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補助軍兵A氏作アイマス・トータルウォー支援SS「咆哮する軍旗」第七話

いつもありがとうございます!
補助軍兵A氏の第七話でございます!
16 最も長い一年(Ⅶ) 輝ける「白銀」


「……。」

 クイントゥスは、整列した兵士たちが熱を抱えているのを確認する。今回の布陣は、右翼を第一軍団が担当し、左翼が第二軍団を担当する形となっている。また、右翼側騎兵の指揮官にはティベリウスを配し、左翼側騎兵の指揮はドゥルーススが受け持つ。そして、騎兵からの報告を受けつつ、歩兵団で全面を固めながら粉砕する。それが、今回すべきことだった。
こちらの戦列歩兵の部隊数は、多少の欠員はあるにせよ、ハスタティだけでも16ある。プリンキペスやトリアリィまで加えれば、20部隊に達していた。対してエペイロスは戦死者続きで員数が減り、戦列歩兵の実質的な部隊数がホプリタイ8、重装ホプリタイ4にまで低下していた。これに比べれば、明らかに圧倒している。勝てないと思う方が、どうかしている。クイントゥスはそう思った。

「……始めるか。」

それだけ口にしたスキピオ家の後継者は、軽く息を吸い込み、攻撃命令を下した。

「弓箭兵前進開始! 騎兵団は敵両翼から撹乱! かかれ!」

 クイントゥスの指示を受け、全軍が前進を開始する。まずは射撃戦と騎兵戦からだ。ローマの射撃部隊も騎兵も弱いというが、数は十分に確保している。クイントゥスは、歩兵の編成に長年携わってきた分、その他の兵種に疎い。それ故に、射撃部隊も騎兵に関して大きな不安を抱いていなかった。
 弓箭兵団が前進し、敵の戦列目掛けて矢を撃ち込み、弾幕を形成する。敵がクレタ弓兵とロードス投石兵なのは、今までと変わらない。だが、決定的に違うのは、彼らが今までの戦いで数を減らしているという事実である。いくら射撃精度が高いとはいえ、数が違えば意味がない。少しばかり撃ちあっただけで、ピュロスは射撃部隊を即座に左翼後方に固め、ローマの矢をホプリタイで処理させることにしたようだ。

「よし、ティベリウス殿はそのまま後方に後退した射撃部隊を攻撃! ドゥルーススは回り込んで敵騎兵及び戦列を破壊せよ!」

右翼側のティベリウスの騎兵隊は600人足らずの騎兵を有する。彼が受け持つ右翼側に、敵の騎兵がいない。撃ち負けたロードス投石兵やクレタ弓兵などの射撃部隊で、騎兵を迎撃するつもりらしい。だが、射撃部隊は接近されれば脆い。だというのに、彼らを保護する戦列歩兵すらない。歩兵数が足りないからだろうが、どういうつもりだ、と思いながらも、ティベリウスは騎兵を進撃させた。さすがに軽装騎兵だけはあり、あっという間にエペイロスの左翼まで到達していた。もう、射撃部隊を攻撃できる位置にまで迫っていた。
だがその時、思いもかけない方向から土埃を確認する。カルタゴ騎兵だ。数は右翼騎兵隊とほぼ同じだが、エクイテスでは歯が立たない。どこに潜伏していたのか、いつの間にか右手から接近している。それを見たティベリウスは歯噛みした。

「来たか……。カルタゴ騎兵を迎え討て。乱戦に持ち込めば、エペイロス射撃部隊も手出しできまい。……伝令。指揮官に伝えよ。『カルタゴ騎兵を確認。カルタゴの参戦は、想定外のものなり。我、撤退を具申する』と。」
 カルタゴが動かなければ、この作戦はそのまま実行できた。だが、カルタゴが動き出してしまっては、戦えない。元々、カルタゴが動かないことを大前提として立てた作戦なのだ。騎兵が姿を現した以上、すぐに歩兵も現れよう。今は部が悪すぎる。ティベリウスはそれをはっきりと認識していた。
「撤退命令が下るまで、何としても持たせろ。かかれ。」


 反対側の左翼騎兵隊は、エペイロス右翼、つまり真正面に展開したテッサリア騎兵を相手に戦おうと突撃中だった。だが、その攻撃目標であるテッサリア騎兵が、何故か壊走でもするかのように戦列から離れて逃げ出している。

「そんな! いくら恐怖を煽ったからって、こんな簡単に諦めるわけが……。」

 だが、馬の足というものは、そう簡単に減速できるものではない。騎兵の数の多さがそれを増幅する。その上、このままエペイロス歩兵団の右翼を突き破る必要があった。迷う時間もなく、左翼騎兵団の指揮官は声を張り上げた。

「ええい、このまま突撃! ティベ君は作戦通り迂回! ピュロスを討つように!」
「任されよ!」

 何故ティベリウス・オタキリウスが、戦場では口調が変わるのかが疑問だが、そのようなことに気を取られている暇はない。一気に戦列を破壊し、歩兵団の戦いを補助しなくてはならない。

「いっけええええええ!」

 しかし、ドゥルーススとガリア騎兵、そしてエクイテスの前に立ちふさがったのは、エペイロス戦列歩兵の背後に控えていた別働の騎兵だ。しかも、ローマがこれまで戦ってきた、どの騎兵とも全く違う姿をしている。

「……っ!」

停止する余裕はなかった。先鋒のガリア騎兵が彼らと衝突する。普通なら、互いに弾かれたように落馬する者が出るはずだ。だが、落馬した人数は、明らかにローマ側の方が多かった。

「何あれ……鉄の塊!?」

 銀色に、部隊全体が輝いている。馬上の兵士たちが全身甲冑を身に付けているだけなら、そこまで輝くことはない。兵士どころか、馬までも鎧を着ていた。馬の全身に布を掛け、その布に鱗状の金属板を縫い付けたような装備だった。そして、手にした騎兵鎗と腰にぶら下げた、鈍器で武装している。

「……まさか、あれが……書物でしか見たことがない……東方の騎兵……超重騎兵!?」

 この超重騎兵は、後に東西ローマに分裂した際、東ローマが主力としたカタフラクトに、限りなく近い存在である。この時期のシリア、パルティアやアルメニアの主力騎兵であり、圧倒的高攻撃力と防御力とを以って、騎兵戦を制する。加速しながら鎗を構えて大質量の塊となって突撃し、接近したところを鈍器で殴りつけて、確実に敵の体に衝撃を与えていく、恐ろしい騎兵だった。この部隊に対抗したくば相手の足を止めるしかないのだが、それを実行しきる前にこちらが壊滅させられるのは、目に見えていた。

「あれじゃ前進できない! 騎兵隊、迂回開始!」

 だが、ドゥルーススの騎兵隊を制するために、ピュロスは罠を張っていた。この状況こそが、エペイロスのディアドコイが望んだ状況だったのだ。

「テッサリア騎兵、左より接近! っうわあああっ!?」

 報告と衝撃が、ほぼ同時だった。彼の左耳が、自軍の騎兵たちの悲鳴を捉えた。テッサリア騎兵が逃げると見せかけ、勢いを落とせないローマ騎兵隊がカタフラクトの「壁」にぶつかって足止めされている間に、側面を反転したテッサリア騎兵で叩きのめす。最初からピュロスはローマの騎兵、それもドゥルースス指揮下の騎兵を先に片付けるつもりだった。
少し騎兵戦を制したからと、高くなったローマの、ドゥルーススの、鼻柱を叩き折るつもりだった。この作戦は、ドゥルーススがローマのエクイテスとガリア騎兵を使い分けている姿を見たピュロスが、彼なりにアレンジした「騎兵の使い分け」である。
ドゥルーススに牙を剥いたのは、自らの戦術だった。カラスと呼ばれる男は、自らが罠にかかったことを完全に理解し、次の対応策を考える。

「うう……。テッサリア騎兵を優先して攻撃する! 超重騎兵には構わないで!」

 今は、何としても騎兵戦力を温存しなくてはならない。騎兵の盾になるべく、護衛騎兵をカタフラクトの前面に出し、残るエクイテスとガリア騎兵をテッサリア騎兵に集中させた。次いで、彼は声を張り上げる。

「伝令! 補助軍騎兵を撤退させて! このままでは彼らが敵中で孤立する! それから、総指揮官にも連絡を! 『我、超重騎兵確認。対抗できず。全軍の撤退を具申する。我、指示を待つ。』と伝えて!」

 指令が来るまで、出来得る限りの対応をしなくてはならない。ティベリウスにしても、ドゥルーススにしても、副官格でしかない。クイントゥスの判断抜きには、戦術の変更を許されなかった。

「両翼の騎兵隊が、揃って撤退を具申だと? カルタゴ軍も介入……未知の戦力の超重騎兵……。」

 状況が、変わっている。減衰したエペイロスの戦力を叩きのめすだけの、簡単な作戦だったはずだ。だが、次の手段を採らねばならない。

「ドゥルーススは報告以外に何か言っていたか?」
「それが、『指示を待つ』とのことです。』

 指示を待つ、という言葉に、スキピオ家の後継者は強烈な苛立たしさを覚えたものだ。

「普段やたら口出しする癖に、こういうときだけ丸投げする気か!」

 実際には、戦術指揮どころか主力の騎兵隊を温存するため、超重騎兵相手に自ら切り込んでいるせいで何もできないだけだ。無論、指揮官が自ら白兵戦を行うのは危険なのだが、この場合はまだ総指揮官が残っている。
だが、そのようなことは、クイントゥスは知らない。とにかく、騎兵が無理なら戦列を崩して敵の戦線を維持できなくすればいいはずだ。彼はそう判断し、歩兵隊に攻撃命令を下した。

「数はこちらに部がある! 戦列を破壊し、騎兵を救え! 前進開始!」
「しかし、撤退すべきとお二人は……。」

 その「撤退」を、クイントゥスは騎兵隊の撤退と判断したものだ。彼は、改めて指示を下す。

「騎兵は後退だ。後は歩兵で決着を付ける。」
「全軍の撤退が、コルウス軍団長の具申ですよ!?」
「判断は俺がする!」

 提案提案と、本当は一人で判断しているのに、毎度のごとく承認だけ求めてくるのが、我慢できなかった。指示を待つのなら、今度ばかりは自分の指示に従うべきだ。彼はその思いを抑えられなかった。

