スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

補助軍兵A氏作 アイマス・トータルウォー支援SS「咆哮する軍旗」第一話

補助軍兵A氏からまた支援作品を頂きました!
本当にありがとうございます。

若き頃のクイントゥス達の物語、大長編の第一話となります。
どうぞ、お楽しみください。

なお、物語中の設定は全て補助軍兵A氏の独自解釈によるものとなっています
そこのところご了承ください。

それでは、どうぞ!
咆哮する軍旗


 プロローグ


 その男の体を纏っていたのはトーガだった。ローマ市民権取得者の成年男性が必ず着こなさなくてはならない、巻きつけ型の衣が、その男の鍛えられた体をより重厚にしていたのは間違いあるまい。彼の体は、疲れたように椅子にもたれかかっていた。
今年でまだ37だというのに、どういうわけか額は大きく後退し、眉の間の皺は深く刻まれ、目付きの鋭さと相まって、少々無愛想に見えた。だが、これでも彼は兵士達の間では有名な献身家であり、彼らを束ねるだけの力量を持つ軍団長だった。彼は眼の前にいる、部下であり親友である男に向かって、口を開いた。
「私見でいい。…………言え、プロデウス。」
戦場では扇形に広がった羽根飾り付きの兜を被り、最前線で指揮を執る百人隊長であるこの男は、プロデウスという名前を持っていた。久しぶりに名前で呼ばれたな、と思いながら、彼は部下としての仮面を外し、一人の友人として眼の前の軍団長の顔を見て応える。
「……俺は大丈夫だと思います。あの娘はこれくらいではへこたれんでしょう。誰かによく似て、頑固だ。『現実』は理解するが『理想』は捨てないかと。」
自分よりも3歳年上の親友に、禿頭の軍団長は問いかけを続けた。かつての自分の鏡のような存在に、大嫌いと言われた。彼女の気持ちは、この軍団長にはよくわかった。落としたばかりのタプソスで、闇討ちを受け続けて被害ばかりを拡大させるわけにはいかなかった。だから、市民達の処刑をせざるを得なかった。だが、それはこの軍団長にも受け入れがたいものではあったのだ。
「ふん、あれは気丈だがその分、脆い。立ち直れなかったら?」
インペラトール、千早・如月の思いがわかるだけに、献身家の軍団長には人一倍堪えた。でなければ、これほどまでに弱音を吐くわけがなかった。
「そうなったらあの娘は後方に廻して、クイントゥス様、貴方が『英雄役』をやればいい。俺はどちらでもかまいません。」
こういう時に、この友人は頼れる。軍団長クイントゥスは続けて質問をぶつけてみることにした。
「父の意向に背くが?」
「俺は貴方のクリエンテスだ。貴方が『英雄』となるなら個人的にはとても嬉しい。」
クリエンテス、つまりは後援者とプロデウスは言う。相互に助け合う、パトローネスとクリエンテスの関係は、ローマ特有のものだった。しかし、彼らほど互助関係が機能している間柄は、なかなかないだろう。少なくとも、この軍団長はそう思っている。
「む……。」
「まあ、そんなことにはならんでしょうが。あの娘は立ち直りますよ。」
「確信的だな?」
「我がパトローネスが選び、誓いを立てた。その娘がこれくらいで終わるわけがありません。俺はパトローネスを信じ、彼女を信じましょう。」
「……ふん。」
少しばかり、軍団長は照れくさくなったのか、不機嫌ではないはずなのに鼻を鳴らした。照れくささを誤魔化したいのだろうが、眼の前の親友プロデウスに通じるわけがなかった。プロデウスは、「仮面」を被りなおした。
「と、まあ、私は考えますなぁ。」
「……そうだな。あれはスキピオ一門の、そして俺の苗木だ。今は信じるとしよう。」
自信が戻ったらしいな、とプロデウスは思った。実際、多少弱まっていた眼光が、ほぼ元通りに戻っていた。
「はい。何れはローマの大樹となりましょう。」
大樹の木陰には、様々な生き物達が集まってくる。樹液を飲みに来る昆虫、巣をかけようとやってくる鳥、そして、一休みしに来る人々。木陰を吹き渡る風は清々しく、時に降って来る冷たい雨露から守り、呼吸を支え、恵みの雨すら呼び寄せる。プロデウスも、彼のパトローネスであるクイントゥス・スキピオも、あの千早という少女にそれができるはずだと信じている。冷たい現実にも、きっと挫けずに戻ってくる。今は、風に吹かれて枝が傾いでいるだけなのだろう。
「…………くくっ。」
「何だ。」
プロデウスの思い出したような笑みに、クイントゥスは少しばかりいぶかしむように親友の顔を見遣った。
「いや、軍団長に名前を呼ばれたのは久しぶりです。少し、昔を思い出しましたよ。血気盛んな夢溢れる若造と、それのフォローに忙しかった青二才がいた頃を。」
「その若造が捨てたモノを新たに抱える者が現れた。今度は娘になったがな。神々の気紛れもなかなか面白いものだ。」
「はっはっはっ…………!」
あの時、幾度となく過ちを犯しかけた自分を助けてくれた存在が、目の前にいる。クイントゥスは改めて、この百人隊長と共に戦えることを素直に喜ぶことにした。

彼らの歩みは、カルタゴ相手の戦争と比べても、平坦なものとは言えなかった。イタリア半島の統一は、茨の道の連続だった。理想を抱えながら走り続けて、それを手放さざるを得なかったときもあった。それでも、彼らは諦めなかった。

互いの存在と、「ローマの思い」だけは、決して手放さなかった。


1 若き狼


物置から鎧兜を引っ張り出したその青年は、心臓が張り裂けそうだった。これから初めて戦争に向かうのだから、不安は一入である。しかも、不安を増幅する要素があった。何故なら、彼が護衛することになった指揮官もまた初陣であり、その上元服を済ませたばかりだからだ。
「我がパトローネスのご子息で、勇敢な方だと聞く。大丈夫だ。」
と父は言うが、不安なものは不安だ。それに、もう一つ問題がある。
「馬……か。」
馬を、乗りこなせないのではない。馬に乗って戦うのが苦手だった。何度か練習してみたのだが、どうしても突撃ができない。自分が弾き飛ばされてばかりだ。所詮金持ちのたしなみでしかない。それが親の推薦で将軍護衛兵などやるのだから、お笑い種だった。
「参ったな。とにかく、急がなければ。」
奴隷たちの手を借りて防具一式を身につけた青年は、鎗と剣を携えて集合場所であるカプアの広場に向かった。向かう途中、あちこちから集まってきた兵士達が、同じように広場を目指す様子が窺えた。中には騎兵も見受けられる。彼の視界に、自分より少し若い騎兵がいた。青年はその若い騎兵に話しかけてみることにした。
「あ、貴方も参加するのですか?」
その騎兵は鋭いながらも責任感に溢れた目を、青年に向けて応えた。
「ええ、まあ。不安ですか?」
兜を被っているせいで表情がよくわからないが、青年には自分と似たようなものだと思えた。
「少し。馬には乗れますが、この状態での戦闘は……。それに、この年になって初陣ですから。情けない話です。」
「俺も初陣ですから。それよりも、我々の判断ミスが、多くの人を死なせることになる。それを頭に入れておかないといけないでしょうね。」
「ええ……そうですね。」
対サムニウム戦も、もう終わりかけていた。首都の制圧も終わり、残るは小規模の抵抗軍の鎮圧だけだ。比較的簡単な任務だからと、カプアの統治を任されたコルネリウス・スキピオ自らが出ずに、その跡継ぎが派遣されることになったのだろう。だが、多くの命を預かっているのは変わりない。失敗すれば、カプアに移り始めたローマ人たちが攻撃対象にされてしまう。
「お互い、初陣同士頑張りましょう。」
「そうですね……。」
確かに、頑張らなくてはならない。ここで死ぬつもりもない。彼には意地があった。
彼の祖父と祖母はそれぞれアテネ人とコリント人だった。だが、ギリシア人とは純血を好む人種である。そのため、その子供には市民権は得られない。それで、人材を取り込み続けるローマに逃れてきた。故に、この青年はギリシア系である。だが、この二人の血を引いているとはいえ、彼は自身をローマ人と思っている。ローマ人にとっての税は徴兵に応じることであり、それは生存してこそ果たされる。移民の子孫という、ある種のコンプレックスが、彼を支えていると言ってもよいだろう。だからこそ、ローマ人として戦う必要がある。パトリキ、つまりは貴族の後援者、「クリエンテス」なら尚更だ。
そんな青年の横で若い騎兵はぶつぶつと呟き始めた。
「俺はやらなきゃいけない……やらなきゃ……。」
その様子を見遣りながら、彼、プロデウス・ナムロスは馬の脚を少しだけ早めさせた。

