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補助軍兵A氏作アイマス・トータルウォー支援SS「咆哮する軍旗」第六話

補助軍兵A氏から引き続き頂いた支援SSですよ!
激戦は続くぅ!




14 最も長い一年(Ⅴ) 響く谺、返らぬ声



シチリアでエペイロス軍とローマ軍が火花を散らしていた頃、パドゥス河の畔でオタキリウスは宿営地に並ぶ自軍のテントを見遣っていた。


「早いうちに、シチリアに向かいたいのだが、そう簡単にはいかんだろうな。」


現在サムニウムが保有する戦力は、ハスタティ320、弓箭兵320、エクイテス216、補助軍騎兵324、という具合だ。この内のハスタティは以前、ウェリティスとして散兵を勤めていた兵士たちだ。それをオタキリウスが戦列兵に転換している。そのため、白兵戦よりピルムを投げる射撃戦の方が得意であった。
元々、資産が少ないがために戦列兵として戦えず、射撃部隊として戦うのがウェリティスであった。それをオタキリウスが、ローマから返還された広大な農牧地で得られた自費で、ハスタティに格上げしたのだ。こうでもしないと、兵力が足りなかった。


「問題はこれからだ。射撃、騎兵と軽装主体の我が軍は、確かに支援部隊としては適切と言えよう。だが、敵が射程範囲から逃げてくれれば意味がない。前回のガリアの侵入はドゥルーススが食い止めているが……。部族は違えど、多少なりとも情報は伝わっているはず。無闇に突撃するわけもない。それに、ドゥルーススは一騎討ちを仕掛けて挑発に成功している以上、同じ方法を私ができるわけもない。」


14年前に、クイントゥス率いる騎兵目掛けて突撃したことはある。だが、あのときは頭に血が上っていた。無論、彼は白兵戦が不得意ではない。しかし、無理に射撃部隊指揮官が突撃するのは、問題である。オタキリウスがサムニウムの族長と見做されている以上、ローマ市民が近くにいる状況では避けたかった。いかに公職をいくつか勤めているとはいえ、だ。


「ふう……。」


この辺りの距離の置き方が、オタキリウスの最大の問題だった。ローマ寄りにも、サムニウム寄りにもならないよう、気遣いし続ける必要があった。彼はかつて父に、「ローマの者と一時的にでも融和を認めてしまえば、まず間違いなく取り込まれる」と言われたことを、彼は今になって自覚していた。それでいて、今の自分に不快を覚えないことに、オタキリウス自身が驚いていた。
サムニウムの人間の不満を訴える声は、ほとんど静まった。ティベリウスのやり方と、ローマのインフラ整備が生かされていたのは間違いない。しかし、奥底の感情まで変えることはそう簡単にはできない。そして、ローマとサムニウムの不満を真っ向から受けるのは、パイプ役のオタキリウスである。難しい問題になるのも、無理はない。


「だが、少なくとも得ではある。隷属されることもなく、私有財産も保護されている。父には申し訳ないが、ローマとの融和も悪くない話ではあるはずだが……。」


一人前と認められる30歳となったオタキリウスとて、少なからず民族意識はある。しかし、「ローマと融和することで、確かな豊かさを手にしている」という現実が、目の前にある。そのことが、オタキリウスには理解できた。だが、それを同胞たちに強制もしたくなかった。


「……今はガリアを叩くことを考えなければ。この問題は私一人の手に余る。ティベリウス殿か、ドゥルースス、クイントゥスの手を借りるべきだ。」


まずは作戦会議に出席だ。今回の指揮官は、アムリウス・ユリウス、つまりユリウス家の後継者である。街中では軟派で女たらしでも、戦場では一味違うらしい。敵の一部がパドゥスに接近するのを見越して対岸に射撃部隊を潜伏させ、一斉掃射によっていくらか被害を与えている。総領による後継者のテストに応えた、ということだろう。


「今度はガリアの連中も馬鹿じゃないだろう。こちらの出方を待つはずだ。簡単に攻められる代物じゃあ、なさそうだと思うんだが。意見はあるかい?」


指揮官席に座るアムリウスの声に各々が首を傾げ、唸っている。このような状況では、先に手出しした方が負けるに決まっている。渡河の最中に足止めし、射撃武器で攻撃して仕留めるという戦術の有効性を、3年前にドゥルーススが証明しているからだ。別の方法を探る必要があった。何度目かの唸りの末、オタキリウスが遠慮がちに口を開いた。


「アムリウス殿、よろしいか?」


幕僚たちの目が一斉にオタキリウスに向けられる。それを感じ取った山岳民族の長は、所詮支援部隊の指揮官でしかないか、と思ったものだが、アムリウスはあえて軽い調子で言葉を投げかけたものだ。


「ああ、構わない。気兼ねなく言っていただいて結構。意見がないと全く進展しないんでね。」


その言葉に勇気づけられたオタキリウスは、ゆっくりとした調子で言葉を紡いだ。


「では……。このような作戦はいかがでしょうか。我がサムニウムの支援部隊は軽装騎兵を主力とした部隊です。我らの騎兵のみを抽出し、パドゥス河の上流方向から渡河して後方に回り込みます。その間、こちらの本隊はできるだけ喊声を挙げさせるなどの方法で、ガリア軍を挑発してください。しかる後に、ユリウス軍本隊がガリア軍の正面から、我らが後方から攻撃するのです。」


戦闘において、挟み撃ちは重要な戦術である。破壊力もさることながら、士気への打撃が大きくなる。戦意を喪失すれば、それは戦力ではなくなる。そもそも、陽動を含めた挟み撃ちは、サムニウム人が得意とした戦法であった。特に山岳地帯では喊声が谺によって増幅されるため、ローマ軍も攻めあぐねたものだった。オタキリウスにとっては慣れ親しんだ方法、ということだ。
だが、この方法にはリスクが伴うことが、誰の目にも明らかだった。幕僚の中にサムニウム人に対する偏見を捨てきれない者がいることを見越して、あえてアムリウスが問題点を指摘することにしたらしい。


「しかし、通過地点はガリア人の土地。発見されれば一巻の終わりだと思うんですがね。それに、発見されないように通過するとなると、パドゥスの相当上流まで行く必要があるはずなんだが、下手すりゃ馬ごと流される可能性も捨てきれない。違いますかね?」


このようなことを聞かれるだろうと、既にオタキリウスは予測していたらしい。割とあっさりした調子で返した。


「その手の潜伏には慣れていますし、渓流の安全な渡り方も心得ております。私は山岳民族ですから、大丈夫ですよ。」


しかし、と声を上げようとするユリウス家の面子に、アムリウスは掌を向けて制止し口を開いた。


「ならば任せましょう。我らユリウスも騎兵戦力は有しているが、金持ちが馬に乗っているだけなのでね。心許無かった。あんたになら頼める。」


では時間の調整、とばかりに打ち合わせが再開された。


「これで作戦会議を終了とする。皆、御苦労だったな。」


アムリウスの言葉で作戦会議が終わり、各人が自分たちのテントに戻っていく中、オタキリウスは思わずアムリウスを呼びとめていた。


「アムリウス殿。」


今度は自分が作戦の肝となる。言ってみれば「外様」たる自分をこうまで押してくれるというのは、嬉しい以上に怪しいとさえ思えたからだった。


「何か?」
「私の方法を受け入れて頂けて嬉しい限り。ただ、あれでは貴方の配下の方々がいい顔をしないのでは?」
「……うちのユリウス家もややこしいのでね。」


ユリウス家は一枚岩では、決してない。若年層を中心とする革新派と、壮年から老年層の人々が擁する保守派を内包していた。それをアムリウスの父、フラウィウスが繋ぎ止めているという状態で、トップであるフラウィウスに何かあれば崩壊しかねなかった。
この状況でオタキリウスに恩を売っておけば、イタリア半島唯一といっていい騎兵供給地のサムニウムというカードを、スキピオから引き離せる可能性も出てくる。あわよくば、ユリウス側に引きつけられるかもしれない。少なくとも、アムリウスはそう踏んでいた。そうなれば、ユリウス家の中でのアムリウスの発言力を増やせることにもなる。オタキリウスを活躍させることは、アムリウスにとっては、保守派を黙らせるいいチャンスだったらしい。
とはいえ、スキピオ家からの援軍を受けているという形である以上、そのようなことは表には出せない。あくまでも義理立てしたい、という顔で対応する。


「ま、うちのユリウスにはない力を、オタキリウス殿はお持ちだ。犠牲が少ない形で勝てるのなら、それに越したことはない。違いますかね?」
「それは確かなことだとは。私とてローマの犠牲を増やしたいわけでもない。協力体勢を整えておきたいことは確かですから。……時間が惜しい。私はそろそろ向かおうかと。」
「了解だ。こちらでも色々と偽装工作をしておく。」