「そんなバカな! 歩兵団がごり押ししても勝てるような相手ではないのに!」

 仮に歩兵で有利に戦いを進められたとしても、側面突破及び背面攻撃を受ければ、壊滅させられる。しかも、今回ばかりは突破力に優れたカタフラクトが敵にいる。とてもではないが、勝てるような状況ではない。
 だが、そんなことを考えている間に、敵のカタフラクトに詰め寄られていた。強烈な負の感情の高まりを、纏めて敵騎兵に叩きつける。

「この忙しいときに、黙れ!」

 すんでのところで鈍器を振り下ろされるというところで、ドゥルーススの鎗が全身甲冑の隙間を縫って喉笛を貫いた。身を捻って穂先を引き抜くと、鎖帷子の目地を伝って黒い軍装に赤黒い染みが広がった。

「……!」

 自分の中の悪意が、血塗られた牙を剥いた気がした。だが、それを抑えつけてドゥルーススは再び伝令を呼ぶ。

「こうなったら……! 各指揮官に撤退の可能性を伝えて。いつでもできるように準備をしておかないと。兵士たちには聞かせないように。絶対だから! それから、もう一度総指揮官に撤退の具申を。こっちは何とか持たせるから!」

 越権行為であることは、わかっていた。だが、ローマ軍を全滅させたくなかった。感情以上に、ローマの戦線維持のために、必要だと判断したからだ。ドゥルーススにとっては、せめて目の前の同胞の血で汚れた白銀の絶望を、スキピオ家の軍勢まで辿りつかせないように戦うのが、精一杯だった。
 だが、これが後に大きな影響を与えることになるとは、誰も予想していなかった。

「撤退の可能性……? そんな話は、私は聞いていないぞ。」

 左翼の戦列を担当していたオタキリウスは、言われたように兵士たちに聞き取られないよう注意して返事をする。

「はい、ですから、コルウス軍団長からの伝言です。」
「クイントゥスからの指示ではないのか?」
「いいえ、クイントゥス・スキピオ総指揮官殿の指示ではありません。」

 オタキリウスはドゥルーススの指揮下にあるのだから問題はない。だが、下手をすれば越権行為だというのに無茶な事をしてくる、とオタキリウスは思いながら、小声で伝令役に再び質問する。

「そうか、で、ドゥルーススはそれをクイントゥスに伝えたのか?」
「はい、伝えています。回答待ちとのことです。」

 それなら、撤退指令が出ることになるかもしれない。クイントゥスとて、ドゥルーススの処理速度は知っているはずだ。そう結論付け、オタキリウスは伝令役に向かって言葉を放った。

「了解した。御苦労。『私は指示を待つ』とドゥルーススに応えておいてくれ。」
「はいっ!」


 伝令が姿を消すのを確認してから、オタキリウスは少し頭を抱えたくなった。


「……二人の関係が妙なことになってきたと、プロデウスから聞いてはいたが。何も起こらなければよいが、な。」


 まだ撤退指示は出ていない。山岳民族の長は、弟の無事を祈りながら自分の指揮下にある歩兵隊の前進を見守り続けていた。


「撤退の可能性……まさか、俺はそんなこと……!」
「大声で言わないでください……!」


 プロデウスにも伝令役がドゥルーススの伝言が届けられる。若き首席百人隊長は軽く顔を顰め、伝令の顔を見た。

「これは、コルウス軍団長の考えなのです。万が一の時は覚悟しておいてほしいと。」


 状況と、気持ちは、わかる。苦戦しており、突破されて被害が及べばこちらの戦列を破壊されるかもしれない。だが。


「……。私は、聞かなかったことにします。私の直属の指揮官は、クイントゥス・スキピオなのです。我がパトローネスの指示なしに、私は行動できません。」


 それまで一人称が「俺」だったというのに、「私」という他人行儀な表現に変わっている。あくまでも、立場を考えての発言であることは、伝令役にも理解できた。


「わかりました。伝言はありますか?」
「……。『口出し無用。』と。」
「了解です。」


 冷たいようだが、私情は挟みたくなかった。大事な友人に、そのようなことを言いたくなくとも、言わざるを得なかった。

「……前進しろ! ピルムと斧の準備はいいか!?」


 おう、と兵士たちは返事する。プロデウスは沸き起こる不安を抑えつけながら、目の前の長槍の列に向かって歩を進めていた。


「そうか……。兄者のところには、いけなかったんだね?」
「はい、カルタゴ騎兵と乱戦中でして……。」

 カタフラクトと殴り合いを演じつつ、ドゥルーススは伝令の言葉を聞いていた。次から次へと襲い来る、軽騎兵などとは比べ物にならないほどの大質量を捌くのは、容易いことではなかった。伝令が戻ってくる直前に鈍器が彼の左手の盾に衝突したのだが、その時の痺れがまだ腕に残っていた。

「……とりあえず目的は果たした。可能性だけ伝えればいい。とにかく、クイントゥスから撤退の合意を取り付けないとまずい。」

 戦力保持のためにとカタフラクトの目の前に出たはいいが、テッサリア騎兵もこちらを殲滅する気でいるらしく、一歩も退かない。しかも、こちらは半包囲状態である。簡単に振り切れそうにない。

「おいドゥルースス! オメー、無茶苦茶しやがって! ガリア騎兵の損害が3割を突破してるっての! 次の指示寄越せと連中怒ってるぞ!」

 カエソが怒鳴っている。テッサリア騎兵相手にも損害を被り、騎兵隊全体の士気がガタ落ちだ。このままでは、騎兵が崩壊する。

「どうする……。」

 そこに、ティベリウス・オタキリウスの軍勢が戻ってきた。サムニウムの軽装飛び道具騎兵が、カタフラクトとテッサリア騎兵の背後を移動しながら、ピラを投射する。背後から飛び道具で襲われたテッサリア騎兵とカタフラクトに、軽い動揺が走った。

「友軍援護! 騎兵隊を救うのだ!」

 自分に悪態を吐いていたはずのティベリウス・オタキリウスが、救援に駆け付けている。何とも不思議な光景だが、目の前の事象を否定しても意味がない。そう思っているドゥルーススの目の前で、サムニウムの男は麾下の補助軍騎兵に指示を下していく。

「牽制に留めよ! 我らの損害を最小限に食い止めるのだ! ……あんたは!」

 ドゥルーススを見つけたのか、サムニウム族長の弟はテッサリア騎兵の壁を恐るべきスピードで蹴散らしながら、真っ直ぐに向かってくる。瞬時にガリア戦士長を討ち取ったと聞いていたが、彼の速攻は鮮やか過ぎた。そのまま、カタフラクト相手に殴り合いを演じながら幼さを持つ男に向かって言葉を吐いた。

「あんたは俺がぶん殴るんだよ! こんなとこで死なれちゃ困る! とっとと生き残って帰るんだ!」

 こういうのをツンデレと言うのではないかと、ドゥルーススは考える。わかりやすい男だ、と思いながらも、にっと軽く笑ってその思いに応える気になった。

「ありがと、助かったよ。……この機を逃さない! 騎兵隊転進! 一度初期位置まで退却する!」

 後退すれば、クイントゥスと連絡を取り合うことも容易になるはずだ。今の状況なら、きっと自分が説明すれば理解してくれる。彼はそう思いながら、犠牲を増やした騎兵を纏め、疲れかけた馬を宥めすかして疾駆させた。

ローマ軍右翼では、返り血といくらかの負傷で赤黒く染まりつつあるティベリウスと、彼の指揮下の騎兵隊が、ようやく後退を始めることができた。乱戦で連絡が届かず、そのためにエクイテスに被害が発生していた。それでも、カルタゴの円盾騎兵にも打撃を与えており、ローマの騎兵でよくもと思えるほどの奮闘ぶりを見せていたものだ。

「そのまま前進する気か? 無茶なことを……。」

 だが、今のティベリウスはクイントゥスの麾下の将だ。勝手は許されない。馬を走らせ、騎兵隊には到着先で休憩するように伝え、自身はクイントゥスの下に向かうことにした。前進する歩兵と、後退する騎兵だ。すぐに互いの顔を突き合わせることができた。

「クイントゥス。このまま歩兵を前進させてよいのか?」
「貴方も、ドゥルーススと同じことを仰るのですね。」

 やや不機嫌そうな調子で、言葉を返してくるクイントゥスを見遣り、ティベリウスは口を開いた。

「ドゥルーススがどうした。」
「……私は総指揮官としてはお飾りかも知れないが……。ドゥルーススは、勝手に各指揮官に撤退の可能性を伝えたそうです。」
「何ということを……。」

 弟にも困ったものだと、ティベリウスは思う。感情に流されないように抑えてはいるが、必要なことだと感じると、一切の連絡系統を無視して行動する。簡単に言えば、時折前が見えなくなる傾向がある、ということになる。だが今回は、規律違反である。笑って済ませていい問題ではない。

「まだ、歩兵は投入していない。撤退する前にやってみる価値は、あるでしょう。」


 相手がピュロスだけなら、それもいいかもしれない。だが、ティベリウスは首を縦には振らなかった。


「……私はそうは思わない。カルタゴが動き始めた。戦っている間に、潜伏していたらしいカルタゴ歩兵団がこちらに向かっている。歩兵のアドバンテージも、失われるやもしれん。」
「ローマの基盤は歩兵にあります。私はローマの歩兵を信じております。」
「歩兵を信じて負けたのが、ヘラクレアだろう?」
「あの時とは違います! あの時より、前もってピュロスには損害を与えている。」
「だが、今度はハミルカルもいる。……落ち着くのだ、確かに規律違反はしているが、今の状況判断力はドゥルーススの方が上だ。おとなしく引き下がるべきだろう。」


 兄だからと、弟を庇うつもりなのか。クイントゥスは自らの苛立ちも隠さずに、口を開いた。


「身内だから贔屓目に……。」

 それでも、戦場だというのに静かな調子で、それでいてよく通るティベリウスの声が、クイントゥスを貫いた。

「ドゥルーススにとっては。貴公も私も、身内には変わりない。それは私も同じだ。それ故に、公正でありたいと思っている。公正に見極めた上で、言っているつもりだ。」

 ローマのパトリキ故に、ティベリウスは公正でありたかった。今の状況では、撤退の方が適切であり、それを割り出しているドゥルーススの肩を持つのも仕方ない。だが、クイントゥスは受け入れたくなかった。

「……指揮官は私です。私の指示に従っていただきたい。」

 クイントゥスが総指揮官である以上、その命令は絶対だ。ティベリウスも、従う義務がある。観念したように、彼は頷くしかなかった。


「まだ後退しない……? どうする……。」

 馬上から様子を窺っていたドゥルーススは、やきもきし始めた。テッサリア騎兵相手なら、サムニウムのエクイテスがそれなりに対処できる。だが、あのカタフラクトの突撃に、第二軍団の戦列が耐えられるとは思えなかった。