広場に集結した兵士達が隊ごとに整列し、歩兵達は百人隊長の前に集結している。それぞれがローマ市民権を持つ人々であり、本来の生活を横において戦いに参加している人々である。つまり、その分本業の稼ぎが減ってしまう。彼らにとっては生活がかかっているものであり、真剣そのものだった。
だが、騎兵達は違った。この場の騎兵は基本的に元老院議員の息子だの、どこかの有力者だの、その子弟だのという面子だ。つまりは、士官学校のようなものである。年若い面々が集まったこともあって、歩兵達とは違い、お喋りに夢中になっている。だが、プロデウスはどうにもこのお喋りに参加したくなかった。
「これから命の遣り取りをするというのに……。」
よく聞いてみれば、次の剣闘士試合はどうの、次の祭りの競技会はどうのという話ばかりだ。緊張感が足りなさ過ぎる。この空気についていけないのは、先ほど出会った若い騎兵も同じだったらしい。
「……全く。」
自分と似たような考え方の持ち主がいたことで、プロデウスは少しほっとした。そこに、ロムルス、レムス兄弟に乳を与えたという狼の旗を掲げた騎兵がやってくる。どうやらスキピオ家の護衛兵らしい。
「若様、先に行くなんてひどいです。我々が何のためにいるのか、考えてください。」
「顔ぶれを把握しておきたかった。」
若い騎兵が、護衛兵と話をしている。プロデウスはぎょっとして、その光景を眺めていた。先ほどまでずっと喋っていた若い騎兵こそが、この軍団の長となるクイントゥス・スキピオだった。
「緊張感が足りなさ過ぎる。……とはいえ、俺が過度に緊張しているだけかも知れんが。」
「これから人を殺すのですから……仕方ないですよ。」
離れたところで聞いていたプロデウスは心の中で頷いた。その通りだ。戦争とは集団で殺し合いをする行為だ。どれだけ言葉で飾ったとしても、それを覆す術はない。可能な限り自軍の被害を少なくし、いかに敵対勢力のやる気をなくさせるか。それが全てである。ローマのやり方からして、全滅させることも、隷属させることも目的ではない。人間ごと都市ごと、味方につけなければならない。
とはいえ、彼らローマ人は人権に目覚めた民族でもない。当時のローマは戦争こそ強いが、ほとんど「よくある新興勢力」であり、ギリシア人からは蛮族と呼ばれていたほどだ。要するに、田舎者のヤクザ者という程度の認識しかされていなかった。それ故に、少しでも増やせる味方は増やす。そのための方策だった。
「……まず山岳地帯の遊撃部隊を強襲し、続けて彼らの最後に残った小都市を奪う。今回の元老院からの任務はそうだったな?」
「はい。その通りです。」
「……わかった。作戦は考えてある。……問題ないはずだ。」
大丈夫だと信じたいが、と離れたところで見ていたギリシア人の血を引く男は思った。

サムニウム族は、いくつかの部族が集まってできた山岳民族である。過去にローマが各勢力を落とし続けた結果、彼らの勢力と接することになった。彼らは山岳民族ゆえに閉鎖的な性向を持つ。いずれ攻められるかも知れないという危機感が、彼らを過激にした。当初はローマもサムニウム族のゲリラ戦法に散々痛めつけられていた。
だが、彼らの散兵戦術、ガリア人の間隔をあけた陣形と鎖帷子を吸収したローマが押し返し、今では残る抵抗勢力はわずか1小都市のみとなった。これで対サムニウム戦線も終わりのはずだった。山岳地帯に向けて行軍するプロデウスにとっても、それだけが救いだった。
「そろそろだな……。ハスタティ3部隊をそれぞれ8列縦隊にして部隊自体を横1列に、ウェリティスを正方陣に、弓箭兵を10列横隊に、それぞれ組みなおせ。来るぞ。」
クイントゥスの目に、山の岩陰に潜むサムニウム兵が映った。ローマ軍の強みはマニュアル化された戦法と、血が流れない実戦といわれるほどの猛訓練がある。そして鉄の軍規といわれるほどの規律の高さと愛国心から来る高い士気に、士気を支える優秀な兵站線も大きい。彼が指示した陣形も、あっという間に組み終わった。
対するサムニウム兵の有利な点は、安定しない岩場でも動き回れる機動力と運動性、そして、ホームで戦うという土地勘のアドバンテージである。だが、最早まともに糧秣も武器も補充することもできまい。事実、兵士達の軍装も、それを率いる将軍護衛兵のそれも、擦り切れ果てていた。ぞろぞろとサムニウム兵も陣形を組む。
「戦力は……サムニウム槍兵2部隊、散兵2部隊、それから指揮官騎兵1部隊……か。大丈夫だ、いける……。」
クイントゥスはハスタティ3部隊を横隊編成、部隊自体は8列縦隊のまま前進させ、ウェリティスはその後方から接近させる。このハスタティの編隊は、前方投影面積を可能な限り減らし、敵の投擲槍を躱すためのものだ。ついで、弓箭兵は斜面をゆっくりと登らせ、全員に射程範囲に入ったところを狙い撃つように指示を与えた。同時に、クイントゥスたち騎兵は右翼から石が散らばる山を軽い駆け足で上り始める。
「いいか、まず槍兵の手前まで前進して反転、それから槍兵の横を駆けるようにして後方の散兵を攻撃するぞ。いいな。」
接近して攻撃するだけならいいのだが、とプロデウスは思ったが、どうやらそれは無理らしい。クイントゥスの顔を見る限り、突撃する気満々だ。
「と……突撃だけは……突撃だけは……。」
プロデウスは絶望するしかなかった。隊列を組むからこそ、ローマ軍は強いのである。隊列から離れることは戦場で放り出されるということであって、それは死に等しかった。

対するサムニウム軍の指揮官も、今日が初陣という16歳の少年だった。やや四角い顔付きで、口元は引き締まっている。目付きは本来柔らかいのだろうが、今は戦いのために鋭く光っていた。彼は擦り切れた軍装を纏う軍の中にあって、ただ一人、磨かれた鎧とマントを纏っていた。それだけで彼が若き貴族であることが一目瞭然だ。
「オタキリウス将軍。」
襤褸切れ同然の軍装を纏った、部下の一人が少年の名を呼んだ。オタキリウスと呼ばれた少年は頷き、人差し指をローマ軍に向けて叫ぶ。
「散兵前進! ハスタティを食い止めろ! 槍を投げ尽くしたら即座に後退せよ! 槍兵は待機しておけ。散兵の柵となるのだ!」
一通りの指示を与えたオタキリウスは、指揮官騎兵隊を左翼に移した。
父親に、ローマは全てを奪い尽くす悪魔だと教えられた。自分たちの戦法も、土地も、財貨も、そして命さえも。サムニウム貴族として生まれた以上、サムニウム族の人々を、そして彼らが住む山を守りぬかねばならない。今のオタキリウスは、ローマへの憎しみに凝り固まっていると言ってよかった。
「ローマに我らの尊厳を奪われてなるものか……。我らはサムニウム族! 決してローマには屈せぬ!」
既にほとんどのサムニウム人が、ローマの軍門に下ったと聞く。だが、彼らを解放するためにも、絶対に引き下がるわけには行かなかった。オタキリウスは馬腹を両足で締め付け、斜面で加速のついた馬を走らせながら、クイントゥスのいるローマ騎兵団に向けて突撃を始めていた。

オタキリウス率いる騎兵団が動き出した時点で、クイントゥスの策が失敗だったことは明らかだった。続けて指示を出さねばならない。
「まずいな……。一時退け。戦列を立て直す!」
あまり効果はないが、敵の騎兵団を引きつけ、ハスタティの軽量投擲槍であるピラでダメージを与えることを考えたのだ。少しくらいは足止めになるはずだ。だが、この足場が安定しない斜面で急速反転は無理な話だった。
「馬の脚が縺れる……うわあああああ!」
何人か若い騎兵が落馬した。プロデウスはその一人に含まれなかったが、それでも心理的ダメージは大きい。自分のああなるかも知れない。落馬した騎兵の顔が、自分のそれに見えた。
「くっ……!」
サムニウム騎兵が、落馬した騎兵達に槍を振るう姿が見えた。あれでは助かるまい。つい先刻まで、剣闘士試合や競技会の話をしていたのが嘘のようだ。プロデウスは自分の鼓動が、さらに高まって行くのを感じていた。
「俺の甘さかっ……!」
クイントゥスは歯噛みしながらハスタティに指示を出した。追撃してくる騎兵に向かってピラを投げろ、と。前方からも散兵が迫っているのによくも、とプロデウスは思ったが、同時に弓箭兵たちに散兵を攻撃させている。これなら、しばらくは保つだろう。
「ピラ構え、放てえええっ!」
サムニウム騎兵達が横切る瞬間、ハスタティのピラがいくつか命中した。味方の騎兵が幾人か落馬したのを見て、さしものサムニウム騎兵も少々途惑ったらしい。
「くそっ、俺たちの戦法を……! 猿真似ローマ人め!」
毒づく騎兵の中でも、一番苛立っていたのはオタキリウスだ。年若い彼にとって、そして、父にローマ人の悪口を吹き込まれていた彼にとって、許されざる行為だった。
「……なめるなあああああ!」
オタキリウスはハスタティに向かって突撃を始めた。この当時のローマの軍装は楕円形の盾と長剣、それにピラと重投擲武器にカテゴライズされるピルムがそれぞれ1本ずつだ。現時点ではピルムが残されていることになる。だが、ピルムは何も投げ付けるだけではなく、持って使用することもできた。つまり、騎兵に対して反撃できる武器が残されているということだ。この状況で突進など、自滅以外の何物でもない。
「あああああああ!」
だが、オタキリウスは問答無用とばかりにハスタティの戦列に突進し、兵士達を薙ぎ払っていく。この攻撃で隊列が乱れた。これでは攻撃に脆くなる。さらに、続けて散兵の攻撃を躱したサムニウム槍兵の一団が、ハスタティと接触し始めている。このままでは危険だ。
「くっ! 我らも突撃! 目標は騎兵! ハスタティを守れ!」
クイントゥスは、騎兵を軽装主力兵に任せておくわけにはいかないと判断した。いくら反撃できる武器を持っているといっても、ヒットアンドアウェーなどされれば、あっという間に壊滅状態になる。先に包囲して斃すしかない。彼はこの場にいる騎兵全員に、突撃命令を下し、自らも馬を駆って突撃を始めた。
「ちょっ、待って、待って……あああああ!」
プロデウスも馬を加速させることはしたが、敵陣に接触した途端、衝突した拍子に馬から放り出された。しかも、突撃した方向というのがハスタティの右翼後方からだったために、落下地点は槍兵の真っ只中だった。
「っ……つう……てててて……。だから突撃は嫌なんだよな……ん?」
改めて周囲を見回すと、ボロボロの軍装を纏った敵ばかりだ。一斉に自分に向けて殺意の視線を送り、次の瞬間には同じ殺意の籠った武器が繰り出されていた。
「ぬおおおお……っ!」
騎兵の鎗と歩兵の鎗では前者の方が短く、後者の方が長い。これは、馬の足並みが揃いにくいために歩兵のような整列した攻撃がしにくいためだ。これに加え、騎兵は視野が高く広い上に運動性に欠け、機動性に優れている。このため、コンタスのような突撃槍ならともかく、白兵戦をメインとするならば、やや短い方が有利なのだ。だが、この騎兵用の鎗で無騎歩戦は危険だった。間合いが剣よりも長く、歩兵の鎗より短いという中途半端さでは、戦いようがない。それでもプロデウスはこの鎗を振り回して槍兵の接近を阻み、騎兵用の円盾を使って穂先から逃れている。
「死んでなるものか……!」

