらローマ騎兵が弱いとは言っても、この状況ならば大きなダメージになる。ドゥルーススの「騎兵の使い分け」、であった。個人戦闘を得意とする部隊を先行させて陣形を破壊し、集団戦を得意とする部隊を追撃に用いる。基本的なスタイルとはいえ、効果は大きかった。

「なっ……なんだこいつら……俺たちは『アレクサンドロスの鉄槌』のはず……ぐは!」
「もっ……もう駄目だ!」

「アレクサンドロスの鉄槌」が、崩壊した。一部ではあっても、ローマの騎兵がテッサリア騎兵を壊走させたのだ。今まで騎兵戦で蹴散らされているのはローマだったというのに、立場が逆転している。ことの重大さは、ピュロスもハミルカルもすぐさま認識していた。ピュロスはテッサリア騎兵を後退させ、ホプリタイ、重装ホプリタイにファランクス体勢を取らせ、それを円弧状に配置して迎え撃とうとする。同時に、象にも準備をさせた。
さすがに精強なガリア騎兵でも、この「金床」と象にはかなうまい。ピュロスはそう踏んだわけだが、すぐにドゥルーススは騎兵隊を、南門からメッサナに戻して引き籠ってしまった。これでは、動きの遅いファランクスは追いつけない。象も同じだ。それに、無理に象を突進させては、暴れ出す可能性もある。制御不能になった象ほど危険なものは無い。処置なしだ。

「あの武将の性質は……今までのローマ軍のものとは全く違う……! ハミルカルは今回様子見だと言っていたが……。」

 ハミルカルが背後から襲わないだけマシだが、状況はよくない。ぎりりと歯軋りしたピュロスは、破城槌をホプリタイに使わせることにした。壁や扉を突破し、じわじわと「金床」で押しつぶすつもりだった。だが、それもドゥルーススが対策を打っていた。しかも、ドゥルーススの言を借りるなら「叩き潰して後退させるわけではなく、相手から逃げ出すように仕向ける」手段だった。

「破城槌くるぞ! 『ブツ』投入準備!」

 カエソの声を聞いた若い兵士たちが、用意された「秘密兵器」を準備し、今か今かと指示を待つ。そして、破城槌が鈍い衝撃を扉と壁に打ちつけ始めたその瞬間。

「やれ!」

 扉が全開になった。壁に内側から梯子が掛けられる。「秘密兵器」が入り口で、壁で、一斉に使われる。破城槌を使用していたホプリタイは、これまた一斉に悲鳴を上げた。それは、単なる断末魔のものではなかった。

「あああああ、うぎゃああああああああ!?」
「いええええええ、やめてぐれえええ!」
「く、く、く、く、くっさあああああああああ!?」

 ドゥルーススがメッサナ住民から徴発した「秘密兵器」とは、便所から汲み出した糞尿を混ぜて煮沸した、ドロドロの褐色液状物体であった。これを大きなタライに入れて各所に配備し、時折焼けた石を放り込んで熱が冷めないようにしておく。これを小さめの桶で汲んで、敵の頭上からかけるのだ。
煮沸したのは疫病が流行らないようにするため、そして火傷を負わせるためだ。それ以上に、人間は排泄物をかけられることを嫌う生き物である。ガリア人のような未開の民相手ならともかく、文明の民であるギリシア人相手なら、効果は絶大だった。「叩き潰して後退させるわけではなく、相手から逃げ出すように仕向ける」とは、よく言ったものだ。

「さあ、練習したあれを叫ぶぞ! 『何趣味の悪い香水つけてるんだよ、ギリシア人!』」
「何趣味の悪い香水つけてるんだよ、ギリシア人!」

 カエソとハスタティたちが、大声で叫びながら笑った。これを見ていたピュロスは苛立ちを抑えきれず、攻撃命令を出そうとした。だが、誰も前進したがらない。それはそうだ。ドゥルーススの「秘密兵器」の餌食にはなりたくはあるまい。排泄物をかけられて死ぬなど、不名誉にもほどがある。その間にも、逃げ遅れたホプリタイに向けてカエソが、「秘密兵器」を撒き散らしていた。

「そーら、もういっちょ食らえ!」
「ふぎゃああああああああ!?」

 成功失敗に関わらず、ダメージを与えた側にとっての喜劇となり、ダメージを被った側にとっての悲劇となるのは、奇策であっても他の作戦であっても、大して変わりはない。だが奇策の場合、第三者にしてみれば、これが笑劇でしかないことも少なくない。ドゥルーススのやり方は、まさにこれに当てはまった。

「きっ、汚いぞ、ローマ人!」
「今汚い格好してるのは、お前たちだろ!」

 エペイロス兵とローマ兵の間で罵り合いが勃発する。だが、意に介さずとカエソはドゥルーススから指示されたとおりに命を下した。

「さあ弓箭兵、火矢放て! 『汚物は消毒だ!』」

 その汚物を撒き散らしたのはローマ側なのだが、これも相手を挑発するためのものだった。弓箭兵たちも半ば笑い転げながら弓を引き、カエソに続けて復唱する。

「汚物は消毒だ!」

彼らの叫びと共に、一斉に先端が赤く燃え盛る火矢が放たれた。逃げ行くホプリタイに追いすがるように、矢が各所に突き刺さった。草地が焦げ、兵士が火傷を負う。これで、エペイロス軍の士気が一気に低下する。何にしても、エペイロス軍にとっては心理的打撃が大きすぎた。騎兵は壊走させられ、歩兵は「秘密兵器」を恐れて前進できない。さすがのピュロスも、うんざりした顔で口を開いた。