「何故……僕の意見が通らない……。クイントゥスは何を考えている……。」

 このシチリア方面軍の最大の問題は、主将が形だけのものになり、副将がほとんどの計画を立案していることにある。ドゥルーススの権限がどの程度かが曖昧なのだ。もっと単純に言えば、一つの軍に最高司令官が二人いるようなもので、指揮系統の混乱が発生しやすかった。彼が撤退の可能性を連絡したのも、クイントゥスに承認して貰えるとばかり思っていたからだ。
 それだけドゥルーススがクイントゥスを信頼していたということだが、一歩間違えば甘えにしかならない。そのことを、ドゥルーススは気付いていなかった。


「……皆は息を整えて。ティベ君、敵が突撃してきたら対処して。今この瞬間から貴方がこの機動部隊の臨時指揮官だ。僕はクイントゥスのところに行ってくる。」
「……俺のことを信頼してるって言いたいのかよ。」
「責任を果たせる人材と、僕は評価してるけど。行ってくるよ。」


 散々走り回らせた黒い愛馬の首を優しく軽やかに叩き、シチリア方面軍の主将の下に向かう。さすがの黒馬も、疲れきっているらしい。それでも、歩兵隊同士が衝突しきる前にはクイントゥスの顔を見ることができた。


「クイントゥス。何故歩兵を動かしているんだ?」
 深刻な調子でドゥルーススが口を開くと、溜まりに溜まった怒りをこらえるように、クイントゥスは冷淡に応えた。

「俺が総指揮官だからだ。」
「それじゃ答えになってない。」
「いや、それ以上の答えはない。」
「理でものを言ってほしい。」
「お前に言われたくない。」
「僕は理を口にしている。」
「ならば、説明してみろ。」


 淡々とした言葉の応酬の後だ。ドゥルーススは、出来得る限り、慎重に言葉を紡いだ。


「超重騎兵相手に、今の僕たちが勝てる要素はない。カルタゴも動き出している。本来、僕たちの作戦は騎兵戦力がテッサリア騎兵のみで、カルタゴが参戦していないことを想定したものだったはずだ。今は何故かピュロスもハミルカルも騎兵を下げているみたいだけど、そのうちもう一撃が来るよ。」
「だが、カルタゴが参加した際の対処法は、決めていなかった。ならば、俺が決める。」


 それは道理だが、ピュロスの手により死体の山が築かれる情景が、ドゥルーススの目にはありありと映っている。そのことを、彼は言いたくなかった。


「……。」
「ドゥルースス。形だけにしてもインペリウム保持者は俺だ。お前がいくら何を叫ぼうとも、俺が……。」
 耐えきれなくなったように、ドゥルーススは言葉を無理に吐き出すようにクイントゥスに投げかけた。
「このままでは全滅すると、僕は言っている。インペリウムは大事だと、僕だって思ってる。でも、全滅を見過ごせるほど、僕は薄情じゃないつもりだ。」
「薄情ではない、と言ったな? 理でものを言っていないようだ。」
「それは屁理屈だ!」
「屁理屈で十分だ。お前はしばらく下がっていろ。」


 こうなればやむを得ない。次に損害が発生した際に、もう一度強く意見するほかない。このような方法はしたくないが、勝てる見込みが完全に失われているわけでもない。ただし、それは大損害を払っての勝利になるだろう。勝機を失ったとき、どのタイミングで進言すべきか。副将の彼にとっては、それが気がかりだった。


「……。騎兵隊のとこにいていい?」
「俺の指示に従うのならば。」
「わかった。」


 ドゥルーススは自らの愛馬を、今度はゆっくり歩かせて騎兵たちの下に戻ることにした。

 最前衛に立ったハスタティたちは、ホプリタイの槍の列相手に、工具の斧を振るっていた。サリッサを効率よく破壊し、間合いを詰め、戦列を破壊する。それが、今回のハスタティたちの任務だった。しかも、数も圧倒している。ホプリタイは何故か第二軍団の方に槍衾の列を向け、第一軍団には側面を晒していた。騎兵突撃によって粉砕される恐れがないにしても、無防備だ。プロデウスは、自分の麾下にある歩兵たちを回り込みに動員し始める。
「我々を甘く見ているのか……。だが、こちらは油断なくやらせてもらう。」
 などとプロデウスは呟いていたが、その考えをすぐに改めなくてはならなかった。右前方からカルタゴ歩兵が疾駆してくる。イベリア歩兵だ。手持ちはファルカタと呼ばれる短剣と、コンパクトな円盾を装備している程度で、鎧自体もそれほど重装とは言えない。正規兵の一種とされているが、実質的には傭兵扱いで、ほぼ捨て駒に近かった。だが、その身軽さ故に、そして、正規の訓練を受けているが故に、ギリシア人ともガリア人とも違った攻撃を、第一軍団の兵士たちは受けることになった。


「フルルルルロロロ、ヒャッハー!」


 エペイロスとローマの隙間に潜り込みつつ、奇妙な叫び声を挙げながら、ハスタティの手前で跳躍し、ファルカタを振り下ろす。プロデウスも危うく盾を取り落としそうになり、支えなおしてから盾で殴り倒し、イベリア歩兵の顔面に斧を叩きこんだ。


「なっ……カルタゴ歩兵隊! カルタゴ騎兵は見ていたが……もう来たのか! ハスタティ、陣形崩すな! 剣に持ちかえろ!」


 身軽な相手に質量で振り回される斧は、圧倒的に不利になる。プロデウスは後ろ手に回して斧を仕舞い、右腰の鞘袋から片刃の長剣を抜刀する。だが、波が押し寄せるようにイベリア歩兵は跳躍して襲ってくる。スキピオ家の首席百人隊長は、声を張り上げながらイベリア歩兵のファルカタをいなし、白刃を叩きこむ。


「隙間に入り込ませるな! 奴らの目的は陣形の破壊だ! 隊列に入り込んだ敵から順に攻撃しろ!」


 ハスタティも負けてはいない。一ヶ月間、決戦に向けての訓練を積み重ねてきただけはあり、簡単にはイベリア歩兵を陣内に浸透させなかった。それに、ハスタティたちは防御陣形を固め、疲労を最小限に抑えている。対するイベリア歩兵は攻撃型だ。ローマの歩兵の特色である粘り強さを引き出す要素こそが防御体勢である。これが相手では、イベリア歩兵は役者不足だった。時間が経過するにつれ、イベリア歩兵の消耗が大きくなっていく。


「だが、まだ他にカルタゴは歩兵を温存しているはずだ。確実に消していくほか……。ピルムはまだ投げるな! 後続がいるぞ!」


 第二軍団の救援は、期待できなかった。彼らは彼らで、ホプリタイ相手に斧を振り下ろしている最中だ。しくじれば串刺しという状況で、助けを求めることなど出来るわけもない。第一軍団歩兵隊のみで、カルタゴを相手にするしかなかった。それを看て取ったのは、騎兵指揮から歩兵指揮に戻った、カルタゴの将ハミルカルだ。


「ほほう、ローマの歩兵も、なかなかやるな。なら、これはどうだ?」


 イベリア歩兵が耐えきれる限界を見極め、今度はフェニキア歩兵を前衛に出す。前3列がサリッサを腰の高さで構え、それより後列が斜めに倒したマケドニア式ファランクスを形成した。ここでハミルカルはイベリア歩兵を後退させ、カルタゴの上級市民で構成された部隊を、ハスタティたちの前に晒した。


「……ファランクスか! ぎりぎりまで引きつけろ、ピルム投擲準備!」


 ヘラクレアの時のように、射程の見極めを失敗するわけにはいかない。カルタゴのフェニキア歩兵接触ぎりぎりまで待ち、一斉掃射で陣形を破壊する以外ない。プロデウスは間合いを見極め、タイミングを見計らう。


「まだだ、まだ投げるな、もう少しだ……一斉掃射!」


 若き兵士たちの雄たけびが、重い投擲槍を後押しするように戦場に響く。フェニキア歩兵も、同じファランクス同士ならホプリタイ相手にすら有利に戦えるが、ローマのレギオンは戦術体系が違うため、どうしても戦い慣れていない。しかも、ハスタティたちはヘラクレアやアスクルムでホプリタイ相手に蹴散らされた経験を持つ。つまり、無理に突進するのは危険だという、対処法も多少は習得しているということだ。ピルムによる被害は微々たるものだが、フェニキア歩兵でもハスタティ相手に互角程度の戦いしかできないらしい。


「斧に持ちかえろ! 我らの前に、ファランクスなどものの役に立たないことを見せてやれ!」
「おう!」


 長い物は折れやすいが、サリッサに用いられる木は堅いものを選んでいる。しかも、静止した物体に斧を振り下ろすわけではない。狙いが外れれば、その分体力を消耗することになる。プロデウスや、彼の指示を受けたデキムスが、何度か前線の兵士を後方に下げ、後ろに控えていた兵士たちを前進させて対処していた。それでも、いつかは限界に達する。
それを、ハミルカルは待ち望んでいた。フェニキア歩兵のサリッサが半分叩き折られたのを確認すると、カルタゴの将は切り札に向かって声を張り上げた。


「ハギュア傭兵前進。さあ、出番だ!」


 自然色の重装備を纏ったフェニキア歩兵が後退し、代わって白装束の一団がローマの第一軍団正面に展開する。軽い防具を身に纏い、盾を革ベルトで胸の前にぶら下げ、サリッサを構えていた。それだけなら、ただのファランクスと同じだが、何かが違う。プロデウスはそう思いながらも、痺れつつある腕を叱咤し、斧の柄を握りなおした。次いで、ハスタティたちに声を投げかける。


「来るぞ、敵の新戦力だ! 注意しろ!」


 ハギュア傭兵は他の部隊と違い、構成人数が多い。一部隊当たり160人から162人が常だが、何故か彼らは240人と5割増しである。人数が多すぎると命令が届きにくくなるはずだ。何か理由があるのかとプロデウスは勘ぐったものだが、大した理由ではない。ハミルカルが出来る限り一部隊当たりの員数を増やすことで、部隊数以上に失業者を取り込めるようにしただけである。とはいえ、ハミルカルの指揮下であれば、これだけの大人数も武器になる。さらに、この部隊の持つ「特性」を生かすためでもあった。