プロデウスの孤独な死闘と同時進行で、クイントゥスとオタキリウスの騎兵同士の戦いが始まっていた。この騎兵同士の戦いは歩兵同士とは違って、どうしても乱戦になりがちだ。こうなると騎兵の技量がものを言うことになる。山岳民族相手に貴族の騎兵では話にならない。とはいえ、部隊配置からすれば、オタキリウスの方が圧倒的に不利だ。完全に挟み撃ちになっているのだから。
「ローマの賊どもに……私が負けられるかあああああ!」
オタキリウスは騎兵の乱戦に適した長剣を手にし、接近するローマ騎兵を薙ぎ倒した。その軍装が、ただの飾りではないことをはっきりと証明するように突き進む。だが、それを阻むように現れたのは、ローマの指揮官クイントゥスだった。
「お前がローマの指揮官だな、覚悟!」
「サムニウムの指揮官か!」
長剣同士がぶつかり合い、その度に火花が散る。オタキリウスが振り下ろせばクイントゥスがそれを受け止め、クイントゥスが薙ぎ払えばオタキリウスはそれを弾いた。
「ローマ貴族の弱兵と侮っていたが、それは間違いだったらしいな。本気を出してやる!」
「もういっぱいいっぱいだろうに。減らず口を!」
馬上でじりじりと鍔迫り合いが続く。何度もローマに追われ続けたオタキリウスが、その思いを口から吐き出した。
「全てを奪い去るローマの蛮族め……ここは通さん!」
「奪いなどしない! 共に生きたいだけだ。仕掛けてきたのはそっちだろう!」
「母体のラテン部族やエトルリアを征服しておいて何を白々しいことを!」
確かに、王制時代から始まって共和制に転換した後も各地と戦争を続けているローマだ。攻め落とした都市国家は数知れない。だが、クイントゥスも黙ってはいられない。
「ああでもしなければ自分が滅ぼされる!」
「ならば、我らとて同じこと。」
「俺たちは彼らを滅ぼしてなどいない。彼らはローマで、彼らの土地で、生きている!」
ローマは「征服」はしても「隷属化」はしなかった。あくまでローマをトップとする連合を作り上げる。だからこそ、このような主張がクイントゥスにはできた。オタキリウスにとっては、それが理解できなかった。
「なん……だと?」
「俺たちは皆殺しなどしない。降伏した後で攻撃されたとき以外、処断することはないんだ!」
「嘘だっ!」
自分が聞かされてきた話と全く違う。オタキリウスには何が正しいのか、わからなかった。
「嘘じゃない。少なくとも、我が父はそうしてきた。」
父コルネリウスは、新しいものを取り入れる一方で、ローマの伝統である人材取り込みを忘れない人物だった。だからこそ、対サムニウム戦線でも処断は可能な限り避けてきた。ローマの傘下に入るようにし、軍団の駐留も必要最小限にとどめている。
「……くっ!」
クイントゥスの剣から逃れたオタキリウスは、騎兵全員に離脱を命じる。この包囲を突破すべく、騎兵の間隙を縫って馬を走らせた。だが、それがまともにできるのはオタキリウスや僅かな騎兵だけだった。突撃とクイントゥスの包囲、つまりはオタキリウスの若さが、サムニウム騎兵を大きく削った結果になった。

サムニウム騎兵が減ろうと、プロデウスの苦労が減るわけではない。騎兵鎗も失った彼は、騎兵用の剣、スパタを振り回していた。この剣は帝政後期に使用されたイメージが強いが、この時期にも存在した。刺突に向いた長め、かつ軽量の剣がスパタだ。
だが、これもまた歩戦、それも乱戦では不利なばかりである。リーチが長すぎて懐に飛び込まれやすく、同時に軽さがダメージに結びつかないのだ。それでも戦える辺り、プロデウスの戦闘能力が見え隠れしている。
「うっ……あああああ!」
また一人、槍兵を仕留めた。もう何人殺したのかわからない。初陣では殺したことに打ち震えるものだと聞いていたが、打ち震える暇もありはしない。暇さえ与えてくれない。四方全体が、敵だ。しかも、指揮官の騎兵が激減していることもあって死に物狂いになっている。
「ローマ人としての責務……マルスよ、俺の戦いを見ているなら、加護を! あなたの息子たちのための戦いを助けている俺に援護を!」
ローマの神々は「努力する者を手助けする」という、多神教の特色がそのまま出ている。だからこそ、プロデウスも叫んでみるだけ叫んだ。努力はしているはずだからだ。どこかの国で使われている言葉で表現するなら、「人事を尽くして天命を待つ」というわけだ。どうやら、マルスはプロデウスを見捨てなかったらしい。いや、正確にはマルスではなくクイントゥスが、だ。
「騎兵隊、槍兵に向け突撃! 我らの仲間を救うのだ!」
無論、クイントゥスも無茶だと思っていた。鎗を構えた兵士の群れに突撃するなど、自殺行為も甚だしい。だが、自分たちが他の勢力の者を殺さずに人材を取り込み続けているとオタキリウスに向けて主張した手前、これ以上味方を見捨てたくなかった。若き夢見る理想家であるクイントゥスには、許されなかった。取り込んだ人材を利用するだけ利用して見捨てる。そんなことは絶対にあってはならない。ローマは味方にした人々を守り、共に歩いていくべきだ。そんな思いが彼を突き動かしていた。
それに、今危機に陥っているのは、名前こそ知らないが自分と話した相手でもある。初陣で、本当は馬に乗って戦うのが苦手な、自分よりいくらか年上の青年。それでいて、先ほどの突撃からずっと一人で戦い続けている。あれほど奮戦してくれる人物を、失いたくない。
「蹴散らせ!」
左翼斜め前方からの突撃によって、サムニウム槍兵が蹄鉄に踏みつけられた。それも一人や二人では済まされず、あっという間に四分の一が吹き飛ばされた。だが、全滅ではない。意地を見せんばかりに、クイントゥスたちの騎兵を攻撃しようと鎗を構えた。しかし、それは想定済みだ。クイントゥスは突撃と同時にハスタティにも攻撃命令を下していた。一斉に剣が振り下ろされ、各所で怒号と悲鳴の絶叫が木魂する。これで槍兵隊が壊滅状態になった。散兵も弓箭兵によって追い散らされた。サムニウム軍の戦列全体が壊滅する。
「よし、これで我らの勝ちだ。残る兵は追うな。再編する時間もない。」
しかし、クイントゥスは忘れていた。「壊滅」と「壊走」は同義ではない。兵とは、行き場を失えば「決死の突撃」になるものだということを、失念していた。最後の抵抗とばかりに、最後の一兵がクイントゥスに襲いかかる。油断していたクイントゥスの反撃は間に合わない。
「しまっ……!」
鎗の穂先は、クイントゥスに届かなかった。プロデウスがスパタの一撃を背後から与えていた。目を見開きながらずるりと血塗られたスパタから剥がれる様に、屍に変わったサムニウム兵が斜面に倒れた。
「ふうっ……ふうっ……。」
クイントゥスを救ったプロデウスも疲れ果ててスパタを取り落とした。
「助かった……。」

結果は大勝といってよかった。
最初の互いの戦力は、849人のローマ軍に対して689人のサムニウム軍だった。ローマ側は騎兵10、ハスタティ37の損害だけで終わらせたのだから、大きな被害とは言えない。サムニウム軍の被害は槍兵300、散兵287、騎兵46である。戦闘に勝利するというものは、大勢を撃滅すれば達成できるわけではない。自軍の被害を抑えることこそが、真の勝利である。クイントゥスは詰めこそ甘いが、それはいくらでもこれから埋められよう。初陣の指揮官にしては、大きな勝利といってよいだろう。
だが彼にとっての幸福は、勝利とは別にあった。信頼できるクリエンテスを確保できたということだ。
「我がパトローネス、クイントゥス・スキピオに、クリエンテス、プロデウス・ナムロスは信義の神フィデスの名の下に、この市民冠を捧げ、クリエンテスとしての義務を果たせたことを全ての神々に感謝する……。」
「我がクリエンテス、プロデウス・ナムロスに、パトローネス、クイントゥス・スキピオは信義の神フィデスの名の下に、この市民冠を与え、パトローネスとしての責任を果たせたことを全ての神々に感謝する……。」
市民冠は樫など、常緑樹の葉で編まれた冠のことで、戦功としては二番目に価値のあるものとされた。これは「味方の命を助けたこと」へ感謝の気持ちを込めて、助けられた本人が助けた者に贈るものだった。何よりも仲間同士助け合うべき、というローマの考え方も反映された褒章といえる。本来は市民を助けたことへの褒章だが、互いに初陣であることもあり、こればかりは特例に近いだろう。
とはいえ、クイントゥスはプロデウスの危機を見て騎兵隊を突撃させ、プロデウスもクイントゥスを襲う鎗の穂先を払いのけたのだから、互いに贈りあうだけの理由はあった。
「俺はプロデウスに助けられてよかったと思う。先々代から我が家のクリエンテスだと聞くが、プロデウスにはできることなら、俺個人のクリエンテスであってほしいと願ってしまうがな。」
「私にとってはありがたい話です。……私は貴方に命を救われた。ならば、これから貴方を守るだけです。」
「俺とは……クリエンテスとは別に友人でいてもらいたいところだな。出陣前の話で、少しだけ安心できたことでもある。」
馬に乗って戦うのが苦手な青年は、少しばかり微笑んで頷いた。これから最後のサムニウムの都市を攻めることになる。クイントゥスにしてみれば、何よりも信頼できる存在が傍にいることになる。プロデウスにしても、信頼できる指揮官と共にあることは無上の嬉しさだろう。出陣前の恐れが、嘘のようだった。
スキピオ家の躍進は、ここから始まった。


