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補助軍兵A氏作 アイマス・トータルウォー支援SS「黄金色の鴎」

はい、またまた補助軍兵A氏より支援SSをいただきました!
ありがとうございます!orz

今回はテルティウスのお話ですよ!


なお、テルティウスの妻「ドミティア」の名はアイマス・トータルウォー公式です。
ですがその他の人物名、設定などは全て補助軍兵A氏独自の解釈に基づいています。

そこのところ、ご了承ください。

では、どうぞ! 黄金色の鴎


プロローグ


恰幅のいいその男は、やれやれという顔で禿げた頭を撫でつつ、タプソス市庁舎に戻ってきた。彼が主催したその宴席は、既に片付け始められている。中庭に置かれた寝台式の椅子や、食べ残し、果ては形容しがたい流動物と、それを引き出すのに使ったと思われる羽根を片付ける奴隷たちが、忙しく動き回っている。その様子を見ながら、男は左手に持った、透明な器を軽く撫でた。大騒ぎの中で割れるかと思ったが、傷一つなかった。
この男の名はテルティウス・ドラベラという。スキピオ家のクリエンテスの一人であり、大富豪であり、そして元老院議員だ。カルタゴ方面軍のインペラトールである千早・如月に挨拶をしに、このタプソスまでやってきた。そこまではいいのだが、ローマ人に対していい感情を持っていないタプソス市民に千早共々襲われかけ、何とか戻ってきたところだった。とはいえ、収穫がなかったわけではない。この軍団を率いるインペラトールが、自分と似たような考え方の持ち主だったことが確認できた。これなら、自分の計画もうまくいくかもしれない。そんなことを考えていたテルティウスの後ろから、彼を呼ぶ者がいる。
「テルティウス。」
「おや、来ていたのですか。ティベリウス。仕事が速いですな。」
ティベリウスと呼ばれた男は、名前に反してローマ人と言えるような姿をしていなかった。背丈はローマ人たちとあまり変わりはないが、がっしりした体つきで白髪混じりの黄金色の髪を持ち、目は青かった。しかも、ローマ人の典型的な服装であるトゥニカとトーガを身につけてはいても、その男の下半身を覆っていたのは蛮族の服装の代表と言えるズボンと、革袋とサンダルを組み合わせたような肌を露出しない靴だ。
年の頃はテルティウスと同年代か、少し年上だろう。引き締まった顔立ちだが、目付きは人懐っこく、よく笑うのか目元に刻まれた皺は深かった。そして、何故か彼は左足を引きずっていた。
「当たり前だ。俺はカルタゴ方面軍の第二軍団長、ガイウス・スキピオ殿に頼まれて物資を運んできたんだぞ。まあ、用事があったんでメッサナ支店からシラクサまで陸路で来て、そこから船だったからな。ちょいと遅れたけど。早いうちにリリュバエウム支店を開設するべきじゃないのか?」
「ええ、そこからなら、カルタゴにも程近いですからね。ますます私たちも儲かるというわけです。わはははは!」
膨らんだ腹を揺らしながらテルティウスが笑うと、ティベリウスもにっと笑顔を見せた。
「そういうのは獲らぬ狸の皮算用って言うんだぜ。そうならないように、準備はしてるんだろ? 厄介なのが一緒にいるみたいだが。」
 ティベリウスに言われて、テルティウスは自分に同行してカルタゴ侵攻軍にやってきた、若き論客の鋭い目付きを思い返していた。少なくとも口は桁違いに達者な、「耳聡い」と自ら名乗るマルクス・ポルキウス・カトーはカルタゴを完全消滅させようと企んでいる。強大な力を持つカルタゴを、彼は恐れていたのだろう。テルティウスからすれば、臆病者のヒステリーに過ぎないのだが。
「大丈夫ですよ。千早殿はカルタゴを救う気でいらっしゃる。理想論者は付け入られやすいですが、尊い。彼女を慕う者も少なくはないでしょう。そうなれば、いかなカトーと言えど、簡単にはカルタゴを滅ぼすことはできないでしょうね。油断はできませんが。」
「そうかい。まあ、俺としても商売にならなくなるしな。あなたの財産運営任されている身だし。叩き壊された挙句に鋤で均されるなんて真似だけはされたくないね。カルタゴは人材の宝庫だから、儲けられなくなっちまう。それに、人材取り込みっつう、建国以来のローマの原則にも反するだろ。」
真剣な顔つきでそう口にした彼は、並のローマ人よりもローマ人らしいのかもしれない。テルティウスは目の前にいる、ラテン人ではないローマ人を見ながらそう思う。


ローマ人は自ら、後の世になってこう言った。
知力ではギリシア人に劣り、体力ではガリアやゲルマンの人々に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣るのが、自分たちローマ人である、と。
このティベリウスも、この言葉を理解し、実践しているという意味ならローマ人そのものだった。


1 異国の傭兵


夕暮れが近づいて日差しが弱まったローマの通りを、テルティウスは頭頂部付近の髪の毛を掻き毟りながら自宅に向かって走っていた。以前からの知り合いだった、ドミティアという女性に結婚したいと申し込んだところ、このような応えが返ってきたからだ。
「テルティウス、あなたはとても楽しく、素敵な人。でも弁舌に優れているだけではいけません。私は財力も持っていなければ結婚できませんわ。」
痛いところを突かれた。ドラベラ家は、テルティウスが将来のためにとギリシア語を勉強するのに使った、高価なパピルスの書籍があるくらいだから、決して貧乏ではなかった。だが、山荘と奴隷と、ローマ市内の一戸建て住宅であるスブッラ、それに書籍以外に財産はなかった。書籍を除けば、ローマの中流階級なら誰でも持っているものだ。中流よりやや上程度では、財力を持っているとは言えなかった。
それに、彼女の親は婿候補を探し始めたと聞く。間違いなく、自分より財力のある者を選ぼうとするだろう。親子ほども年が離れていても平気で結婚できるのがローマだ。テルティウスは、ドミティアの手を皺だらけのそれで握る老人を想像して、叫び声を上げたくなった。
「何とか……何とかしないと。私のやれる範囲で財貨を稼ぐ方法を考えなければ!」
だが、焦りが思考を邪魔した。気付いたときには涙と鼻水で、彼の顔はグシャグシャだった。それでも、彼は家に向かって走るのをやめなかった。通りを擦れ違った何人かがぎょっとするのも構わずに、テルティウスは自宅に駆け込み、奴隷たちが夕食の準備をどうするか聞くのも無視して、寝台に潜り込んでしまった。

翌日、ぼうっとしながらテルティウスは、家にあったギリシア語関係の書籍を全て取り出し、書店に売り払った。少しでも元手を確保しようと思ったからだったが、これで何をしようかということは、全く考えていなかった。
「中身は把握しているからいいとして……この後どうしようか……。」
とりあえず、何かのヒントくらいは掴みたいと思った彼は、ローマの外港であるオスティアに向かうことにした。オスティアへの道は、ローマの近くを流れる後世テヴェレと呼ばれることになるティベリス河の船着場から船に乗るか、この河に沿って陸路を行くかの二択だ。資金を少しでも節約したかったテルティウスは、迷うことなく徒歩を選んだ。
「体力も少しはつけなければ。これから商売するためには、どう考えても体力は必須……のはず……。」
考えてみればテルティウスは、自分の財産管理をやっとのことでこなしている、という状況だ。商売については全くの素人だった。地中海世界の共通語であるギリシア語だけが、今のテルティウスの武器だった。
「つまり、話をつけなければいけない、と。うまく口車に乗って欲しいところだな。」
ドミティアも、自分との結婚自体は嫌がっていなかった。父親の許可が貰えないから財産を作ってくれ、と言ったに過ぎない。つまり、彼女もテルティウスの口車には乗ってくれたのだ。これなら、経営を補助してくれる人間を勧誘することは、容易くはないが難しいとも思わなかった。
「やってやるさ……!」

オスティアに着いた頃には、太陽は中天に差し掛かっていた。そろそろローマの人々は仕事を終えて余暇を楽しむ時間に入る。テルティウスは近くのタヴェルナと呼ばれる小料理店で、フォカッチャという名の薄焼きパンを買い、それを頬張りながら港の様子を窺う。
「なるほど……ああいうのを買うのか。でも、鉄鉱石って重そうだな。それに、船もないし。軽くて嵩張らなくて馬鹿みたいに高く売れるものってないのかな。」
などと不届きなことを考えながらテルティウスは、荷物運びを終えて自宅へと向かう船員の姿を横目に、あちこちを物色して回る。あまりにも周囲の様子が目に入らなかったためか、他人が所有する船に堂々と上がりこんで、きょろきょろと見回していた。勿論、船の所有者が放っておくはずもなく、船員に叩き出された。
「……やっちゃったよ。」
色々な意味で振り出しだ。どうしたものかと考えているところで、オスティアの外れまで来てしまった。どう考えても、ここには船も商品もない。時間を無駄にしたか、とテルティウスは踵を返そうとした。その時だった。
「……?」
船が岸に打ち上げられている。それも、小船ではなく中型商用船だ。嵐というよりは戦闘に巻き込まれたのだろう。あちこちに焦げた跡があり、各所に矢が刺さったままだ。帆には各所に穴が開いており、船体自体にも損傷が見られる。修理すれば使えそうだが、このままではどうにもならない。
「なんだってこんな船があるんだろう。……これってカルタゴの船!?」
金星と三日月の組み合わせの紋章が、船体に描かれている。どうやらカルタゴが国家として公認した商船らしい。カルタゴの船が存在するのは不自然なことではない。ローマとカルタゴの接触はかなり早い段階からあったからだ。
この時代、カルタゴとローマの間には海運に関する不平等条約が存在する。例えば、カルタゴ側の船がローマ側の避難港を使用することはできるが、その反対は許されない、といったものだ。そのため、何かのトラブルがあったとするなら、オスティアの港までカルタゴの船が来るのは不思議ではない。不思議なのは、船員達の姿が先ほどから見えないことだ。
「船って大勢で動かすものだろ。人影が滅茶苦茶少ないのはどういうことだ……様子を見てみようか。」
テルティウスは慎重に歩を進めて船の様子を窺う。次の瞬間、船から武装したカルタゴ人と思われる男が眼の前に飛び降り、剣の切っ先をテルティウスに向けた。年の頃は三十代くらいだろうか。普段なら下がっているだろう目尻が吊り上がり、細長い顔が殺意に満ちている。戦い慣れてはいても、専門は違うらしい。腕の筋肉が足りないのだろう、剣の切っ先が微妙に揺れていた。
「何者だ!」
ギリシア語だった。驚いたテルティウスは、ギリシア語で言葉を紡ぎ始めた。とはいえ、この状況だ。基本的な文法しか使えなかった。
「私はテルティウス・ドラベラといいます。ローマの者です。考え事をしていたら、この船を見つけまして。どうしたのか気になったものですから。」
そのカルタゴ人は、ほう、という顔でテルティウスを見遣った。彼は剣を降ろして口を開いた。今度はラテン語だ。どうやら商売か何かでローマに来たことがあるらしい。
「なるほど。わかった。私の名はソフォニカル。カルタゴから逃げてきた。すまなかった、ローマの人よ。」
逃げてきた、ということはカルタゴに内紛でもあったのだろうか。テルティウスはそのようなことを考えながら、口を動かした。
「いえいえ。逃げてきたくらいですから、他者を疑うのも当然。乗組員の皆さんはどうしました? お疲れでしょう、少し距離はありますが、我が家にお連れしましょう。大したおもてなしはできませんがね。」
テルティウスのその言葉に、ソフォニカルは表情を曇らせ、吐き出すように言った。
「私が最後の一人だ。」
つまり、逃げる最中に怪我を負い、乗組員がほぼ全滅したのだろう。しかも、矢が刺さっていたり、焦げた跡があったりするということは、相当に執拗に追いかけられたということになる。これでは疑り深くなるのも当然だ。
「そうでしたか……。ひとまず船は港に運んでもらって、休みませんか。弔いもあるでしょうし。」
「……そうだな。」