「これは無理だな……。兵士の士気が落ちては、戦いにならん。全軍に伝えよ。宿営地に撤退する、とな。」

射撃部隊で攻撃してみてはどうか、ともピュロスは考えたらしい。だが、市街地は飛び道具から身を隠す場所であふれている。騎兵の優位性も打ち崩され、暴れる危険性を考えれば象を市街地で使うのも難しい。となると歩兵でどうにかするしかないが、その歩兵が戦えなくなった以上は戦線維持が不可能とするしかない。ピュロスは、あっさりと全軍をまとめて撤退した。
ハミルカルも、即座に撤退する。カルタゴ軍は最初から様子見でしかなかったということもある。だがそれ以上に、あの「秘密兵器」を頭から被りたくないがために、正規軍兵は無論、歴戦のハギュア傭兵たちですら及び腰になっていた。これではメッサナ攻撃など、不可能な話である。

「汚い手段ではあるが、有効な方法だ。ピュロスをこうも簡単に後退させるなど……あの指揮官はいったい、何者なのだ……?」

 結局、メッサナでの戦いは攻城戦になる前に終わってしまった。ドゥルーススとカエソが、馬上姿のまま互いの無事を喜んだところで言葉を交わした。

「カエソ、歩兵隊の指揮見事だったよ、ありがと。」
「まったく、俺っちもまさかあんなもん使うことになるたあ、思ってなかったっての。ひでえな、オメーのやり方。」
「いいんだよ。最初はこんなものさ。これでピュロスは僕たちを平原に引き出して戦おうとするだろうね。ここからが本当の戦いってところかな。」

 なるほど、と思いながらも、しかしカエソはドゥルーススの顔を見遣りながら口を開いた。

「待てよ。連中が要塞造って、そこに籠ったらどーすんだよ。手の打ちようがなくなんね?」
「大丈夫。ピュロスを要塞や宿営地なんかで安眠させる気ないしね、僕。」

 また何か企んでいるな、と思いながら、カエソは楽しそうに笑う従兄弟を眺めて、一言口にした。

「それにしてもドゥルーススよお。この方法…………俺っち駄目だわ。くせえ。」
「だよね。僕も、この一回こっきりでやめたいよ。」

二人は顔を見合わせて、苦笑した。とはいえ、後処理を忘れてはならない、とドゥルーススはのんびりとした調子で口を開いた。

「とりあえず、第二軍団全員に入浴させて。それから、皆には僕が用意した着替えを着てもらうよ。メッサナ住民には、後片付けを頼んでくれる?」
「おう、任せとけ。」

カエソが馬から下り、各部署に伝達しに走っていく姿を見ながら、ドゥルーススは軽く空を見上げた。同時に、拳を握り締める。

「よし、やれた。油断はできないけど、僕ならやれる。やりきる。」

そこに、シチリア方面軍第一軍団と、その所属機動部隊が到着したらしい。郊外が騒がしくなった。連絡から戻ったカエソも、それに気づいたらしい。

「いけない、クイントゥスや兄者が到着する前にピュロスを追い返したから、状況報告しないと。」
「おい待て。報告忘れたらまずいだろ。」

 メッサナの様子に首を傾げ、異臭に鼻をむずむずさせているクイントゥス、プロデウス、ティベリウスを発見したドゥルーススは、急いで三人に向かって駆け寄った。

「ああ、クイントゥス! 出番作れなかったよ、ごめん。」

 俺はシチリア方面軍の指揮官だよな、と自分に半分疑問を抱きつつも、クイントゥスはドゥルーススの顔を見遣って口を開いた。

「いや、いい。報告でカルタゴと敵対する羽目になったと聞いていたが、エペイロス軍もカルタゴ軍も撤退させるとは、どんな魔術を使った?」

 精強なエペイロス軍と、経済力を背景にしたカルタゴ軍を同時に撤退させるなど、普通は考えられない。魔術と思われても仕方のないことだった。彼の副将は苦笑いしながら、その「魔術の種」を指差しながら言葉を紡いだものだ。

「いやあ……あはは……あれ使ったんだよね……。」

 何のことやら、と思いながらクイントゥスとプロデウスは、ドゥルーススが指差したタライを覗き込むと、ドゥルーススの使った「秘密兵器」が何だったのか、一瞬で理解できた。呆れたようにスキピオ家の首席百人隊長は言葉を放った。

「ドゥルースス、貴方のことを俺は悪戯鴉と呼びたくなりましたよ。」
「僕の性格を反映した作戦だと思ってほしいな。」

 「げんなり」というより「どんより」した顔で、クイントゥスも口を開いたものだ。

「……下品で汚い方法だな……。」

 さすがのドゥルーススも、苦笑いせずに対応するのは難しいらしい。兜の隙間に手をねじ込み、頭を掻きながら返答した。

「今までのローマ軍の戦法じゃ、どうやっても勝てない相手だし、この際効果が見込めるなら手段は選べないよ。僕も本心じゃ、今回だけでやめたいし。」

 このままでは苦笑いの場で終わりそうだと判断した、彼の兄ティベリウスが静かな調子で割って入る。だが、彼の声にも苦笑いは含まれていたらしい。

「ともかく。作戦の第一段階は終わったのだ。次の第二段階に移らねばならん。そうだろう?」
「ティベリウス兄ぃ。フォローのつもりかもしれねえけど、動揺隠せてねえから。」

 背後から軽いツッコミを入れたカエソの額に、ティベリウスは軽い裏拳をめり込ませた。

「ぐふぅ……暴力反対……。」

軽い従弟を沈黙させてから、ティベリウスは何事もなかったかのように、ドゥルーススに向かって再び口を開いた。

「次の作戦は今夜だったな、ドゥルースス。」
「うん、準備中。」

 軽い調子で応えたドゥルーススを見遣る、クイントゥスとプロデウスは、頼もしいのか不安なのか、よくわからない気分になった。

 陽光が西へと傾く中、クイントゥスや兄のティベリウス、そしてプロデウスと再会を果たしたドゥルーススは、漆黒の軍装を解かないままシチリア方面軍指揮官に「進言」した。

「このままピュロス軍の宿営地に夜襲を仕掛けるつもりなんだけど。兄者の部隊はメッサナに残して、スキピオ軍と僕の第二軍団でやろうと思ってる。どう? どうせ今ピュロスたちは武器やら鎧やらをまともに持てないわけだし。」