2 ローマという存在


兵力の大半を残したまま、スキピオ家の軍勢はサムニウム軍最後の都市の前にやってきた。山間の小さな街を簡易的な木の壁で囲っている程度で、大した防御力はない。アリエスという名を持つ破城槌を用意さえすれば、簡単に打ち破れそうだ。
とはいえ、拠点であることには違いなく、最後の抵抗とばかりにホプリタイ傭兵を雇い入れているようだった。つまり、ファランクスを組む部隊がいるということだ。これは大問題だ。側面及び背面が脆いファランクスとはいえ、どこかの通路にでも配置されれば、石壁を見るより絶望的な気分になる。
「だが、やらねばならない。俺に課せられた、ローマ人としての仕事だからな。」
そう呟いたクイントゥスの横顔を、プロデウスは見ていた。これから制圧するための方法が渦巻いているのだろう、と思いながら、右腰のスパタの柄を撫で、ついで前方を見据えた。
ふと、後方が騒がしくなった。どうやら、別の軍勢が迫っているらしい。敵軍か、とも思ったが、違った。旗には鷲の紋章の下に元老院とローマ市民を意味するS.P.Q.R.と記されていることから、どうやらローマ本国からの援軍らしい。先頭にいる男も、クイントゥスと同じパトリキのようだった。
見たところ30歳前後の男で、全身から放出されている雰囲気は、どうしても息苦しくなるものだった。やましいところはないのに、どこか尋問されるような気分になる。顔立ちが男臭くはあったが、それが鼻につくほどではない。貴族的ではあるが、同時にそれは貴族としての義務を果たしているという自信に満ち溢れたものでもあった。
この貴族的な男とクイントゥスは向かい合い、やってきた男から口を開いた。
「スキピオ家の諸君、私は元老院から派遣された指揮官、ティベリウス・クラウディウス・ネロである。今回は諸君らの手助けをするように指示を受けている。あくまでもサムニウム攻略の指揮官はクイントゥス・スキピオ殿、貴公だ。可能な限り、助力はしよう。」
クラウディウス一門といえば、スキピオ家を含むコルネリウス一門と並ぶ、政務官を輩出する名門だ。戦いや極端な改革のときには名を連ね、勇猛果敢で貴族主義者の集まりだという。平民からは嫌われているが、何かを突破するときにはこれほど心強い味方はない。つい数十年前にはクラウディウス一門が一人、アッピウス・クラウディウスがローマ初の街道と水道を整備した。その名もアッピア街道とアッピア水道という。兵站と健康の維持には欠かせなくなることを、彼は予想していたのだろう。このような凄まじいまでの先見性を持つ人間が時折現れるため、平民も閉口しながら選挙の時には票を入れているのだった。
その一門の一人が援軍として派遣されたということは、元老院も確実にサムニウム族を平定したいのだろう。実際、「ネロ」という綽名をつけられているくらいだ。ネロはサビーニ語で「果敢な男」を意味する。積極戦法を得意とするクラウディウス一族の中でも、更に果敢な男、ということだろうか。そんなことを考えながら、クイントゥスはティベリウスに向かって頭を下げて、言葉を紡いだ。
「援軍、感謝します。では……。」
細かい話、とばかりにクイントゥスとティベリウスはひそひそ声で相談を始めた。
「まあ、漏れたらまずいよな。」
友人として付き合うことにはなったが、作戦立案までは流石に参加できない。いつかは参加できる立場になってやる、と思いながらプロデウスは拳を握り締めた。その時だった。
「わっ!」
「うわあ!」
誰かが後ろから脅かしたようだった。馬上で背筋をびくりとさせ、落馬寸前のところで体勢を立て直した。気を取り直して振り向くと、おかしそうに笑う若い騎兵が後ろにいることがわかった。
「一体何を……!」
「いやあ、ごめん。真剣に考え事してるみたいだったから。」
「悪戯をするような年じゃないだろう。」
「僕は子供っぽいからね。」
確かに零れんばかりの笑みも、顔付きも、幼さが前面に押し出されていた。身に着けている鎧兜や剣は確かに本物のはずなのに、彼が身に着けていると玩具のようにすら見えてくる。無邪気そうに笑う姿は子供そのものだ。だが、この場にいるということは、少なくとも16歳は越しているはずだ。それに、あの戦闘を生き延びたということは、何人かは殺していることになる。人は見かけによらないというが、この男はその典型だろう。
そういえば、出陣前に子供っぽく雑談をしていた面子の一員だったな、と思いながら、プロデウスは口を開いた。
「全く。何か出陣前に剣闘士試合の話なんかをしてたみたいだが、俺はそんな話をここではできないぞ。平時ならともかく、こういうところじゃ嫌いだ。楽しい話は無理だ。」
「だと思った。こういうところじゃ、僕もできればしたくないよ。」
わけがわからない、という顔でプロデウスが幼い男を見遣ると、彼はしれっとした顔で、とんでもないことを口にした。
「だって、人付き合いは人によって態度を変えるものでしょ。」
「……。」
プロデウスが唖然としていると、彼は再び口を開いた。
「仕方ないじゃん、だって、母上と話すときと友人と話すときじゃ、どうしたって態度が変わるじゃないか。それと同じことだと思うけどな。あ、今僕はかなり素に近い態度で喋ってるけど。」
この対応の仕方と思考パターンが只者ではないな、と思ったプロデウスは、あえて言ってみることにした。
「もしかして、貴方は貴族か何かなのか?」
「うん。僕の名前はドゥルースス・ポンピリウス。ヌマ・ポンピリウスの子孫だよ。まあ、うちは傍系だし。父上の名前が第十子なんて意味のデキムスっていったらしいから、かなり本筋とは違うけど。」
ヌマ・ポンピリウスはローマの第二代の王のことだから、相当に古い家系ということになる。本筋ではないというが、十分すぎるほどの名門だ。政務官経験者ということならクラウディウスに比べると見劣りはしても、この一門が輩出する人材は、ヌマの穏やかな気質を受け継いだ政務官が少なくなかった。
「今回は武者修行ということでここにいるんだけどね。いやあ、貴方はプロデウスといいましたっけ。一人であれだけ戦えるなんて凄いなあ。それに、戦いの後のクイントゥスさんとの市民冠の交換。いいですねえ。かっこよかったよ。」
「あ……どうも。」
「僕も何かコネ作ってこいとか言われてるんだけどね。どうしていいのかわからないから、出陣前は剣闘士試合の話に付き合ってたっわけさ。何しろ、初陣だし。」
子供っぽい外観と喋り方にしては、随分と黒いな、と思いながら、プロデウスは半分呆れていた。とはいえ、相手がパトリキとなると、態度は改めなければならないだろう。そう考えながら、彼は言葉を紡いだ。
「……私もクリエンテスとして参加しろ、と言われてやってきていますから。肝心のパトローネスの顔なんて、この戦いに参加するまで知らなかったのですよ。案外、似たような状況かもしれません。」
「そう思う? 僕もそう思ってたところさ。どう? 僕のコネの一人になってくれない?」
そういう問題ではないと思うのだが、とは思ったが、貴族が相手である。それに、相手にしても自分にしても、親のつてでスキピオ軍に参加しているのだから、スキピオ上層部と自分を繋いでおく必要もある。ここは受け入れておくべきだろう。そう思って口を開こうとしたが、その前にドゥルーススの方が先に動いていた。
「じゃあ、問題ないみたいだね。僕はローマ本軍に知り合いがいるから、ちょっと会ってくる。また後でね。」
軽く馬を走らせ、彼はS.P.Q.Rの旗印の元に向かっていった。
「……。」
自己中というか、幼いというか、何とも表現しがたいが、嫌味さはない。あの黒さも、子供が一時期持つ妙に悟ったような感情に近いだろう。誰もが通る道のはずだが、どうもドゥルーススという男はそれがずれ込んでいるらしい。とはいえ、わかっていても、だ。
「何か、戦う前から疲れてきたような気が……。」
プロデウスは少しばかり、目眩がした。