ソフォニカルが持ってきた財産を使い、船はオスティア港に曳航され、修理が行われることになった。どうやら完全な修復までには半年はかかるようだ。船を借りての商売も考えていたテルティウスだったが、これも今は駄目らしい。
このカルタゴからの客人を、テルティウスは暖かな食事と寝床でもてなすことにした。そして、彼は交換条件として自分のところで働かないか、と切り出してみる。これは一種の賭けだ。このような状況なら、少しくらいは心が動くかもしれない、という計算もある。
「やれやれ、ローマ人というものは人の真似を散々したがる連中だと聞いたが、あなたもか。」
呆れたようにソフォニカルは言うが、テルティウスは笑いながら切り返した。
「とはいえ、私も必要なのですよ。経済感覚に優れた人間がね。それに、真似ではなくて取り込みです。」
「どっちにしても変わらんだろう。そうは言っても、あなたには恩があるし、住処も提供してもらった。船の修理と同胞の弔いで金がないのは私も同じことだ。それに、あなたの夢も面白い。好きな女を迎えにいくために、か。情熱的で楽しいじゃないか。」
「では……。」
身を乗り出したテルティウスに向かって、ブロンズ色の顔をにやりとさせたソフォニカルは応えた。
「やらせてもらおう。まずは資本金がどの程度が確認させてもらおう。その後、足りない分は金融業者に金を借りよう。それから……傭兵の確保だな。これは外せない。」
納得したようにテルティウスは頷いた。この時代、海のパクスは確保されていない。海賊など、いくらでも出てくる。ローマ軍がいくら強いといっても、それはイタリア半島内部、それも陸の上だけだ。海軍すら、持ったことがない。自前で何とか安全を確保するしかなかった。
「そうですね。傭兵はどうしても必要になりますかね。後は何を仕入れるかなんですが……。」
「それは決まっている。真珠をはじめとする宝飾品だ。小型で価値も大きいから、なかなか儲けが大きい。それに、真珠はローマでは最近流行り出したものだと聞いている。狙い目だと思うが。問題は、汗が付着すると劣化するから、運ぶときに肌に接触しないようにする必要があるんだがな。」
「はあ……。」
「とはいえ、船が修理中でも商売はできる。船乗りの確保のためにも、今のうちに貿易を始めなければ。」
「いけるんですか?」
「他の商船に交渉して、便乗させてもらう。船の修理が終わったら、同じように便乗させて儲けを増やすものだ。とはいえ、自衛を講じておく必要がある。何しろ、そういう商船の傭兵は自分のところだけ守るようにする者もいるしな。だから、今のうちに傭兵は一人だけでも雇っておく必要があるというわけだ。」
宝飾品の仕入れとなると、信用できる傭兵を雇う必要があるな、とテルティウスは思う。傭兵は金次第でいくらでも動く連中だ。海賊に襲われたときも、追加料金を払わなければ逆に海賊と手を組む危険性すらある。真面目に職務遂行する傭兵でなければ、商品を奪って逃げることも考えられる。
「彼女を迎えにいくのだろう、多少の茨の道は仕方ないと思うがね。」
テルティウスはソフォニカルのその言葉に、苦笑いしながら頷くしかなかった。

翌日、二人は傭兵の紹介所に向かうことになった。テルティウスはソフォニカルに休むように進言したが、「休む暇があるなら金儲けだ。彼女は待ってくれても彼女の親は待たんぞ。」と言い返された。イタリア半島に傭兵はいても、傭兵紹介所はローマにはない。ローマには戦争で傭兵を用いる習慣がないので仕方ないのだが、行く場所となると、後にタレントゥムと呼ばれるターレスやネアポリスなどのギリシア系都市しかない。とはいえ、二人ともギリシア語は使える。問題はなかった。
二人はローマから近いネアポリスを選んだ。美しい装飾が施された大理石の列が並んでおり、そこかしこに彫像が並んだ町並みだ。その一角に、屈強な男たちが屯している。ここが傭兵紹介所らしい。薄暗い室内にも、体中に傷がある者や片目を失った者が大勢いる。活気のある酒場と違って、どこか殺気立った雰囲気だった。
「さてと、ここは私が交渉しよう。テルティウスは横で。」
慣れていない以上は仕方ないのだが、これでは事業創業者として形無しである。テルティウスは反論する。
「とはいえ、これは私がすべき事では。危ういとは思いますが、アドバイスを願いたい。」
ほう、とソフォニカルはテルティウスの顔を見て、にやりと笑った。
「確かに、全て私がしてはまずい。助言は致そう。」
まずは二人でカウンターに向かい、テルティウスが受付の男に向かってギリシア語で話しかけた。
「すみません、斡旋してもらいたいのですが。」
受付の男は少々小うるさそうにテルティウスを見遣り、応えた。
「どんな傭兵がお好みで? 数は?」
「一人。信用できる人で、長期契約をしたい。正確には、数ヶ月単位での更新を異存がなければ続ける形で。」
そんな奴がいるか、とソフォニカルは思ったが、受付の男はにっと笑って体を乗り出し、言った。
「お客さん。タイミングがいいねえ。その条件に合う奴が、丁度仕事から帰ってきたところさ。ただ、自分が信用できる雇い主でないと納得しない厄介者だし、雇用の交渉は面と向かってでないとしない男だ。それからここだけの話にしておいて欲しいんだが……。」
「……はい?」
「奴に火を近づけるな。絶対にだ。」
何のことやら、とテルティウスは思ったが、条件に合うなら問題はない。仕事内容を誰かに聞かれることを考えて、紹介料を払ってからネアポリスの酒場に交渉の場を移すことにした。酒場に向かう途中、ソフォニカルはテルティウスのトーガの端を引っ張り、問いかける。
「その男は大丈夫なのか、私は心配だぞ。随分と付帯条件が多い気がするが。」
「拘りがあるんでしょう。傭兵だって、使い捨てにされるかどうか見極めなければ雇われたくないでしょうしね。」
「いざとなったら盾の代わりにするのが傭兵だろうに。」
「あなたの国での兵士は傭兵で、そのように扱うらしいですが、我々ローマ人の兵士は市民ですから、ぞんざいには扱えない。私も兵役には行ったことがありますが。私は傭兵とはいえ、戦う人を盾代わりにはしたくありません。……とはいえ、それが必要なら、選ばざるを得ないのかもしれませんが。」
「……あなたのその考えが、うまく機能することを祈るしかなさそうだな。」
受付の男に紹介された酒場のカウンターには、既に男が一人待っていた。ラテン人ほどの背丈だが、しなやかな筋肉質の体を覆っているのはトゥニカで、一人前の男が身につけるトーガは着用していない。下半身は蛮族に見られるズボンと革袋とローマの軍靴であるカリガを組み合わせたような靴で、両腰につけた円盤にも見える皮袋からは、何かの武器でも入っているのか柄がにょっきりと突き出していた。
だが、何よりも目立つのは冷たい青い目と日の光を思わせる黄金色の髪だ。ローマやギリシアの者に溶け込もうとしたのか、前髪は短く切ったらしいが、うまく切断できなかったのか、不自然に切り揃えられている。それでいて後頭部は蛮族だった頃の風習を忘れられないのか、太い一本の三つ編みに束ねられていた。
髭は生えてはいても伸ばし放題というわけでもなく、何かで撫で付けたらしい。無愛想そうな目を、テルティウスとソフォニカルの方に向け、何事かを呟いている。ギリシア語でもラテン語でもないので、おそらくは故郷の言葉だろう。
テルティウスはソフォニカルと共にこの男の近くに歩み寄った。すると、この男の方から話しかけてきた。やや低めの、ラテン語だった。紹介所でラテン人が雇い主と聞いていたのだろう。とはいえ、ラテン語を学習した傭兵とは、恐れ入る。
「あなたが俺の雇い主か。」
テルティウスは顔を引き締めると、その男に向かって言葉を紡ぎ始めた。
「ええ。私の名はテルティウス・ドラベラ。私の条件は聞いていますね?」
「勿論だ。数ヶ月単位の無限更新契約だろ。」
「では、給金の交渉……。」
だが、彼は手を軽く突き出してテルティウスの言葉を遮った。
「待った。その前に、何のために俺を雇った。それだけは確認したい。それに無限更新契約をするということはだ、目的遂行にどの程度時間がかかるかわからない上に、失敗したらそれで終わり、という意味でもある。違うか、テルティウス殿。」
確かに厄介な傭兵だ。だが、それだけ仕事熱心ということだろう。テルティウスは嘘をつく理由もない、と考えて傭兵の目を見ながら話しはじめた。
「まあ、簡単に言えば金儲けです。ただ、単なる金儲けというよりは夢の実現、ですか。」
「夢?」
「ええ。まあ、その……好きな女性がいましてね。今の財産では結婚できませんから。彼女の親が納得できるだけの資産を稼ぎたいと考えているのですよ。」
これで呆れられたらそれまでだ。テルティウスは内心冷や冷やしながら、この傭兵の冷たく感情が見えない目を覗き込んでいた。だが、この男に感情があるとはっきりわかるような変化が訪れた。表情を崩した彼は、口元に笑みを浮かべながら口を開いた。
「なるほど、情熱的な男だ。いい夢だよ、本当に。わかった、それじゃあ給金の交渉といこうか。そうだな……怪我の分とか、生活費、武器のメンテナンス代からすると……一月こんなもんかな。」
彼は蝋板に鉄筆で数字を書くと、テルティウスに見せた。ふむ、とテルティウスは頷き、次いで同じように冷や冷やしていたソフォニカルにそれを見せた。
「どうでしょうか。」
「傭兵の代金としては良心的、だろうね。」
決まった、と見たこの蛮族出身と思われる傭兵は、自信たっぷりの笑みを見せて、テルティウスに向かって言ってのけた。
「まあ、見てな。絶対に傭兵代を引き上げたいと思わせてやるから。」
「それは、私が儲からなければできないことですよ?」
「儲けさせてやるとも。」
これもまた、自信に溢れている。どこから来るのやら、とソフォニカルは呆れたものだが、テルティウスにはそれが頼もしかった。
「そういえば、まだ名前を伺っていませんでしたね。」
「おっと。俺の名はゼヌマン。ゲルマニアの生まれだ。」
ゲルマニアといえば、ガリアのさらに北方だ。そのようなところから何故、と思ったが、それは立ち入らない方がいいだろう。テルティウスはそう思った。
「誓約、いるかな。俺は基本的に、そんなもんはしないことにしてるんだが。」
「どうして?」
「神に誓ったところで裏切るものは裏切る。俺は俺自身が裏切らないと心の中で誓いを立てているんだ。十分だろう。」
だが、ソフォニカルが口を挟んだ。今までの遣り取りに半分呆れていたのだが、こればかりは捨て置くわけにはいかなかった。
「しかし、目に見える誓約があった方が、雇い主の方が安心できると思うが。テルティウスを安心させるためにも、してくれないか。」
ここまで口にして、ソフォニカルはしまった、と口を噤んだ。内容が悪いのではなく、言語に問題があった。ソフォニカルは何気なく使い慣れたギリシア語を使っていた。ラテン語が使えても、ギリシア語が使えるとは限らないからだ。ギリシア系都市にいるとはいえ、言葉が通じない場合もあったことを、計算に入れていなかった。しかし、ゼヌマンは笑って返事をする。
「そうだな。その方がいいか。」
ソフォニカルに向かって、ゼヌマンはギリシア語で切り返した。呆気に取られるソフォニカルに向かって、ゼヌマンは続けて言葉を放った。
「ギリシア系の街に住んで長いからな。行商でそっちの方に行っても通訳くらいはできるぜ。」
「そうなのか。だが、残念だ。テルティウスもギリシア語は使えるぞ。」
「そりゃ残念。もう少しで契約料上げてもらえると思ったんだが。」
軽口を叩きながらも、彼は誓約を結び、テルティウスの傭兵として雇われることが決まった。
「それじゃあ、早いうちに仕入れに行こうか。夢の実現のために、な。俺は雇い主たちを守るだけだ。」