「下手に身を晒すな! ファランクスに串刺しにされるぞ!」


 盾で可能な限り身を隠しながら斧を用い、サリッサを破壊する。後は詰め寄って攻撃するだけだ。だが、その考えすら甘かった。サリッサの6割を折ったところで、何故かハギュア傭兵の前3列のサリッサの持ち方が短くなった。同時に、後方から何かが飛来する。軽量の投擲槍ではない。プロデウスたちには、どこか見慣れたものだった。


「うっ……うわああああ!? 槍が、槍が!」
「盾を貫通して、ごぼぉっ!?」


 ハスタティたちが並ぶ戦列のそこかしこで、悲鳴が上がる。その2メートルほどある投擲槍の後ろ半分は木だが、穂先から半分は細長い金属でできており、木と金属の継ぎ目には、金属製の球体が取り付けられている。「ファラリカ」という名の重投擲槍であり、イベリア半島のケルト人が使用する武器の一種だ。射程は5メートルから10メートルと、ピルムよりも短いが、その重量によって盾すら貫き、その奥の敵までも殺傷する。
ハミルカルが訓練したハギュア傭兵の切り札は、このファラリカだ。本来、ハギュア傭兵はファランクスとして機能していた。だが、イベリア半島での戦闘に対応すべく、彼は現地の傭兵の戦法を追加して採り入れた。サリッサの石突側にこのファラリカを金属パイプで接続することにより、「投擲槍を隠し持ちつつバランサーとして機能させる」ことに成功していた。


「何が起きた……っ!?」


 プロデウスが次の対応策を考える暇もなく、第二陣が来る。今度は前列、それも真正面からファラリカが飛来した。投擲を2回に分けたのも、前列の投擲のためにサリッサからファラリカを取り外す時間を確保するためで、一部隊当たりの人数が多いのも、それをカバーするためであった。


「……!」


無駄だと思いながらも、プロデウスは盾に身を隠した。盾すら貫く槍が、プロデウスの盾に突き刺さる。プロデウス自身は怪我をしなかったものの、貫通して抜けない。しかも、この武器は重投擲武器である。盾の重みが増し、構えるどころの騒ぎではない。


「ピルムを撃ち込まれたようなものか! まさかローマがこの攻撃を受けることになるとは……。」


 ローマ軍が得意とするピルムの戦法自体は、エトルリアやガリアの戦法を真似たものであり、その源流はイベリア半島からやってきた傭兵たちのものである。つまり、このファラリカとピルムは、いわば親戚筋に当たる武器なのだった。
 そして、ローマ軍戦列歩兵と同様、ハギュア傭兵も似たような戦法を採る。つまり、ファラリカを投げた後は腰のファルカタを抜刀し、突撃するということだ。


「カルタゴを守れ! 我らがバルカの名にかけて、突撃!」


 最前列がベルトから胸の盾を外しながら疾走し、穴の空いた隊列目掛けて突進する。次から次へと、身軽になったハギュア傭兵たちが雪崩れ込んだ。盾を失ったローマ軍は、その粘り強さをも失っている。穴の空いた隊列どころか、被害を受けた第一軍団のハスタティ全体が崩壊を始める。


「ぐぅっ!」


 プロデウスは斧と盾を放り出し、代わりに片刃の長剣を右手に、作業用の短剣を左手に持ち、ハギュア傭兵の襲撃を食い止める。だが、ハギュア傭兵は円盾で殴りつけてから斬りかかってくる。武器としての機能は二の次の短剣で戦えるのはプロデウスやデキムスのような歴戦の勇士くらいで、ほかの面子は相当に苦戦している。


「だが、まだ逃さん! ピュロス、騎兵を寄越せ!」


 ハミルカルの求めに応じ、ピュロスも自軍の騎兵に命を下す。


「超重騎兵、突撃ッ!」


 ドゥルーススの騎兵を受け止めたカタフラクトが、いつの間にかエペイロス、カルタゴ連合軍の左翼に展開していた。一度騎兵隊を後退させていたのは、カタフラクトが重装備のせいで疲労しやすいということと、この戦列徹底破壊のためだ。
 何故、初期配置から近かったはずの第二軍団ではなく、第一軍団の戦列をカタフラクトで破壊しようとしたのか。それは、ドゥルーススの戦法から、クイントゥスの戦法に移ったことを、ピュロスとハミルカルが見抜いたからだ。今の今まで奇襲ばかりしかけてきたローマが、急に会戦方式に切り替えたのは、主導権を持つ人間が交代したと、彼らは考えた。
そこで、ローマらしい戦法を採るクイントゥスの指揮する歩兵から潰すことにした。これは、奇襲や攻城戦でアドバンテージを奪われていても、会戦なら有利だということを、自軍の兵士たちに理解させるためだ。また、イレギュラーな要素を持つ第二軍団に下手に手出しして打撃を受けるよりは、と考えての選択でもあった。


「……! 騎兵突撃来るぞ!」


 プロデウスは味方の兵士たちに警告を発する。だが、第一軍団は迎撃装備であるピルムも盾も、全て減衰している。右翼側を保護してくれるはずの騎兵は、既に後退していた。間に合わない。為す術もなく、脆い右側から崩されていく。


「こっ、こいつら、剣が効かない!? うわああああああ!」
「うぐぅ、おぼっ!」


 カタフラクトの鎗に貫かれる者、蹄鉄にかけられて踏みつぶされる者と、次から次へと死傷者ばかりが増える。配下の兵士たちが死に逝く中、プロデウスもハギュア傭兵の一人と鍔迫り合いになり、死闘の限りを尽くすことになる。


「っ……!」


 プロデウスは、どう指示を出せばいいのか窮した。重装備のカタフラクトがいる以上、打撃兵器で攻めるのが常道だ。だが、身軽なハギュア傭兵までもが同時にいる局面で、下手に斧を装備しろとも言えない。とにかく、今は被害の拡大を防がなくてはならない。


「盾が無事な者は前衛に出ろ! 盾を失った者は後退! 右翼側に重点的に兵力を送り込め! 未知の歩兵よりも超重騎兵の方が破壊力は上だ、突破されるな!」


 指示を与えながら、目の前に迫ったハギュア傭兵のファルカタを左手の短剣でいなし、血で染まった片刃の長剣を首筋に叩きこんだ。最早この百人隊長にとっては、自らのパトローネスたちがこの状況を打開してくれることを、信じるしかなかった。



「プロデウス……!」

 歩兵隊から少し離れた位置で指揮をしていたクイントゥスは、自分から血の気が引いていくのを感じていた。初めて自らの手で得られたといえるクリエンテスが、危機に瀕している。

「行かねば。歩兵隊の救援に向かう!」

 だが、クイントゥスの護衛騎兵たちは反対する。何も命が惜しいわけではない。必要だから、だ。


「お待ちください! 貴方は総指揮官であることをお忘れか!」
「貴方が倒れれば、全てが終わりなのです!」


 クイントゥスは、その声に対して、あっさりと言い放った。


「俺のために戦うクリエンテスを放置して、何が総指揮官だ! 俺は一人でも行く!」

 それだけ叫ぶと、スキピオ家の後継者は馬を走らせて鎗を構え、歩兵隊の下に向かう。

「まずいぞ! 総指揮官が指揮できない状況になってしまっては、誰が軍を指揮するのだ!」
「やむを得ん、第二軍団のコルウス軍団長に連絡しよう! 最善の策を採ってくれるはずだ!」


 クイントゥスの護衛騎兵たちにとっては、指揮官たちの確執など知ったことではなかった。最上位の人間が指揮できないのなら、次席に任せるのは当然である。クイントゥスの護衛騎兵の一人がドゥルーススの下に向かい、残る騎兵たちはクイントゥスの後を追った。
 連絡は、早かった。数分もせずドゥルーススの下にクイントゥスの護衛騎兵が辿りつく。


「コルウス軍団長! 大変です、クイントゥス様が第一軍団の歩兵隊の支援に向かわれました! 現在指揮官不在の状態です、指揮をお願いします!」
「僕が代わりに!? わかった、やってみる!」


 即答すると、彼はクイントゥスの護衛騎兵に指示を出す。何としても、指揮の空白を埋める必要がある。そして、死傷者を増やしてはならず、しかもクイントゥスをその中に含めてはならない。彼の頭には、そのための方法が次から次へと浮かんでくる。


「まずクイントゥスを敵から引き剥がして! それができないことには始まらない。同時に第二軍団の弓箭兵とハスタティは即座に撤退開始! 第二軍団のウェリティスはピラ掃射の後に退却を! 第一軍団付属と第二軍団付属の機動部隊は右翼側に集結! マニウスとサムニウム騎兵は第二軍団撤退後、機動部隊と合流! テッサリア騎兵が攻撃してくるようなら、優先して処理! 第一軍団射撃部隊は今から射撃開始! 攻撃の空白を埋めさせて! ウェリティスは超重騎兵を優先して攻撃! 残存騎兵突撃後、残る第一軍団全部隊も撤退する! 連絡して!」
「はいっ!」


 ドゥルースス自身も休憩させて回復した愛馬を走らせ、ローマ軍の右翼に向かう。彼も普段なら騎兵隊を直接率いて突撃するが、指揮ができるようにできるだけ白兵戦を避けるつもりだった。合流しつつある麾下の騎兵たちに、彼は声をかける。


「ティベ君、貴方は補助軍騎兵を率いて最右翼から回り込んでヌミディア騎兵へ牽制して! 敵の方が強いとは思うけど、ここは何とか持ちこたえてくれないか?」
「あんたにサムニウムの力を見せてやるよ。俺たちをバカにするな!」


 つんけんした態度は変わらないが、指示は聞けないと言っていたのが、嘘のようだった。ここはティベリウス・オタキリウスに任せた方がいいだろう。


「任せた!」


 次いで、ドゥルーススは自らの護衛に向かって口を開く。


「カエソ、カエソはクイントゥスの救助に向かって。僕の方は間に合ってるから!」
「あいよ、オメーの親友助けてやっからな、待ってろっての!」


 親友か、と少しばかり寂しい思いを抱えながら、カエソと別れたドゥルーススは、右翼にいる兄の騎兵隊と合流する。


「この状況で生き残るための手は、打ってあるのだな?」

 ティベリウスの声に応えるように、ドゥルーススは唸るように口を動かした。

「それは大丈夫。負傷者を置き去りにしたくないけど……。無理だね、現実的に考えて。」

 彼の兄は、どうしようもないとでも言うように、暗い調子で言葉を放つ。

「ホプリタイの足が遅いといっても、それはファランクスを組んでいる間の話だ。今は戦力を確保することが重要だろう。やむを得ない。」


 現実的な処理を優先することが必要だと、ドゥルーススは認識している。だが、それは彼の性格に合わない処理でもある。確実に自分の心が蝕まれているのを感じつつも、決定を変えるわけにはいかない。状況確認のため、今は幼さの代わりに真剣さを宿す男が、再びティベリウスに疑問を投げかける。