 ドゥルーススがどうやってピュロスを退けたかを理解したクイントゥスは、この進言に対して呆れた表情をせざるを得なかったらしい。それでも、この夜襲に関しては、戦術的にも戦略的にも悪くない。相手は、ドゥルーススの攻撃を受けて体を洗ったり、武器を入念に手入れしたりしているはずだ。つまり、実質的な戦力は低下している。そこを襲撃するのだから、効果は大きい。

「間髪いれずに奇襲するのが、心理的に大きな打撃になる。これでピュロスもハミルカルも、少しは心配しながら寝ることになるってわけさ。」
「しかし、第二軍団の軍装は相当に汚れているはずだが……。」

 それはそうだ。あれほどの汚物を撒き散らした以上、被った方は無論だが、かけた方もそれなりに汚れていた。だが、シチリア方面軍副将はにこにこと笑みを浮かべながら応えたものだ。

「ちゃんと湯は被らせているし、軍装は全員、僕が用意したものに交換してもらったよ。」

 何のことやら、とクイントゥスは思ったが、メッサナの広場に整列していた、夕日に照らされているシチリア方面軍第二軍団の姿を見て、ぎょっとした。歩兵も騎兵も射撃部隊も、全員が黒装束だった。まさかとクイントゥスが見遣った、ガリア騎兵のズボンも黒かった。それどころか、普段は上半身裸のガリア騎兵に、黒く染めたトゥニカまでも着せている。黒装束とは、ローマでは葬式用の服である。この反応は、当然だ。その上この時代、黒の染料は紫や赤ほどではないにしても、それなりに値が張った。
基本的に、ローマ人の服は羊毛が主体だ。動物の毛を染めるのに適しているのは植物染料だが、これを斑無く黒く染め上げるにはそれなりの技術が必要だった。それゆえの値だったが、どうもドゥルーススは夜襲に必要だからと、元老院から巻き上げた金の一部を使ったらしい。鎧兜を黒く塗装したのも、何も名前に合わせるという目的だけでなく、夜襲を行うことも予め決めていたからだ。本当なら、黒よりも濃い藍色の方が夜の闇には溶け込みやすいのだが、そのような微妙な色は、さすがに手に入らなかったようだった。
どちらにしろ黒装束を見て、縁起が悪い、とクイントゥスとプロデウスは思った。それは兵士たちも同じ気持ちだったらしい。兵士の一人が、手を挙げてドゥルーススに向かって言葉を放った。

「軍団長、これって葬式用の服ですよね。縁起悪くないですか?」

 しかし、当のドゥルーススはというと、楽しそうに笑って言葉を返していた。

「うん、葬式に行くんだよ、これから。敵さんのね。派手で立派な葬式を出してあげようと思ってるんだ。どうかな? 皆で行こうよ。」

 一瞬のざわめきの後、兵士たちは笑い始めた。何だ、そういうことだったのか、と。

「ま、その黒装束がこれから皆の制服になるから。力合わせていこう!」

 ドゥルーススの声を聞いた、比較的若年層の兵士たちは軍団長の楽しさが伝染したように、ばらばらと叫んだものだ。

「エペイロスの葬式だ!」
「俺たちはエペイロスにとっての葬儀屋になるのか、楽しみだな!」
「今度から鎮魂歌歌ってやりましょうや、軍団長!」

 エペイロスだけでなく、カルタゴまでも相手にしなくてはならないはずだ。それだけでクイントゥスやプロデウスにとっては想定外であり、不安が拡大したものだ。この兵士たちも、それは知っているはずである。だというのに、彼らは笑っている。これがドゥルーススの強みか、とプロデウスは思った。






13 最も長い一年(Ⅳ) 闇夜の行軍


「我らがアレクサンドロスの後継者(ディアドコイ)にしてエペイロス王よ。我々はあの連中相手に、攻城戦だけはしたくありません。強行するようなら、ストライキさせて頂きます。」

 太陽の残光が薄れ行く中、宿営地に戻ったピュロスは汚物を被った兵士たちから開口一番に、こう言われた。参ったものだ、と思いながら、とりあえずは体の洗浄と装備の手入れを命じておき、彼は指揮官用陣幕に入って、対策のために思考を巡らせはじめた。そこに、離れた地に宿営地を築き終えたハミルカルが訪れる。

「ピュロス、今度のローマ軍は厄介なようだな。」
「……うむ。今までのローマ軍は、動きがマニュアル化されているような、なんと言うかワンパターンな動きだった。だが、この軍団は違う。今までにない動きを見せている。兵士の性質はおそらく、今までと同じだろう。問題は指揮官の方だ。」

 ローマ軍は定法通りの攻撃を仕掛けてくることが多い。これは、共和政体とも関わってくる問題だった。ローマの政治システムは、内政官と指揮官を行き来することで、総合的な視野を持つ、「そこそこの人材」を大量に用意するものだ。「突出した個人」はむしろ、邪魔にしかならない。それに合わせて軍隊も、「そこそこの人材」でも戦闘に勝てるようマニュアル化されていた。ピュロスはそれを衝いて二度勝ったのだった。しかし、ドゥルーススは今までの武将とは違っていた。

「貴様の軍に負けたわけではない、従うわけにはいかない、などと、我が軍では大騒ぎだ。ローマの行動が条約違反である以上、私も協力して戦うべきなのだろうが、しばらくは戦えん。落ち着くまでは海上に回らせてもらおう。」