2 踊る火影


ゼヌマンは風を顔に受けながら、島影豊かな海を眺めていた。無論、仕事のためだ。彼の仕事は護衛である。護衛ということなら、当然海賊に注意しなくてはならない。海賊というものが「俺は海賊だ、金寄越せ!」と叫びながら突進してくるわけがない。無害な商船や漁船を装って近づき、乗り込んで略奪を働くか、でなければ船を沈めて身動きできなくなったところで乗組員をまとめて捕え、奴隷市場に売り払うものである。船影が過ぎるたびに、彼はその青い瞳を尖らせて警戒していた。
「ゼヌマン殿。あなたの肌では太陽の光は辛いのではないですか?」
「テルティウス殿か。」
トゥニカだけの姿のテルティウスが姿を現していた。一人前のローマ人とはいえ、今の彼は行商人だ。トーガを身につけずに背負子を持ってきたが、その背負子も船室に置いている。トゥニカだけの姿は情けないものだが、そこまで気にかける余裕はテルティウスにはなかった。
「日焼けでもしたら、大変でしょう。」
「……重度の日焼けなら、もう慣れたよ。それに、いざとなったら帽子だの布だのと用意するまでのこと。問題はないさ。」
「それならいいんですが。」
テルティウスは海風を楽しむように、船縁に左肘をついて地中海の水面を見遣る。その様子を見ていたゼヌマンは、不思議そうにこのローマ人に問いかけた。
「傭兵の俺に気を遣い過ぎだと思うが。」
「兵士を大切にするのがローマですから。」
「そりゃ、一人前の市民だからだろ。俺はただの雇われだ。」
「私にとってみれば、協力者の一人です。傭兵だからとぞんざいに扱う気はありません。それとも、ぞんざいな方がいいんですか?」
「いや……。」
ゲルマニアの戦士は苦笑を浮かべながら、テルティウスを見て再び言葉を紡ぎ始めた。
「俺がいきなり裏切ったらどうするんだ?」
「あなたは自分に正直で、しかも裏切らないと自分に誓っているんでしょう?」
「口から出任せかも知れない。人が良過ぎると騙されるぞ。」
「そうやって警告する人は、騙すことはないです。私も色々な人を口車に乗せてきましたが、そういうときは絶対に、相手にはそのような警告など与えませんしね。ああ、勿論私の目的に嘘はないですが。」
「口車ねえ……。」
「それに、傭兵というものは信用だって命でしょう。今私を殺して金を奪い取ろうものなら、間借りしている船の人たちに気付かれる。口封じをしたければ、ここの船員も皆殺しにしなければならないわけですし。少なくとも目的地のアテネまでは安全でしょう。」
テルティウスたちはアテネに向かうことにしたのだった。衰退期に入っているとはいえ、集まる物品の豊かさはローマの比ではない。それに、ローマ人がいくら船を苦手としているとはいえ、ここまでなら大した距離ではない。さすがにカルタゴに行くのなら船で3日だが、経営アドバイザーのソフォニカルはカルタゴから逃げてきている。これではカルタゴには行けない。
「……。」
「さて、そのうちペイライエウスで船乗りを雇わなければいけないかもしれませんね。ソフォニカル殿と相談してきます。」
後にピレウスと呼ばれることになるペイライエウス港はアテネの外港だ。ペリクレス時代には、ペイライエウスとアテネの道を城壁で囲ったようだが、結局は破壊されている。アテネは海運で発達してきた都市だ。ギリシアの船乗りといえば、地中海一と謳われている。雇い入れたいと考えるのは当然だろう。テルティウスは船室に向かって降りていった。
「元気な男だ。だが……やはり焦りが見えるな。笑いがない。笑顔も……作り物だ。余裕のなさが災いしなければいいがな。」
ゼヌマンは翳り始めた日の光を軽く見て、次いで海の彼方に視線を移し、軽く頭を振る。
「……テルティウスの人の良さでも伝染したのか。気にかけてどうする……俺は傭兵、契約で動き、出来る限りの協力をし、信用できなくなったらやめる。それだけだ。」
どうも調子が出ない、と彼は顔を軽く顰め、自分が戦いに生きている人間だと言い聞かせるために、腰の得物の柄を撫でた。

ペイライエウス港に着いたのは、夕方になってからだった。暗くなり始めているせいか、トーチを取り出そうとする者や蝋燭を持っている者が見受けられる。この辺りの民家は裕福なのか、そこここで明かりが灯されているのがわかった。
「にぎやかですねえ。」
テルティウスの言葉に頷くように、ソフォニカルが応じた。
「この辺りはいつもこうだ。ただ、何年か前に来た時よりは活気が薄れているがな……。」
さすがのアテネも、人材の流出には耐えられない。かつては様々な哲学者が存在し、次々と新しい理論を確立していたが、今は彼らの知識を切り売りし始めている状態だった。これではアリストテレスが作り上げた学校「リュケイオン」も形無しである。
「……。」
どこか、楽しそうには見えない顔でゼヌマンが歩いている。護衛のための警戒はしてくれている。だが、にぎやかな町並みを歩いているのだから、少しは楽しんでもいいようにテルティウスは思う。
「どうしたんですか?」
「……いや、ここは俺にとっては楽しくない。ただ、それだけだ。」
トーチを掲げた者から逃れるように、ゼヌマンは暗い顔をして歩いていく。
「ここには何度か?」
「ああ。もう飽きたって言うか……肌に合わん。」
テルティウスへの返事も、どこかぼうっとしている。そういえば、とテルティウスは思い出した。
「火が嫌い……ですか?」
「……聞いてたらしいな。」
やっと振り向いたゼヌマンに、テルティウスはにやりと笑みを見せて応える。
「私は火を近づけるなと言われただけです。理由は聞きませんよ。あなたのトラウマでしょうから。」
「助かる。いい雇い主だよ、あなたは。」
無理矢理に笑っていることが、テルティウスにはわかった。とりあえず、という調子でテルティウスは残る二人の同行者に向かって言葉を紡いだ。
「とりあえず、宿を取りましょう。明日の朝にでも仕入れることにしましょう。」
ペイライエウスには宿の種類も多く、資金を考えて三人は格安の宿に押し込められるようにして泊まった。合資会社と訳してもよいソチエタスのトップのはずのテルティウスも、石造りの床に直接毛布を敷いて寝ることになった。テルティウスでこれである。護衛のゼヌマンは荷物のマントに包まるのが精一杯だった。
「……。」
明日は明日で、荷物持ちくらいはさせられるかもしれない。だったら寝ておかなければ、と思いながら、ゼヌマンは夢の世界へと誘われていった。

少年は燃え盛る家の中にいた。体が言うことを聞かない。ガタガタと震えている。
「おい、…………! ここにいては焼け死ぬぞ!」
逞しい腕で、自分を抱き上げている男は、記憶の微かな先にある。確か、自分の父親のはずだ。自分と同じように金髪を太い三つ編みにしているが、上半身は刺青を入れているだけで何も着ていない。ズボンを穿き、足には革袋のような靴がある。その手には剣がある。
ただ、これは特殊なものだ。柄に対して直角に刃が伸び、そこから大きく湾曲して、柄の直線上に達したところで切っ先を形成しているという、ドゥルイデスのものだ。この父親もドゥルイデスの一人だった。
「おとう……さん……。」
「ドゥルイデスの存在を疎むゲルマニアの連中め……! いきなり火矢を撃ち込んで来やがって……。」
彼の血筋はゲルマニアの方が濃い。だが、生活文化はガリアに近かった。住んでいる場所がゲルマニアとガリアの中間地点故だが、専門の祭司階級を持たないゲルマニア人にとって、彼らのような存在は目障りだった。
「しかし、この程度の集落にこれほどの部隊を派遣してくるとはな。厄介な……。」
赤々と輝く藁葺きの自宅から脱した二人は、近くの森に隠れた。
「いいか、…………。お前は逃げろ。俺はお前のお爺さんと一緒に戦う。勝てば必ず迎えに行く。安全なところまで逃げろ。」
「やだ! 僕はお父さんと一緒にいたい!」
涙を流しながら少年は頭を横に振るが、父親がそれを許さなかった。
「我がまま言うんじゃない! この剣を持っていけ。何があっても生き延びろ。何があってもだ。」
ドゥルイデスの剣を息子に押し付けると、彼の父親は予備の短剣を手にして火に包まれた、つい数日前まではささやかな暮らしを送っていた村へと向かっていく。
「!」
少年は慌てて父親を追いかけ、木の陰から様子を見ることにした。父親は攻め込んできたゲルマン人の騎兵と向き合っていた。こちらも父親と同じような姿をしているのだが、三つ編みの作り方が違う。民族の違いを如実に示していた。
「我が部族の裏切り者、テオドリックよ。随分と梃子摺らせてくれたな。だが、ここまでだ。貴様の舅は血祭りに上げた。残るは貴様だけ……。」
「ヘルマン、小さな集落を潰しに来たくらいでいい気になるとは……名前が泣くぞ? “勇者”殿。」
状況が不利だというのに、不敵な笑みを浮かべる父親に向かい、ヘルマンと呼ばれた男は声を張り上げた。
「減らず口はゲルマニアで嫌われることくらい、テオドリックとて知っておろうに。貴様らは所詮……。」
「『ゼヌマン』、と言いたいんだろう? だから攻めてきた。違うものが近くにいることが恐ろしいんだ、お前達は。やはり臆病者だな、ヘルマン!」
彼らの言葉で「ゼヌマン」が意味するのは「余所者」だった。ギリシア語の「ゼノ」がゲルマン語と交じり合ってできた言葉らしい。テオドリックには、自分たちの生き方がゲルマン人にとって異端であることくらいは理解していた。
「だが、お前はその臆病者に負けそうだぞ? おとなしく皆殺しにされろ。」
ヘルマンを挑発して、何とか時間を稼ぐ。それがテオドリックと呼ばれた、この父親にできることだった。時間稼ぎも十分だと感じたテオドリックは姿勢を低くして、短剣をヘルマンの乗る馬の脚にぶつけてすり抜けた。
「小癪な!」
暴れる馬を宥めながら、ヘルマンは槍を振るってテオドリックを貫こうとする。それをテオドリックは躱し、振り向きざまに短剣を振るってヘルマンの槍の穂先を弾いた。
「おおおおおおおお!」
そのまま一気に跳躍して短剣を構え、ヘルマンの顔目掛けて振り下ろした。
「むおおおっ!」
しかし、ヘルマンもゲルマニアの戦士だ。テオドリックの右手首を左の前腕で弾くと、地面に落下しかけるテオドリックに向かって引き戻した槍を突き出した。
「ぐ……かはっ!」
ヘルマンの槍がテオドリックの鳩尾に突き刺さり、血の泡を吹きながら動かなくなった。
「これでいい! 我らは自然を擬人化してはならんのだ。あるがままを崇めねばならんのだ。これは我らが神の罰ぞ。我らと我らが神への背信に対する罰ぞ!」
狂ったように笑うヘルマンは配下の者に、火が回っていない場所を見つけるたびに松明を押し付けさせ、焼き払って回る。最早、この少年の故郷は存在し得ない。
「う……あ……に、逃げなきゃ。殺される……殺される……!」
父は生きろと言った。そのためには逃げなければならない。だが、逃げた先全てが異境の地となることは彼にはわかっていた。自分たちのように複数の文化が混じり合う地など、他にあろうはずがない。
「僕は……もう誰にとっても余所者なんだ。余所者……余所者……!」

払暁の前の微かな明かりを、ゼヌマンの瞳が捉えた。護衛対象の二人はよく眠っている。
「あの時のか……いつ振りだろうな、あの夢を見るのは……。」
異郷の地で生きると決めた日から、もう10年以上が経過している。呼ばれることもなかったせいか、父がくれた名前など、もう忘れてしまった。父から受け継いだ剣も、奪い去られた。余所者を意味する「ゼヌマン」を名乗り続け、自分が孤独であることを自らに思い知らせてきた。誰とも溶け合わない。溶け合うことなどない。そう思ってきた。彼にとって傭兵はそれこそ、その条件を満たし続ける仕事だった。
「俺は『異邦人』。だが……何故だろうな。ローマの者たちを見ていると……。」
異質かつ良質なものを受け入れ続けるローマのやり方は、ある意味姑息だった。だが、自分のような孤独な人間にとってはどうだろう。ローマのシステムは孤独な者のためにあるのかも知れない。彼はそう考える。
そもそも、ローマの起こりからしてそうだ。ローマ人の元となった者はラテン部族のはぐれ者の集まりだった。彼らはまさに「孤独」だった。身寄りのない、ヤクザ者の集団。それでいて、部族から追われ、家族の温もりを欲しがり、近くのサビーニ人の女を略奪してまで家族を作った人々だ。孤独を嫌い、家族を欲しがるのは自分も同じではないのか。ゼヌマンはそう思った。
「だが……俺は蛮族だぞ。考え方も違う。武一徹で生きてきた俺に、これから先何ができるというんだ……。」
彼の中で、思いが鬩ぎ合い始めていた。