どこか不安を抱えながら、オタキリウスは身支度を整えるべく、自らのテントに向かった。それを見送りながらアムリウスは聞こえぬように呟く。


「さて、どの程度犠牲を減らせるか……。お手並み拝見といこうかね。」


ローマで作戦会議があった翌日も、ガリア側はローマ軍の動向を監視はしていた。だが、この日はユリウス家の部隊が前衛に出て攻撃したため、監視どころではなかった。それでも散兵の攻撃だけで終わり、ガリア軍もほっとして睨み合いが再開される。
そうこうする内に2日が経ち、ローマ陣営地から大量の食糧を用意しているような、料理の煙を監視員どころかガリア人たち全員が目にした。いよいよか、と迎撃態勢を整えても、なかなか攻めてこない。3日経ってもまだ来ない。

ユリウスの攻撃から一週間が経過した頃、さすがのガリア軍も緩み始めていた。パドゥス河岸で沐浴する者もいれば、ガリアのキャンプから離れて狩りをする者もいた。だが、それをアムリウスとオタキリウスは狙っていた。緩やかな日光が中天に差し掛かったのを見計らい、準備を整えたユリウス家の後継者は配下に指示を送った。


「さてと、お客人に連絡だ。太陽は……十分だな。」


ユリウス家の兵士たちが用意したのは、いくつかの大きな鏡だった。陽光を反射させ、ガリア陣営地、さらにその周辺に輝かせる。まるで、光によって撃退しようとでもいうような、呪術めいた光景だった。だが、それを合図としてアムリウスは指示を下す。


「ハスタティ、前進開始せよ!」


若年層を中心とした兵士たちが、渡河を開始する。前日に確認した調理の煙の様子からしても、白昼堂々と攻撃を仕掛けてくるとは、さすがのガリア軍も考えていなかったらしい。それでも、ガリア人たちは飢える家族を満たすべく、鎗、剣、弓をそれぞれが手にし、ローマ軍が渡河しきる前に迎撃を開始した。だが、体勢が整わないままの烏合の衆である。ローマに対して押され気味だった。


「行け! さあ、オタキリウス殿。後はあんただぞ……。」


水際での戦いは、体力を消耗する。ドゥルーススはそれを見越して渡河しなかった。しかし、今度はガリア側が攻撃を仕掛けてこない以上、ローマ側が渡河しなくてはならなかった。アムリウスは少しでも体力の消耗を防ぐために、兵士たちには食事を多く摂らせ、体には油を塗らせていたのだった。しかし、ただ前日に食事を多く作るのでは簡単に攻撃タイミングを教えてしまうことになる。そこで、オタキリウスが渡河した3日後に、堅焼きのパンを多く作らせた。
これだけでは襲撃までに腐る可能性がある。実際、このパンを食べたのは、攻撃開始の2日前であった。その日には再び日持ちするものを作って、襲撃の前日に取っておいた。これで攻撃前に多めの食事ができ、しかも調理の煙が前日に多くなることもない。つまり、調理のタイミングをずらすことで、攻撃開始のタイミングを誤認させるという、偽装工作だった。

とはいえ、これは南岸で待機していたユリウス家の軍勢が解決させた問題である。肝心のオタキリウスはどう回り込みをしたかといえば、パドゥス河の上流に簡易的な橋を架けて兵站ルートを確保する、という方法を用いたのだった。この作戦の最大の問題は、人間の口以上に馬の口を満たすことにあった。潜伏しながらの行軍を、馬を引き連れて行うのである。
サムニウムの馬は山岳地帯での戦闘を想定し、谺によって位置を特定されないために、嘶きを最小限に抑えるという調教を施されている。渓流も、流されずに渡ることすらできた。それ故に、この作戦に投入できたのだが、その辺りの草を食べさせて食中りでもされれば一巻の終わりだ。食中りは、調教ではコントロールできない。そこで、まずパドゥス上流の南岸側に糧秣の補給拠点を隠しておく。次いで南側の部隊と渡河し終えたオタキリウス麾下の部隊が両岸から協力し橋を架ける。これで、北岸への輸送の手間を減らすことができた。
ユリウスの散兵による攻撃と同時に、オタキリウスは騎兵たちを率いて出撃していた。それから総攻撃までに一週間もかかったのは、この橋の建設を行うためであった。だが、ローマはツルハシで勝つ、とまで謳われることになる軍団である。これでも、かなりのスピードと頑丈さで建設されていた。この作戦は、「ローマらしさ」を「サムニウム人」が生かしたという意味もあったのだった。


サムニウム支援隊の面々は潜伏していた林で、ローマ軍陣営地からの光を確認する。攻撃開始の合図だ。喊声や狼煙のような方法は、あからさまで目立ちすぎるということで、呪術にしか見えないこの方法を選択したらしい。迷信深い時代故、一種の脅しにもなったはずだ。


「さあ、サムニウム騎兵の力を見せる時ぞ! 私に続け!」


鎗を振り上げてオタキリウスが馬を駆り、その後ろに続くように補助軍騎兵とエクイテスが蹄の鈍い響きを巻き上げながら疾走する。


「補助軍騎兵の攻撃対象は敵指揮官のみ! それ以外には目をくれるな! エクイテスは私と共に射撃部隊を潰すぞ!」


続けて自分のすぐ背後を走っていた護衛騎兵の一人に、オタキリウスは声を投げかける。


「ティベリウス、補助軍騎兵の指揮は任せる!」
「お任せあれ!」


ティベリウスと呼ばれた男は、オタキリウスとほぼ同じ容姿だが、いくらか若い上に四角い顔つきで固太りのオタキリウスよりも、面長でスマートだ。身につけた深緑の鎧は、胸に3つの突起がある、サムニウム独自のものだった。彼、ティベリウス・オタキリウス・クラッススは、サムニウム族長マニウス・オタキリウス・クラッススの弟に当たる。サムニウム攻略最終戦の時には11歳でしかなく、参加はしていなかったが、サムニウム陥落から6年間をローマのクラウディウス家で人質として暮らし、その後ローマからオタキリウスに返還されたのだった。
この5歳年下の弟を返還後であってもスキピオ家にも出さず、サムニウムから離さなかったのは、サムニウムの人間に、「ローマに寝返っているわけではない」という意思表示のためだ。だが、もうそんなことを言っていられなくなった。今回の戦争は、オタキリウスにとってサムニウム死守と、ローマ指導者層への弟の顔見せという意味も兼ねていた。
その兄の期待に応えるべく、若き猛将は麾下の補助軍騎兵を奮い立たせるように叫ぶ。


「鬨の声を挙げよ! 恫喝せよ!」


オタキリウスとその弟は、それぞれの指揮下の部隊を引き連れて二手に分かれた。正面からのユリウスの猛攻で背後に隙のあったガリア軍目掛けて、馬ごと殺到する。


「よいか者ども。騎兵とはいえ我らは散兵。敵に無闇に接近してはならぬぞ!」


オタキリウス兄弟は、自軍の補助軍騎兵の強さに自信があった。だが、ここですり減らしたくない。この後ピュロスとの戦いが待っている以上、無理に接近戦を挑むわけにはいかない。射撃戦で済ませようと考えていた。潜伏してまで背後を狙ったのも、それが理由だった。最後背に控えているはずの敵将を討ち取るために、だ。
そのターゲットが、若き猛将たるティベリウス・オタキリウスの瞳に捉えられた。


「そこにおるは敵将と見たり、覚悟おおおおおっ!」


彼の吶喊に気付いた戦士長が振り返るのと、補助軍騎兵から投擲された槍によって、ガリア戦士長の護衛騎兵がまとめて落馬に追い込まれるのとが、全くの同時だった。そこを、抜刀姿のティベリウス・オタキリウスが斬り込んだ。


「……!」


一瞬のことだ。こうも早い段階で、ガリア側の指揮官が抹殺されるとは、誰も思っていなかった。だが、間違いなくガリアの戦士長の首が、まるで競技で用いる球のように、ころりと地面に転がっている。それを勢い余ってサムニウム族長の弟の馬が蹄で蹴飛ばし、さらに宙を舞っている光景は、誰もが唖然とするものだった。だが、呆けずに事態を受け入れている人間は、少数ながらもいた。アムリウスがその一人だった。


「早期に指揮系統を麻痺させるのは常套手段だが、こうも速攻で決めてくれるとはね。これならユリウスも戦力を削られることもなさそうだし、手間が省けるってね。……弓箭兵、掃射開始! ウェリティスは後退、ハスタティ、前進! トリアリィはハスタティの後ろから接近開始だ!」


浅瀬を渡り切ったユリウス家の軍勢が、ガリア軍の戦列を破壊する。ガリア軍の陣形は全体的に間隔を開けているが、これは長剣を扱うためで、各人の戦闘能力に依存している。そして、それを支えるのは強者の代表ともいえる戦士長だ。その戦士長という箍が外れた以上、戦列崩壊は当然の理である。しかし、歩兵は引き下がっても騎兵は引き下がらない。彼らは身分の高さからくる名誉心と矜持が強い。騎兵というより騎士と呼ぶべきなのかもしれない。


「……まだだ!」


ガリア騎兵団は壊走する味方の歩兵を避けながら、ばらばらになってユリウス家のハスタティに向かって突撃する。それぞれが大質量の物体だ。散らばっているとはいえ、この蛮族の猛進する姿は、若い兵士たちには恐ろしいものだ。