スキピオ軍もローマ本軍も、それぞれ破城槌を用意できた。輸送隊の荷物からパーツを持ち出し、その辺りの木を切って作るのだから、大した時間はかからない。哨戒塔からの射撃とホプリタイ傭兵隊には気をつける必要があるが、大きな犠牲を出さずに勝てるはずだ。そもそも相手は消耗しきっている。スパイに探らせた結果、槍兵340、散兵353、ホプリタイ傭兵160、将軍護衛兵87という編成だった。
だが、雇えた傭兵が一部隊でしかないことを考えると、傭兵たちも負けることを嗅ぎ取っているに違いない。実際、スキピオ軍の兵力は騎兵以外全て補充が終わっていた上、ローマ本軍の編成はハスタティ、プリンキペス、トリアリィがそれぞれ320、弓箭兵320、エクイテス108、それに将軍護衛兵62だ。これでは負けようがない。
「だが、兵力の損耗は可能な限り抑えるべきだ。下手に磨り減らすと平民達がうるさいからな。全く、誰のお陰でローマが守られているのかわかっているのか……。」
さすがにクイントゥスはこのティベリウスの言葉を全て肯定する気にはならなかった。彼にとっては兵士とは協力者である。平民と迎合するつもりはないが、関わりを絶つつもりもなかった。いくらなんでも、クリエンテス網の外にいる平民たちはどうでもいいなどとは思わない。だが、このクラウディウス家の男はどうやらその手の思考回路の持ち主らしい。
「……。」
「貴公もパトリキならば、平民を使い捨てにしろとはいわんが、盾代わりくらいには考えた方がいい。元老院が助言機関と言われようと、私は我らこそがレス・プブリカ、平たく言えば国家を動かしてきたと確信しているのでな。」
クイントゥスには、どうしてもティベリウスの思考にはついていけない気がした。だが、それでも勝たねばならない。
「スキピオ軍、配置につけ! 破城槌は第1ハスタティ! その後方に第2ハスタティだ。ウェリティスは第2ハスタティの隊列に混じって移動するように。弓箭兵はその後方から援護準備! 可能な部隊は全員任意射撃だ。」
今回も縦長の編隊を組むことにした。サムニウム軍の主力は、なんと言っても散兵だ。投擲槍の威力は身に染みている。出来うる限り、被害は少なくしたい。それに、今回は哨戒塔もあるのだから、縦長にして早く突入するべきなのは当然だった。
「各員その場で待機。指示を待て。」
クイントゥスはすぐ近くに見えるサムニウム族の街を見遣った。

包囲された街の統治者の邸宅では、二人の男が言い争いをしていた。オタキリウスと、その父親だった。父オタキリウスは息子よりも目付きが鋭く、皺が多かったが、あまり区別がつかない。声もほぼ同じようなもので、二人同時に喋るとどちらが発言しているのかわからなくなる。彼らの周りでは配下の者がおろおろとしていた。
「父上、話が違うでしょう。彼らは同胞を皆殺しにしたと言ったではありませんか。」
「事実、している。占領されたことを不服として反抗した同胞がな。ローマ人という連中は自分たちが全滅するか、相手が屈服するまで戦争を続けるものだ。それ故に危険すぎる。それ故に抵抗してもらった。裏目に出たがな。」
一体何のために、と思いながらオタキリウスは反論する。
「ですが、今はもう勝機は連中に傾いている! おとなしくさえしていれば、いずれ挽回した我らが迎えに行く前に殺されることもなかったはずです。」
「その前に、奴らによって同胞はローマ化してしまうわ!」
「……!」
オタキリウスは絶句するしかなかった。どういうことだ、と思いながら父親を見遣ったが、感情がつかめない。淡々と語るその口調に、彼はどこか不吉なものを感じた。
「連中のやり口はいつもそうだ。最初は負けた敵の責任者だけを隔離して、残った都市の有力者に市民権を与え、都市ごとクリエンテスという名の子分にしてしまう。我らが再占領しようとしたところで、同胞に拒絶されるのだ。」
この時代の敗者への待遇は、基本的に隷属化である。だが、ローマ人はそれをしなかった。打ち破った相手を、自分と同等の関係に限りなく近づけるやり方は、当時では異端そのものだった。軍隊が強いから黙っている、というだけでなく、支配されていても損はない、と思わせる方が大事である。しかし、この方法は領土を切り取られた側からすれば忌々しいことこの上なかった。同胞から拒絶される羽目になる絶望感は、並大抵ではあるまい。
「だから煽動したのですか。それじゃ見す見す殺されるために……!」
「取り込まれるくらいなら! 殺された方がマシだ!」
生きていれば何か出来るかもしれないのに、と思い、オタキリウスは再び反論した。
「人々はそう思っていないかもしれないじゃないですか! 生きていた方がマシだと。」
諦めたように父オタキリウスは溜息をついて、吐き出すように言った。
「……お前までローマに取り込まれたか。」
何を言うか、とオタキリウスは声を張り上げる。
「私はサムニウム族の者を思って!」
確かにそうだろうが、と思いながら、この若者の父親は苦々しく口を開いた。
「それを一時的にしてもローマの人間の支配を受け入れてもよいとした時点で、ローマ化しているのだ。絶対に反抗してやると思い続けても、いつの間にか取り込まれてしまうのだよ。それはそうだ。屈服させても表面上は自由にできるのだからな。」
「じゃあ、今まで嘘を教えてきたのは……。」
「お前を取り込まれたくなかったからだ。だが、もう遅いようだ。お前がローマに取られたとなれば、我らが独立した勢力としてやっていくことは不可能ごとになった。」
戦力は残り僅か、しかも包囲されている状況である。だから弱音でしかないはずだ。オタキリウスはそう思いながら、反論すべく口を動かした。
「我らさえ残っていればまだ望みはあります。」
「そうだ。だから、お前は投降しろ。」
「は……?」
わけがわからない。それでは何のための戦いか、とオタキリウスが父親を見遣ると、父オタキリウスは絞るような声で言葉を繰り返した。
「だから、投降しろ。お前さえ残ればサムニウムは終わらん。後はお前次第だ。ローマ人としてサムニウムを守るか、サムニウム人としてローマに復讐するか。どちらにしろ、面従腹背を忘れるな。」
「父はどうするのです。」
「このままローマ軍に抵抗する。私は死んでもローマに服従できん。私も老いたということだ。だが、若いお前ならまだ柔軟さを失っていない。できるはずだ。」
「無茶です!」
「やつらの破城槌が門を打つ前に、行け!」
破城槌が門を打つまでがローマに対する投降期限であることは、さすがにサムニウム族は知っていた。散々、その文句を聞かされてきたからだ。だが、それは若きオタキリウスにとっては屈辱だった。
「私は父と共にありたい。ですから!」
彼の父親はその言葉を無視した。
「私のバカ息子を連れて行け! 逃げたい者は息子と共に投降するのだ、よいな!」
配下の幾人かがオタキリウスを羽交い絞めにし、ずるずると引きずって行く。
「くっ、放せ! 父上、父上!」
オタキリウスの叫び声が統治者の邸宅を震わせていたが、それも聞こえなくなった。
オタキリウスと共にサムニウムを捨てようとする者はほとんどいなかった。ここまでついてきたこと自体、諦めの悪い人間ばかりが残っていたということになるのだろうか。
「……バカ者。私の意地に息子を付き合わせる必要もあるまいて。」
父オタキリウスも、息子をはじめとする多くの人間を自分の意地につき合わせてきたことに、さすがに疲れたのだろう。だが、せめて一矢は返してやる、とばかりに立ち上がり、叫んだ。
「聞けぃ! 我らはサムニウム族の誇りを以って、ローマに一撃をくれてやるのだ。我が息子を軍門に下らせたとはいえ、彼は勇敢な男である。我らが勝利すれば、すぐに逃げ出せるであろう。また、諸君らが死したとしても、サムニウムの先祖たちが祝福してくれることだろう。私は負けることを前提に戦うことはしない。我らは勝つのだ。どうあっても、必ず!」
ここまでついてきたサムニウムの同胞のためにも、引き下がるわけにはいかなかった。かつてはサムニウム一の広大な所領を持ち、莫大な資産を誇ったオタキリウス家も、ここまで追い詰められた。今残っているのは、サムニウム族として抵抗しようとする者ばかりだ。抵抗する気のない者は投降し、資産目当ての者は自分たちを見捨てた。残っているのは、精神的な意味で少数精鋭と言ってよい。そして、篭城戦となれば、無類の力を発揮するのが彼らとも言える。このような面々は、絶対に引き下がらないからだ。
「サムニウム万歳!」
「ローマの蛮人に死を!」
「我らが主、オタキリウス家に命を捧げるのだ!」
父オタキリウスの瞳が、怒りと残忍さの光でぎらりと輝いた。
「来い、ローマ人ども! 貴様らの屍で、この街の周囲を埋め尽くしてやる!」