アテネでの仕入れも終わり、ペイライエウス港から帰りの船に乗り込んだ三人は、甲板にいた。帰りの船旅くらいは楽しみたいらしく、ソフォニカルも海を眺めていた。
「散々見てるから飽きたはずなんだが、やはり海はいい。」
「カルタゴでも海の上でしたか?」
「ああ、商船に乗ってエジプトなんかによく行ったものだ。そのうちエジプトにも仕入れに行きたいもんだ。あそこは元々のエジプトの文化とギリシアの文化が混じってるから、面白い商品が一杯だからな。宝飾品もそうだが、日用品も変わってるしな……。」
テルティウスとソフォニカルが楽しそうに話をしている横で、ゼヌマンは相変わらず神経を尖らせていた。どの船も信用できない。疑わしい。この時代の地中海では、沈没した船から逃れた人々から身包み剥ぐのは常識だ。東の果てのどこかの国では、身包み剥がれないどころかそのまま焚き火と乾いた衣服を用意してくれる上、場合によっては船の修理まで無償でしてくれるらしいが、生憎とここは地中海世界だ。それだけは避けなければならない。
「ゼヌマン殿、あなたも休息を取ってはいかがか。神経を張り詰めさせるのも疲れるだろう。」などと同行者は言うが、そんなことをしてはいられない。警戒するのが傭兵の仕事である。しかも、交代要員はいないのだから、自分一人でやるしかない。
しかし、そんなことはおくびにも出さず、ゼヌマンは軽い調子で言い返した。
「問題ない。休憩しながら警戒もできる。」
しかし、彼は誤算を犯していた。ゼヌマンが警戒していたのは右舷、つまり船の進行方向が西なのだから陸側である。当然、海賊船はそこから出てくる。だが、彼らの乗る船が通り過ぎたところを高機動船で追跡し、左舷側に回りこまれたら確認できない。しかも、この船は傭兵代が嵩むのを嫌って用心棒の数自体も少なかった。ゼヌマンが船員の悲鳴を聞きつけたときには、「彼ら」は甲板に上がりこんでいた。
「おい、こいつの命が惜しかったら有り金を全部置いていけ。武器を海に捨てろ、今すぐにだ!」
日除けの布を被り、狭い船上や船内でも戦える短剣や斧で武装した海賊が、鉤付き縄で登ってくる。数は40人ほどだが、戦い慣れていることは確かだろう。こちらの傭兵数はゼヌマンを含めて20人前後というところだ。その内、便乗者の傭兵が半分というのだから、呆れるほかない。
「まずいことになったな……。テルティウス?」
「私も軍役に行ったことはありますが、うまくは戦えないですね……。」
この護衛対象二人はどうやら、ある程度自衛してくれるらしい。だが、あくまで自衛だ。追い払ったり、殺害したりとはいきそうにない。仮に護衛対象でないこの船の乗組員が殺されたとするなら、船の運航に関わる。それは、護衛の意味がなくなるということだ。やるしか、なさそうだ。
「おい、そこの蛮人! 武器捨てろ!」
その言葉を聞いても、ゼヌマンは全く反応しなかった。いや、反応はした。冷たく輝く青い瞳を海賊に向けた。
「何だその目は……やる気な」
続きを、言えなかった。ゼヌマンの手が素早く動いた次の瞬間、血飛沫を撒き散らしながら海賊の首が宙を舞っていた。固い物が甲板に落ちる音がする前には、船員を捕らえた別の賊の前に現れ、首が落ちた瞬間には船員を拘束した腕がずるりと甲板に引き寄せられていた。
「こいつ……旧式の武器でやれると思うなよ!」
「やれたじゃないか。もう、二人も。」
彼の両手にあったのはハルパーという一種の剣だ。ただ、その形は剣と呼べるかどうかはわからない。柄に対して刀身が、柄の先端から斜めに伸び始め、カーブしてフック状に形成されている。ドゥルイデスの剣によく似ているが、彼のハルパーはそれよりももっとコンパクトで、湾曲した刀身を辿っていっても刃渡り60センチ程度しかない。鎌剣という呼ばれ方もあるほどで、剣に分類できるかすら不明だ。
ハルパーはこの時代から400年前から使われだした武器であり、当初は青銅器だった。さすがにゼヌマンのものは鉄製だが、当時から切れ味に関しては定評があり、神話にも幾度となく登場する。ウラノスの男根を刈り取ったというクロノスの鎌や、メドゥーサの首を刎ねたペルセウスの剣はこのハルパーだ。とはいえ、この時代では廃れかけた武器である。だが、どこでどう手に入れたのか、ゼヌマンは父の武器によく似たハルパーを二本、手にしていた。
「……死ね。」
テルティウスが一瞬見たゼヌマンの瞳は、怒りと悲しみが綯い交ぜになった感情が込められていた。彼は勘違いしていた。ゼヌマンの目は冷たいのではない。青白く燃えていた。一見してわからない、灼熱の塊だ。その動きも、ゼヌマンが嫌うという火が舞うようにしか見えなかった。立ち塞がった賊の前でゆらりと揺れたかと思うと、下から抉り込むようにフックになった刀身を引っ掛けて首筋を切り裂いた。
「…………ああああああああああああ!」
じりじりと焼けていた炭に油が注ぎ込まれたかの如く、「炎」が噴き出したようにしか見えなかった。波に揺れる船の上で、よくもと思えるスピードで駆け抜け、短剣を手にした男の手首を切り落とした。その勢いのまま、斧を手にした二人の横を擦れ違いざまに頸を刎ね飛ばし、しゃがむようにして投石を回避すると、そこから跳躍を交えてスリングを手にした男の眼球に切っ先を突きたてる。
「速い!」
「うううう……があああああ…………!」
死体となった男の眼窩からハルパーを引き抜くと、後ろから迫った白刃を左のハルパーで受け止め、手首を返して刃を絡め取った。ゼヌマンは本来刃がないはずの山形になった部分を前に向け、白刃の持ち主の胴を薙ぎ払う。臓物が幾分か零れながら横転した。
「ふうううううう……。」
両刃のハルパーも、稀ながら存在する。どこまでも父親の武器に近いものを使いたかったのだろう。ドゥルイデスの剣が、ハルパーの影響を受けたのは間違いないが、それでもこのこだわりは異常と言えた。
「ううう……ああああああ!」
それは叫び声ですらない。咆哮だった。ここまでで7人も殺害している。それも、10秒と時間をかけていない。40人という人数が、恐ろしく少なくさえ感じる。船の傭兵や便乗者達の護衛も動き始めた。仕事を忘れるわけにはいかないからだ。だが、連繋というものができないのが傭兵だ。そこかしこで火花を散らしているが、ただの乱戦だった。
そんな中でもゼヌマンの動きは止まらない。スパイクで穴が開くのも構わずに、全力で甲板を蹴って駆け出し、矢と石を避けながら突進して賊と擦れ違うたびに斬り殺して行く。刀身がフック状である以上、引っ掛けてバックステップを踏むか、引っ掛けて擦れ違いざまに攻撃するのが常道だ。外側の刃はあくまでも補助として使っている。
「畜生が、ンの野郎!」
円盾と斧を構えた男がゼヌマンに向かって攻撃を仕掛けるが、それも躱したどころか、ハルパーの形状を生かして盾を避け、盾を持つ手を突き刺した。続けて、盾が手から離れたところを外側の刃で顔面を切り裂いた。
そのゼヌマンの右と背後から、唸りを上げて短剣と斧が迫る。黄金色の髪の持ち主は無造作に前進しただけでそれを躱し、素早く回れ右をして姿勢を低くして疾走した。左腕が閃いて短剣の持ち主の顔面を破壊し、その動作が終わらないうちに右足の蹴りが斧を振るう右腕にめり込んでいた。斧の持ち主が横転したのを見るや、ゼヌマンは何の躊躇もなくスパイクつきの左足をこの男の顔に叩き付けていた。
「化け物……!」
戦ううちに、蛮族出身の傭兵は指示を出している者の存在に気付いた。使えるかもしれない、と考え、あっという間に背後に回りこんで、血塗られたハルパー二つを交差させて首輪を作るように構えて脅す。
「動くな。部下を止めろ。殺すぞ。」
ぞわりと肌が粟立つような声だ。乗り込んだ部下の大半を失った上に、戦闘センスが圧倒的過ぎた。頭目と思われるこの男は、慌てて仲間に向かって告げた。
「や、やめだやめだ。勝てるわけがねえ。」
「ついでだ。お前達が蓄えている金目のものを全部寄越せ。逆らえば殺す。」
海賊相手に身代金を分捕ろうという発想も恐ろしいが、何よりも何の躊躇いもなく皆殺しにしようとする思考回路の方が、この海賊達には耐えられなかった。彼らとて血も涙もないような行動をとるが、人間を殺すよりは奴隷市場に売り飛ばす方がいいと考えている連中でもある。実際のところ、人を殺すことは少なかった。身包み剥いで見殺しにしていることを勘定に入れなければ、の話ではあるが。
「こいつを殺されたいのか?」
海賊達は人質に捕られている頭目を見遣った。頭目は金と命を天秤にかけていたが、答えはあっさり出た。殺されるくらいなら金を差し出した方がいい。放免してもらえるなら、後でいくらでも蓄財できる。
「わかった、出す。だから、放してくれ。」
「持って来い。話はそれからだ。」
即答だった。意見する暇も与えてはくれない。海賊以上に賊のような男に睨まれ、海賊たちは拠点に戻っていった。

一刻の後、甲板の上は煌くばかりの財宝で溢れていた。金細工や宝石類、中には何かの書物まである。ソフォニカルはいくつか手にとって中身を検めてみた。
「これはプトレマイオス朝以前のエジプトの農業指導書……それにこれは建築の方法を記した書物じゃないか。えらいお宝を抱えていたな。」
この手の書物は海賊達には何の役にも立たないが、使える人間には使える。他にも単純な金品として金塊やドラクマ硬貨が山ほど持ち込まれた。
「これで全部だ。頭目を放してくれ。」
ずっと首輪を作るような体勢で固まっていたゼヌマンの口が、ゆっくりと動いた。
「そうだな。持ってきたようだ。離してやろう……首と胴体を。」
ハルパーを手にしたまま、素早く両腕を横に広げた。最後の言葉で恐怖に凍りついたままの表情の頭目の首が、血飛沫を噴き出しながら宙を舞って海に落ちた。その様子を見た海賊達が抗議の声を上げる。
「約束が違う!」
「俺は持ってこないと殺すと言った。持ってきたら助けるとは言っていない。死ね。」
甲板に上がっていた海賊に向かってゼヌマンは駆け出した。対応する間もなかった。擦れ違いざまに首が飛び、振り返りながら背中を切り裂く。逃げようとした海賊は投擲されたハルパーで胴体を突き刺されて甲板に転がる。あっという間に皆殺しにされた。それを察知した高機動船の乗組員は帆を上げて逃げようとした。しかし。
「逃がさん。」
上から背筋が凍るような声がした次の瞬間、帆柱から帆が落ちた。繋いでいたロープを切られたのだ。高機動船は余計なものを一切乗せないが故に高機動である。風に乗ってやってきて、奪えるだけ奪ったら風に乗って逃げ、適当なところで櫂を漕ぐなり陸に上げて用意した馬車に載せるなりして引き上げるものだ。帆を繋ぐロープを断ち切られては、逃げられない。
帆柱から両腕を広げながら飛び降りる様は、海鳥を思わせた。それも、他の海鳥を食い殺す、獰猛な海鳥だった。その後に起きたものは戦いではなかった。凄惨な虐殺、それ以外の何物でもなかった。