「第一軍団の射撃部隊の状況は?」
「ピラは尽きているはずだ。矢ももう少しでなくなるだろう。」
「よし。ローマ騎兵隊はこれより……敵超重騎兵及びカルタゴ特殊歩兵に対して突撃を行う! ローマを救え! 故郷を守れ! 攻撃開始! プロ・ローマ! プロ・レス・プブリカ!」
「プロ・ローマ! プロ・レス・プブリカ!」
「プロ・ローマ!」
「プロ・レス・プブリカ!」

 融和を謳う言葉で煽り、ティベリウスとドゥルーススが揃って馬を走らせて突撃に参加する。指揮官たちがここまで戦闘に参加するのは、負け戦以外の何物でもない。だが、騎兵隊の先頭に立つのは、ローマ貴族としての姿勢を見せつけるティベリウス、そして確実にエペイロスに打撃を与えてきたドゥルーススという面子だ。この兄弟の姿は騎兵たちの心を熱くするのに十分すぎた。

「これでどうだあああああああ!」

 ティベリウス・オタキリウスと補助軍騎兵が対騎兵防御として配していたヌミディア騎兵を抑えている間に、カタフラクトの側面を衝撃そのものとなって襲う。先ほどは正面故に弾き飛ばせなかったが、今度は側面だ。ただでさえ騎兵は歩兵に比べて前後に長く、側面からの衝撃に弱い。しかも、重装備のせいで重心が高い位置にあるカタフラクトは、バランスを崩しやすかった。動揺の波が、少しずつ伝わっていく。

「崩壊までは持って行けなくても、時間稼ぎくらいは出来る。総指揮官がいなくなったら、シチリア方面軍は終わりだ……。カエソ……クイントゥスを助けて……。」


 同じころ、クイントゥスはプロデウス隊の隊列の隙間を縫って馬を進ませ、幾人ものハギュア傭兵を槍玉に挙げていた。

「うおおお!」

 自らが頼りにしているクリエンテスを、何としても守らなくてはならない。自分の立場も全て忘れ、猛然と鎗を振るい続ける姿は、ハスタティたちの心を煽ったものだが、彼らを統率するプロデウスは逆に蒼褪めた。

「ご自重ください! 貴方はこのような場に出ていい方ではない!」
「お前の危機を見捨てておけるわけがなかろう!」
「私のこと以上に、多くの兵のことをお考えください! 貴方は私一人のために、数百人の命を引き換えにするおつもりですか!」
「ぐっ……!」

 クイントゥスは返答に窮した。だが、このまま見捨てたくもなかった。どうするべきなのか。そんなことを考えている間に、背後からどこかで耳にした、乱暴な口調が聞こえてくる。

「おい、総指揮官の護衛兵さんたちよ! おたくらの指揮官とっ捕まえて、さっさと引き上げだっての! 今しか撤退のチャンスはねえぞ!」

 誰が撤退の指示を出したのか。クイントゥスは再び怒りに満たされかけた。だが、それを制するように彼の護衛騎兵たちが口々に言葉を主に向けて放った。

「我々がコルウス軍団長に代理の指揮を頼みました。いくらでも懲罰は受けましょう。」
「しかし、貴方が我らの首席百人隊長の救護のために指揮不能になった以上、指揮の空白を埋めるためには、副将殿に代理を頼む以外の方法が見当たりませんでした。」
「指揮の空白は、指揮の分裂以上に危険です。緊急の処置として受け取ってください。」

 スキピオ家の後継者は唸る。自分の浅慮もある。それに、ドゥルーススの方針が一貫しているのも、受け入れなくてはならない。そもそも、騎兵で攻めきれないなら歩兵で攻める、ということで戦闘を続行していた以上、その歩兵も切り崩されては撤退以外の選択肢はない。

「……わかった、退却しよう。」

 冷静さを欠いた代償は高くついた。承認だけ求めてくるとはいえ、そして、指揮系統を無視して連絡するとはいえ、副将の方が冷静だと認めるしかなかった。しかし、とクイントゥスは馬首を返しながら考える。

「……そういえば、何故騎兵が負けた時点で撤退の『指示』を出さなかった? 出そうと思えば出せたはずだ。『可能性』で止めたのは……俺を信じていた、ということなのか……。俺が自分の意見を理解するはずだと……。あいつは……!」

 この状況になって初めて、クイントゥスはドゥルーススの深い信頼を思い知ることになった。だが、今悔やんでも勝利も将兵の命も取り戻せなかった。

「……。」

 指揮系統を見直す必要もあるかもしれない。クイントゥスはそう考えるしかなかった。

「クイントゥスの撤退は出来たんだね? よし、僕たちも撤退だ。その前に……歩兵をできるだけ救え! 総員、突撃準備!」

 残存騎兵戦力全てをまとめ上げ、ドゥルーススは最後の一撃にと騎兵たちを一度下がらせ、再度加速する。だが、その動きはピュロスに察知されていた。

「バカめ、そう何度も同じ手を食うと思っているのか!」

 ローマ騎兵が再び鉄の塊に衝突し、多くの馬の嘶きと人間の断末魔が谺する。ドゥルーススは眉を顰めたが、計算の内ではあった。

「騎兵は大事だけど、歩兵をこれ以上削られては作戦に支障が出る……。ここは耐えて……お願いだからっ!」

 プロデウスたちが逃げ切らなければ、作戦に支障が出る。一度シチリアで負けた以上、次の勝利を得るためには、これ以上人材を失ってはならない。タイミングを見計らい、ドゥルーススは声を張り上げた。

「十分だな、撤退!」
「そうはさせんぞ! その騎兵隊、ローマが持つには危険すぎる!」

 しかし、騎兵隊の退却を妨害するようにピュロスの命を受けたテッサリア騎兵が回り込んでいる。カルタゴ騎兵も協力しているらしい。それでも方針は変わらなかった。

「テッサリア騎兵の回り込み? ……もうそんなもの、正面突破で十分なんだよ!」

 どこか狂ったように、シチリア方面軍副将は叫んでいた。彼が散々夜襲に騎兵を連れ回したのは、迎撃に出てくる対テッサリア騎兵への特訓でもあった。サムニウム騎兵はともかく、第一軍団付属機動部隊のエクイテスも、第二軍団の騎兵も、全員が一度は夜襲に参加している。疲労度は互いに同程度で、ローマ側の方が大人数であり、しかも一点突破である。その上、ガリア騎兵を先頭に立てている。序盤の横殴りならまだしも、これで突破できない方が不思議だった。カルタゴ騎兵に邪魔されながらも、騎兵の壁を切り崩していく。

「コルウス軍団長! 歩兵隊の脱出、成功しました! 前方も問題ありません! 突破できます!」

 黒装束の軍団長は報告を受けて頷き、命を下した。

「よし、後は逃げ切るだけだ! 全騎兵、全速前進! 次の勝利のために、何としても生き残れ!」

 次の勝利のためとは何と虚しい響きなのだろうか、と自ら思いながら、黒い愛馬を走らせた。後ろには、オタキリウスとティベリウスがいる。もっと後方には、サムニウム族長の弟も走っているはずだ。彼らがいれば、まだ何とかなる。だが、そんなことではこの虚無は埋められなかった。

「……。選べない、か。」


彼の瞳から、何かが欠落したようだった。誰も、本人ですら、気付かなかった。




17 最も長い一年(Ⅷ) 毀れた感情


 どうにかローマ軍は、全滅を免れた。歩兵でも騎兵でも敗北したのは、アスクルム以来と言ってよかった。そもそも、エペイロスもカルタゴも、未だ象という最大の破壊力を持つ部隊が控えていた以上、あのまま戦い続けていれば壊滅どころの騒ぎではなかったに違いない。

「……負けて帰ってきて、この事実を思い知らされるとはな。」

 スキピオ家の後継者の呟きは、メッサナの会議室にいる他の五人の指揮官全体に伝わる。とにもかくにも、今回は兵士たちの戦闘能力以上に、あまりにも指揮系統が杜撰過ぎた。さすがに副将も反省しているらしく、普段ならあれこれと承認を求めてくるのに、黙して語ろうとしない。

「……第一軍団の射撃部隊の被害は大したことはありません。ですがハスタティは、半数が撃砕されました。戦列としては何とか機能しますが、被害は少なくありません。ティベリウス殿の話によると、エクイテスも3割を喪失したとのことです。」

 プロデウスの報告を耳にしても、クイントゥスは沈黙したままだ。だが、報告は行われなくてはならない。ドゥルーススが口を開きづらいとみたオタキリウスが、第二軍団の次席として代わりに発言する。

「第二軍団の本隊は、ほとんど無傷だ。ただ、付属機動部隊の被害が。エクイテス200騎が120騎に、ガリア騎兵210騎が125騎にまで減衰している。補助軍騎兵もヌミディア騎兵を相手にしていたために、324騎が267騎だ。シチリア戦線の主力だっただけに、この被害は看過できるものではない。サムニウム騎兵を全て分与して、穴を埋めようと思う。クイントゥス、許可を。」

 オタキリウスの提案を聞き、クイントゥスはドゥルーススの方を見遣る。だが、視線を向けられた副将は俯いたままだった。クイントゥスを完全に無視したわけではないとはいえ、指揮系統を混乱させたことには変わりないと、自分を責めていた。
そもそも、今回の作戦自体に気乗りしていなかったせいもあって、敵戦力のついての情報収集を怠った上、状況が見え過ぎるという特質もあって諦めるのが早過ぎたのだ。敗北の原因の一端は、間違いなくドゥルーススにあった。
その上、もう一つの考えが、彼を沈黙させていた。それは、越えてはならない一線のように、彼には感じていたことだ。言いたくなかった。