 ドゥルーススの目論見は、半分正解半分不正解、だったようだ。エペイロスとカルタゴが協調できないところまでは正解だが、指揮官レベルでは喧嘩どころか協調しようとしていた。しかも相手は、名将二人である。協力体制が整うまで、最早時間の問題でしかなかった。

「構わん。敵が二人から一人になっただけのこと。それだけでもまだ、いい方だ。」

 どうやらピュロスは、名前も顔も知らないはずの、ドゥルーススの存在に気づいていたらしい。ハミルカルも同じだった。

「一人……ほう、貴様も気づいていたか。……歩兵隊を指揮していた方か、騎兵隊を指揮していた方か、どちらだと思う?」

 ある程度予想はしながらもハミルカルがそう口にすると、ピュロスはあっさりと応えた。

「言うまでもない。騎兵の方だろう。テッサリア騎兵に対応するために、蛮族の騎兵を編入していたらしいが、連中の制御は難しいはず。それをやってのける人間でなければ、我がエペイロス相手に戦おうとは考えるわけがない。そのような者が、普通は指揮官だろうに。しかも、ニンフの旗と狼の旗を掲げていた騎兵たち……。要注意戦力だな。我らの軍同士の軋轢が減衰しないことにはできないが、我らの全騎兵を以って叩き潰さねば、後々厄介なことになる。」

 そうは言っても、先ほどの戦いにうんざりした割には、ピュロスの表情はどこか楽しげですらあった。それをいぶかしむように、ハミルカルは口を開く。

「随分と敵の力量を買っているな?」
「貴様にはわからんかも知れんがな。私はそれなりに楽しいのだよ。今までは負けてもいないのに、ローマから逃げ出すことになったのだ。こちらの損失が大きい上に、補充戦力が山ほどいる、人海戦術相手だ。面白くもなんともない。貴様との戦いは引き分けばかりで、どうにももどかしいものだったぞ。だが、戦術で私を退ける者が現れた。ならば、勝ってみたい相手だと思わんかね?」
「戦争はゲームではないぞ。国を富ませるためにするものだ。」
「似たようなものだ。国を富ませることとて、最終的にはパワーゲームのようなものではないか。」

 ピュロスの言葉を聞き、ハミルカルは苦い顔になった。そのパワーゲームが、カルタゴ本国の議会で蔓延している。イベリアがよいだの国内を蔑ろにするなだの、ハミルカルにとってはどうでもよい。イベリアの発展がカルタゴの活性化に繋がると信じているがために、そしてイベリアの管理には自分の軍事力が必要だと考えて、イベリア派に与しているだけである。それを周囲の人間が、自分たちの利益誘導ばかり考えて主義主張する。何のための国益なのかと、ハミルカルは苦々しい思いでいた。
 それを打開しようとした、ハミルカルの師とも言える萩原内政官は、失業者を吸収することによる治安維持対策も兼ねて、傭兵を編成したのだった。警察的な力を本国に置き、「両派の首を掴む」つもりだったのだろう。14年前の逮捕から、処刑まで9年もかかったのは、この対策の妥当性を審議していたからだ。だが、当人が抗弁する気もなかったがために、結局は処刑されてしまった。
元々から、彼は両派にバランスよく手を貸していた人物である。処刑された後になって、その有効性に気づいた者が続発したため、あっさりと彼の名誉は回復された。だが、両派を抑えられる人間は、もう存在しない。彼の息子夫妻は娘を一人残して、2年前に病が元で死んだ。内政官の孫娘はまだ幼い。今のカルタゴは、その孫娘が内政官になるまでは砂上の城にも等しいと、ハミルカルは考えていた。

「パワーゲームに現を抜かすようでは、あのローマには勝てん。連中は現実主義者の塊だ。我らカルタゴとの不平等条約を受け入れたのも、海に出る必要が無かったと認識していたに過ぎん。必要とあらば、この有様だ。貴族と平民が対立していても、危機にはあっさりと団結するという噂もある。本当だとするなら、その認識は危険すぎる。」

 ふん、と鼻を鳴らし、ピュロスは自らを落ち着かせるように口を開いた。

「……確かにな。物質的な要素から埋めていく連中に、イレギュラーな指揮官を抱えた軍隊だ。連中のこと、穀倉たるこの地の食料すら買占めにかかるだろう。だが、兵糧と秣の確保はカルタゴ持ちなのだろう? ローマを叩き潰すまでは。」
「任せておけ、貴様らを飢えさせるわけにはいかん。少なくともローマを潰すまではな。それだけの価値はあると、私とて思っている。」
「互いに互いの存在を利用しておくほうが、我々にとって有益なのかも知れん。精々、利用しろ。利用させてもらうがな。」

 ピュロスがにやりと笑うと、ハミルカルも似たような笑みを見せた。ハミルカルもカルタゴ軍というより、どこか独立した勢力のように行動することがある。エペイロスから傭兵のように出かけているピュロスと、ハミルカルは似ているのかもしれない。そのハミルカルが、思い出したように口を開いた。

「そういえば、先ほどの戦いの前にローマがこの書状を送ってきていたのだが。内容はともかく、送り主が妙だったな。」
「どういうことだ。」

 いぶかしむようにピュロスがハミルカルの手にある書状を、次いでカルタゴの将軍の顔を見遣ると、一語一語選ぶようにハミルカルは言葉を紡いだ。

「ローマ軍全体が、カルタゴと交渉しようとしていたのはわかる。だが、どうやらあの時点ではメッサナにローマ軍の指揮官が到着していなかったらしい。何しろ、『我が軍の指揮官と会談してもらいたい。』というのが第一声だ。メッサナに入っていた軍勢は、指揮官の軍ではなかったということだ。それに、別の軍をメッサナに入れる時間も私は与えなかった。」
「つまり、あの戦いもその書状も、総指揮官のものではない、と言いたいのか?」