「よっ……と。」
船に戻ってきたゼヌマンはハルパーの血糊を布で拭き取り、腰の円盤状の革袋に収めた。その彼に、様々な意味で騒然とする中を雇い主が駆け寄ってくる。
「無事のようで何よりですが……あまりといえばあまりなのでは……。」
さすがにやり過ぎだとテルティウスは思ったのだろう。しかし、ゼヌマンはあっさりと返す。
「今までこいつらが命乞いしてきた人間を、どれだけ本当に助けたことやら。仮に助けたとしても、奴隷に売られてるだろうし。行き先がローマなら、自分の子供なら解放される可能性もあるが、他ならただの家畜扱いだ。これじゃ殺されるのと変わらん。殺される覚悟がないのに戦っているのなら、それはただの卑怯者だ。俺がしたことは、覚悟のできている人間への礼儀か、そうでないなら……卑怯者への罰、ということだろうな。」
だが、テルティウスも退こうとしない。
「誰が規定したものですか? あなたですか?」
「さてね。どっちにしろ、海賊の面子があれで全員ではないだろうし、海賊団が連中だけでもない。それに、有り金全部持ってきたわけでもないだろう。残っていれば再興できるだろう。」
「わかっていて見逃したんですか!?」
驚く雇い主に、ゲルマニアの傭兵は表情を暗くして応える。
「あいつらだって元々は人間だ。最初から海賊だったわけじゃない。俺たちの同胞が略奪働いたり、戦争で土地が荒らされたりしたせいで、行き場がなくなってやってる奴が大半だ。そういう意味なら……俺も似たようなもんさ。」
そのままゼヌマンはテルティウスに背を向けてしまった。ゼヌマンは傭兵をするようになるまでの放浪期間中、強盗目的の殺人などしたことはない。だが、その誘惑に駆られたことは幾度となくある。それができるならどれほど楽になれるか、と。
「道を踏み外せば、俺だってああなっていた。パクスさえ……パクスさえ保障されていれば……。」
彼の胸に、暗い思いが強く圧し掛かっていた。


3 ローマとカルタゴ


それから数年の間に、ソフォニカルの船の修理が終わったこともあって、瞬く間に財が膨らんでいった。船が修理できた当初は資金も足りなかったため、行商人の乗り合い料で稼いでいた。だが、自前の資金も増やすことができてからは荷物の量も少しずつ増えていった。
ソフォニカルが嫌がるのではと覚悟しながらも、テルティウスはカルタゴとも交易を始めていた。近距離で交易すれば、沈没の危険性も格段に減る。それに、カルタゴは地中海世界の経済大国である。様々な物産を遣り取りすることで、資本金を増やしていった。これについてカルタゴから逃げてきた商人は、「私は亡命しているわけだし、テルティウスが行っている間は本社でプラン立てておくよ。」と言ってくれた。しかも、それについてのサポートもしてくれた。
さらには酒場のいくつかを新設した。これはただ単に儲けるためというよりも、輸入した物品を早く並べて紹介する、または在庫をあまり蓄えすぎないようにするため、というべきだろう。この酒場はスブッラの貸し店舗スペースを借り受けて経営しているので、屋台レベルという小規模さにも程があったが、宣伝効果は抜群だった。カルタゴから輸入した陶器でカルタゴワインを出すと、翌日にはそれらが飛ぶように売れた。
テルティウスが試みにと萩原一族が品種改良したという茶を出してみたところ、これもなかなか売れた。単価が凄まじく高いのだが、物珍しさもあったのだろう。繊細な味わいが理解できた人間が何人いたのかわからないが、ソチエタスの代表としてはありがたい限りだ。ただ、黄金色の髪の傭兵曰く、「そんな趣味みたいなもの輸入する暇があったら、さっさと女を迎えに行けよ。」とのことだった。

テルティウスはカプアの酒場の様子を見に来ていた。数日後には、またカルタゴに向けて出航だ。ソフォニカルは連れて行けないので、テルティウスは、この酒場の監督を任せることにした。
「さてと、ソフォニカル殿。また行ってきます。それまでよろしく頼みますよ。」
「任せておけ。適当に在庫が切れないようにはする。カルタゴの物産がなくなったら、イタリアワインを出すまでだ。切れてることを明確に表示はするがな。」
「しかし、ソフォニカル殿のお陰で商売ができるわけですしね、何かの形で恩返しがしたいものですよ。」
「私としては、今の生活が十分恩返しだと思うがね。何せ、最初に会ったときに身包み剥がれてもおかしくなかったのだから。」
「あまり、地中海の人間らしくないのかもしれませんねえ。」
二人は悪戯でもしたかのように笑いあった。そこに、二人の若者がやってきた。一人は年の頃16歳というところだろう。子供らしさが残っているが、育ちのせいか、ある種の責任感、それも厳しさと優しさが交じり合ったようなものが目に宿っている。もう一人は18歳か19歳くらいで、いかにもお付きという感じだ。だが、この青年にはへりくだった様子がなく、むしろ悪友という雰囲気の方が強かった。
「いらっしゃい、何にします?」
ソフォニカルは営業スマイルを二人に向けて言葉を投げかける。二人はあれやこれやと品書きを見ていたが、こちらもテルティウスとソフォニカルが先ほど浮かべたような笑みを見せて、オーダーする。
「それじゃあ、この茶というものをください。二人分で。」
「はい、毎度。」
ソフォニカルは乾燥した茶葉を暖めた急須に入れ、湯を注いで茶を淹れた。これを陶器のカップに入れて二人に出した。
「どうぞ。」
二人はお茶を一口飲んで、違う反応を示した。
「……苦いな。」
「でも、俺は気に入りました。この緑色の香りというか何というか……。」
表現に味があるな、とテルティウスは思ってこの従者を見ると、どことなくギリシア人のような雰囲気が漂っている。移民か、その子孫なのかもしれない。テルティウスはそんなことを考えながら、二人を見遣る。
「ふん……俺の味覚はどうせお子様だ。」
「……むくれないでくださいよ。」
仲がいいのはいいことだ、とテルティウスが思っているところで、外から声が聞こえる。
「若様ー、どこですかー? 総領がお呼びですよー!」
二人の若者は慌ててカウンターの前に置かれた椅子を蹴立てて立ち上がり、銭入れから銅貨を何枚か叩き付ける様に置いてから出て行った。
「若様、逃げないでください!」
「うるさい、俺はあんな退屈な仕事は嫌いなんだ! 逃げるぞ、プロデウス!」
「……うちのパトローネスは頼りがいがあるのかないのか……わからんな……。」
何やら外で話し声が聞こえたが、叫び声が段々と遠のいていった。騒がしいな、とテルティウスが思っていると、今度は引きずられるような音と共に先ほどの叫び声が戻ってきた。
「放せ! 何をする! プロデウス、何とかしろ!」
「我がパトローネス、クイントゥス・スキピオよ、それがあなたの運命というものです。あなたはスキピオ家の跡取りとしての職務をこなすべきでしょう。」
「達観するな! 他人事だと思って……。」
「……わかりましたよ、手伝いますとも。……はあ、これもクリエンテスの仕事か……。」
ぼやきのような呟きを残して、その騒がしい嵐のような若者二人はテルティウスの酒場から再び遠ざかっていった。おそらくは、元来た方向に強制送還、というところだろうか。
「何なんだ、あれは……。」
呆れ顔のソフォニカルに、テルティウスは説明する。
「ああ、今のは多分、クイントゥス・スキピオという方でしょう。このカプア周辺を統治しているスキピオ家の嫡男だそうです。若いのに、この間の対サムニウム戦線の総仕上げで大活躍だったとか。」
「武官タイプ、ということか。デスクワークを押し付けられて逃げたんだな。」
「今度来たら、適当に逃がして上げてください。もしかしたら、クリエンテスにしてもらえるかもしれません。」
「できるか、そんなもん。」
また二人は笑い合った。その姿は最早社長と従業員ではなく、友人同士そのものだった。
「それじゃあ、この航海を済ませたら私は愛しい人のところに行くことにしましょう。それくらいの余裕はできてきましたしね。」
ソフォニカルは再び呆れた顔で口を開いた。
「テルティウス、それは死亡フラグというものではないのか? 縁起でもない。」
「おっと。」
テルティウスが軽く口を抑えたのを見て、ソフォニカルは笑顔を見せた。テルティウスには、彼の笑顔には何度か救われているな、と思いながら店を出た。

「さてと、出港準備はできてる。後はテルティウスだけだぞ。」
オスティアの港には、テルティウスのソチエタス所属となった船が停泊していた。乗組員達はギリシア人で揃えて安全を確保し、以前に乗り込んだ船が安全対策を怠っていたことを考えてイベリア傭兵を50人ほど確保した。彼らの剣が、この当時使用していたローマ軍の長剣よりも刀身が短く、船上戦闘に適していたからだ。この傭兵隊長にはゼヌマンが宛がわれ、それなりに指揮官の部分を発揮していた。
「お待たせしました。ゼヌマン殿。傭兵の皆さんはどうですか?」
「やる気満々だ。問題ない。」
「そうですか。それじゃあ、出航しましょう。」
オールが一斉に動き始め、ゆっくりとオスティアの港から船が海を目指して進んでいく。往復2週間の予定を立てたが、これでも時間に余裕が少ない方だ。
ローマ人というものは陸路を信用しても、海路は信用しない。海の経験が少ないのも当然だが、彼らは農耕民族であり、陸の生活の方に慣れているからだ。そのローマ人の計画のはずなのだ。テルティウスは自分の異端さを理解していた。船に乗って海を行くことに、全くの抵抗を抱いていないのだから。でなければ、こんなに余裕のないスケジュールを組むわけがなかった。
さすがにそれを見通していたのか、甲板で海を眺めていたテルティウスに、警戒していたゼヌマンが語りかけた。
「しかし、今回は少し焦りがあるんじゃないのか、テルティウス。やはりローマに待たせている目当ての女の事か?」
テルティウスは苦笑いして応えた。否定のしようがない、という顔だった。
「……そうですね。そうなのかもしれません。でも、この航海でようやく資金が集まりそうですからね。」
「海賊の財宝分捕ったときに、全部持ってけばいいのに、乗組員全員に均等配分したからじゃないのか。俺が持ってこさせたってことは、俺を雇ったテルティウスが全部持ってっていいってことなんだしな。」
結局、あの海賊から奪い取った金品は、全てその場にいた船員から乗り合いの行商人まで、全員に配分したのだった。しかも、テルティウスは自分の分をソチエタスの分にしたため、全く彼自身の財産にはならなかった。とはいえ、そのお陰で事業を拡大できたといえるので、何がよかったのかは一概には言えない。実際、配分した船員や商人が、自分の店で物を買ってくれたり、場合によっては取引を手伝ってくれたりしたからだ。先行投資とはよく言ったものである。
「あれは誰かから奪ってきたものでしょう? 全てを私物化するくらいなら、分配した方がいいでしょう。それに、公共への奉仕という意味もありますし。」
「そんなもんはノヴィレスやエクイテスになってからにしろよな。全く、勿体無いことをしてるよ。」
「心構えを今のうちに持っておくべきでしょう。それに、もうすぐ私もエクイテスを名乗れそうですしね、わはははは!」
テルティウスの笑いを聞いて、ゼヌマンは少し安心した。テルティウスの声の調子自体には、焦りはあまり感じられない。ある程度は余裕を持って行動できるらしい。これなら、商人としてやっていけるだろう。
「さてはて、積荷が片寄っていないか確かめてきます。バランスを崩したら沈没しますからねえ。まあ、船員達は優秀ですし、大丈夫でしょうけどね。わはははは!」
テルティウスは船室に入り、船倉の様子を確認するために階段を下りていった。
「隊長、暇っすねえ。」
イベリア傭兵の一人が甲板の上をうろうろしている。ゼヌマンはぎろりと視線を向け、この傭兵の額を軽く叩いた。
「いてえ。」
「持ち場を離れるな。暇が一番いいが、次にいいのが迅速に敵を撃破することだ。」
「へえい。」
この傭兵は何とも気の抜けたような声を上げると、元の位置に戻っていった。
「隊長、相談が。」
別の傭兵だ。何やら蝋板と鉄筆を手にしている。
「どうした。」
「あの、俺の給与少なくないですか? ほら、この値段じゃ……。」
「アホウ。お前この間10日間休んだだろうが。それも、酒呑んで酔っ払って風邪引いたという、自業自得状況だろうに。それでも代表は月給3分の2になるところを4分の3にしてくれただろうが。2日半も負けてもらえてるんだ、文句言うな。」
「すんません……。」
やれやれ、という顔でゼヌマンは遠くを見つめた。
「随分と居心地がよくて居付いてるな、俺……。でも、考えてみればテルティウスの夢の実現のためにやってきたわけだから……。」
もうすぐ、テルティウスの夢は叶えられようとしている。そうなれば自分はお払い箱だ。テルティウスのことをテルティウスと、そのままの名前で呼ぶようになって久しいが、これは自分がこのソチエタスに馴染みすぎたことをも意味している。そう思うと、悲しく感じられた。
「……何考えてるんだか。元の生活に戻るだけさ……元の生活に……。」
だが、それが今の自分にできるのか、ゼヌマンにはわからなかった。