「ドゥルースス。総指揮官が意見を求めているのだ。何か言うべきなのではないのか。」

 ティベリウスが促したが、ドゥルーススは沈黙したままだ。やむを得ない、とティベリウスは少し強めの口調でクイントゥスに言葉を投げかける。

「クイントゥス殿。ここはドゥルーススに意見を出すように、命を下してもらえないだろうか。そうすれば、何か発言してくれるだろう。」

 クイントゥスも力なく頷いて同意する。今の状況では、何としても打開策を得る必要がある。シチリア方面軍の作戦立案者として、この幼さを持つ男の意見が、必要だった。

「ドゥルースス、オタキリウスの提案について、意見を述べよ。可能ならば、今後の方針を提案しろ。これは、命令だ。」

 命令、と聞いたドゥルーススは少しばかり身震いし、口元に手を当ててから言葉を紡ぐ。

「……うん、そうだね……騎兵の編入についてはマニウスが正しい。それでいいと思う。ただ、今後の方針は……今の僕には怖くて言えない。たとえ、命令だったとしても……。」

 ドゥルーススの言葉尻の歯切れの悪さに、クイントゥスは食い下がる。

「怖いと言っていられる状況ではないだろう。」
「……僕にそれを言う資格はないんだ。敗北のきっかけを作ったようなものだから。それに…………いや、何でもない。とにかく、言えない。」

 何かを隠しているらしいが、今はそのようなことを言っている場合ではない。スキピオ家の後継者たるクイントゥスは、普段よりは弱った声で俯く副将に言葉を向ける。

「責任なら、俺にもある。攻撃強行を主張したことと、指揮の空白を作ったことだ。俺にも言えたことだが、責任を感じているならば、勝利のために行動すべきだと思っている。しかしだ、悔しいが、俺には対ピュロスの作戦など思い付かん。」

 それでも沈黙を守るドゥルーススに言葉を叩きつけたのは、父を殺したと糾弾していたティベリウス・オタキリウスだった。初対面の時の猛々しさは抑えられ、代わりに一種の冷たさが漂っている。

「とりあえず、全員の生存のために現状を整理してみるぞ。今まであんたは汚い手段と夜襲でテッサリア騎兵にトラウマを植え付けてた。とりあえず、テッサリア騎兵は怖くない。で、向こうは攻城戦だけはしたくないはずだ。下手すれば、また汚物をぶっかけられた挙句に消毒だと言われるわけだからな。それに、あの超重騎兵だって、歩兵なしじゃメッサナの城門を突破なんかできるわけがない。しばらくは、無理に会戦に訴える必要性はないってことだ。ただし、目の前で略奪されるのを、黙って見てることになるんだけどな。ここまでで、何か反論はあるかよ?」

 この場で一番若いはずのサムニウムの男の言葉に、残る五人は唖然とした。現状を、正確に把握している。だが、そんなことはどうでもいいという調子で、ティベリウス・オタキリウスは続ける。

「問題点はいくつかある。まず、こっち側の指揮系統の統一と、その指揮最高位者を誰にするか。今の総指揮官の能力は、優秀だとは俺も思う。ただ、こっちの総指揮官は堅実型だ。天才型のピュロスとハミルカル相手じゃ、分が悪い。天才相手には、相手が想像もできないほどの奇策を連発できる、トリッキー型の指揮官が必要だろうな。堅実型相手じゃじわじわ攻められて歯が立たないが、天才相手ならいけるはずだ。」

 ここで分類した堅実型と天才型とトリッキー型は、それぞれ三竦みの関係にあると、このサムニウム族長の弟は言ったのだった。真偽のほどはともかく、彼は構わずに続ける。

「ピュロスも飽き性なんだから、丁度いいはずだろ。クラウディウスのお師匠は演説使って揺さぶりかけるのが仕事だから、ちょっと荷が重い。兄さんは総合能力がバカみたいに高いけど、戦術面も戦略面もやっぱり堅実型だから相性が悪い。俺なんかは単なる口先男だし、最悪だ。残る指揮官はコルウス軍団長、あんたしかいない。トリッキーな方法で散々振り回してきた実績もある。ただ、立場が副将ってのが、最大のネックだな。これを解決するのは、あんたたちの問題だろ。」

 どうやら、現状は把握できるが対策は立てられないらしい。普段なら、口先だけと糾弾されてもおかしくない。だが、今の状況には打って付けの人材だった。このタイミングしか、状況を変えられる瞬間はなかった。沈黙が降りてはまずい、と感じたプロデウスは、クイントゥスに恨まれるだろうと覚悟しながら、自分でも信じられないことを口にした。

「……クイントゥス様。ここは一つ、ピュロスのシチリア撤退まで、インペリウムをドゥルーススに預けては? 指揮系統を統一するには、それしかありません。」
「……!」
「……。」

 あまりのことで、クイントゥスもドゥルーススも声を失う。この場で最も戦争経験の長いティベリウスも、この提案には驚きを隠せなかった。

「インペリウムの委譲だと? そんな措置は、私も初めてだが……。」

 しかし、四角い顔を軽く傾けて、オタキリウスは考えをゆっくりと言葉に紡いでいく。

「ですが、確かにプロデウス首席百人隊長の意見は正鵠を射ている。元々、我らシチリア方面軍はインペリウム保持者と作戦立案者を同時に抱える、パラドックスを内包した組織だ。これでは混乱するのも道理というもの。それを避けるには、インペリウムの委譲しかなかろう。」
「兄さんは簡単に同意したみたいだけどな。で、総指揮官殿とコルウス軍団長殿は、どう返答するつもりだ? はっきり言って、俺たち全員の生命線はそっちの決断次第なんだ。」

 ティベリウス・オタキリウスに迫られて、二人は窮した。この選択は、多くの命とローマの命運がかかっている。二人とも、たった30歳だ。一人前と見做される年齢とはいえ、若いことには変わりない。

「……ドゥルースス。お前はどうする気だ? 俺は……。」
「……インペリウム保持者は、まだクイントゥスだ。僕がまだ決定すべきことじゃない。……命じられれば、受けるよ。それが責任の取り方だというのなら。」

 どこか、虚ろな調子だった。本当は望んでいないとでもいうような顔つきではあったが、それは同時に、要求されれば逃れられないという表情でもある。覚悟を抱えたクイントゥスの顔に比べれば、頼りなかった。

「俺は、ローマの勝利のためには必要なことをするつもりだ。……インペリウムを受け取れ、ドゥルースス。」

 クイントゥスにしても、苦渋の選択だった。敵が敵なら自分で対処できたのだろう。だが、ティベリウス・オタキリウスに指摘されたように、対処できるのは今いる人材ではこの幼い雰囲気を漂わせる中性的な副官しかいなかった。

「……わかった。ただ、実質は僕が受けるとしても、名目はクイントゥスのまま固定して。元老院からの連絡を僕が受けたら、ただでさえ僕が傷付けているというのに、クイントゥスの名誉が傷つく。それに、実質だけを移すのなら、しくじったときに僕を切り捨てればそれで済む話だしね。」

 以前にも、似たようなことを口にしていたな、とクイントゥスは思う。遠い記憶を辿れば、一つだけ思い当たるものがあった。10年前、山賊討伐時にわざわざ「デキマティオ」を告げることで兵士たちの鎮静化を図り、さらに自分との縁を切るように進言していた、あの一件だ。あの時と全く変わっていない。何が彼を突き動かすのかはわからないが、一貫していない行動の中に、ある種の法則性があるように、スキピオ家の後継者には思えてならなかった。

「……了解した。」

 しかし、この気遣いもクイントゥスにとっては、名誉が傷付かなくともプライドが傷付くものであった。自分が無能という理由で副官への降格ならまだよかった。それが、「名目だけはインペリウム保持者」である。言ってみれば、作戦会議では完全に「カカシ」でしかないということだ。ドゥルーススという男は、それを理解していないらしい。だが、現在のインペリウム保持者は勝利のためと、口を動かし始める。

「じゃあ、ティベ君。第一の問題点は解決したわけだし、次の問題点を言ってもらおうかな。これは、インペリウム保持者として言っているから。」
「……あんたはなんだってそう……まあいい。次の問題点だが、今後の戦略レベルでの方針。それに、いざ戦闘に突入した時の新種兵科対策。最低でも、この二つは考えておかないといけないんじゃないか?」

 やはり、ティベリウス・オタキリウスは正確に現状を把握している。少しは仕事が楽になりそうだ、と思いながら、ドゥルーススは言葉を紡ぐ。

「戦略レベルでの方針だけど、騎兵の奇襲連発による戦力削りに戻そう。今のまま戦っても無駄だよ。奇襲に投入する騎兵たちは、装備を変える。夜戦装備を徹底して、エクイテスとガリア騎兵の判別ができないようにするのさ。具体的には、黒いトゥニカとズボンと兜、それに顔を隠す黒い布を覆面として身に着けてもらうことになるかな。」

 ガリア騎兵の一撃を警戒されては、奇襲も効果が半減する。そこで、兵士たちの構成を敵に知られないように、装備を統一して撹乱するつもりだった。体格で判明する可能性はあるが、全てのローマ人が小柄で全てのガリア人が大柄と決まっているわけではない。混成部隊として使用すれば、誤魔化しが効く。
その上、この方法は「各民族の風貌を尊重する」という意味も込められていた。短髪で髭を剃るローマ人と、長髪で髭を伸ばすガリア人が協力して戦う以上、喧嘩にならないように互いの風習は残しておきたかった。兜を被っていれば、髪の毛は隠せる。布で顔の下半分を覆えば、無理に髭を剃らせる必要もない。出来得る限り文化的な摩擦を減らさなければ、豊富な民族構成が売りとも言える、このシチリア方面軍を維持できなかった。

「で、この奇襲部隊なんだけど。僕にインペリウムが渡った以上、指揮官を変更する必要がある。一番の問題はガリア騎兵のコントロールだね。白兵戦能力の有無で判断する人たちだし。それに、できれば僕と代わりの人間が入れ替わったことを、ピュロスに悟られないようにしたい。」

 騎兵指揮官が入れ替わるということを、彼は知られたくなかった。何故なら、騎兵隊に注目している間に様々な工作を仕掛けることを、この幼い男は画策していたからだ。作戦立案者が自分であることくらい、知られているだろうと推測していた。ならば、「自分」と出撃している騎兵隊を囮にするのが、一番の方法である。

「それで、最適な人材は?」

 クイントゥスの問いに、ドゥルーススは唸りながら応える。

「当たり前だけど、クイントゥスには出来ない。インペリウム保持者であることは、変わりないわけだし。兄者と僕じゃ、体格が違いすぎる。マニウスも同じ理由で無理。僕が小柄なのが問題なんだけど……。残っているのはティベ君だけだね。白兵戦も強いから、ガリア騎兵をコントロールできるだろうし。それでもだめなら、組み手でもして貰うしかないけど、ティベ君なら大丈夫だろうね。とりあえず、ティベ君の装備を僕のと同じように黒く塗装して、交代を繰り返しながら入れ替わろうか。後は、細かい体格の違いを誤魔化すために、黒マントを羽織るしかないかな。暑くても我慢ということで。」
「また俺に押しつける気か!? しかもあんたの影武者扱いとは、いったいどういう了見をしてるんだ、あんたは!」