「はぃやあああああああ!」


衝撃が、真正面から伝わる。戦友たちが衝突で弾き飛ばされ、恐慌状態に陥るのも当然だ。だが、それを防ぐ術をユリウス家は確保していたのだった。


「ここは我らに任せよ、若い衆!」


ハスタティの背後に控えていた熟練兵たるトリアリィが前進し、ハスタティたちを庇うようにハスタという名の貫通鎗を繰り出した。資産と体力の関係上、最も重装甲で最も装備が少ないのがトリアリィである。ハスタティやプリンキペスのような運用法はできず、専ら迎撃に用いられることが多い。しかし、彼らの持つこの歩兵用の鎗は、騎兵には絶大な効果があった。ハスタティを蹴散らしていたのも束の間、逆に蹴散らされる立場に追い込まれたガリア騎兵は、それでも前進しようとする。しかし、最早進むことも後退することもかなわなかった。オタキリウスの騎兵が、突撃体勢を整えて疾駆していたからだ。


「これで止め! 突撃!」


悲鳴と怒号が交錯したが、それも一瞬で終わった。次の瞬間には、ローマ軍兵士たちの勝利の歓喜で戦場が覆い尽くされていた。


ガリア軍を壊滅させた最大の功績者オタキリウスは、アムリウスへの挨拶もそこそこに、ローマに急いでいた。元老院への報告と、シチリアへの援軍参加を、一刻も早く実行しなければならなかった。
軍勢をネアポリスに向かわせ、自身は弟と護衛数人でパドゥスからローマに向かう。その道中、舗装道を馬で疾駆しながらオタキリウスは弟ティベリウス・オタキリウスに言葉をぶつけられた。


「しかし兄さんは、お人よしだな。父さんを殺した男を、よく友人と思えるなんて。」


何度も聞いたな、とオタキリウスは思う。これまでは曖昧に回答していたが、今度ばかりは本気で返答する必要がある。彼は、戦場ではやたら古風な言い回しに変わる弟に向け、口を開いた。


「あれはドゥルーススが殺したのではない。ローマとの戦争が殺したのだ。ドゥルーススはローマ人としての務めを果たしたに過ぎん。」
「個人的な感情を捨てろって言うのかよ。そりゃ、俺だって今はローマには悪い感情をそんなに持ってない。あの男の兄貴には世話になったし感謝もしてる。おかげで、同じ名前まで貰ったさ。サムニウムの人間も無駄に殺されずに済んでるし、むしろ守られてる。けど、恨みだけは忘れられない。そんなもんだろ、人間は。」
「それを克服するための合言葉だろう。教えたはずだ。」


道行く人は、歩道を歩いてくれている。馬が余計な障害物にぶつかることもなく、減速することもなく、二人は会話に集中できた。だからこそ、ティベリウス・オタキリウスが呆れた調子で口を開くこともできたのだった。


「『プロ・ローマ、プロ・レス・プブリカ』か? よくできた言葉さ。いつかは忘れさせてくれるかも知れない、いいお題目だよな。けど、いくら恩人の言葉だからって、理念とかいう下らないものに振り回される身にもなってもらいたいもんだね。」


やたらと尖った態度を見せている。だが、兄であるオタキリウスは、子供じみた発言の裏に、ローマを嫌う思いとローマを受け入れたいという思いが屈曲し、割り切れなくなっていることを見抜いていた。それを、無理やり歪曲してドゥルーススにぶつけているだけである。だが、これは理の問題ではなく、感情の問題である。感情は、理だけでは押しきれない。時間をかけて感覚的に納得していく必要がある。


「……今はドゥルーススのことは置いておけ。ピュロスを撃退してから怒声でも何でも浴びせるがいいさ。それくらいの度量はドゥルーススとて持っている。」
「子供じみた男だって聞いてるけどな?」
「お前よりマシだ。」


この一言でティベリウス・オタキリウスを脹れっ面にして沈黙させた彼の兄は、馬を加速させてローマへの道を急いだ。


ローマの市内に入ったオタキリウス兄弟は、そこにいるはずのない人物の顔を目にすることになった。ティベリウス・クラウディウス・ポンピリウス・ネロだ。シチリア方面軍第一軍団付属機動部隊長として派遣されたというのに、何故かローマでトーガを纏っている。軍装を解かないままのオタキリウスは、ティベリウスの顔を見るなり慌ただしく口を開いた。


「ティベリウス殿。シチリアはどうなされた。」
「今スキピオ軍とローマ本軍が、エペイロス軍とカルタゴ軍を敵に回して睨み合いだ。厄介なことになった。それで、報告と貴公の出迎えをな。元老院に援軍要請をしたい。口添えを頼むために待っていた。」


わけがわからない。同盟関係ではなくとも、貿易権を結んでいたはずのカルタゴが敵とはどうなっているのか。オタキリウスが説明を求めて詰め寄ったのも、当たり前でありすぎた。


「カルタゴが敵!? 何が起きているのです?」
「どうやら、メッサナがローマに鞍替えしたことが、カルタゴにとって気に食わないらしい。メッサナの確保は元老院からの命令で実行していること。それに、覇権が移行しているともカルタゴ軍には伝えたのだが、無視された。今のところカルタゴからは直接攻撃を受けていないが、どうもエペイロスの後背を固めているような陣形を布いていたと、弟は言っていた。何とか第一撃を食い止め、現在は夜襲のみに留めている。オタキリウスのサムニウム支援部隊が加わらなければ、本格的な戦闘を始められん。」


自分たちの価値を認めてくれるのはありがたいが、ここまで戦線が絶望的な状況だとは思っていなかった。だが、ここで口を差し挟んだのはサムニウム族長の弟だった。


「どっちにしろ、やることは一つしかないんじゃないですか? 放置したら敵軍がローマに直撃するし、サムニウムだってあっさり蹂躙されるだけさ。俺たちが行くしかない。そうだろ、兄さん。」
「……ああ、そうだな。ティベリウス殿、私も貴方と演壇に立ちましょう。ティベリウス、お前は待っていろ。」


同じ名前の人間が身近にいるとややこしいな、などと思いながらオタキリウスが言葉を紡ぐと、彼の弟は頷いて口を開いた。


「わかった。おとなしく待ってる。」


護衛と弟を残して、オタキリウスはクラウディウス家の養子の男と共に、議会が開かれているマルス神殿に足を向けた。今回の議会はティベリウスが有力議員を狙い撃ちするように書簡を送り、無理やり開かせたのだ。大貴族たるクラウディウス家の威光を振りかざす行為は、養子である彼にとって実行したくないはずだが、今回ばかりはせざるを得なかった。ピュロスだけならまだしも、ハミルカルまで加わっている。無理を押しとおしてでも、元老院を動かすしかなかった。
だが、その状況を理解しない議員も、やはりいる。マルス神殿でティベリウスと挨拶する議員たちは、一言ずつ付け加えてから席に着いたものだ。無論、彼らはティベリウスの書簡の内容は知らない。知っていれば、無遠慮な発言などありえなかった。


「ティベリウス殿。戦線を放り出してどうなされた。」
「我がままばかり言う弟から、逃げ出したくなったのですか?」
「クラウディウス家のクリエンテスが控えていることは承知ですが、あまり無理を押しとおしてはクリエンテスも見捨てるかもしれませんよ?」


ティベリウスは、現状を何としても理解させる必要に迫られていた。じりじりとした苛立ちを感じ取ったオタキリウスが、ティベリウスの肩を叩く。


「ティベリウス殿。私も援護いたします。どうか、お気を鎮めてください。」
「む……。」


というわけで、緊急の報告会が開かれる。どうにもやる気のない雰囲気が漂っていたところに、「エペイロスとカルタゴの両方を敵に回すことになった」という報告が流し込まれると、議会の色が塗り替えられるように騒然となった。ざわめく議会の中でも通るような声で、ティベリウスは淡々と報告を続けた。


「……我らローマの旗色はよくない状況にある。まず元老院議員諸君には、現状を知っていただきたかった。そこでだが……。」


しかし、通る声のはずなのに、議員たちは耳を傾けているように、オタキリウスには感じられなかった。


「もうだめぽ。ローマオワタ……。」


頭を抱えながらそう口にした議員に、ティベリウスは流石に声を張り上げたものだ。


「諦めて如何するか! そのための対策を練るために私はシチリアから戻ったのだ!」


別の議員は現実逃避するように、ティベリウスからはうわ言にしか思えないことを口から吐き出していた。


「いおりんの儀式マジ最高!」
「関係ない発言は慎んで頂きたい!」


普段はそれなりに対応できる組織のはずなのに、4年前には天才一人のために引っ掻き回されていた。今度は、それが二人に増えただけだというのに、もう国が滅びたようにパニックを起こしている。ティベリウスは再び、そのよく通る声で議場の空気を鎮圧すべく、口を開いた。