 ハミルカルは手元の書状を開き、内容を確認しながら口を動かした。

「署名は…………ドゥルースス・ポンピリウス・コルウス。身分はシチリア方面軍第二軍団長、と書いている。第二軍団の長ならば、副官ということになるな。」
「副官があれだけの攻勢に出ていただと!? 主将を差し置いてか? オリエント人でもあるまいに。」

 地中海世界東方や中国ならばともかく、指揮官ではなく副将が実際の指揮を執って戦うことは、地中海西方の彼らの間では決して多くない。ギリシアやローマは都市国家起源であり、同時に中産階級が発達していることから、平民が強い力を持っている。このような環境では、権力と権威が重なり合うことが圧倒的に多い。何故なら、権威の象徴たる指導者になるためには実力をもって権力を手中にする必要があるからだ。
 副将が実際の指揮を執るということは、常識的に考えれば権威と権力が分断されているということになる。これが東方で見られるのは、世襲による君主制に由来している。権威の象徴たる「王」は世襲である。時折優秀な政治力を持った人間は現れても、政局の安定を考えれば「王」に権力がない方がよい。そこで、「王」を補佐する人間に権力を持たせ、権威と権力を分断することで国家体制を保つ。これが、東方でよく見られた権力システムである。彼らはドゥルーススを、どうやらこの東方式の人間として認識したのだろう。実際は、ただの間に合わせだったが、ハミルカルとピュロスから要注意人物として特定されたらしい。

「潰すなら、この男だ。ピュロス、貴様はしばらく貴様の軍のみでローマ相手に陸地で戦うことになろうが、早い内にどのような人間かは特定しておけ。どうせ騎兵隊を指揮していた人間だろうが、このような作戦を叩きつけてきた男だ、場合によっては囮という可能性もある。」
「新たな間諜を呼び寄せた。情報収集を怠るつもりはない。数日中に判明するだろう。」

 ふん、と鼻を鳴らし、ハミルカルはピュロスに背を向けた。

「ならば、せいぜいドゥルーススとやらが今日挑んでこないことを祈っておけ。今貴様の軍は無防備だ。助けたくとも、私は今助けられないのでな。」

 それだけ言うと、ハミルカルはピュロスのテントから出た。そのまま、自らの宿営地に向かった。ピュロスのテントに、沈黙だけが降りる。いつの間にか、外は夜の帳が降りて、緩やかに藍色の空気がテントに流れ込んだ。

「……夜襲か。私なら、確かにそうする。だが……。」

 ただ仕掛けてくるだけではあるまい。ピュロスはドゥルーススが、心理的な打撃を与えてくる敵であることを理解していた。だが、予想がつかない。苛立ちと楽しさの狭間に落ち込む。そこに慌ただしく、報告しようと兵士が駆け込んだ。

「も、申し上げます! ローマ軍接近!」
「何?」
「灯火を確認しました! 間違いありません!」

 このタイミングなら、普通は夜襲にするはずだ。だというのに、灯火である。わざわざ自分の存在を知らせるような真似をするのが、ピュロスには信じられなかった。

「……確認する。どこだ?」



 その軍勢は小高い丘の宿営地の南、すぐ近くの森に陣取っていた。どうやら松明を手にしているらしく、煌々と赤い点が輝いていた。それだけならまだしも、目を凝らしてみれば歩兵から騎兵から指揮官まで黒装束を身に纏っているらしい。夜襲装備だというのに、灯火である。何か勘違いでもしているのか、とエペイロスの兵士たちは思ったらしい。だが、その空気にピュロスは染まらなかった。

「連中は今までとは違う。警戒を怠るな!」

 いつ接近してくるのか。どのように攻撃するのか。そんなことを考えていたピュロスだったが、その考えすら甘かったことを、次の瞬間に思い知らされた。

「松明が消えたぞ!」

 黒装束の一団が、一斉に水でもかけたのか、灯火が消え去って闇の中に沈んだ。今まで明かりに慣らされた目だ。黒装束の集団の行方が一瞬で分からなくなった。

「くっ、直線的に攻めてくるとは思えん、支度が整い次第、順次迎撃に……。」

 しかし、ドゥルーススの攻めは早かった。黒装束の集団が消えた森の反対側、シチリア海岸方向の平原から咆哮する狼の旗を掲げた部隊が、即座に接近していた。シチリア方面軍第一軍団のスキピオ軍、クイントゥス麾下の軍勢だ。

「攻撃、開始せよ!」

 クイントゥスにとっては、シチリアに来て初めての戦いだ。当然、彼の配下たちも張り切っていた。

「船の上ではいいところがなかったが、陸の上ではそうはいかん。……全部隊、配置につけ!」
「クイントゥス様のご友人が隙作ってくれたんだ、もたもたするな! チャンスは今だぞ!」

 プロデウスとデキムスが、自分の部隊を率いてエペイロス宿営地に迫る。ただし、彼らの役目は「壁」だ。飛び道具を射こんで挑発し、反撃に出てきたところを押し留める、というわけだ。まずは射撃部隊に戦ってもらうしかない。

「撃て撃て! 矢を射込め!」

 弓箭兵隊が、プロデウス達の背後から矢の雨を降らせた。暗闇の中の矢だ。いかにエペイロス軍といえど、パニックに陥る。しかも、視界が利かない。エペイロス軍が誇るクレタ弓兵も、的が見えなければ盲射ちにしかならない。これで、飛び道具兵の技量差もほとんど変わらなくなった。

「ホプリタイ接近!」

 宿営地の北門から、エペイロス歩兵団が吐き出された。だが、アスクルムの時のような勢いはない。ドゥルーススの攻撃で、戦闘可能人数が減っているからだ。いかに傍目からは苦笑しか生まないような奇策であっても、ドゥルーススにとっては無駄ではない。戦力の一点集中投入こそが、戦略戦術のレベルを問わずに勝利への鍵となる。それをローマの副将ははっきりと、理解していた。