カルタゴは相変わらず暑かった。気温もそうだが、商人たちの気迫が違う。
「ここは凄いですねえ。さてと……。」
テルティウスはイベリア傭兵達に休暇を出しておき、傭兵隊長のゼヌマンをお供に仕入れを開始する。やはり、仕入れは自分でしなければならないというのがテルティウスの持論だった。さすがに多方面展開になればそれはできなくなるだろうが、そうなるまではやるつもりだった。
「もう少し安くできませんか?」
「あんた、そりゃ無茶だ。こいつは砂漠の中から見つけた石英の塊から作ってるんだ。結構な貴重品なんだぞ?」
「そうですねえ……でも、本当に砂漠が原産地ですか?」
「そりゃまあ、あんたにはわかんねえかも知れねえけど。」
「じゃあ、もう一声、このくらいで。」
「……オーケー、いいだろう。」
取引している物が物だ。小さくとも貴重品だらけである。この手の取引は誰かに見られたくはない。それに、信頼できる傭兵はこのゼヌマンくらいだった。細かい取引を幾度となく繰り返さなくてはならず、時間がかかる。その上、ちょっとした「挨拶」もしなければならない。少人数で行動せざるを得なかった。
「で、どうだった。儲けられそうか?」
「大丈夫です。これを持ち帰れば、贈り物に持って行く分を差引いても、船を新しく造れるくらいの資産規模にはなりますよ。」
「そりゃいい。」
テルティウスに向けてゼヌマンは軽く笑みを見せると、二人は宝石取引所から出て、もう一つの目的地に向かうことにした。

「相変わらずですねえ、ここは。」
日が傾きかけた頃に彼らが足を向けた先は、大きくはあるが華美ではない屋敷だった。この屋敷の持ち主は、カルタゴでも屈指の貴族であり、同時にインフラ整備を担当する筆頭内政官である。名を萩原という。かつてソフォニカルの上司だった人物でもある。イベリア派と国内派の争いに巻き込まれて逃げたソフォニカルを匿っていると口にしたところ、「それは助かる。私の方も、何とか事態を収拾してみせるから、それまで預かっていてくれ。何、あの男は何かと役に立つ。タダ飯食らいにはならんよ。」と言ってくれた。実際に助けてもらっているのはテルティウスの方なのだが、言われて嫌な気はしなかった。
「挨拶ねえ。というか、この家、やけに警備が多い気がするが……俺は外で待ってる。酒場で何か飲んでくるよ。たまにはビールが飲みたいんでね。」
ゼヌマンに言われて、初めて気がついた。棒やスリングなど可愛いもので、曲刀、槍、短剣、斧、弓を持った傭兵たちが屋敷周辺を屯している。傭兵というより、用心棒、もしくはヤクザに近いかもしれない。
「わかりました。ゼヌマン殿、ごゆっくり。」
「テルティウスもな。」
門前でゼヌマンと別れたテルティウスは、取次ぎを請い、中に入っていった。内装自体も落ち着いており、広くても執務室や客室が大半であり、プライベートスペースはさして広くなかった。だが、その客室も満席に近いらしい。この客室にも用心棒達がいるからだ。こちらは、外の傭兵よりもさらに目つきが悪く、街のゴロツキを集めてできた暴力団にしか見えなかった。
「前に来た時はこうではなかったはず……。」
何があったのかも聞いてみなければならない。テルティウスはそう思った。
応接室に通されたテルティウスは、この屋敷の主人と対面した。年の頃は50代前半だろうか。やや膨れた体は単なる肥満というよりは、筋肉の上に脂肪を纏っている程度だろう。やや横が長い顔には皺が多く、よく日に焼けて色黒だった。髪の毛は白髪交じりの茶色で、現地人と比べると髪の色は薄かった。
「お久しぶりです、萩原内政官。半年ぶりでしょうか。」
「相変わらず見事なギリシア語だね、テルティウス殿。」
二人は椅子に座り、果物が盛られたテーブルを挟んで向き合った。
「2年前にお会いしてから、お世話をかけています。あなたの発行してくれたカルタゴ船籍証明書のお陰で何度沈没から救われたことか。」
この内政官は、ソフォニカルからの要請を受けて証明書を作ってくれたのだった。一度カルタゴから脱出しているので、その時に登録が消えている。それを萩原内政官が別の名前で再登録してくれた。
ローマの船では使えない避難港も、カルタゴの船籍なら使える。しかも、カルタゴ筆頭内政官直々の発行だ。ここのところは操船テクニックが向上しているので大丈夫だが、最初の方は大変だった。それでも避難港を使えたお陰で、被害も大したことはなく、損害といえば船の修繕費程度で済んでいた。
「私としても、ソフォニカルには早く帰ってきてほしいからね。彼ほど宣伝上手な男はいない。広報担当がいなくて寂しいが、安定していないからね。今日は静かなものだが、明日はわからん。」
少々困ったような顔で喋っているが、彼の困りようは「少々」どころではあるまい。
「勝手に借りてしまっていますからね……。」
「彼の居場所を何とか取り戻したいがね。何しろソフォニカルの罪状はスパイ容疑及び国家反逆だからな……。」
ソフォニカルは国内派に位置し、国内の経済と農業の安定化を望む人物だった。彼はそのためにイベリア派の内情を探るために、資金回りの調査をしていた。そして、ソフォニカルはイベリア派の一人が、イベリア植民地の現地民を使って私服を肥やしていることを突き止めたのだった。
ところが、それを察知したイベリア派はソフォニカルにスパイ容疑と国家反逆罪を適応してしまった。スパイは言い訳のしようがないが、国家反逆は言いがかりだ。とはいえ、それを証明することができず、国外脱出した結果、お尋ね者となったのだった。
「困ったことですね。我々ローマとて、パトリキとプレブスによる国論分裂はしていますが、まだ戦いのときは団結していますから。」
「ある意味、危機が纏め上げているのだろうね。我が国は危機が長くなかったために起きた国論分立だ。危機が訪れれば、軍が何とかできるとしても、力の無駄遣いになるだろうな。」
テルティウスは考えてしまった。いつかローマもこのようなことになるのだろうか、その時自分に何ができるのだろうか、と。そして、こんなことを考えるということは、やはり自分もローマ人だな、とも思う。
ローマ人という人種は、普段「俺たち貴族が」「いや、我ら平民が」などと言い合っているものだ。だが、「敵軍襲来!」の一言を聞けば全員が一斉に振り向いて、「よし、そいつらを殺す!」と纏まって戦う。そのくせ、それが終わると元通りなのだから、頭が痛かった。テルティウスも、戦いは苦手でも今の自分なら武器の供給や食料の確保ならできそうだ、と考えるくらいだ。ローマを愛するローマ人の一人、ということなのだろう。
「憂慮なさっているのですね。」
「無論だ。しかし、私とて手を拱いているわけにはいかなくなった。」
「それで傭兵を大量に雇ったのですか?」
聞きにくいことを聞いてきたな、と苦笑いしながら萩原内政官は質問に応えるべく口を動かした。
「そうだ。私はね、国内派もイベリア派も、正しいとは思うのだよ。だから、どちらにも手は貸している。インフラ整備や技術者派遣でね。だが、それだけでは国がもたなくなって来たのだ。私は国に逆らいはしない。逆らいはしないが、力なきカッサンドラになるわけにはいかないのだ。」
カッサンドラはトロイの王女で、予言者である。彼女は予言でトロイが滅亡することを知り、それに備えるように人々に告げたが誰にも相手にされなかった。この故事から、論理的に説得さえすれば聞いてもらえると信じる人のことを「カッサンドラ」と呼ぶようになったという。萩原内政官としては、それだけは避けたかった。
「口だけで力を背景に持たないから意見を聞かれない、そういうことですか?」
「その通りだ。それに、精鋭傭兵とゴロツキをまとめて雇ったのにも理由がある。精鋭傭兵を指導教官にして、ゴロツキたちの訓練に当たらせてそれなりの兵士にする。社会不安を取り除くための方策でもあるのだよ。内政官としての思いつきだから無理があるかも知れんが、何もせずに社会不安を煽るわけにはいかん。」
危険な賭けだな、とテルティウスは思う。下手をすれば自分の命すら危ういというのに、こうまで無茶をするのは何故なのだろう、と考えたが、答えはあっさり出た。この萩原内政官も自分と同じ愛国者なのだ、と。
「その気持ち、よくわかりますよ。私もローマが好きですからね。」
「……たとえ不平等条約があったとしても、我らの手でカルタゴとローマを繋いでいきたいものだ。いつかはその不平等条約も解消されよう。」
テルティウスは微笑むと、彼も言葉を紡いだ。
「ええ、ローマは共に歩くことを望むでしょう。」
この時は、本当にそう信じていた。しかし、それは叶わぬ夢となることになる。