「議員諸君、私もその気持ちは理解できる。だが、ここで引き下がって何とするか。我らローマは、ローマのためだけに戦っているわけではない。ローマ以外のラテン人を、エトルリアを、ウンブリアを、カンパニアを、サムニウムを、その他にも多くの部族を抱えていることをお忘れか。
我らが祖たるロムルスが、何のためにサビーニの娘たちを略奪したのか。第三代の王トゥルス・ホスティリウスが、アルバ・ロンガを征服した際に、ユリウス一門を含む多くの有力者を元老院に加えたのは何故か。それは、勝者も敗者も共に生きることを、我らローマが歩むべき道として指し示していると考えるべきである。
以降我らは敗者を隷属せずに、優れた人材を元老院に加えてきたではないか。この場にいるオタキリウス殿は、サムニウム人という障害を乗り越えて、我らにとってかけがえのない人材となったではないか。今はただ守られるだけのメッサナからも、いずれは優れた人材を輩出することになろう。未来のローマを支えるはずの土地を、奪われぬように戦うのが我らローマであろう。今メッサナを守らずして、どうするのか。逃げ去ることは、フィデスに背くことである。フィデスに背けば、ローマから勝利は去るであろう!」


これで、とりあえずは黙ってくれた。だが、決定打に欠ける。それを看て取ったオタキリウスが、自分の席から発言した。


「勝算が、全くないわけではないでしょう。今シチリア方面軍は撤退せずに夜襲を続けていると、ティベリウス殿が報告したばかりではありませんか。戦力さえ削れば、勝機はあります。私もすぐにシチリアに向かいます。しかし、敵は強大です。ですから、彼らは援軍を求めているのです。ここで応じずに、何時応じるというのですか。黙って見過ごせば、壊滅的な被害を受けることになります。それは、ローマの死とも直結することになるのですよ?」


しかし、議員たちからは歯切れの悪い調子で口を開く者もいた。


「だが、カルタゴと敵対することになったのは、勝手に行動した貴公の弟君の責任では……。」


ティベリウスは、その反論すら許さなかった。自分たちは本国にいるだけだというのに、前線で戦いながら葛藤する弟や、クイントゥス、プロデウスたちのピュロスと対峙する危険という名の苦労を知らずに物を言うことが、彼には許せなかった。


「メッサナを確保する時点で、カルタゴ軍も動くことを想定できなかった、我らローマ指導者層全体の責任である! 今は責任の擦り合いをしている段階ではない!」


ティベリウスの一言で、この議員の発言は一瞬で切り捨てられた。沈黙が降りた議場を、ティベリウスは言葉で逃げ場がないように縛り上げ、包囲する。


「……援軍の要請をさせて頂く。できることなら、エクイテスを補充したい。奇襲、強襲が主体である以上、機動力を何としても確保したい。」


議員たちも、黙って頷く以外、することがなかった。スキピオ軍がほとんど出払っており、ユリウスとブルトゥスも防衛線維持に戦力が必要である以上は、ローマ本軍から分与するほかなかった。議会は、エクイテス2部隊、ハスタティ2部隊をシチリア方面軍に加えるという結論で、散会となった。


日が暮れたローマの街を、クラウディウス邸に向かうべく、ティベリウスとオタキリウスが歩いていた。疲れたように、ティベリウスはオタキリウスに言葉を向ける。


「……オタキリウス殿、すまんな。」
「何がです?」
「ローマの議員たちも、普段はあれで有能なのだがな。天才二人が敵となると、恐慌状態に陥ってしまう。すっかり醜態を晒してしまった。」


参ったものだ、という調子でティベリウスが口を開くと、オタキリウスは首を横に振って応じた。


「無理もありませんよ。私も恐ろしくてたまりませんから。」
「我らには、オタキリウス殿のような人材が必要なのだ。ローマの中央から離れていても、ローマの精神を理解する人間が増えつつある。ローマを担うべきは、貴公のような者だと私は思っている。」
「ティベリウス殿とて、ローマを担うに相応しいと思いますが。」


オタキリウスの言葉に、彼は首を縦には振らなかった。沈鬱な調子で、ティベリウスは言葉を返す。


「私など所詮中継ぎに過ぎん。それに、自分の限界も知っている。私には議会に揺さぶりをかける程度の力しかない。今回は、それが悪くない程度に機能しただけのこと。ローマを背負うのは、私以外の誰かであろう。」
「…………それが私だと仰るのですか?」
「貴公のみでもあるまい。スキピオ家からもユリウス家からも、ブルトゥス家からも出るだろう。だが、中央の人間が衰退することは間違いなかろう。」
「そんな弱気な。」
「他者と融合するとは、そういうことだ。融和するたびに周囲から新たな人材が取り込まれる。競争すべき人間が増えれば、当然中央の人間の比率も低下する。時間が経過すればするほど、元の勢力が衰退するのは当然の理だ。そもそも、私をローマの代表者のように貴公は目しているようだが、私とて先祖をたどれば父も母も共に、サビーニ人の血を引いているのだからな。」
「……!」


オタキリウスは絶句するしかなかった。確かに、ティベリウスの父の家系ポンピリウス家はサビーニ人の王、ヌマが源流であり、母の家系クラウディウス一門も共和制になった頃にローマに移住したサビーニ人が先祖である。目の前にローマの融和の見本があるとは、オタキリウスには信じられなかったのだった。


「融和の代償が、貴公の目の前にあるのだ。それでもローマは融和をやめてはならん。それがローマらしさなのだからな。」


すたすたと街路を歩むティベリウスを見遣るオタキリウスは思う。ローマを憂慮し、自らを信頼する男がいる。期待に応えたい気持ちが抑えられない。サムニウムのためにとローマに取り込まれる道を選んだが、この気持ちは何なのだろう、と。


彼は、取り込まれた敗者故の思いから、誰にも相談できなかった。ローマの人間にも、サムニウムの人間にも、弟のティベリウス・オタキリウスにさえも、できるわけがなかった。

「私は、何を目指すべきなのだろうな。父上なら、答えを教えてくれただろうか。」

だが、オタキリウスは首を横に振った。死者に問うても応えは返ってこない。幾度となく吐いただろう溜息を、彼は深々とせざるを得なかった。




15 最も長い一年(Ⅵ) 揃う手札、生じた綻び



海辺でオタキリウスとティベリウスは、数キロ先にあるシチリア島を眺めていた。こうまで近場にあるというのに、向こう側に渡るのが容易ではなくなっていた。


「たったこの程度の距離だというのに……。」


シチリア島での戦闘が始まってから、既に一カ月半が経過している。シチリアに残った軍勢が仕掛けた夜襲の回数も、6回に及ぶ。その間、ついにカルタゴ軍が動き出した。彼らがしたことはメッサナ港の封鎖であり、ようやく編成できたローマ海軍への迎撃だった。相変わらず、陸戦を仕掛けたがらない。

だが、これが大きな痛手になっていた。ティベリウスとオタキリウスらが率いる援軍を、安全に送り届けられる保証がなくなってしまったのだ。ユリウス家とオタキリウスがガリア軍を撃破したことは、既に連絡していた。だが、せっかく元老院からの援軍を調達できたというのに、これでは全てが水の泡だ。

しかし、このまま手を拱いてもいられない。カルタゴ軍が海軍で攻撃し始めたということは、エペイロス軍と歩調を合わせ始めたということでもある。しくじれば、陸上でも連携して攻撃しかねない。


「いくしか、なさそうだな。オタキリウス殿、全軍に出撃準備を。目的地は、メッサナより5キロ南方の海岸だ。封鎖網を破るのは不可能だからな。」
「了解しました。しかし、敵が襲ってきた場合は?」


オタキリウスの張りつめた口調に、ティベリウスも似たような調子で返した。


「白兵戦を挑むしかあるまい。敵船に乗り移って制圧する以外、勝ち目はなかろう。」


この当時の海上戦闘とは、船首の海面下に設置した衝角を敵船の側面に叩きつけて沈没させる、というものだ。でなければ、陸戦と同じく白兵戦である。衝角を叩きこむには、何時吹くかわからない気まぐれな風の動力ではとても足りず、オールで加速する必要があった。だが、ローマ軍に海軍が設立されてから、まだ2年でしかない。
これが問題で、ネアポリスやクロトンの住民の協力の下、どうにか前進こそできるが、歩兵のように隊列を組んで船を突進させることが、まだできなかった。これではいい的だ。事実、メッサナを封鎖しているハミルカルに挑んだローマ海軍は、悉く沈没させられている。


「夜陰に紛れて、という手もありますが、こちらは不慣れな船員ばかりですしね。失敗すれば座礁、沈没のフルコースは間違いないでしょう。ならば昼間はというと、ハミルカルが待ち構えている、と。正直、参りますよ。」
「腹を括れ。数キロ先の岸にたどり着くか、海の藻屑になるかの二択だ。退転という選択肢は存在しない。さあ、出港だ。」


退転とは、シチリアの友軍を見殺しにするということだ。それだけは許されない。それは、ティベリウスもオタキリウスもはっきりと認識していた。当然ながら、兵士たちもそれは理解していた。
異を唱える者は、誰一人として存在しなかった。


出港した船の上で、ティベリウス、オタキリウスは別々に海の彼方を眺めていた。言うまでもなく、敵船を確認するためだ。たった数キロとはいえ、襲われる危険を冒すことに変わりない。その不安が、ティベリウスの目の前に現れた。