 信じられないとでも言うように怒鳴るティベリウス・オタキリウスを制するように、静かな調子で現在のインペリウム保持者は口を開いた。

「言ったはずだよ、僕はティベ君が責任を果たせる人材だと信じている、とね。大丈夫、使い捨ての駒にはしないさ。騎兵戦力は、ピュロスに対抗できる重要な部隊だから粗末には扱えないよ。」

 それだけで喚き続ける若きサムニウムの猛将を沈黙させ、彼は次の話題へと移る。

「それから、一番の問題はピュロスとハミルカルの連携を崩せるかどうか、かな。やっぱり、天才は一筋縄ではいかないみたいだし、二人もいたら分が悪い。最初は喧嘩でもしてくれると思っていたけど、甘かったみたいだしね。だから、今度はバックから揺さぶりをかけようと思う。」

 バックと聞き、外交戦を展開するつもりか、と思いながらオタキリウスが口を開く。

「バック? ピュロスはエペイロスの王だから、支援先であるターレスやシュラクサイが相手になるな。ハミルカルの場合なら、対象はカルタゴ本国かイベリア植民地になるが。」
「ターレスやシュラクサイは応じないだろう。我らと領地を接している上に、ここ数年戦い続けているのはギリシア相手だ。ターレスなど、再び使節を追い返しかねない。となると、狙い目はカルタゴのハミルカルか? リリュバエウムと接することにはなるが、敵対関係はそれほど長くはない。それに、確かイベリア派と国内派で国論が分裂していたはずだ。」

 自分の兄の発言を基に、ドゥルーススはできるだけ冷静を装いながら考えを述べる。

「外交官を何人かカルタゴ本国に派遣するように、元老院に手配をしてもらおうかな。それから、軍資金がもう少し必要だ。具体的には10000デナリウスくらい。出し渋ったら、また脅すしかないかな。こんなことをするのは嫌いなんだけど、好き嫌い言っていられないしね。……カルタゴ貴族に賄賂でも贈らないと向こうの議会をコントロールできそうにないから。」

 この場にいる指揮官たちは、揃いも揃って武人気質の者ばかりだった。揃って顔を顰める。提案した本人ですら、嫌がっていた。とはいえ、今の状況を考えればそれしかないのも当然だ。構わずに、ドゥルーススは続ける。

「それから、兵科対策か。奇襲の間は、とにかく超重騎兵とあのカルタゴ歩兵団を見かけたら、逃げる。それに徹するしかないよ。いざ会戦になった時は……正直こんな方法は使いたくないけど。こうしようと思う。」

 「その方法」をドゥルーススが口にすると、先ほど以上に指揮官たちは顔を顰める。顰めるどころか、吐き気すら催していた。その代表格として、クイントゥスが信じられないとでも言いたげな調子で、言葉を投げかける。

「ドゥルースス。本気か? そんな方法を使うのか?」
「この攻撃方法は、身分の貴賤も生き物の区別もなく、効果を挙げられるからね。本当は別の方法に使う予定で取り寄せていたんだけどね、この方法に使う道具。でも、こうなったらやるしかないよ。ローマには対騎兵装備が不足しているからね、超重騎兵相手に戦うには、今のままでは少しばかり不安定だから。あの鉄の塊を確実に消せる方法さ。」

 どうも、インペリウムを受け取る直前に口籠ったのは、これらの作戦を既に思い付いていたのが理由のようだ。やりたくもない作戦ではあっても、効果が出るなら実行するしかない。トリッキー型の指揮官として優秀であるがために、本人が望む望まないを問わずして性格が許さない作戦ですら思い付く。この手の苦しみは、他者には理解できない性質のものだ。それでも沸き上がるどす黒い思いを抑えて真剣な面持ちで口を動かしていく。

「それから……サムニウムの偵察隊を借りたい。何人動かせる?」

 その問いに応えたのは、ティベリウス・オタキリウスではなく、サムニウムの代表たる彼の兄だった。

「五人ほど。偵察内容にもよるが。」
「正確には偵察ではなく地質調査だけどね。専門家はシチリアにもいるだろうから、その人と同行する形になるけど。できるだけ『例の作戦』に使う物資を現地調達したいから。イタリアからでも調達は出来るけど、船での輸送は安定しないし。環境からしてシチリアでも多分手に入るはずだ。ただ、確認はしなきゃいけないしね。」
 秘密裏に進めたい作戦らしいが、地質調査に偵察隊を借りたいと言ってくるとは、さすがにサムニウムの族長も不思議がったものだ。ただ、潜伏しながらの調査が必要である以上、潜伏に慣れたサムニウムの人間を必要としていることは、はっきりと理解できたようである。

「了解だ、早速手配しよう。」
「今のところは、これで持ちこたえられるはず。問題はこれから、かな。」

 ピュロスとハミルカルは、リリュバエウムに戻っていた。今後の方針について、彼らもまた話し合っていた。勝つことには勝った。だが、ホプリタイもイベリア歩兵も、ハギュア傭兵もカタフラクトでさえも、数を減らしている。この現実は、彼らにとってあまりにも重かった。

「ローマ軍相手に戦うのは、いささか苦労するな。貴様の超重騎兵とカルタゴのハギュア傭兵を同時に叩き込んで、やっと片方の戦列の半数を撃破できた程度とは。こちらの犠牲も決して少なくないぞ。」

 カルタゴの海将の暗い言葉に、エペイロスのディアドコイも頭を抱えていた。こちらは以前にも同じ経験がある分、余計に苦しかったらしい。

「やはりこうなったか。勝てることには勝てるが、犠牲を払わねば勝てん。連中は簡単には諦めん。いや、むしろ負ければ負けるほど強化して戻ってくる。アスクルムでダメージを与えた後に、騎兵を増強して戻ってきた。次に何が来るのか。全く想像もできん。」

 ローマの恐ろしさはこれだ。一度や二度殴られた程度では怯まず、むしろ体勢とシステムを立て直し、強化して戻ってくる。そして、相手が降伏するまで迫り、完全に叩きのめす。ローマという国家自体が、マゾ体質なのかと疑われるほどの異常さだった。

「面倒な相手だ。次こそは一撃で仕留めねばならんということか。こちらも戦力の増強が必要だが、貴様の本国はどうなっている?」
「遠すぎるな。やはり、距離だけはどうにもならん。」
「こちらは距離こそどうにかなるが、援軍を寄越す保証が全くない。本国の連中は現状を全く理解していない。説明に、息子を遣ろうと思っているところだ。」

 本来なら、ローマを撃退した後にもう一度互いと戦いあって、雌雄を決するつもりだった。だが、そのための戦力すら失いつつある。自分たちの弱みを見せるということは、間違いなくローマ相手の戦争で不利になりつつあることを示していた。

「勝ったはずなのに、何故我らが追い詰められているのか。全く以って、他者には理解できまい。だがな、私は一国の主故わかる。このまま放置すれば、間違いなく世界はローマに塗りつぶされる、ということがな。それが容認できるか、ハミルカル・バルカ?」
「できるわけがなかろう。カルタゴを守るのが私の役目。ローマなどに好きにされてたまるものか。だが、戦力が足りん。状況も悪すぎる。」

 ハミルカルは鼻から息を吐き出して腕を組む。そのカルタゴの名将に、エペイロスの名将が囁きかけた。

「ならば、今打てる手立ては一つしかなかろう。」

 この状況で使える手段は、さすがのハミルカルも一つしか思い浮かばなかった。

「……暗殺か。対象は誰だ? 総指揮官か、副官か、それ以外にも取り巻きがやたらいるがな。」
「副官、ドゥルースス・ポンピリウス・コルウスだ。総指揮官クイントゥス・スキピオの能力はローマ人の範囲でしかない。副官のガイドラインに沿って動いている間、我らはいいようにあしらわれてきた。今回は、総指揮官の意向に沿っての行動だ。それには勝てたのだ。副官さえ死ねば、それで十分だろう。」

 どうも、ドゥルーススは彼ら天才二人に過大評価されているらしい。だが、彼らにとって目障りであるのは確かだった。同時に、天才型の二人に対抗できる人材であることも、また事実である。

「だが、あの総指揮官にも副官にも、取り巻きがいることは先程も言ったとおりだ。実際にはブレーンが処理しているのかもしれん。調査してから暗殺すべきではないのか?」

 あえて異を唱えることで、ハミルカルは問題点を探ろうとしているようだった。それは、ピュロスも承知の上だ。

「核となる人間が死ねば十分だ。我々も、自分が核となることを知っているから、護衛を用意しているだろう? 頭を潰せば烏合の衆となろうて。」

 この問題もローマなら普通は乗り越えられた。大量の「そこそこの人材」を元老院にストックしているため、指揮官の「弾切れ」は存在しないに等しかった。しかし、相手は天才二人である。対抗できるのは同じく天才か、でなければ常識外れの人間である必要がある。こればかりは、元老院にもストックはない。奇しくも、エペイロス・カルタゴ連合軍もローマのシチリア方面軍も同じ弱点を抱えていたことになる。

「ならば、何も言うまい。とにかく私は、このリリュバエウムから書簡でカルタゴ議会を相手に説明せねばならん。ローマも焦って仕掛けはすまい。暗殺を実行するだけの時間は十分ある。……ピュロス、また貴様に頼らねばならんらしい。」
「最初は、このシチリアでカルタゴの貴様と戦うはずだったのだがな。不思議なものだ、私は貴様を友と呼びたくなる。いつかは戦わねばならんはずなのだが。」

 ピュロスもハミルカルも同じタイプの武将で、お互いにほとんど傭兵隊長のような存在である。目的が同じならば、意気投合したくもなる。相手がローマなら、尚更だった。

「それまでに、ローマに敗れたくもなかろう。今は私も、友でよいと思っている。」

 つい2カ月ほど前には殺し合いを演じていたというのに不思議なものだ、とハミルカルは思いながら口にする。だが、他のどの勢力よりもローマの方が危険だと、彼は14年以上前から警戒していた。その危険な勢力を、これ以上ないほどの援軍と協力できる。一匹狼気質のカルタゴの名将でさえ、妙な安心感を覚えたものだ。ほぼ同じ気持ちでいただろうピュロスも、軽く胸を張って応えた。