4 もがれた水掻き、新たな柱


結局、ゼヌマンが萩原邸に戻ってきてからも話は続き、二人して部屋を借りて泊まることになった。翌日の朝食まで貰い、二人が屋敷から出たのは昼近くになってからだった。
「いや、引き留めてすまなかった。楽しかったよ。」
「いえいえ、宿代の節約になりました。私たちの方が礼をすべきですね。ありがとうございました。」
ゼヌマンも微笑を見せて内政官に向かって口を開いた。
「雇い主が世話になった。心からの感謝を。」
「君もギリシア語がうまいな。君とも語り合いたかったよ。今度来たときにでも、ゲルマニアの話でもしてくれないかね。」
「了解した。その時を俺も楽しみにしている。」
二人は何度も頭を下げながら萩原家を後にして、カルタゴの港に向かった。
「あれがローマ人か。人材取り込みの癖はどうしようもないが、同胞を助けてもらっているわけだからな。交流が深まれば共に必要とするようになる。そうすれば……戦わなくていいようになる。私の願いが叶えられる日も……近いな。」
しかし、テルティウスたちと入れ替わるように現れた、カルタゴ軍の将官と兵士たちが萩原邸を取り囲んだ。その中の凛々しい将軍が内政官の前に馬を止め、降りた。
「君は……イベリア派筆頭のハミルカル・バルカ殿か。イベリア遠征中だと聞いていたがな。」
武人の中に知性を思わせる雰囲気を漂わせるこの三十台後半の男は、堂々たる体躯の持ち主で、威容を持ちながら見下した感が見られない。武の本質を理解しているのだろう。長い黒髪を後ろに流し、少しだけ伸びた髭は整えられている。雷光の姓を持つ、カルタゴ軍最強の将軍だった。同時にイベリア総督でもあり、コルドバの制圧を終えて周辺の反対勢力の鎮圧を行っていたはずだった。その彼が、今、萩原内政官の前にいる。
「議会より急ぎの任務が通達されたので、戻ってまいりました、萩原内政官。残念です。」
「残念、ということは私が対象かね、任務というのは。」
強い知性の輝きが見られる瞳は、悲しみに満ちていた。この瞳の持ち主は、発せられる声自体にも悲しみが含まれていた。
「はい。あなたを国家反逆罪で逮捕します。」
「ほう。何を根拠に?」
「反乱の準備をしている……。傭兵を大量に雇ったのはそのためだと……。議会に連行するようにと命令を受けています。」
これまでか、と萩原内政官は思った。力を背景に発言しようと考えたまではよかったが、国家反逆罪を盾に取られては勝ち目がない。自分の治安維持政策も、議会ではただの言い訳にしか聞こえまい。所詮は内政官の浅知恵だった、と彼は後悔した。だが、もう遅い。
「私には信じられません。あなたがそのようなことを画策するとは、とても思えない。あなたは誰よりもカルタゴを愛していたではありませんか。」
「カルタゴを愛するがこそ、反乱を起こそうとしたと思われても仕方あるまい。弁解したところで、誰も聞く耳を持たんだろう。最初から私は『カッサンドラ』だったということだ。軍事力を持とうが、持つまいが、な。」
カルタゴ最強の将軍は、必死に振り絞るように言葉を吐き出した。聞いているほうが辛くなるような表情だった。
「萩原内政官、私はあなたを師と思っている。国の基盤が農耕にあるといって、私がイベリアの鉱山ばかり気にしていたところを諌めてくれたではありませんか。武の本質を理解していなかった若造だった私に、あなたは幾度となく声をかけてくれたではありませんか。ですから……!」
議員たちもむごいことをする、と萩原内政官は思った。最初からハミルカルに嫌がらせをするために自分の逮捕を彼にさせたのだろう。しかし、最早こうなっては後の祭りだ。
「もういい。私のように、君が国を背負ってカルタゴを守ってくれればそれでいい。それから……ローマを蛮人と嫌う君の気持ちはわかるから、強要はしたくないが……彼らと共に歩くことも少しだけ考えて欲しい。」
「内政官……。」
もう、これは遺言でしかない。ハミルカルには、せめて自分の手で議会に連れて行くことしかできなかった。
「もう内政官ではない。ただの罪人だ。さあ、連行するのだ!」
「…………!」
ハミルカルは萩原内政官、いや、罪人萩原を縛ることができなかった。自分の馬を馬丁に引かせて、共に歩いて議会堂に行くことしかできなかった。
「……心残りは……今年結婚した息子夫婦から生まれるであろう孫を見られなかったことと、テルティウス殿たちにもう会えないことだな……。皆は愚かな私を許しはすまいが、彼らが幸せであることを願うことしか……今の私にはできんな。」
内政官だった男を慕っていたカルタゴの将軍は、議会に師を送り届けた後、屋敷に戻って傭兵たちも連行していった。そんな中、士官の一人がハミルカルに告げる。
「将軍、軍船が2隻とヒミルコ殿が見当たりません。出動要請はしていませんよね?」
「無論、していない。……ヒミルコめ、勝手なこと……!」
ハミルカルは一瞬歯噛みしたが、すぐに出港準備を整えさせた。太陽は南の空から西へと滑り行くところだった。時間をかけ過ぎれば厄介なことになることを、海に慣れていた彼は理解していた。

「さてと、今回の仕入れも終わったことですし、帰ったらいよいよですね、わはははは!」
テルティウスは嬉しそうだった。うまくいけば、金銭面の保証付きで嫁にドミティアを迎えにいける上、カルタゴとローマを自分たちが繋げられるかも知れない。そうすれば政界進出も難しくはない。仮にそれが実現するなら、彼女の親もまず間違いなく自分との結婚を納得するだろう。テルティウスは小躍りしたい気分だった。
「テルティウス、あまり浮かれるなよ。浮かれすぎて海に転げて浮かぶなんて真似はやめてくれ。拾うのは俺だぞ。」
一晩の間、海の上を滑り続けたソフォニカルから借り受けた船は、もうカルタゴからかなり離れた海域にいた。対岸まで距離がある。海に落ちたらひとたまりもなかった。
「大丈夫です……大丈夫ですとも。私はドミティアとようやく結婚できるんですから。わはははは!」
「聞いてねえな……このボケ商人は。」
この白人傭兵はあまりの同志の浮かれ振りに、呆れ果ててものも言えなくなった。とはいえ、そろそろ目的を果たせそうなのだから、この浮かれようは当たり前だともゼヌマンには思えた。となると、と考えたこの傭兵隊長は配下の傭兵達に指示を出す。
「ここからの海域は全方位に気を配れ。どこから来るかわからんぞ。それから、船縁に代表が行ったら、止めておいてくれ。止めないと金を払ってくれる人がいなくなるんだからな。」
「へえい。」
50人いる傭兵達も、緊急時以外は10人ずつでローテーションを組んで警戒に当たらせている。これは、ローマの軍制を借りたもので、十人隊というシステムだった。所謂百人隊の下部組織で、百人隊がほぼ中隊規模なのに対して、こちらは部隊の最小単位である分隊といったところだ。テルティウスから何かいい交代勤務がないかを聞かれて確認したところ、この方法に行き着いたのだった。
とはいえ、中型船舶に10人という警戒人数は少なすぎる。そこで、オール漕ぎたちにも休憩時間には監視を担当してもらっていた。こちらは戦闘こそしないが目は増えるので、それで十分だ。そもそも、襲撃があればその時点で「緊急事態」だ。交代勤務も何もないので、最初の戦闘で10人が食い止めるだけである。それに、ローマの軍隊のような鉄の軍規もない。それで十分だった。
「さてと、俺も疲れてきたかな。休むか……。」
出港からここまで、ずっと神経を張り詰めていた。徹夜でさすがに疲れてきたのだろう。とはいえ、すぐに動けるように日除けの布を被って目を閉じるだけで、甲板に座り込んでいるのだが。しかし、それはほんの数秒で終わってしまった。
「隊長、お休みのところ悪いんですが、何か船が近づいてきますぜ。それも、カルタゴ船ですわ。2隻です。」
休みはないのか、という顔をしながらゼヌマンは起き上がり、ぼんやりした調子で返事をした。
「わかった。代表と話をしてくる。」
甲板でまだ小躍りしていたテルティウスを、ゼヌマンは肩を叩いて正気に戻してから報告する。
「カルタゴ船が2隻、接近しているらしい。連中、こっちを追いかけてるみたいだ。どうする、テルティウス。」
「私たちは何もやましいことはありませんし、停船しましょう。何かあるなら申し開きすればいい。」
この脳天気さに、ゼヌマンは少し頭痛がした。この傭兵は、その提案には反対だった。
「本気か? この船はカルタゴを逃げ出した人間の船だぞ。」
「何年か前から、ずっとカルタゴに入港しているではありませんか。大丈夫です。」
確かに、船籍再登録した書類は全て本物だ。何しろ承認自体、萩原内政官が自らするのだから。偽物であるわけがない。だからこそ、今までパスできた。何の心配もないと思うのは、ある意味当然だ。
「……わかった。テルティウスがそう言うなら、俺には止める権限はない。船乗り達に伝えてくる。」
嫌な予感を抱えつつも、彼は船室の船乗り達や舵取りのギリシア人たちに、船を止めるようにギリシア語で伝えた。