「岩陰から敵船発見しました! 船体形状、旗を確認したところ、ギリシア船と思われます! 接敵まで10分程度の距離です!」
「ギリシア船だと!?」


カルタゴ船でも十分絶望的だが、ギリシア系は最悪だった。ギリシアの船乗りは地中海のいたるところに存在し、海上運送市場から海軍力まで、ギリシア系が制していたほどだ。それ故にギリシア人とフェニキア人は仲が悪かったのだが、今は両方ともローマの敵だ。海に慣れぬローマと、数百年に渡って海に慣れ親しんだギリシアでは、勝負にならない。


「む……騎兵戦力を優先して中央に移せ。できる限り戦闘員を確保するのだ。」


ところが、不思議なことが起きた。ギリシア系の船は、彼らの存在に気づいていたにも関わらず、そのまま無視してシュラクサイの方向へと滑り去って行った。ティベリウスの発した警戒態勢は、無意味と化す。さすがのクラウディウス家の男も唖然としていたが、メッサナ近くの海岸に到着したことを確認すると、輸送していた部隊を降ろすことにした。その光景を眺めながら考え込む。


「何故攻撃してこなかった? 我々がいくら塊になって移動していたとしても、ギリシア船なら我らを沈没させることは容易いはずだ。だが、攻撃しなかった。それは、攻撃するデメリットの方が大きいということだ。デメリット……。」


そこに、同じように自らが率いている部隊を降ろしつつあるオタキリウスがやってくる。彼もまた、何か考える。この山岳民族の長も、ティベリウスに相談を持ちかけに来たのだ。


「ティベリウス殿。敵が攻撃してこなかったのは、『攻撃しなかった』のではなく、『攻撃できなかった』、と見るべきでしょうか?」
「貴公もそう思うか。……答えはおそらく、連中も我らと同じことをしていた、ということなのではないか。」


ティベリウスの返答を聞き、オタキリウスは軽く顎を撫で、言葉を紡いでいく。


「つまり、敵も戦力を新たに調達したと、そういうことですか? ただ、それなら歩兵の場合は白兵戦に、散兵や弓箭兵なら射撃戦に、それぞれ動員できたはずですね? 多少兵力は減りますが、こちらを殲滅するのはより容易になったはずです。これもまた、『しなかった』のではなく、『できなかった』という論法で考えると……輸送していたのは白兵戦にも射撃戦にも向かない部隊……?」


船上で白兵戦も射撃戦もできない陸上戦力とは、バリスタやオナガーのような組み立てに時間がかかる大型攻城兵器か、そうでなければ一つしか存在しない。クラウディウス家の養子の男は、苦々しい顔で言葉を吐き出した。


「騎兵戦力、か。厄介だな。」
「テッサリア騎兵でしょうか? それならドゥルーススが対処できますよね? ティベリウス殿のお話では、シチリア島での戦闘でテッサリア騎兵はドゥルーススが率いる騎兵隊に、散々に追い散らされているというではありませんか。」
「わからんぞ。今回補充された兵力は、ドゥルーススの恐ろしさを知らん。弟の作戦は、奇策によって敵の恐怖心を煽り、戦意を維持できなくなるように仕向けるものだ。だが、この作戦は、新たに戦場に呼ばれた者には無意味だ。恐怖とは自然感染するものだが、自らが体感したものの方がより強く恐怖を感じる。これでは、奇策の効果が半減することになる。時間をかけて行うべき作戦なのだよ。」


ドゥルーススの作戦が、自らの体験によって作り出されたものであることを、ティベリウスは知っている。ティベリウスがホンピリウス家に置き去りにしてきた弟にとって、空気を読むことや人気取りは下手でも、恐怖心と嫌悪感を煽る手立ては知り尽くしたものだった。このシチリアで展開された作戦も、その一環に過ぎない。そして、その脆弱性と欠点を、この兄弟は把握していたのだった。


「そういうものでしょうか。ただ、ハミルカルが動いているとなると、決戦も急がねばならないのでは……。さすがに両方を同時に相手取るのは危険ですから。」
「『ゆっくり急げ』か……。」


溜息混じりにティベリウスが呟くと、二人とも気が重くなってきた。今回は、作戦立案者に多大な負担を与えることになる。いかにして立案者にヒントを提供できるか。それが最大の課題だった。だが、断片ですら思い浮かばない。今は、兵力と推測できる限りの意見を、メッサナに送り届けなければならなかった。


メッサナにある統治者の邸宅では、パピルスと睨み合いをするクイントゥスと、彼に向き合うように座りながら貧乏ゆすりばかりするようになったドゥルーススの姿が目立つようになっていた。二人とも、表情に余裕がない。指揮官たるクイントゥスには、ピュロスが相手というだけでも十分大問題だというのに、ハミルカルまで動いては、悩む以外のすることがなくなってしまった。

クイントゥスは攻めの人材であると同時に、堅実な指揮を行う人材でもある。相手が天才でなければ、崩れかけの陣形を立て直すのならば、崩れた陣形を徹底崩壊させるのならば、十分に強い。しかし、今回は状況が悪すぎた。

一方のドゥルーススはというと、パピルスの地図と現状報告を交互に見遣り、焦っている。作戦に必要な物資が、届かない。ハミルカルに海上封鎖されているのだから、当然と言えば当然だ。彼がソチエタスに掛け合ったのも、この物資のためだった。
糧秣は、シチリアでの買い占めで事足りた。剣、弓、貫通鎗などの武器、スクトゥムをはじめとする盾、鎖帷子のロリカ・ハマタ、カリガなどの防具、矢、ピルムなどの射出兵器、垢すりたるストリジル、布、衣服などの生活必需品、つまり消耗品はまだある。だが、「特殊攻撃物資」が届かない。「あれ」がなければ、意味がない。

沈黙してしまうのも、無理はなかった。この沈黙に耐えられず、クイントゥスが口を開く。


「……ドゥルースス。何か言え。」
「ごめん、今何も言えない。」
「思考が煮詰まった。」
「僕だって同じさ。糧秣他は購入という形で現地調達できるとはいえ、兵站線を見事に絶たれて焦ってる。今冷静に判断できるわけないじゃん。だから、何も言えない。ろくなこと、多分出てこない。」
「……すまん。」


この遣り取りが、何度繰り返されただろうか。そんなことを各々が考えながら、シチリア方面軍上層部は、ここ一ヶ月間はハスタティたちに訓練を施している。いつかは起きる決戦のために、だ。手合わせのためにと革を巻き付けた剣を振るい、首席百人隊長たるプロデウス自らが剣術師範となっていた。若き兵士たちで構成されるハスタティたちにとっては鬼教官以外の何物でもなかったが、それでも何となしに情を感じていた。

百人隊長とは、兵士たちにとっては父であり兄である存在である。プロデウスは見事にそれを実践して見せていた。だが、自らのパトローネスの苦悩を自らのものとして受け取る彼は、心ここに在らずという状況であった。


「この状況、誰であれ悩む。打開策を何とかして導き出さなくては。」


だが、歩兵隊長であるプロデウスには、訓練を施す以外のことができなかった。所詮自分は包括的視野に乏しいものなのか、と思いもする。だが、天才が相手である以上、誰であれ絶望感に駆られるのは当然だ。彼も型通りの作戦で行動するローマの将故に、悩んでいたのだった。

そんな中、待ち望んでいた人々が到着した。ティベリウスとオタキリウス、そしてサムニウムとローマ本国からの援軍だ。メッサナ市街とその周辺で待機していた兵士たちが、歓喜の雄たけびを挙げている。その声を聞けば十分だった。報告を待つまでもなく、クイントゥスたちローマ軍首脳部は、メッサナの街中へと走り出していた。


「兄者! マニウス! よくシチリアに来られたね? 待ってたよ!」


幼い笑みが、ドゥルーススの顔に戻ってくる。最も信頼する友人たちや兄が揃ったのが、余程心強いらしい。だが、彼は即座に姿勢を正し、クイントゥスの通り道を開けた。クイントゥスも、変化に乏しい表情を綻ばせ、両腕を開きながら友人にして信頼する指揮官二人を出迎えた。


「ティベリウス殿、マニウス。貴方がたを待っていた。これでようやく戦局を動かせる。」


このシチリア残留組二人に比して、援軍組の二人は堅く暗い表情のままだ。まずは、とティベリウスが援軍組を代表して口を開く。


「……何とか辿りつけた。だが、よくない報告がある。すぐに軍議を開きたい。よいか?」


何かあったのか、と察したドゥルーススが、クイントゥスに向かって言葉を紡いだ。


「クイントゥス、訓練中のプロデウスを呼び戻して。歩兵の総元締めがいないと始まらない。五人で会議を始めよう。」


また承認だけか、とクイントゥスは思ったが、そのようなことを考えている暇はない、と思い直してから口を開いた。


「わかった。呼びに遣ろう。」


そこでオタキリウスの陰に隠れていたのか、一人の男が口を差し挟んだ。


「俺の存在は無視するのか? これでも指揮官の一人なんだけどな?」


クイントゥスとドゥルーススにとっては、初めて目にする男だ。顔立ちの基本構造はオタキリウスに似ているが面長で、体つきがしなやかだ。それに、よく言えば新鮮で、悪く言えば生硬な雰囲気を漂わせている。