「……手配は任せておけ。あの目障りなローマの小童カラスを叩き落してくれるわ。」




「次の書類は、と。クイントゥス、どう、終わりそう?」

 シチリア方面軍の仕事は、何も戦争だけではない。メッサナの保持が目的である以上、デスクワークは付いて回る。しかも、その最高責任者はインペリウム保持者である。ローマの指揮官は、前線で政治判断を委ねられることが多く、その分権限も強かった。となれば責任も重く、仕事も増えて当然だった。
 インペリウム保持者二人は、山と積まれたパピルスの束に目を通しながら、インクを走らせる羽目になっていた。メッサナの邸宅の一室は、このインクとパピルスの臭いが充満し始めていた。

「……デスクワークは、どうも苦手だ。ドゥルーススはどうなんだ。」
「僕はそんなに嫌いじゃない。パピルスは僕の友達だし。」
「友達なのか……。」

 半分呆れたように口にしたクイントゥスだったが、言葉をぶつけられた幼い男は楽しそうに目を細め、軽い調子で言葉を紡いだ。

「だって、クイントゥスたちと出会うまでは、ずっとそうだったからね。パピルスの束とインクの匂いは、僕を落ち着かせてくれる。」

 そう口にしながら、インクがパピルスの表面を踊っていく。クイントゥスはうんざりしたように、こめかみを指先で一搔きして溜息を吐いた。

「……それでも、俺の仕事の量は随分と減っているが。楽といえば楽だがな。」
「実質のインペリウム保持者は僕でも、クイントゥスのサインがないと何もできないんだから。クイントゥスもちゃんとチェックしてくれないと、進まないんだよね、内政関係は。」
「むぅ……。」

 この手の仕事が苦手なクイントゥスにとっては、今回ばかりはドゥルーススに感謝したくなる。この実質的なインペリウム保持者は、書類に具体的な対応策を書いて寄越してくるので、後は丸を書いて許可するか、でなければ送り返すかすればいいだけだ。しかも、書きこまれる対策も適切で、送り返す回数も大して多くない。丸だけ書いていればそれでほとんど仕事が終わっていた。

「お前は、こちらの担当の方が適しているのではないのか?」
「だと思う。」

 ドゥルースス自身も話でしか聞いたことがないが、ポンピリウス兄弟の父であるデキムス・ポンピリウスは、アッピウスがインフラ整備に携わる際に手伝っていた。当時監察官に就いていたアッピウスは28歳でしかなく、彼を手伝ったデキムス・ポンピリウスも元老院議員ですらなかったにも拘わらず、24歳で法務官に任命されたものだ。今でこそ法務官は38歳からとなっているが、以前は例外も少なくなかったらしく、それだけ優れた内政官だったのだろう。その父の血を引いているドゥルーススである。多少はその影響もあったようだ。

「だが、奇策を連発できる人材はお前だけ、と。何もかもを担うというのは、どんな気分だ? 名誉を得られるいい機会だと思うがな。」

 普通のローマ人なら、この栄誉を喜ぶものだ。だが、目の前の男はローマ人らしからぬ反応を示した。

「はっきり言って、嫌だね。僕にとって責任なんて重すぎる。それに、僕は自分の名誉のために戦ってるわけじゃないし。クイントゥスを凱旋将軍にしたいだけだから。」

 どこか身勝手さをクイントゥスは感じた。責任を負い、それを果たすことこそがローマ人であろう、と思いながら書類に丸を書き続けつつ、口を動かす。

「前もそれを言っていたな。本当のところは?」
「ローマの勝利のために戦って、凱旋式の時に凱旋将軍になったクイントゥスの横を、馬に乗って歩けたらそれでいいと思ってるけど。それ以外の目的なんてないよ。」

 ドゥルーススの「それ以外の目的はない」という言葉から、微妙な嘘を感じた。だが、今問い詰めてもそれを話してくれる保証はない。やむを得ないか、と思いながら、再び書類に徹底集中を始める。

「……。」
「……えーと、これは……と。それから……手配は……ここは民間委託……。」
「……ドゥルースス、ここは別の方が……。」
「……一応、別ルートだとコストがかかりすぎるから、そっちを選択したんだけど。」
「……わかった、これでいこう。」
「ありがと。……次は……。」

 質問と回答と書類の投げ合いを繰り返しながら、二人はパピルスの山を少しずつ確実に、切り崩していった。



パピルスの量が減少したところで、二人は机の前で伸びをしつつ、目の周りを手で擦っていた。一段落が着き、休憩に入ろうとしている。

「ふう、一休みだな。」
「目が痛くなってきた……。体が鈍ってしまいそうだなあ……。」

 額を擦るクイントゥスと、首をぐるぐると回すドゥルーススは思い思いに言葉を口にし、二人とも椅子から立ち上がった。

「とりあえず、僕は水でも飲んでくるよ。」
「そうか、俺はここにいる。」

 短い遣り取りを交わし、幼い男はふらりと部屋の戸口に向かおうとする。その次の瞬間、今の今までのんびりした調子だった彼が、急激に加速したように見えた。

「さてと、何の用かな?」

 見慣れない男が、二人の様子を窺っていたらしい。手にしたものを懐に仕舞おうとしたが、それをドゥルーススが奪い取り、手首を捻って拘束する。

「隠し事はいけないな。それ、貰おうか。」
「これは……鉄筆?」

 ドゥルーススが奪い取ったものをクイントゥスが受け取り、見遣る。どう見てもただの鉄筆にしか見えなかった。だが、よく見れば先端が何かで濡れている。鉄筆は蝋板にメモをするためのものであって、何かの液体が接触することは少ない。となると、答えは一つしかなかった。

「毒を塗った鉄筆か。誰かを暗殺するつもりだった、ということか……。」

 衛兵を呼ぼうとしたクイントゥスをドゥルーススは制した。どうやら、この場だけで終わらせたいらしい。真意のほどはわからないが、あえてドゥルーススに任せることにした。

「そういうことになるね。じゃあ、尋問することにしようか。」

 ぎりぎりと、暗殺者の手首を捻るドゥルーススの顔には相変わらず幼さを抱えた笑みが浮かんでいたが、どこか狂った憎しみの色が滲んでいる。クイントゥスはその表情に軽く身震いする。

「まあ、雇い主は何となく想像がつくから聞かないけどね。ターゲットは誰?」
「……。」

 どうもギリシア人らしく、言葉がわかっていないらしい。それでなくとも、口を割ることは出来まい。それでも幼さを刻んだ男は手首にかける力を増やしながら言葉を紡ぐ。

「言葉が通じてないのかな? じゃあ、今度はギリシア語で聞くよ。ターゲットは誰だったのかな?」

 あと一歩で骨折するという状態で留めているらしい。だが、それでも激痛が暗殺者を襲っていることは間違いない。無表情を装っているが、脂汗が噴出している。ドゥルーススは残酷さに彩られた笑みを、この暗殺者に向けた。

「ああ、言いたくないなら別にいいよ? でも、この後の拷問コースを教えたら正直に言ってくれるかな? 逆さ吊りにして鞭打ち100回の後、傷口に塩を塗ってから、水漬けにして時々鼻の中に水を入れてあげよう。それでも喋ってくれないなら、内側に先端が突き出るように釘を打ちつけた樽に詰めた後、馬に引かせて走り回らせてあげる。どう、少しは喋ってくれる気になった?」

 この、釘を打ちつけた樽はギリシア時代から存在した拷問具だ。相手がギリシア人であることを見越して幼い男は口にしたわけだが、それだけで相手は震え上がった。

「わ、わかった、言う。だが、言ったら解放してくるか? 解放してくれるなら話す。」
「いいよ、メッセージを伝えて欲しかったからね、丁度いい。まずは、話して貰おうかな。」

 今にも殺しそうな容赦のない視線が、暗殺者を貫いている。細そうに見えて鋼鉄以上の強さを持つ指が、彼を縛り上げている。どうあっても、逃れられそうにない。

「対象は、ドゥルースス、あんただ。あんただけ殺せば報酬を受け取る約束だった。」
「僕? なるほどね。」

 暗殺者に名指しで呼ばれた男は、目の前の暗殺者を突き飛ばし、床に倒れ込んだところで頭を踏みつけて言葉を叩きつける。

「じゃあ、僕からのメッセージだ。『殺したければ、こんな方法など使う必要はない。殺すなら戦場で殺せ。何度でもチャンスは作っているし、これからもチャンスはあるはずだ。』わかったかな、覚えてくれた?」

 このまま頭を踏みつぶされる、と暗殺者は思ったらしい。だが、頭の痛みが引いたという認識が生じる前に、尻を蹴飛ばされていた。衝撃で、床を転がっていく。

「さあ、行け。それとも、毒鉄筆の的にでもなりたい?」

 クイントゥスが預かっていた毒を塗った鉄筆を手に取り、投擲の体勢をとる。それだけでピュロスが放った暗殺者はほうほうの体で逃げ出していた。

「……これでよし、と。こちらからメッセージを伝えたかったけど、丁度いいタイミングだったな。あはははは……。」

 先程から、どうにもおかしくなっている。クイントゥスは少々顔を顰めながらドゥルーススに問いかける。

「何も、あそこまでする必要はなかったはずだ。それに、俺は拷問など許可できない。何故あのようなことを言ったのだ?」
「あれかい? 精神的に甚振っただけだよ? 正直に話してもらう必要があったからね、嘘でも何でも活用しないとね。」

 あくまでも笑顔のドゥルーススだったが、開ききった瞳は狂気を色濃く映し出していた。それを見たクイントゥスは、再び首筋にぞわりとした感触を覚える。

「……!」
「それより、よかったよ。ターゲットが僕で。クイントゥスを狙われていたら、シチリア方面軍はおしまいだった。クイントゥスがいなければ、機能しないんだからね。」

 自分よりもドゥルーススが狙われる方が余程危険なのではないのか、とクイントゥスは思ったものだが、目の前の男はそうは思っていないらしい。

「ふ……ふふふふ……あははははははは! 楽しいよピュロス、こんな方法を使ってくるということは、追い詰められているんだね? それならもっと苦しませてあげるよ、あはははははははは! ……とりあえず、物資はまだ届かない。今日出撃すれば罠にかかる可能性もあるから、夜襲騎兵隊の攻撃は明後日がいいかな。戦力を削って、焦らせないとね。」

 壊れたように笑った割には、次の瞬間には冷静に対策を考えている。スキピオ家の後継者には、もう自らの副将を名乗る実質的なインペリウム保持者のことが理解できなくなっていた。


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