城門前では、オタキリウスが現れたというハスタティ隊の報告を受けて現場に向かう、クイントゥスとティベリウスの姿があった。
「……それで我が軍に投降する、と。」
「……。」
もしかしたら罠かも知れない、とはプロデウスもティベリウスも考えたことだ。しかし、スキピオ軍の指揮官はそう思わなかったらしい。
「わかった。俺の言葉が伝わったと信じる。」
「その代わり……。」
投降する条件か、とクイントゥスたちはオタキリウス見つめる。見つめられた敵将だった男は、俯いて言葉を無理矢理吐き出すように、言った。
「サムニウムの人々に、手をかけないでくれ。私の父や私に、つき合わされただけだ。だから……。この街の構造はいくらでも教える。どこに父がいるかもわかったっていい。頼む!」
たとえ軍門に下るとしても、サムニウムの人々を守る義務がある。オタキリウスの頭にはそれしかなかった。
「……わかった。俺もそのつもりでこの場にいる。俺は自分の信じる理想を実現させたい。大丈夫、こちらからはこの街の人々に手を出しはしない。」
青いよな、とプロデウスは思う。だが、この甘さこそが、このクイントゥスの持ち味なのだろうとも思う。確かに奇麗事は聞いていてげんなりする事もある。だが、同時にそれが実現したらどれほど素晴らしいかと思わせてくれるのも奇麗事である。このクイントゥスには、実現してくれるかもしれないという、何とも言えない期待してしまう雰囲気があった。
「こう思う俺も甘いってことか……。」
「奇麗事ってかっこいいね、うん。僕は甘いものが好きだからさ、こういう話は嫌いじゃないな。」
いきなり横から言われて、馬上で横転しかけた。プロデウスが視線を移すと、ドゥルーススが左隣で深く頷いていた。
「何でこう、人を脅かすようなことをするんです、貴方は。」
「んー、それはタイミングの問題かな。それより、奇麗事。できるのかな、クイントゥスさん。」
「それはどういう……?」
ドゥルーススはにやりと笑い、プロデウスに向けて言葉を放った。
「もしかしたら、クリエンテスとして貴方の力が必要になるかもしれないよ。今の内に用意した方がいいかも。」
プロデウスはすぐに「それ」に気付いた。あわててナムロス家付きの奴隷を呼び、手紙を認めて実家にそれを送って手配するように伝えた。
「クイントゥス様、あなたはその失敗だけはしてはなりません……!」
そうこうしている内に破城槌が城門を打ち始めた。いよいよ、対サムニウム戦の最終幕が切って落とされる。プロデウスもクイントゥスも、高鳴る鼓動を抑えられない。手にした鎗が、震えていた。


3 寛容と生活と


「ウェリティス、槍兵を射抜け!」
破城槌で門を破壊し、門前で待ち構えていたサムニウム槍兵にピラを投げ付けて、一気に突破する。ピラの射程は15メートルから30メートルだ。射程は大して長くないが、士気と兵力を削るにはもってこいだ。槍兵たちはわっと広場を目指して逃げ出した。
一斉にハスタティ達が雪崩れ込み、隊列を整える。続いてウェリティスと弓箭兵が侵入した。
「よし、次は慎重に進軍を。散兵とホプリタイ傭兵には気をつけるように。」
山岳民族の都市だけあって、通路が狭い。街路自体も曲がりくねっている。これは進軍を阻むために街が造られていることを意味している。同時に、迎撃にも適していることもわかる。曲がり角はどうしても行軍速度が低下してしまう。そこに散兵でも配置されればいい的だ。皆殺しの憂き目に遭いかねない。
「とりあえずは進軍速度を合わせなければ。伝令を。『南門制圧を完了』と。」
クイントゥスの言葉に反応したのは、ドゥルーススだった。
「じゃあ、僕が行ってくる。任せて。」
「……頼む。」
どうにも幼さが目立つのが気にかかる、とでも言いたげな顔をしたクイントゥスだったが、急いでくれるならそれに越したことはない。都市制圧はスピード勝負だ。時間ばかりかけていては無駄に犠牲を出すことになる。急がなくてはならない。

「よし、制圧完了か。こちらも急ぐとしよう。」
ティベリウスは破城槌の横に護衛騎兵団を配し、門の破壊と同時に槍兵に向かって突進していた。さすがにネロと呼ばれているだけはあり、果敢な戦いぶりだ。だが、これも計算のうちに入っていた。
二方向から攻めているのだから、槍兵は二分するしかない。大した戦力ではない。ホプリタイは見えない以上、簡単には接近してこない。ファランクスを組んだままでは疾走できないからだ。散兵に対して騎兵は有利な部隊であった。距離を置いて戦わねばならない部隊が、足止めでもしない限りは機動性に優れる部隊に勝てるわけがない。つまり、攻撃すべき敵は眼の前の槍兵だけである。騎兵に対しては強いはずの部隊だが、ティベリウスの気迫に圧され気味だった。
「私をただの貴族だと思うなよ!」
振り下ろされた鎗の穂先が、サムニウム槍兵の頭蓋を叩き割り、脳漿が噴き出した。続けて繰り出された穂先を楕円形の盾で弾き、喉笛を貫く。この攻撃で戦列が崩れた。護衛騎兵団を前進させて戦列を突破し、門前で待機していた部隊に指示を下す。
「ハスタティ前進。白兵戦開始せよ。」
ローマ本軍の体力に優れた若い兵士達が襲いかかる。ティベリウスの突進で壊滅的な打撃を受けていたところにこれだ。あっという間に壊走状態になった。
「さて、作戦始動、だな。伝令ついでにドゥルースス、折り返し伝えてくれるか。『西門制圧完了。いつでもいける、ホプリタイを探してくれ』、とな。」
「りょーかいっ!」
今来た道を、ドゥルーススは取って返した。ティベリウスはクイントゥスとは違い、幼さを抱えた男の後姿を見て、少しだけ笑みを浮かべた。だが、すぐに顔を引き締め、指示を飛ばす。
「隊列組みなおせ。エクイテス前進。先行して進撃準備を整えろ。」
ティベリウスが兵士達に指示を下しているのを尻目に、ドゥルーススは馬を走らせてクイントゥスたちの下へ向かう。哨戒塔から矢が降ってきたが、彼はそれをあっさりと楕円形の盾で防いで見せた。
「無駄だよ。」
南側に回りこみ、クイントゥスたちと合流して伝言を届けると、スキピオ軍とともに進軍を再開する。
「ホプリタイ傭兵を早いうちに片付けないと地獄を見る。だから先に始末するのはいいんだが、どうやって始末するんだろう。」
プロデウスが馬上でぼやくと、クイントゥスが返事をした。
「これからわかる。大丈夫だ。」
「……とはいえ、マケドニア式ファランクス隊形は長槍のせいで前面に攻撃力が集中していますし、後ろの方は槍を斜めに倒していますから、弓矢くらい払いのけてしまう。厄介ですよ?」
「問題ない。」
プロデウスはパトローネスを信じることにした。何も考えていないわけがない。何も考えていないなら、ローマ本軍とタイミングを合わせようなどと考えるわけがない。
「不安そうだね、プロデウス。」
「……ドゥルースス殿ですか。」
急に声をかけたにも拘らず、無反応なプロデウスにドゥルーススは続けて声をかけた。
「あれ、驚かなかった。」
「慣れましたよ、少しは。」
「うーん、もうちょっと脅かし方に改良の必要があるかな……いやいや、そういうことが言いたいんじゃなくて。」
自分で自分にツッコミを入れてどうする、と心の中でツッコミを入れながら、プロデウスはドゥルーススを見遣った。
「まあ、多分大丈夫だよ。ローマ本軍の方はエクイテスを先行させるつもりみたい。あの部隊って普通市街戦には向かないはずなんだけど。絶対何か仕掛けてるって。」
「……機動力が武器のエクイテスを先行? 何に使う気だろう……?」
「先に散兵の処理でもするんじゃない?」
「ですが、先ほどから散兵が全く姿を現さないのですよ。一体、どこに……。」
「んー、まあ、いいや。クイントゥスさんなら、あっと言わせてくれるさ。」
能天気な、とプロデウスは思ったが、確かに戦場で悲観的になるよりは楽観的でいた方が気は楽だ。とにかく、今はホプリタイを探すことが先決だ。普通なら広場にいるか、でなければその途中の通路にいるはずだ。
「いたぞ、ホプリタイ傭兵だ!」
ハスタティ隊の叫びが聞こえた。クイントゥスは待っていたとばかりに馬を走らせ、ファランクスの前に躍り出る。同時に、ウェリティスとハスタティに指示を下した。
「ウェリティスはピラを一斉掃射! 投げつくしたら退却しろ! ハスタティは6列縦隊に再編成開始! まだ投擲はするな。指示を待て。」
続けざまに、クイントゥスの指示がプロデウスにも飛ぶ。
「プロデウス、ローマ本軍に『ホプリタイ傭兵発見』と伝えてくれ。頼んだぞ。」
これは、指揮官騎兵部隊が突撃することも考えての指示だ。プロデウスの苦手分野、突撃を彼にさせないようにするための配慮ともいえる。プロデウスも、おぼろげながらそれは把握していた。
「了解、行ってまいります!」
プロデウスは馬を走らせ、ローマ本軍の指揮官、ティベリウスの下へと駆けていった。
「よし、後は粘るだけだ。死ぬなよ! 兵力でも練度でも補給でも勝っている。マルスとミネルヴァに恥ずかしくないよう、戦え!」
兵士達から一斉に、おう、という掛け声が返ってきた。負けるわけにはいかないのは、クイントゥスとて同じだった。この戦いで勝って、自分がスキピオ家の跡取りとしてふさわしい器であることを、証明せねばならない。
「負けられない……!」