「突っかかるなと言っておいたはずだぞ、ティベリウス。」
「兄さんは人が良過ぎると、俺も言っておいたはずだけどな?」


この遣り取りから推測する限り、どうもマニウス・オタキリウス・クラッススの弟らしい。一通りの教育も訓練も受けているらしいが、クイントゥスの目には経験不足に感じられた。だが、構わずにオタキリウスの弟は言葉を撒き散らした。


「先に言っておきたいことがある。俺はローマのために戦うことにしてる。それでサムニウムが守れるなら、それに越したことはないからな。けどな、どうしたってそこの男の指示には従えないぞ。俺はあんたが父を殺したことを忘れてないからな。」


あれだけ言うなと言っておいたのに、という顔をしたオタキリウスを見て、ドゥルーススは左の目頭を軽く、左の中指で一撫でして自分を落ち着かせる。そして、自分を指差す男に視線を向けてから口を開いた。


「基本的にそれでいいと思うよ。僕がマニウスや貴方の父を手にかけたのは事実だし、マニウスが許してくれたのも不思議なくらいさ。ただ、現場で緊急事態が起きたとき以外、指示を出すのは僕じゃない。最終判断はクイントゥスがすることだから。それから、緊急事態なら聞いてくれないと困る。僕は貴方を死なせたくない。それだけは覚えておいて。」
「心にもないことを言ってて、楽しいかよ?」
「一応、本心のつもりだけどね。どう思うかは、貴方の判断に任せるしかないね。……時間が惜しい。作戦会議を早く始めよう。六人でね。」


先ほど口にした人数より、一人増えている。オタキリウスはぎょっとしながらドゥルーススに向かって言葉を放った。


「まさか、我が弟を加えるつもりか?」


だが、シチリア方面軍の副将は、何でもないように言い返したものだ。


「うん。連絡で見たけど、ティベ君ガリアの指揮官を討ち取ったんでしょ? それに、指揮だって経験済みだ。補助軍騎兵を指揮できる人間が必要だったから、丁度いい。それに、本人もやる気らしいから、会議に加えてもいいと思うけど? クイントゥス、どう?」
「……いいだろう。許可する。」


ティベ君と呼ばれる筋合いはない、と叫んでいる男を無視し、少々苦々しい顔で、クイントゥスが許可は出した。全員がそれを聞いたのを確認すると、首脳陣の面子は一刻も早く作戦会議室に向かうべく、早足で街路を踏みしめた。


「それで、だ。ティベリウス殿、報告とは?」


クイントゥスの問いかけに応えるべく、クラウディウス家の男はゆっくりと、はっきりした調子で言葉を紡いだ。


「我々はここに来る途中、ギリシア系の船を見かけた。おそらくはエペイロスの船だろう。彼らは我らの船を確認できる位置にいたにも拘わらず、シュラクサイの港に向かって行った。何ら攻撃せずにな。私とオタキリウス殿が相談した結果、騎兵戦力を輸送していたのではないかという結論に達した。」


クイントゥスは、思考の経過を聞かないことにした。彼らの判断は、信頼に値するものだ。自分もその場にいれば、同じ判断を下したはずだ。そう考えながらスキピオ家の後継者は口を開く。


「騎兵戦力か……。迎撃可能な部隊は、ドゥルーススの騎兵隊、ティベリウス殿のトリアリィと、補充されたエクイテスくらいなものか。」


現存戦力と援軍の配分を考えつつ、ドゥルーススも発言する。


「敵の騎兵が増えた以上、第一軍団と第二軍団の騎兵バランスを考えて両翼を保護しないと。……補充されたエクイテスは、兄者の部隊に編入した方がいいね。兄者、騎兵指揮の方が得意だし。マニウスとサムニウム支援部隊は予定通り、第二軍団に編入する。ついでに補充ハスタティもこっちかな。第一軍団は兄者の部隊に戦列兵が大勢いるから何とかなるけど、第二軍団には足りないし。ただ、明らかに部隊数が20を超えるから、僕が今まで率いていたガリア騎兵とエクイテス、それからティベ君の補助軍騎兵をまとめて第二軍団付属機動部隊にしたほうがいいかも。第二軍団本隊の指揮は、マニウスに任せようかな。僕にはガリア騎兵をコントロールする仕事があるわけだし。」


俺はあんたと一緒に戦えないぞ、という弟を再び無視しながら、オタキリウスは驚いたように言葉を紡いだ。


「私が第二軍団の指揮官ですか!?」
「うん。ただ、立場は僕の副官ね。一応、僕が全体の副将ということになってるし。」


クイントゥスもこの提案には驚いたが、否やはない。それどころか、全面的に支持することにした。


「マニウスは既に指揮官として十分な力量を有している。重装歩兵の指揮も、任せていい水準だ。有能な人材を、射撃部隊指揮官に留まらせるのは惜しいからな。」


それを確認したドゥルーススが、兄のティベリウスとプロデウスの方に顔を向け、言葉を差し向けた。


「ティベ君は文句ないだろうけど、兄者とプロデウスは?」
「問題ない。」
「異議ありません。」


まずは決定した、と見るや、クイントゥスの方に向き直ったドゥルーススが、次の問題を引き出すようにと、総指揮官を促した。


「で、今後の方針だけど。クイントゥスはどう考える?」
「……総攻撃をかける。」


この言葉に四人が頷き、一人が硬直した。硬直したのは、誰あろう総指揮官の副将、その人だった。彼は硬直の呪縛から逃れるように、震えた調子で問うた。


「……今、なんて?」


クイントゥスは、あくまで淡々とした調子を崩さずに、同じ言葉を繰り返した。


「総攻撃だ。戦力が整った今、攻撃する以外ない。」


困ったような笑みを浮かべながら、ドゥルーススは何とか声を捻り出し、意見を述べる。


「ちょっ、ちょっと待って。今総攻撃をかけても、犠牲が出る可能性が高い。今は奇襲で疲弊させるのが先だ。」


しかし、クイントゥスも退かない。今の兵力ならば勝てる、という考えであるのも確かだが、ドゥルーススの意見ばかりを通すのも問題がある、と感じた部分もある。いつになくクイントゥスは、むきになっていた。


「エペイロスとカルタゴが協調しつつある今、それも無効化されよう。そうなれば、結局大被害を受けることになる。それに、奇襲で疲弊させるといったところで、我らの騎兵も擦り切れるのは変わりない。違うか?」
「それはそうだけど。でも、まだ始まって一カ月半だよ? 確かに僕も焦っていたよ? でも、二人やティベ君が来てくれたから、やりようはあるはずだ。ここは期限いっぱい使って戦うべきだと思う。早いに越したことはないけど……。」


その言葉尻を奪うように、クイントゥスは口を開いた。


「早いに越したことがないなら。犠牲も少なくて済む。違うか?」


だが、この幼い男は周囲の四人も見ずに、クイントゥスに向かって言葉を吐き出すように言ったものだ。


「最後まで言わせて。早いに越したことはないけど、早過ぎても犠牲が増えるだけだよ。お願いだから思いとどまって。」
 

ドゥルーススに同調する人間は、この場にはいなかった。敵に新たな騎兵戦力が補充された以上、そしてローマ側にはそれ以上の戦力が手に入った以上、決戦を早める必要があると、残る全員が考えたからだ。それでもドゥルーススは反論し続ける。


「あの、もう忘れた? 僕たちは確かにピュロス相手にダメージは与えている。でも、一度として正面から戦って勝った試しはないんだ。もっと慎重になって。」


その彼に反駁したのは、彼の兄だ。静かな調子で、言葉を投げかける。


「だがな、ドゥルースス。いつかは正面から戦って勝つ必要がある。勝てるかどうかではない。勝たねばならんのだ。」


冷静なはずのティベリウスまでこの調子だ。ティベリウスも、最初は反対するつもりだった。だが、総指揮官たるクイントゥスの言も尤もだと感じた。今打開せずに、何時打開すればよいのか、と。だが彼の弟は、自分の冷静さすら失われていくのを感じつつも、抗い続けている。


「勝算を考えて。確かに援軍が追加されて、兵力も勝算も向上したよ。でも、まだ確率が10パーセント向上したかどうかなんだ。しかも、それは正面から戦わない場合の話で、真っ向勝負なんかしたら、勝算はゼロに等しいんだよ。いや、敵も騎兵を追加したらしいから、ピュロスが本気で速攻でも仕掛ければ、こちらの増えた人数の分だけ打撃が増えるはずだ。」


だが、その彼に追い打ちをかけるように、オタキリウスも口を開いた。


「ドゥルースス。マイナス思考が過ぎないか? 今は背景となる力が十分にあるのだ。もう少し仲間を信じるべきではないのか?」


信頼する友人の声に向かって、叫びたくなった。何故わかってくれないんだ、という色を滲ませながら、幼さを纏う男は気力を振り絞るように反論し続ける。


「マイナス思考? 戦場ではあらゆる最悪の事態を考えなければ勝てないんだってば。仲間を信じていないわけじゃない。ここにいる人間を守りたいから反対してるんだ。」


しかし、その彼に止めを刺したのはプロデウスだった。


「副将殿。貴方の言うことも確かだと私も思います。ですが、貴方は我がパトローネスに意見を求めた。そこで、反論を即座に入れましたね? その理由の口述を中断させる形で。それはマナー違反です。マナー違反を一度犯せば、貴方の意見がどれほど素晴らしいものであっても、誰も受け入れなくなる。その結果が今の状況です。今は、正面決戦を展開するための作戦を考えるべきではないかと。」
「でもそれは感情論……。」