「薙ぎ倒せ! できる限り戦力を削っておくのだ!」

 ホプリタイは正面が強いのだが、それは陣形を組んだ時の話だ。陣形を組んでいないのであれば、その強靭さは消え失せる。プロデウス達の猛攻によって門から出てきたところを、順次叩いていく。

「ホプリタイ、サリッサを持つな! 盾を手で持て! ファランクスを組むな!」

 ピュロスの指示を受け、リーチを保っての戦闘ではなく、白兵戦を挑むホプリタイに対し、クイントゥスは自軍の歩兵たちにも指示を下した。

「全軍微速後退! 敵に背を見せるな! 敵との間合いを調節しつつ引き付けろ!」

 できる限り敵のホプリタイを引きつけ、射撃兵器と騎兵による側面突破で数を減らすようにドゥルーススから作戦を「提案」されていた。ドゥルーススの提案はクイントゥスにとって、ほとんど「指示」にしか感じられなかったが、妥当すぎるほど妥当だった。それに、自分で「ドゥルーススを信じる」とアムリウスに言いきっている。スキピオ家の後継者たる指揮官は、何を考えないように自分に言い聞かせ、声を張り上げる。

「まだ斧は持つな、剣で対処しろ!」

 サリッサを破壊するために、工具の斧を用意したのだ。白兵戦では大振りになる斧は、敵が鈍重でない限り不利にしかならない。剣と剣が火花を散らし、ホプリタイとハスタティという、比較的軽装な戦列歩兵同士が睨み合う。その内に、夜目に慣れたクレタ弓兵とロードス投石兵がハスタティとウェリティス目掛けて攻撃を始めた。精度は昼間に劣るが、じわじわとローマ側の死傷者が増え始める。

「まだか……。」

 もう十数人は一人で仕留めたプロデウスが、呻くように口にした。いかに33歳という体力と経験のバランスが取れた彼とはいえ、そして首席百人隊長たる彼とはいえ、疲労には勝てない。鮮血を浴びた姿で深く息を吸い込み、むせ返るような死の臭いに顔を顰めた。そこに、黒装束の一団がホプリタイの左手から接近する。シチリア方面軍第二軍団のハスタティと射撃部隊、そして騎兵隊である。先頭にいたのはドゥルーススではなく、彼の従兄であるカエソだった。

「おら、いけ! ぶっ殺せ!」

 指揮も何もあったものではないが、門付近に集中したホプリタイと策の向こうから援護していたエペイロス射撃部隊にとっては十分すぎる脅威である。ハスタティのピルムが投げ込まれ、ウェリティスのピラが放たれ、弓箭兵の矢が唸りを挙げた。ローマ軍の部隊と違い、ギリシア系の部隊の盾は円形かつ小ぶりで、ファランクスを組んでいなければ射撃にも打たれ弱かった。軽い恐慌状態に陥ったのを見て、その間に、とカエソはクイントゥスに急いで近づき、声を投げかけた。

「指揮官、俺っちのとこの歩兵隊の指揮権を移譲しますわ。こっちは戦闘続けるんで。では!」

 これもドゥルーススの作戦通りだ。クイントゥスは軽く頷くと、指揮を下した。

「第二軍団ハスタティ、隊列整えろ! 防御体勢取れ! ウェリティス後退! 投槍器隊、一斉掃射開始せよ! 弓箭兵は後退の後、陣形を十列横隊に組み任意射撃!」

 クイントゥスの指揮を受けた歩兵隊が防御体勢を取り、隊列を組みなおす。戦列歩兵は粘り強さこそが必要とされる条件だ。それを引き出すのは防御体勢であることを、クイントゥスは経験から知っていた。黒装束の若き兵士たちの戦列が、より確実なものへと姿を変えた。
そのハスタティの背後で半分のウェリティスが後退する中、もう半分のウェリティスが前進する。ドゥルーススの手になる投槍器隊だ。彼らは所定の位置に着くと、投槍器にピラの石突を引っ掛けて、この嘴のような突起を一斉に地面に向けて振り下ろした。放たれたピラが、放物線を描いて宿営地の柵を、鎧を、人間の肉体を、離れた位置で待機させていた象の皮膚を次々と刺し貫いた。破壊力の増加というドゥルーススの目論みは、見事的中したことになる。
 クイントゥスの指揮とは別に、しかし合わせるようにカエソは麾下の騎兵隊に指示を出す。本人は指揮官というよりは一兵卒の方が似合うと思っているのだが、仕事は仕事だ。

「騎兵隊突撃ぃぃぃぃぃぃ!」

 自らが先頭に立ち、鎗を構えてホプリタイに馬ごとぶつかりに行く。そこから鎗を突き出し、跳ね上げ、振り下ろし、前進していく。ドゥルーススが「カエソは自分より喧嘩が強い」と評したのは、嘘ではない。カエソの無茶苦茶な戦闘スタイルによって、型にはまった訓練では対抗できないがための強さだ。だが、騎兵全てがそれを出来るわけもない。犠牲が出る前にと、少々残念そうにカエソは大声で命じた。

「撤退!」

 騎兵全軍を疾駆させて、100メートル程度離れた位置に整列するよう命じた。歩兵たちを見れば、自分達が空けた穴を侵食するように戦っている。少しは効果があったか、と思いながら、息を整えた。
 この状況を、ピュロスが黙って見ているわけがなかった。前進させようとした少なくない数のホプリタイが、蹴散らされた。こうなれば市民騎兵とテッサリア騎兵を使うほかないが、彼らは昼間の戦いでローマ騎兵を恐れている。左翼から攻撃、と命じれば間違いなく拒絶される。

「くッ、ホプリタイ後退! 東門から騎兵隊出せ! 敵の左手を殴りつけるのだ!」

 蹄鉄が夜の空気を踏みつけ、土ぼこりを巻き上げながらテッサリア騎兵が吐き出されていく。流石に視認性の悪い戦いでは騎兵用サリッサは使えない。汎用性の高い、古くから用いられているコピス型の騎兵剣を構え、整列を始めた。その時だった。