ローマ本軍にたどり着いたプロデウスが伝言を届けると、ティベリウスは騎兵隊を連れて街路を疾駆し始めた。プロデウスもそれに続き、遅れて歩兵部隊も駆け足で進む。
「あのクイントゥスという男もどうしてなかなか、物分りがよいではないか。これでホプリタイは壊滅できる。後は簡単だ。」
「……?」
秘密主義だな、とスキピオ家のクリエンテスの青年は思ったが、仕方のないことだ。作戦は漏れない方がいい。それに、この男の果敢ぶりからして、作戦を教えないことになど誰も反論などできまい。息苦しくなる雰囲気はどうしようもないが、頼りがいはあった。
「さて、目的地だな。総員、突撃体勢。馬腹締めろ。」
エクイテス、護衛騎兵共に鎗を構え、馬を加速させる。プロデウスも出来る限りは、と同じように鎗を構えた。
「行け。」
大きくカーブを描きながら突進した先には、ホプリタイ傭兵の背後があった。馬の機動性を利用して、ファランクスの背後に回りこむ。市街戦で騎兵は役立たずといわれているが、この手の回りこみは考え方次第である。通路全部をファランクスで塞がれているならともかく、少数兵力ではカバーしきれない。こうなると騎兵にも入り込む余地はあった。衝撃と共にファランクスの後方が崩れた。続けてティベリウスは指示を下した。
「殲滅開始。プリンキペスの到着まで粘れ。スキピオ軍と呼応して戦うのだ。よいな。」
プロデウスも今回は考えたものだ。直接突撃せず、前衛が突撃を始めた時点で歩調を緩めて近接戦にシフトしていた。下手をすれば命令違反に問われかねないが、「伝令から戻るついでに戦闘」である。クイントゥスの命令に反したわけではないので、おそらくは大丈夫だ。
「いくぞ!」
怒号と悲鳴が渦を巻く中の乱戦が始まった。ファランクスの最大の問題は隊列の乱れである。これが発生しただけで戦いは不利になる。しかも、攻撃力が前面に集中しているという特性上、挟み撃ちにされては勝ち目などない。だが、この傭兵団は何かあてがあるらしく、絶望した様子がない。
「どうなってる……?」
しかし、そんなことを考えている間にも、プロデウスの鎗が肉を刺し貫き、柄が朱に染まる。ロリカ・ハマタと呼ばれる鎖帷子に、臓物の破片が飛び散った。内臓の内側が、反転しかける感覚が沸き起こるが、それを堪えて鎗を握り締めた。
「っ!」
長槍が青年の顔を掠めて通り過ぎ、反撃にと穂先をくれてやる。長槍の持ち主は、陸に上げられた魚のように苦しそうな顔をしながら、同僚の上に斃れた。その横で、ティベリウスが表情も変えずに別の傭兵を屠っている。告訴人めいたパトリキの男はプロデウスの左後ろ斜めから声をかけた。調子は硬くとも、気にかけてくれているらしい。
「ほとんど初陣なら仕方ないとは思うが、慣れておけ。そうでなければクリエンテスの務めが果たせんぞ。」
確かに、その通りだ。だが、いくら剣闘士試合で流血を見慣れているとはいえ、自分で殺すのと他者が殺すのとでは、わけが違う。それに、殺害自体は初めてではなくとも、まだ殺すことに慣れてはいないのだ。とはいえ、それを直接に口に出すこともできなかった。
「……はい。」
「嫌なものだが、いずれは慣れる。私も……慣れたがな!」
風切る音を残してティベリウスの鎗がプロデウスの右を駆け抜け、接近したホプリタイ傭兵を刺し殺した。
「あちらでも戦っている……。行け、プロデウス・ナムロス。君の名前は先ほど身内から聞いた。そちらで世話になっている。できれば、君のパトローネスとまとめて守ってやってくれ。」
身内とは誰のことだろう、と思ったが、それを聞く前にティベリウスは今来た道を戻るように馬を走らせていた。再突撃する気だろう。もう傭兵の数も少ない。これなら掻き分けて向こう側で戦闘を開始したクイントゥスのところにも行ける。巻き込まれないうちにパトローネスの下に戻るべきだ。
「まあ、ドゥルースス殿はまずないだろう。雰囲気も家門名も違うし……。」
とりあえず、仲間として全員と協力して戦えばよいだろう。それで十分のはずだ。そんなことを考えながら、ホプリタイ傭兵を薙ぎ払いながらクイントゥスの側に戻った。
「……無事だったか。」
「突撃さえしなければ、大丈夫です。」
「そうか……。応戦しよう。」
さすがのクイントゥスも、顔が青い。野戦の時は指揮に意識を持って行かれていたのだろう。今回は人間の生死が見えてきたらしい。だが、それはある程度余裕ができたということでもある。これが慣れの初めか、とプロデウスが思っていたところで、ローマ本軍のエクイテスがこちらに向かって突進していた。これではホプリタイ傭兵も壊滅である。
「バカな、まさか我らを見殺しに……!」
クイントゥスはホプリタイ傭兵の断末魔に疑問を抱かざるを得なかった。どうやら、ホプリタイ傭兵は捨て駒に使われたらしい。だが本来は防衛線維持に最も効果のある部隊のはずだ。それを追い詰められているサムニウム側が捨て駒にするなど、余程のことだ。だが、その答えはすぐに「降って来た」。
「クイントゥスさん、上から投擲槍だよ!」
ドゥルーススの言葉が耳に入るが早いか、クイントゥスは頭上の散兵たちを目にしていた。狭い通路に集中しているせいで騎兵達は渋滞状態だった。しかも、ティベリウスが駄目押しにと呼び寄せた歩兵が邪魔でローマ本軍の騎兵も引けない。スキピオ軍側の後方は兵力こそ少ないが、それでも逃げるための障害になるのは避けられない。
「……奴ら、最初からここに呼び寄せるのが目的だったらしいな。」
狭い通路に囮部隊を配置し、容易には抜け出せない状況を作り出し、周辺家屋の屋根に潜んだ散兵が奇襲を仕掛ける。まんまと策に嵌ったな、とティベリウスは歯噛みしたが、「後悔先に立たず」だ。ならば、やることは一つだ。
「エクイテスは盾を掲げてこの場を離脱せよ。ハスタティ、プリンキペスは散兵処理開始。家屋に突撃。略奪は戦闘終了まで待て。弓箭兵隊前へ。火矢準備、士気を削り取れ。」
淡々と指示を下すティベリウスに、クイントゥスは盾を掲げながら詰め寄った。
「火矢は駄目です。命令中止を。」
「今のサムニウムの連中は手に負えない。確実に仕留めなければ禍根を残すことになる。」
あくまでも冷たい調子で返事するティベリウスに、クイントゥスは苛々した調子で言葉を放つ。
「火矢なんか使ったら、家屋に被害が出ます! 通常の矢を使ってください。」
若きスキピオ家の男の真剣さで輝く瞳に、ティベリウスは圧された。どうやら、引き下がるしかないらしい。それに、あくまでもこの戦いの総指揮権はティベリウスにはない。クイントゥスの進言を聞き入れるしかなかった。
「……了解した。弓箭兵隊、消火。通常の矢で再攻撃せよ。」
そういえばこの家系のやり方はこれだったか、と半ば呆れた。スキピオ家がギリシア系の人間を多く抱えていることは、誰でも知っている。ティベリウスには、ギリシア人の戦い方とは「正々堂々と知略を尽くすが、市民にまでは手を出さない」というイメージがあり、クイントゥスもそれの影響を受けたのかと勘違いしたのだった。実際には、クイントゥスが寛容すぎるだけだった。しかし、それに気付かないままクラウディウス家の「果敢な男」は、騎兵達とともに狭い通路から離れていった。

時間もかかり、兵力も削られたが、散兵処理は完了した。時間がかかった理由は簡単だった。サムニウムの散兵が家屋の屋根の上を逃げ回り、散々騎兵達だけを狙ってきたからだ。足の速い騎兵を狙おうという発想も凄まじいが、それを安全な屋根の上からという考えもなかなかのものだ。最終的に全員ハスタティとプリンキペスに追い回された挙句、疲労困憊したところで弓箭兵に射殺されたが、ホプリタイへの突撃とこの攻撃でエクイテスの半数が戦死した。
「だが、解せないな。騎兵だけ狙うなど……市街戦で無理矢理使うのが精一杯だったというのに。」
どうやら、戦いに勝つこと以外に目的でもあるらしい。だが、それを考えている暇はない。門を守っていた槍兵隊がどこかに集結しているはずだ。
「急ごう。今こそ温存しておいた部隊の出番だ。それに、エクイテスたちにも働いてもらおう。最後の一押しにな。」
ティベリウスは馬を御し、市街地中心部へと馬首を向けた。ローマ本軍の兵士達もそれに続き、クイントゥスたちも後を追う。主力部隊が消失した以上、最早サムニウム側に勝ち目はなかった。
しかし、どうやら最後の最後まで抵抗するつもりらしい。狭い通路を抜けた先、広場の手前に生き残りの槍兵が密集隊形を組んで待っていた。こうなれば、徹底して攻撃するほかない。司令官二人は投擲槍を残した部隊全てを投入する。
「槍兵隊来るぞ。ハスタティ、プリンキペス、ピルム一斉掃射。盾を剥ぎ取ってやれ。」
「スキピオ軍ハスタティ、ピルム放て!」
重投擲兵器であるピルムは、盾に突き刺さることで重量による負荷を与えて盾を使用不能にする武器だ。元はガリア人やヒスパニア人の戦法だったが、これをローマは吸収し、間隔をあけた陣形と併用して軍事力を高めていた。
「うおおおおおお!」
兵士達の雄叫びと共に、空が翳るかと思うほどのピルムが放たれた。サムニウム槍兵たちが掲げた円盾に突き刺さり、痺れたように盾が地面へと吸いつけられていく。しかし、彼らは諦めようとしなかった。盾を放り出して、何故か眼前のハスタティやプリンキペスを無視し、トリアリィやエクイテス、そしてその後方にいる指揮官騎兵団へ向かっていく。
「攻撃目標がおかしい……クイントゥス様、下がって……。」
プロデウスの進言を聞く前に、クイントゥスが突撃命令を下していた。死に物狂いで突撃してくる以上、こちらも相手をしようというところだろう。だが、クリエンテスとしては困ったパトローネスである。
「ここで引き下がるわけにはいかない! この戦い、最後まで気を抜くな!」
確かにその通りなのだが、と思いながらプロデウスも近接戦を挑む。血塗られた騎兵用の鎗が、さらに血で染め上げられて行く。とはいえ、サムニウム槍兵の前衛部隊を無視しての突撃は無謀にも程があった。しかも、盾がない上に陣形が崩れていた。陣形が崩れている状態では、剣の方が有利になる。ローマ本軍のハスタティ、プリンキペスに詰め寄られ、血祭りに上げられていく。
それでも一切降伏しようとしない。結局全滅するまで戦い続けた。この攻撃でティベリウスの護衛騎兵が5人、クイントゥスの護衛騎兵が3人、エクイテスが22人、トリアリィが36人犠牲になった。プロデウスも、この戦い方に疑問を抱いたらしい。彼はパトローネスに少しばかり問いかけてみた。
「おかしいですね。最初から勝つ気はないのでしょうか?」
「指揮官を狙うのはわかる。烏合の衆と化すからな。だとしても、確かに攻撃対象に疑問はある。」
「金持ちが羨ましいとか? ほら、攻撃対象、みんな経済的に余裕のある人ばっかりじゃない。」
またドゥルーススだ。どうも人を驚かすのが好きらしいが、プロデウスにしてみれば、幽霊のように背後から沸いて出てくるのはどうかと思う。だが、言っていることにクイントゥスは引きつけられたらしい。
「……確かに、護衛騎兵やエクイテスは金持ちでないと無理だ。それに、トリアリィは古参で重武装が整えられる程度の資産がなければ編成出来るようなものじゃない……。」
「資産に余裕のある部隊だけ攻撃? どういう……。」
考える材料を提供してくれたことに感謝しなくては、とプロデウスがドゥルーススの姿を求めて振り返ったが、もういない。見ればローマ本軍の護衛騎兵達と雑談をしている。
「む……。」
「……やっぱり目眩が……。」
クイントゥスとプロデウスは、揃って頭を抱えたくなった。