テルティウスたちの乗る船が泊まったところで、カルタゴの船2隻が両脇に横付けされた。これはただ事ではない。犯罪者相手にするような態度だ。実際、兵士と共に乗り込んできた目付きの悪い役人も、明らかに敵意を剥き出しにしていた。
「さて、この船の所有者が我が国の指名手配犯のものであることが判明した。おとなしくしろ。調査する。」
「待って下さい。確かに、この船は譲り受けたものですが、所有者が私ということで再度登録しなおしています。それに、彼……ソフォニカルは私のソチエタスから離れています。調査される覚えはありません。」
ソフォニカルがテルティウスのソチエタスから離れているというのは、ある意味嘘で、ある意味本当だった。テルティウスが経営する酒場は、厳密にはソチエタスとは関係がない。独自の資本で動いている上、在庫の一部を「売っている」だけなので、ただの取引先である。そこにソフォニカルを、カルタゴに船が出ている間は押し込んでいる。つまり、決して間違いではないのである。
だが、そんな小細工はこの役人には通じなかった。彼は恐るべきことを口にした。
「この船の登録は萩原前内政官の手で行われているが、彼は逮捕された。この船の登録が不正だったということの、証拠品も上がっている。私はその裏付け調査に来たのだ。」
「バカな! 萩原内政官が逮捕されたとは、どういうことですか。」
萩原内政官が承認した以上は、偽造ではない。たとえこの船の再登録の証明書の発行が偽造に値するとしても、その証拠があるとすれば、ソフォニカルからの手紙か、でなければ内政官の頭の中しかない。だが、手紙は萩原内政官がテルティウスの眼前で燃やしているのだ。頭の中身など、立証のしようもない。つまり、最初から言いがかりをつけているに過ぎない。
「それについて答える必要はない。はっきり言おう。国外脱出したソフォニカルと萩原前内政官は貴公らの船を使って連絡を取り合い、カルタゴで反乱を起こそうと企てていたのではないかという疑惑がかけられているのだ。さあ、おとなしく調査を受けなければ、その時点で逮捕だ。」
テルティウスは歯噛みするしかなかった。ゼヌマンもすんでのところで爆発するところだったが、何とか押さえ込んでいるだけだ。次のきっかけでもあれば、以前のように火を吹くことになる。だが、この炭火のようなゼヌマンに、カルタゴの役人はわざわざ風を送るような真似をした。
「積荷の調査をする。検査のために一度本船に積みなおすからな。」
ゼヌマンの「火花」が散った。怒りを瞳に滾らせながら、彼は役人に詰め寄った。
「ちょっと待て。調査なんて俺らの船の甲板でできるだろうに。持ち逃げする気か?」
「何を言いがかりを。違反があれば、それをそのまま罰金として徴収するのが我らの仕事だぞ?」
つまり、荷物を差し出せば見逃してやろう、という意味だ。冗談ではない、とゼヌマンは思った。ここまでくるのに、かなりの労力を要している。その苦労を根こそぎ持って行こうというのだから、彼には耐えられなかった。だが、この怒りは自分自身の誇りを傷つけたというよりも、テルティウスの苦労を無にすることに対するものだった。彼が、ソチエタスに馴染みすぎていることをも示しているのだが、それを考える余裕がゼヌマンにはなかった。
「テルティウス……テルティウスは我慢できるのか? ここまで侮辱されて……これは助けてもらった人間を踏みにじるような行為だぞ……。」
「我慢しなければ。たとえ、今回の荷がふいになったとしても、カルタゴとの関係を悪くしてはなりません。」
しかし、ゼヌマンはこの役人がどうやって来ているのか、見当がついていた。早い内から内政官に目をつけていたのなら、港で拘束されるはずである。自分たちが去ってすぐに内政官が拘束されたとしても、時間的に矛盾がある。正式な手続きで追いかけてきたのなら、昼頃に内政官が捕まったとしても、その他の承認や出港の書類審査があるから、明日の明け方にしか追いつかない。つまり、この調査自体が公的な効力を有していないことが予測できた。
「テルティウスがしないなら俺もやめておこうと思ったが……。やはり我慢がならん。こんな似非役人に振り回されるくらいなら、俺は戦うぞ。」
傭兵達の武装解除はできていたが、それでも彼らの腕なら戦えることをゼヌマンは信じていた。後は、きっかけと指示だけだ。彼は船室にテルティウスを押し込み、役人を睨みつけながら、近づいた。
「何だその態度は。それに、何をこそこそ話していた。何かの共謀か? では……。」
積荷没収、の言葉が出る前に、ゼヌマンが動いていた。スパイク付きのハイキックが役人の顔にめり込み、続けて繰り出されたボディブローの一撃で海に叩き落した。ここまでの行為に及んだ以上、最早後には引けない。
「総員、制圧しろ! 武器を奪還したら1班と3班と4班は左舷側を、2班と5班は俺と一緒に右舷側に来い! 一人として逃すな、全員始末しろ!」
全ての証拠を消し去らねばならない。全ての証人の口を封じる以外、手はない。抜刀したイベリア歩兵相手に、ゼヌマンは素手で挑む。ハルパーを没収された以上、取り返さなくてはならない。
「通してもらう!」
狭いタラップの上をスライディングタックルしながら前進するという、とんでもない離れ業をやってのけると、解除された武装を守るカルタゴ兵2人に向かって突進した。
「どおおおおおおけえええええええええ!」
二人は剣を構えて薙ぎ払おうとしたが、ゼヌマンはそれをしゃがんで躱し、下から抉り込むように敵兵の一人にアッパーカットを叩き込むと、続けて肘打ちをもう一人の顔に命中させた。傭兵達がわっと駆け寄り、自分の武器を手に取った。ここからだ。
彼も甲板に置かれた革袋から二振りのハルパーを抜き放った。これさえ手にすれば、後は難しくない。敵の戦闘員は船の規模からすると200人前後だろうが、勝てることには勝てる。しかし。
「逃がさん!」
ぞっとするような声が、背後からした。ゼヌマンは振り向いてハルパーを構えたが、次の瞬間には繰り出された剣で、左手のハルパーが弾かれて海に放り出されていた。
「くっ……やってくれるよ、役人さん!」
頬にスパイクの跡が残され、全身から海水が滴っていたが、間違いなく海に突き落とした役人だった。あの状況から這い上がってきたようだ。よくも戻ってこられたな、とゼヌマンは顔を引き締めた。腐っていても、なかなかの強者のようだ。
「油断したよ、蛮族の傭兵め。私の手で葬ってくれるわ!」
「それはこちらの台詞だよ。もう一度確実に水葬にしてやる。」
ゼヌマンは流れるような動きで、甲板に落ちているカルタゴ兵の剣を左手で、逆手に持った。やはり二振りの剣がないと落ち着かないのだろう。
「名前を聞いておこう。私の名はヒミルコ。将軍ハミルカル・バルカのため、貴様達を討つ!」
「ゼヌマンと名乗っている。雇い主の利益と夢の実現のため、押し通る……!」
ヒミルコと名乗った役人は、甲板を蹴って接近し、一太刀振り下ろした。それをゼヌマンの左手の剣が阻む。そのままゼヌマンが反撃に移ろうとしたところで、ヒミルコはもう後ろに下がっていた。
「こいつ……。」
先ほど海に突き落とせたのは、単なるまぐれだ。このヒミルコという男は、恐ろしく強い。だが、船さえ制圧してしまえば勝ち目はある。こればかりは傭兵たちに任せるほかない。ヒミルコを抑えておかねば、危険すぎる。
「……ふっ!」
先に動いたのはゼヌマンだった。体を低くして走り、擦れ違いざまに右手のハルパーで切り裂こうと構える。だが、ヒミルコはこの攻撃を躱して通り過ぎかけるゼヌマンに剣を振り下ろした。危うく脚を斬られるところを無理矢理方向転換して躱し、甲板に剣がめり込む。それを何ともないように引き抜き、接近したヒミルコは掬い上げるように剣を振るった。
「おっと。」
この攻撃もゼヌマンは軽く仰け反って回避し、体勢を立て直して左の長剣を振るった。とはいえ、この程度の攻撃がヒミルコに通じるはずもなく、あっさりと回避された。ハルパー自体、鍔迫り合いができるような形状の剣ではない以上、ヒットアンドアウェーしかないためにこのような戦いになってしまっている。それでも、まだゼヌマンにとっての得意戦術が展開できるだけ、まだマシだ。
「どうする……どうする……。」
じりじりと睨み合いが続く。だが、転機が訪れた。左舷側の制圧が終わったらしく、傭兵達が駆け戻ってきた。
「隊長! 今戻りました!」
「よし、3班と4班は制圧に向かえ! 1班は役人を始末しろ。」
戦闘で何人かは欠けているようだが、それでも8人がヒミルコに向かって行く。しかし、それは全くの無駄だった。
「雑魚がああああああああ!」
一瞬のことだった。腕や首が千切れ飛び、何とか攻撃を防いだ者も腱を斬られて戦闘能力を失っている。カルタゴの戦力が傭兵主体なのは軍だけであって、将軍はカルタゴ人だ。曲がりなりにも傭兵を束ねなければならない以上、差はあるが能力もそれに比例していなければならない。このヒミルコという男は並大抵ではなかった。指揮能力はともかくとして、単体の戦闘力が高すぎる。
「くっ……!」
「死ね、蛮族!」
袈裟懸けに切り裂こうとヒミルコの剣が迫る。それをゼヌマンは軽く左手の剣で弾いて勢いを殺し、続けざまにハルパーの外縁部で薙ぎ払った。ヒミルコは右にステップを踏んで躱し、下から抉り込むように剣を振り上げた。
「ぬっ……!」
再びゼヌマンの手から剣が弾かれた。これでは剣を拾う余裕などない。ハルパー一本で戦うほかない。使い慣れた武器とはいえ、二本同時攻撃ができないのが辛い。攻防一体だったからこそ、盾も使わずに機動戦に徹することができたのだ。だが、文句を言ってもヒミルコは引き下がってくれない。
「……。」
もう一度、擦れ違いざまに斬りつけるしかないか、と考えたその時、ゼヌマンの動きが固まった。ヒミルコの後ろに弓兵がいる。それだけなら、躱せる。だが、その兵士は火矢を放とうとしていた。火、特に火矢は彼にとって最大のトラウマだ。思考が完全に停止してしまう。
「あ……あ……。」
放たれた火矢が、ゼヌマンの左膝に命中した。自分の脚から、焦げる臭いがする。それが彼のトラウマを必要以上に刺激した。
「う……あああああ……!」
その様子を見たヒミルコは、この傭兵隊長に止めを刺すべく、剣を構えて踏み出した。
「随分と無様なものだな、ゼヌマン。カルタゴに歯向かった勇気だけは評価してやる。」
ヒミルコは勢いよく剣を振り上げた。丁度ゼヌマンを射た兵士も始末し、船内の制圧が終わった傭兵たちも止めようとしたが、距離がありすぎて間に合わない。その時だった。
「そうはいきません!」
振り上げられた剣が、力なく甲板に転がった。テルティウスが後ろから、傭兵の剣でヒミルコを一突きにしたのだった。助けられるだけでは我慢ができなかった。ゼヌマンを、何としても助けたかった。傭兵相手に心を許してはならないと思いつつも、ゼヌマンを頼っていたのは、実はテルティウスもゼヌマンと同じだった。だからこそ、助けたのだ。
「こいつ……ただの臆病者じゃ……なかったというのか……。」
ずるりと力を失ったヒミルコは、そのまま血を流しながら甲板に転がった。
「テル……ティウス……。」
立ち上がることさえできないゼヌマンを、鍛えられていないテルティウスが担ぎ上げるのは無茶だった。彼を引きずるように、テルティウスは自分たちの船に戻った。
「ゼヌマン殿、あなたは死なせません。何としてもローマに戻りましょう。」
「俺は傭兵……使えなくなったら捨てるものだろうに。何故……助ける?」
「あなたは私にとって同志です。仲間です。戦えなくなったとしても、あなたにはまだできることがあるはずです。」
「……。」
「共に、歩きましょう。」
ゼヌマンは疲れ果てたように目を閉じた。このまま死ぬのもいいかも知れない、とは思えなかった。必要としてくれるこの男のために生きてもいいか、と思いながらだった。

ハミルカルの船がこの海域にたどり着いたのは、翌日の朝のことだった。
「……。」
カルタゴ兵の死体が、そこかしこに漂っている。ヒミルコの死体も見つかりはした。背中からの一突きだ。ハミルカルには、それが卑怯な人間の仕業にしか見えなかった。カルタゴの船2隻は火をかけられたのか、焦げた板切れがあちこちに浮いていた。
「ここまで……ここまでする必要があったというのか……。」
確かにヒミルコはやりすぎなところもあった。だが、不正を好まない男だった。実際、ヒミルコのテルティウスたちに対する態度は、何としてでも証拠を掴むためのやり方であって、積荷が欲しかったわけではない。テルティウス達が取引している物が高価なものであることも、まるで想定範囲外だった。
「やはり、ローマの者とは共に歩けませんよ。いくらあなたが仰ったことでも、私はローマを許せない……!」
ハミルカルは見えるはずのないローマのある北西の方角に目を向け、拳を握り締めていた。

ゼヌマンはローマにたどり着いた後、使い物にならなくなった左の膝から下を切断することになった。これで傭兵としては生きていけないことになる。だが。
「テルティウスは共に歩こうと言ってくれた。だから、俺の脚がなくなっても、まだ俺は歩ける。俺は、『ローマ人』だ。」
大事な人であるドミティアを迎えに行くテルティウスと、金銀財宝を載せた馬車を御しながら、ゼヌマンはそっと呟いた。


エピローグ


「いやあ、そんなこともありましたねえ。」
テルティウスは眼前のティベリウス・ゼヌミニウスに向かって言葉を放つと、この金髪男も懐かしむように言う。
「あの後、市民権取得手続きをしたり、帳面のつけ方勉強したりと、結構大変だったけどな。まあ、退屈しなかったし、案外充実した毎日だったな。」
ゼヌマンと名乗っていた男は、一番ローマ人らしい名前ということで、ティベリス河を元にしたこの「ティベリウス」を選んだ。彼は、違う文化が交じり合う場所など他にないと思っていた。だが、ローマは数々の文化と生き方、考え方を取り込みながらも、独自性を失わない土地だった。余所者として生きていた彼には、光り輝く理想郷に見えたことだろう。
「あなたの勤勉さはまさにローマ人のあるべき姿でしたね。我々も見習いたいものです。何しろ、今のあなたは海運の達人『黄金色の鴎』ですからねえ。」
やけに褒めちぎるテルティウスに苦笑しながら、ティベリウスは口を開いた。
「茶化すな。テルティウスがいなきゃ、俺はとっくに野垂れ死にしてるよ。民間人として生きていけるってのは、幸せだと思うよ、全く。」
「私としても、随分と助けられましたから。それに……。」
「それに?」
禿げた頭を軽く撫でながら、テルティウスは口を開いた。
「ティベリウスを見ているとね、希望を持ちたくなるんですよ。違う者と共に歩けるのではないか、とね。あのカルタゴに殺された内政官の思いを、我々の手で遂げることができるかもしれません。形は随分と変わりますがね。」
結局、萩原内政官が処刑された後になって、彼が全くの無実であることがわかり、彼の名誉は回復された。だが、名誉は取り戻せても、人材そのものは取り戻せない。彼の犠牲によって、イベリア派と国内派の争いは多少沈静化したものの、なくなったわけではなかった。
「まあね。けど、テルティウスならやれるさ。間違いなくな。」
「そういえば、ソフォニカルはどうしています? 体調が悪化したとのことでしたが。」
ティベリウスは少し顔を曇らせて、応えた。
「どうにも調子がよくない。医師の話だと、もう長くないらしい。もって2年、短ければ半年だそうだ。」
ソフォニカルはテルティウスが結婚したのを見届けた後、ソチエタスの経理を担当していた。だが、やはりカルタゴに帰還する望みが絶たれたのが大きかったのか、少しずつ体調を崩していき、3年前から床に伏せっていた。
「そうですか……。彼が生きているうちに、カルタゴを見せてあげたいものです。」
「テルティウスは、ソフォニカルを帰還させたいがためにカルタゴを滅ぼしたいのか?」
まさか、という顔で、この商人から身を起こした元老院議員は返事をした。
「私とてローマ元老院議員の一人ですからね、それだけの理由でカルタゴを滅ぼしたいとは思いません。あくまでもローマのため、です。」
「それでこそ、ローマ人だ。」
不意に何かが折れる音がして、がくん、とティベリウスの姿勢が崩れた。左脚の脛が折れていた。いや、正確には義足が、だ。尻餅をついたティベリウスは少しばかり困ったように頭を掻いた。
「やれやれ、作ってから古いからな、折れてしまったか。」
「大丈夫ですか?」
「ああ、何とか。尻が痛いだけさ。」
少し笑みを見せながらテルティウスは、ティベリウスに向かって手を差し伸べた。
「手を貸しましょうか?」
「……助かる。」
このゲルマニア生まれのローマ商人は、テルティウスの手を握り締めて、立ち上がった。
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Re: No title

>シークレット氏
やや、了解です。

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