「仕方ないな、行こう!」

 テッサリア騎兵の後背目掛けて、ドゥルースス指揮下の騎兵隊が突撃した。こちらはよりリーチの長い騎兵鎗を装備していた。彼が率いていたのは、ガリア騎兵たちだ。騎馬民族に限りなく近い生活を送っている彼らは、突撃に慣れている。重量と加速が一点に集中した穂先が、易々とテッサリア騎兵の身体を貫いていた。あわてて振り向くと、ヘラクレアにいた「悪魔」が、ローマ騎兵の先頭で微笑んでいた。

「やあ、テッサリアの皆さん。僕が直々に殺してあげるから!」

 この場の隊列を崩されたテッサリア騎兵全員に聞こえるように、理解できるようにギリシア語でドゥルーススが叫んだ。同時に彼の鎗の穂先が、弧を描きながら血飛沫の尾を引いて舞う。この一撃で虚を衝かれた4人の生首が宙を舞い、真紅の液体が首無し死体から噴き出した。
 どう考えてもテッサリア騎兵にとって、ドゥルースス指揮下の騎兵と目の前で起きた殺戮者(ドゥルースス)たちの蛮行は、悪夢以外の何者でもない。「アレクサンドロスの鉄槌」たる彼らが震え上がったのも無理はなかった。我先に宿営地に逃げ込もうとするが、歩兵ではなく騎兵である彼らが、一度に通れる人数は限られていた。そこに、戦果を挙げるべくガリア騎兵が殺到する。ドゥルーススはしばらくガリア騎兵の好きにさせることにしたが、頃合を見て口を開いた。

「皆、長居は無用だよ。……全軍に伝えて。『メッサナに撤退』とね。」

 クイントゥスもプロデウスもカエソも、ドゥルーススの指示を受けずとも動いていた。テッサリア騎兵にドゥルーススが向かったときから、死傷者を騎兵で担いで撤退準備を整えていたものだ。最初から深入りするつもりはない。作戦会議と、とりあえずはほとんど同じように実行できたと、ドゥルーススは思う。
 彼は当初、次のような作戦を考えていた。まず自分を囮にすべく「黒装束に松明」という目立つ行動を取り、エペイロス軍が着目している間に反対側からスキピオ軍を接近させる。ここまでは成功してくれた。このスキピオ軍がエペイロス軍を引き付けている間に、カエソとローマのエクイテスを編成した第一陣が暗闇の中を移動し、一撃を加える。その後彼らが引き上げたところで、宿営地に戻るエペイロス軍をドゥルーススの護衛騎兵とガリア騎兵で強襲するつもりだった。
だが、思ったよりも歩兵を引き付けられず、騎兵の出撃を許してしまい、中途半端ながら突撃することにしたのだった。とはいえ、テッサリア騎兵はエペイロスを初めとするディアドコイたちにとっては重要な戦力である。十分すぎるほど打撃は与えられた、とドゥルーススは見ておくことにしたらしい。。

「ま、歩兵削れなければ意味ないけど、ここは我慢。次の機会を待つしかないね。」





「やってくれたものだな……。」

 自軍の惨状を見遣り、ピュロスは深い溜息を吐いた。反撃したその日の内に夜襲を仕掛けることが、戦術上有効な手段であることは、ピュロスとて知っていた。それを見越して反撃しようと準備もしていた。ピュロスにしてみれば、虚を衝かれたつもりはなかった。だが、見事に虚を衝かれたと、認めるしかなかった。

「しかし、黒装束をあのような形で利用するとは……。夜戦仕様の部隊をここまで生かしきるか。」

 ローマ軍が囮にした部隊こそが、本来の切り札だった。ピュロスは今になって、あの部隊があからさまに「囮」と主張していたように思えた。

「あの時気付いていれば……いや、負けは負けだ。愚痴をこぼしても無駄なこと。」

 攻城戦も籠城戦も、おそらくは不可能だと、ピュロスは悟った。メッサナを攻撃すれば、今日の昼間の二の舞になるだけだ。砦を建設してそこに籠もれば、おそらくは断続的に夜襲を仕掛けてくるだろう。兵士たちが憔悴しきるのを待つわけにもいかない。
それに、今のところ守勢に立たされている上に、シチリア島はエペイロス軍の本拠地ではない。焦る要素しかない。止むを得ない、という顔で、ピュロスはキアネスを呼んだ。

「カルタゴ軍に連絡せよ。『一時的にリリュバエウムまで撤退したい』とな。」



 メッサナに帰還したクイントゥスは、作戦会議を開くことにしたらしい。メッサナの統治者の邸宅の会議室に集まったメンバーは、クイントゥス、ティベリウス、ドゥルースス、そしてプロデウスだった。まずは、と首座に座る司令官、クイントゥスが口を開いた。

「ドゥルースス、これは所謂『不測の事態が発生した』と言うべきなのではないか?」

 シチリア方面軍の副将たる男は、軽く眉を顰めながら言葉を紡ぎながら、自らの爪をギチギチと噛んだものだ。

「うん。シチリアに向かう前には、カルタゴが敵に回るなんて考えてもいなかった。それに、今回の夜襲は恫喝の一種で、これからも幾度となく繰り返すつもりだけど、撃破できた兵力が足りない。想定外すぎる。二月と言わずに、もっと早いうちにマニウスに来てもらわないと。」

 弟の様子を見て、相当に焦っているらしいな、と思いながら、ティベリウスも静かな調子で言葉を場に向けて放った。

「一年間で終わらせることは、できないと見るべきか?」

 だが、焦っているはずの、彼の弟がそれに反論した。半分苛々した口調で口を動かしている。

「いいや、終わらせなければいけない。兵士たちは、一年間でイタリアに戻す必要がある。彼らには彼らの仕事があるんだ。僕たちのような貴族じゃない。仕事を放置させてはいけない」