最後の気力を放とうとしたが、そこで自分の状況に気付いた。今まさに自分が口にした、「感情論」を自らが行おうとしている。それに、確かにどこかで正面から戦う必要もある。現状を、受け入れるしかなかった。


「……いや、やめよう。今の僕も感情でものを言っている。わかった、正面から戦おう。」


ふう、と一息吐いてクールダウンするように自らに言い聞かせ、彼は続けた。


「それで、どう展開するかだけど。」


そこから先は、戦術レベルの相談だ。それぞれが得意分野を持ち寄って、考案する。結果、以下のような手法で挑むこととなった。
会戦を挑むとなれば、ピュロスは絶対に受けてくる。ここは、両翼から騎兵を進めて、左右から側面突破するしかないと判断した。しかし、それだけでは手を打たれることは間違いない。そこで、同時に補助軍騎兵を使って敵騎兵の一部を撹乱して、突破する。その間隙からピュロスを攻撃するのだ。天才といえど、死すべき運命にある人間のはずである。エペイロスの要たるピュロスに攻撃を加えて、敵の戦線全体を麻痺させる。これにより、側面突破の効果が増大するはずだ。
これは、基本的な作戦だった。基本的な作戦の方がローマ軍は動きやすいのだから、ローマ軍にとっては効果的な戦法ではある。

しかし、彼らは肝心なことを二つ忘れていた。その戦い慣れた手段の弱点を突かれて二度も大敗を喫していることを、そして、補充された騎兵の特性の調査を、だ。どちらにしろ、やると決定した以上、実行する以外ない。どうあれ、彼らの命運を分かつ戦いとなることは、間違いなかった。


会戦には、ピュロスはあっさりと応じた。彼にとっては願ってもなかった。戦場が、おそらくエペイロス宿営地のすぐ近くになるだろうことを知り、このことも幸運だと思えたものだ。これで完全壊滅できる、と意気込んだものだ。だが、同時に薄気味悪さも抱えていた。


「今まで奇襲と夜襲で済ませてきたのに、援軍が加わった途端、この調子だと? あの男は何を考えている……。」


手法が変化したことに違和感を抱きつつも、彼は手抜かりなく準備を進める。今回はディアドコイの内のセレウコス朝シリアから、新たな「騎兵戦力」を加えている。しかも、その上に背後からの「援護」も確約されていた。つまり、カルタゴ軍が本格的に陸戦で介入してくれる、ということだ。
ハミルカルが海上封鎖および海戦を行ったのは、直接ギリシア人に協力していないように振る舞ったということもある。だが、真の目的はローマと敵対することを、兵士たちに躊躇わせなくするためであったのだ。特に、前哨戦を担当するイベリア歩兵と、切り札であるハギュア傭兵は、海上戦闘でも散々引っ張り回したものだ。
布陣する段階ではカルタゴ軍は戦場となる場所から離れた位置に配し、戦闘開始と共に騎兵を先行させて敵の側面を脅かし、次いで歩兵隊による攻撃を加えることになっていた。


「当面、ハミルカルは味方だ。……政治は敵をも信じねばならん。警戒だけはしておく必要はあるがな。」


場合によっては、そのまま即座にハミルカルと戦闘を行うことになるかも知れない。当てにし過ぎるのは、危険であった。

一方のハミルカルは、各部隊の最終調整を行っていた。おそらく、今回はハギュア傭兵の真の姿を見せることになるかもしれない、とカルタゴの名将は考えている。ハギュア傭兵は汎用部隊として訓練を施しているため、あらゆる戦局に対応できた。海上での戦闘も、陣形を組んでの戦闘も、森の中でのゲリラ戦も、全てにだ。その分、訓練費と装備費、そして何よりも彼らの給金がかかったものだ。

カルタゴ議会の一部では、ハギュア傭兵を切り捨てようとする動きもあった。必要に応じて傭兵を雇うことで、国庫の圧迫を避けてきたのに、常備軍に限りなく近いハギュア傭兵は、戦場に出たことのない議員たちにとって、金食い虫以外の何物でもなかったからだ。ここでその真価を発揮して勝利を得なければならなかった。


「彼らの価値を、私は知っている。国を担うだけの力を持っているというのにな。」


ハギュア傭兵の構成員も、大きく入れ替わった。元は失業者とならず者と指導用の傭兵集団で構成されていたが、老いや病、怪我に倒れて世代交代が進み、ほとんどの欠員を元失業者たちで埋めていた。故に彼らが、何もしてくれない国家ではなく、職と食を与えてくれるハミルカルに心酔するのは当然だった。

中には経営の才能がある者、政治センスがある者もいた。ただ、人員が多すぎるせいで、性格がその組織に不適合だったせいで、ちょっとした不運のせいで、切り捨てられた。そのような彼らを、ハミルカルは見捨てるなどとは考えられなかった。


「私には、本国の馬鹿どもから彼らを守る義務がある。メッサナからローマを退け、これ以上カルタゴの国力を弱めるような真似は出来ぬようにする義務がある。私は、カルタゴの将なのだ。カルタゴの人間の、盾とならねばならん。」


強く言い切ったハミルカルは、ピュロスの求めに応じて宿営地を出発し、主戦場となるだろう平原から少し離れた高草地に歩兵を隠し、自身が率いる騎兵はエペイロス軍の宿営地の裏手に留まった。


「さあ、始めようか、ローマの蛮族。その浅知恵、完膚なきまでに叩きのめしてくれよう……!」


シチリアの穏やかな風が、場違いのように駆け抜けていく。南国シチリアの、のどかな空気を乱すのは、焦げ臭ささえ放つ殺気立った雰囲気だ。エペイロスとローマの会戦が、今まさに始まろうとしていた。


「……。」


右翼歩兵の最前列に、プロデウスは立っていた。戦わねばならない敵の、かつては自らも追い立てられた、長槍の列を見つめ、次いで背後の軍旗を見遣った。そこには、いくつもの紋章が並んでいる。
「紫地、鷲の下にS.P.Q.R.」はローマ本軍の証であり、ローマの中央が乗り出していることを鮮明に映し出す。また、「青地、咆哮する狼の横顔」はスキピオ家の紋章であり、彼らのクリエンテスとなったメッサナを守るために戦う意思を示していた。だが、残るは各氏族のものだ。

「朱地、鷲の羽をあしらった盾の前に斜めの鎗」はクラウディウス氏族を、「深緑地、山の端と飾り帯がなびく投槍」はオタキリウス氏族を、「黒地、泉の上のエゲリア」はポンピリウス氏族を表していた。それぞれ「国を支え続ける誇り」、「山岳こそ我らが始祖」、「ニンフの血を引く一族」を示しているらしい。この場に集うローマ軍は、異様にバリエーションに富んでいるようだ、と思いながら、プロデウスは一言漏らす。


「勝たねばならん。いや、勝つ。クイントゥス様もドゥルーススも、マニウスも、ティベリウス殿もいる。これだけの人材が揃っているのだ、間違いなく、勝つ。」


考えてみれば、プロデウス自身も含めて五人が勢ぞろいするのは初めてだ。スキピオの歩兵を纏めるだけの自分は役者不足かもしれない。しかし。
ローマ貴族としての特性から、人心掌握を担当するティベリウス。射撃担当から第二軍団の戦列担当にまでなった、総合能力なら間違いなく首位のオタキリウス。コントロールの難しいガリア騎兵を統括し、作戦考案を担当するドゥルースス。そして、彼ら全員を束ねるだけの力量を身に付けつつあるクイントゥス。
頼れる友人たち全員が、いる。何よりも、誰よりも、信頼できた。これで勝てるとプロデウスが思ったのも、無理はなかった。少なくとも、兵士たちにはそう思わせているようだった。


「勝つぞ! シチリアからピュロスを追い出すのだ! 奮闘を期待する!」


おう、と重装歩兵たちは返してくる。体が燃える。士気は、高い。後は指揮官たちがこの士気を生かすのか。それだけがプロデウスには気がかりだった。


ローマ軍の兵士たちが、叫び声を挙げている。高い士気を有しているらしい。それを生かさなければ、と指揮官たちは当然考える。しかし、不安なまま戦場に赴いた人間も、いることにはいる。ドゥルーススだった。総攻撃に賛成はしたものの、この状況で戦いにくいことは簡単に予想できたことだった。


「あんたは何でそんなに不安そうなんだよ。予想できる範囲では、何とかなったんだろ?」


ティベリウス・オタキリウスが背後から、突っかかるように声を投げかけている。カラスの名を持つ男は振り向き、応えた。


「僕たちの予想を遥かに超えて行動するのがピュロスなんだよ。不安なのは当然さ。でも、勝たなきゃいけない。」
「勝つのは義務って言いたいのかよ。あんたらローマ人は、そういうお題目と理念とやらが好きなんだな。」
「僕たちは、その使い古し続けられそうなお題目も、理念とかいう呪文くさいものも、全部現実にしてきたんだ。できないなんて言ってたら、イタリアで生き残れなかったんだからさ。現実での目標みたいなもので済ませてきた感じだけど。」