 彼は、これまでの歴史の逸話をいくつか知っていた。その中には、次のようなものもあった。百人隊長経験者の老人が、度重なる戦争で自らの畑が荒らされたこと。それを立て直すために借金もしてみたが、収穫も思ったよりも少なく、奴隷に等しい身に落ちたこと。それを知った平民たちが抗議行動に及んだこと。

「平民たちこそ、ローマの基盤だと僕は思ってる。戦乱によって土地を荒らされるのも、仕事に戻れずに荒廃するのも、何も違わない。仮に僕たちが一年以上兵士として連れ回せば、それが慣例みたいな形になってしまうかもしれない。それは、ローマ社会を破壊することになる。……だからといって、別の人間と交代させるわけにもいかない。これから一年間培われることになるノウハウを、交代要員は持たないことになるからね。それじゃ、無駄死にを招くだけさ。絶対に一年間で終わらせなければいけないんだよ、今回だけは。」

 社会問題に発展すると、そして、経験のない人間を急に前線に出したくないと、ドゥルーススは言ったのだった。理で押されて、会議の場が沈む。発言する者がいなくなるのを恐れたプロデウスが、思い切って口を開いた。

「ここは思い切って、元老院に援軍要請をしてみてはいかがでしょう? 不測の事態ですし、さすがに職務怠慢とは言われないでしょう。」
「無駄だと思うよ。あの人たち、僕の発言に呆れてる。現実性がない、ってね。それに、今回の出陣の時だって、ここで戦死してくれれば、なんて思ってそうな顔を僕に向けてたよ。」

 あっけらかんとした調子で言い放った割には、ドゥルーススの瞳は先ほどの会議の場よりも深く暗く沈んでいた。人間不信が、ありありと刻まれているようにプロデウスには思えた。だが、彼もここは、と引き下がらない。

「とはいえ、ここで援軍を送らずに壊滅することになれば、元老院とて立場が悪くなるでしょうし、試すだけは試してみては?」

 プロデウスを後押しするように、ティベリウスも口を開く。

「私が行こう。法務官経験者(プロプラエトル)の私ならば、さすがに無視できまい。場合によっては、オタキリウスにも発言してもらおう。オタキリウスは軍務に駆り出されているとはいえ、按擦官でもあるし、財務官も経験している。それに、我らに出陣するよう後押ししたのも、彼だ。いくらサムニウムの者とはいえ、無碍にはすまい。」

 それを聞いたドゥルーススは、軽く頷いて、クイントゥスの方に向き直り、口を開く。

「マニウスが戻ってくるまでは、騎兵隊による夜襲で留めておこう。できるだけ、積極戦法のように見せかけておく。シチリア北東部周辺を略奪されたとしても、出来る限りは挑発に乗らない。兄者とマニウスが戻ったら、本格的に襲撃をしよう。どうかな?」

 俺の役目は承認だけなのか、と疑問を抱きつつも、クイントゥスはそれを表に出さず、首を縦に振った。

「ティベリウス殿、頼めますか。こちらは何とか持ちこたえてみせます。」
「軍勢は残しておくのでな。自由に指揮してもらって結構だとも。」

 一刻も早く、ローマに戻る必要があることをティベリウスは理解していた。目的が報告である以上、軍勢など足手まといにしかならない。シチリアに兵力を確保するという意味もあった。

「助かります。」




 会議が終わり、クイントゥスは退出するドゥルーススを呼び止めた。

「ああ、ドゥルースス。話があるんだが。」
「ん、どうかしたの?」

ドゥルーススは相変わらずの幼い調子だったが、少々疲れた様子で軽く振り返った。その横をティベリウスが身支度を整えようと慌しく通り過ぎ、二人の様子を気にしたプロデウスも兵士達の状況を確認しようとクイントゥスたちから離れていった。

「いや、大したことではない。ただ、俺の役目……というか、そういうものの話だが。」
「クイントゥスは皆のまとめ役。貴方がいなければ、シチリア方面軍は雲散霧消してしまう。兄者は、第一軍団付属機動部隊の指揮官だし、プロデウスは言ってみれば歩兵隊全体の総元締め。僕はクイントゥスの補佐をしているだけだよ。局所だけで動いている僕達を束ねているのは、クイントゥスなんだから。もっと自信を持って。」
「確かにそうなんだが……だが、形式的なものになっているというのもな。」

 その言葉には応えず、ドゥルーススは笑顔で言葉を紡いだ。その笑顔には、どこか寂しさが含まれていた。

「大丈夫だって。僕が、クイントゥスを凱旋将軍にしてあげるからさ。」

 それが問題なのではないか、とクイントゥスは思ったものだが、ドゥルーススに助けられているのは事実だった。それでも、と彼は思ってしまう。廊下の角を曲がったドゥルーススがクイントゥスの視界から消えたのを認めると、クイントゥスは大きく溜息を吐いた。

「自力で指揮もできないのに、本当に指揮官なのか、俺は……。」

 しかし、その呟きはドゥルーススに聞こえていた。曲がった廊下で、落とした各ソチエタスからの報告が書かれたパピルスを拾っていたがために、聞こえてしまったのだった。

「僕を、信じてくれないのか、クイントゥス……。信頼の証をなんとしても立てなければ。」

 その選択こそが、後に自らへ鉄槌を振り下ろすことになるとは、考えていなかった。ドゥルーススには、自分のできることをする、ということしか、考えることが出来なかった。

「……集中するんだ、目の前の事象と知識を擦り合わせろ。僕は勝たなければ。そうでなければ、僕がここにいる意味がない。」

 念仏のようにぶつぶつと呟きながら、幼い雰囲気を纏った男は自らの寝所に向かった。

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