あの言論を操るティベリウス・クラウディウス・ポンピリウス・ネロの弟なら、理想主義で固まっているのかと思っていたのだが、意外にも現実的だ。一瞬毒気を抜かれたが、ティベリウス・オタキリウスは再び毒を滲ませて挑んでみることにしたらしい。


「ま、確かにギリシア人みたいな、なあなあの戦争はしてないけどな。戦場じゃあ、殲滅戦は普通のようだし。」


山岳民族の男は皮肉のつもりで言ったらしいが、ドゥルーススは構わずに続けた。


「『ただ敵対するだけなら、罪だとは思わない』。『勝つまで戦う』。『一度自分たちの傘下に入ったら、最後まで守り抜く』。『その土地が奪取されれば、必ず取り返す』。『裏切りは、絶対に許さない』。それがローマなんだ。今まで、全てやり抜いてきた。今度も、ローマのルールとマナーに則る。そして、負かした相手であっても、ローマの精神を理解してくれる人間なら、中央に迎える。そうやって、マニウスを迎えた。絶対に、僕はこのシステムを守りたい。こんなシステム、世界のどこにもない。だから、ローマのために、僕は戦う。それが、義務さ。」
「随分と傲慢な対応だと思うけどな? 相手が屈服するか、自分が全滅するか、なんてさ。」
「知ってるよ。でも、犠牲は減らせてきた。人材を可能な限り温存できるのなら、できるに越したことはないからね。」
「自分たちのためだろ?」
「僕たちのためであり、攻め滅ぼした相手のためでもある。こう言うと、また傲慢だって言うんだろうけど。でも、生活を潤す手段は出来得る限り確保するしね。元敵国領のための、文明的な生活を送るための設備の建造の出費によって起きる、一時的な国力の低下だって甘受する。そんな国、他にないからね。何と言われようとも、僕はローマに誇りを持ってるよ。」


ローマには、社会資本、つまりインフラストラクチャーという言葉が存在しない。「インフラ」はラテン語で「下部」を意味し、「ストラクチャー」はラテン語の「ストゥルクトゥーラ」を元とする「構造」という意味の英語だ。しかし、「インフラストゥルクトゥーラ」や、それに類する言葉は存在しない。実のところ、彼らの意識では水道も道路も、「文明的な生活を送るための設備」としか考えていなかったのだった。とはいえ、基本設計思想は現代とあまり変わらない。当然、建設費も維持費もかかる。この手の設備が圧倒的に足りない地域を支配下に置いたときに、国力が低下したことも少なくなかったのは、事実だった。


「……!」


そこまで言われて、ティベリウス・オタキリウスは沈黙した。ローマ人特有の傲慢さはある。だが、少なくともこの男は、本心からローマの支配下の地域も守ろうとしているらしいことが分かった。それに、その傲慢さも認めている。再び毒気を抜かれて、サムニウム族長の弟は黙るしかなかった。それでも、父親を殺した男を許せない気持ちが強すぎた。何とか毒を吐き出すように、口を開く。


「まあいいさ、お手並みを拝見させてもらうからな。」
「最善は尽くすさ。」


だが、ティベリウス・オタキリウスはドゥルーススのことを知らなかった。普段このような状況では「任せて」「やれる」などと言うのに、今回は「最善を尽くす」だ。相当に自信がないらしい。


「……。やれるよね? 僕……。」


聞こえないようにそっと呟くと、彼は動き出すタイミングを見極めるため、戦場全体を見つめた。とりあえずは、とティベリウス・オタキリウスは引き下がることにし、自らの指揮下にある補助軍騎兵団の集結地点に向かう。代わって、別の男がドゥルーススの横に馬を寄せた。


「ドゥルースス。不安みてえだけどよ。大丈夫か?」
「カエソか……。そうだね。これで僕の護衛に専念できるね。マニウスがいてくれて助かる。」


ドゥルーススのちぐはぐな回答に、やれやれとウンブリア生まれの従兄は軽く目を閉じ、軽くドゥルーススの肩口をつついてから再び口を開く。


「話を聞いちゃいねえ。やっぱ不安なんだな。で、どうすんだ? 逃げ出すのかよ?」


何とか視線と焦点をカエソに合わせ、ドゥルーススは従弟の顔を見遣りながら応えた。


「逃げないよ。逃げたら、カエソもクイントゥスもプロデウスも、兄者もマニウスもティベ君も、皆死んじゃいそうで怖いから。」
「ったく、小憎ったらしい口聞く、あんにゃろめも守る気かよ? オメー、いくらなんでも人が良すぎんだろ、常識的に考えて。」
「だって、僕はティベ君の父親を殺したんだよ。恨まれるのは当然さ。だから……。」
「だから、守ろうっての? そういうのは、一歩間違えられりゃ、偽善野郎って言われかねないっての。俺っちやティベリウス兄ぃはオメーの性格、知ってっけどよ。けど、他人にゃわかりゃしねえっての。オメーも、わかってんだろ? おつむの出来は、俺っちより遥かにいいんだからよ。」
「知ってるよ、偽善だってことくらい、勿論。でもね、マニウスが許してくれたから、逆に困ったんだよ。憎いと言ってくれたら、楽になれた。でも、そうならなかった。ティベ君が言ってくれてなければ、僕はあの事実を忘れてるとこだ。この意識は忘れてはいけないんだ。忘れたら、サムニウムや他の地域を守る意思が、薄れるかもしれないから。」


罪滅ぼしの意識でローマの覇権を維持するつもりなのか、とカエソは納得する。納得はしたが、どうしても同意は出来なかった。ローマの覇権の維持は、あくまでもローマを守るためのものだ。攻め落とした勢力から反感を買わないためのシステムのはずだ。カエソとて、苦々しい思いではいたが、このガイドラインに沿って行動することにはしていたのだ。
だが、カエソの従弟はローマの死守以上のことをしようとしている。今の程度ならばまだいいが、ただでさえ元老院の受けの良くないドゥルーススのことだ、ローマを軽視しているだの、ローマの敵だのと言われないかと、カエソは思ったものだ。


「その優しさのツケが、ドゥルーススに来なきゃいいんだけどな。」
「その時はその時さ。相手を締め付けて何が得られるのかと考えたら、ローマの利益だけ考えて行動なんかできなくなってさ。こっちのが僕の気質に合ってるわけだしね。」


にやりと笑みを見せながら、カエソは言葉を口から放ったものだ。


「さすが、ニンフの血を引く家系だけのことはあるってか? あ、俺っちもか。」
「そんな非現実的なことは、信じてないけど。どうせヌマが森に籠ったのはポーズだろうし、森の泉の周辺に助言をくれる恋人でも住まわせてたんじゃない? ま、性格の影響はあるだろうし、尊敬してるけどさ。」


先祖霊への尊敬はともかく、先祖の神秘的な噂も、占いすらも信じない。そのような従弟を見遣り、相も変わらずにっと笑いながらカエソは言葉を続けた。


「醒めてんなあ。ま、プロパガンダには丁度いいと思ってんだけどな。『穏やかな王ヌマと、優しく支えた妖精エゲリアの血を引く、神々の加護を受けた美男子が、ローマの覇権下の守護者として勇壮に戦う!』ってさ。」


それだけ聞けば、どこかの王子のようなフレーズだが、あまりにも現実離れしたカエソの発言に、ドゥルーススはむきになって反論した。


「僕のどこが神々の加護を受けた美男子なのさ!? 神々が怒りそうなことばっかりしてるし、そもそもとっくに天罰食らってるし! 顔だってあんまり男っぽくないだけだろ!?」
「おう、ガキ臭い上に、男だか女だか分かんねえ顔してるだけだっての。こういう誇張表現もプロパガンダの必要事項の一つなんだろうが。ふんっ……どうだ、気分は解れたか。」
「……あ。」


わざわざ馬鹿馬鹿しい発言をすることで、ドゥルーススをリラックスさせたかったようだ。少しばかり顔を歪め、カエソは言い放ったものだ。


「こんのパータレが。不安がってたら、何にもなんねえっての。今回は勝てよ。勝たなきゃ、ティベっちを見返せねえだろうが。守るんだろ?」


どうやら、兄ティベリウスとティベリウス・オタキリウスを区別するために、カエソは後者を「ティベっち」と呼ぶことにしたらしい。彼らしいネーミングだなと思いつつ、ドゥルーススは仄かな笑みを浮かべて口を開いた。


「ありがと、気が楽になったよ。助かった。」
「俺っちはオメーの護衛だからな、死ぬ確率を徹底的に下げねえと。でねえと、俺っちの仕事が増えるっての。」


減らず口を叩いている従兄を見ていると、自分の不安が馬鹿馬鹿しくなってくる。頼りになるこの男が自分の従兄で幸せなことだ、と思いながら、前を向いた。
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