広場に、サムニウムの指揮官が配下の騎兵を従えて待っていた。顔立ちから、オタキリウスの父親だろう、とクイントゥスは見当をつける。とはいえ、相手が誰であれ手を抜けない。
「来たかローマ人!」
こちらが迎撃態勢を整える前に、いきなり突撃をかけて来た。前衛のハスタティが弾き飛ばされ、猛烈な勢いでクイントゥスの方に向かってくる。
「ぐ……!」
決死の覚悟での攻撃、とはこのことをいうのだろうか。サムニウム最後の将の形相は鬼神そのものだ。馬上で剣を振るい、指示を飛ばしている。その上で、接近するハスタティ、プリンキペスは無論、対騎兵部隊であるトリアリィも、同じ騎兵であるエクイテスもまとめて鎗で弾き飛ばしている。しかも、彼の護衛騎兵達も一歩も引こうとしない。
「どうしろと……!」
プロデウスは馬上で唸りながら、父オタキリウスの護衛騎兵相手に鎗で叩き合っていた。いくらローマ騎兵が貧弱とはいえ、この戦闘力は異常だ。本来の力量以上に、精神力が上乗せされているのだろう。
「だが、我らローマは不確定要素に頼らない。やるぞ!」
乱戦にもつれ込まれては、兵士単体の力のみが強調されて不利になるばかりだ。クイントゥスはスキピオ軍全体に整列命令を下し、自身もトリアリィ、ハスタティに続いて前に出る。自分が標的ならば、自分を囮にするつもりだった。その様子を見てティベリウスは溜息を吐きたくなった。
「無茶なやつだ。スキピオ軍のフォローに回るぞ。ハスタティ、プリンキペス、トリアリィはこの場で応戦。エクイテスは私とともに一時離脱せよ。」
元老院から支援を任された以上は、被害が拡大しないようにしなければならない。打てる手は打っておくべきだと考えたらしい。ローマ本軍の騎兵隊を引き連れてティベリウスは元来た道を走って行く。
「ま、何とかなるよ、多分。見捨てられたわけじゃないし。……よっと。」
プロデウスの右隣で、ドゥルーススが鎗で突撃してきたサムニウムの護衛騎兵を一人屠った。
「どうしてそんなことがわかるんですか? ……とうっ!」
スキピオ家の後援者の青年は、やっと一人を落馬に追い込みながらドゥルーススに問いかける。その騎兵に鎗の穂先を叩き込みながら、幼さを抱えた騎兵は返事をした。
「んしょ……そりゃあ、ローマ人だからだよ。責任感と名誉心、持ってないわけないよ。」
「確かに……。」
パトリキ特有の、誇りの塊のような顔をしていたな、とプロデウスは思う。ローマにパトリキはいくつか存在しているが、さすがにクラウディウス家の人間は、この部分の心の持ちようが段違いだった。ローマのために戦い、貴族としての誇りを持ち続ける。そんな人間が、逃げ出すわけがない。
「では、ティベリウス殿が戻ってくるまで持ちこたえませんとね。」
「もっちろん!」
二人は揃って鎗を構える。それを目にしたクイントゥスも、頑張ってみる気になった。
「俺も……ローマ人だ……!」

「まだだ、まだ足りん! ローマ人の血が!」
狂気に満ちたような台詞にしては、父オタキリウスは冷静そのものだった。現在の戦力ではまず太刀打ちできないことも、わかりきっていた。だが、それも想定範囲内だ。しかも、計画は狂っていない。「真の勝利」のために、彼は動く。
「お前も逝け!」
血塗られた鎗が、トリアリィの一人を貫いた。別のトリアリィが鎗を突き出すのを見て、父オタキリウスは鎗を手放しながら仰け反って躱し、腰の長剣で抜き打ちを叩き込んだ。ざくろが弾けたようにトリアリィが蹴散らされる。
「もっと、もっとだ。まだ足りない、まだ……!」
前進してきたクイントゥスの護衛兵にも長剣を振り下ろし、赤い塊に変えて広場の街路に叩き落した。だが、彼はクイントゥスたちの頭上に無数の兵士がいることに気付いた。彼らは民家の屋根の影から、一斉に「雨」を降らせた。
「弓箭兵か……!」
単純に後方から放物線を描いて射撃するよりは、ある程度段差をつけた方が、味方への被害を少なくできる。クイントゥスとティベリウスの指示によるものだが、これは単にサムニウム散兵にされたことをそのまま弓箭兵で再現しただけだ。ただし、弓箭兵の攻撃は散兵よりもダメージが少ない代わりに射程が長い。もう、逃げ場はなかった。可能な限り後方に向けて放つように指示しているからだ。後方のサムニウム将軍護衛騎兵が射抜かれていく。
そこに、街路を迂回してきたティベリウスと騎兵隊が突撃体勢を整えて加速してくる。
「突撃体勢、全騎兵構え。攻撃開始。」
それに気付いたクイントゥスも、指示を下した。
「弓箭兵攻撃停止! ハスタティ、騎兵、突撃!」
背後を衝かれた父オタキリウスだったが、それでも全く慌てた様子はなかった。
「最後の仕上げだ。そこのパトリキの貴様! その首だけは刈り取ってくれる!」
護衛騎兵が次々とエクイテスたちに攻撃されているにも拘らず、転進してティベリウスに父オタキリウスが向かって行く。しかし、後一歩でティベリウスの顔がはっきり見えるというところで、動きが止まった。誰かの鎗が背後から刺し貫いていたからだ。
「残念、僕が見逃すわけないじゃん。」
ドゥルーススだった。パトリキの一族だという少年が追いすがって鎗を繰り出していたのだ。あくまでも、彼の表情は笑顔だ。血に汚れた姿だったがために、残酷さは一際だった。
「ぐっ……だが、目的は果たした……これで我が息子は……。」
広場に叩き付けられたその遺骸を見遣りながら、ティベリウスは苦々しく言った。
「最後の最後まで、掌の上で踊らされていたらしいな。」
「それはどういう……?」
緊張の糸が切れたような顔でクイントゥスがティベリウスに近づきながら問うと、このクラウディウス家の男は言葉を紡いだ。
「最初からローマの指導者層だけを殺すつもりだったのだよ、この男は。エクイテスも、護衛騎兵も、経済力に余裕があって、しかも、それなりに指導者になりやすい立場だ。トリアリィとて、エクイテス予備軍になれないわけでもない。要するに、どうせ併合されるなら、ローマの指導者層にサムニウム人を食い込ませようとしたというわけだ。ついでに言えば、最後の最後まで抵抗したのも、サムニウム人の中の戦う意志を持った過激派を一掃するため。本気で息子のことを考えていたのだろうな。」
「……!」
「やられたよ、見事に。こちらのシステムを知り尽くして実行したということか。全く、こんなことなら息子の方を人質にしておくべきだったか。」
最後の言葉には全く同意できなかったが、何故あれほどまでに意地になって金持ちだけ狙っていたのかよくわかった。つまり、サムニウムや他の周辺部族によってローマを支配することを考えていたのだろう。だが。
「ですが……。」
クイントゥスはティベリウスの顔を見遣って言葉を紡いだ。
「我らローマの強みは、他民族の良質な人材を取り込むことです。これがローマを強くすることまでは、きっと想定外でしょうね。」
さすがのティベリウスも、少しだけ顔を綻ばせて、応えた。
「そうだな……そうかも知れん。それは認めなければなるまいな。」

クイントゥスは兵士達に死体撤去を命じ、自身は統治者の邸宅に向かって書類を回収していた。これを持ち帰り、統治方法を父コルネリウスに考えてもらう必要がある。
「とりあえず、略奪は禁じておいたぞ。だが……。」
ティベリウスが口ごもったのを見て、クイントゥスは首を傾げる。
「何か、問題でも?」
「いや……。」
彼にしてみれば、常識として身につけたことであるため、あまりのクイントゥスの非常識さに呆れただけだ。しかし、クイントゥスはわかっていないらしい。彼にしてみれば、オタキリウスとの約束を守っただけだからだ。
ふと、外が騒がしくなった。死体撤去が終わった頃ではあるが、それでも妙だ。クイントゥスが気になって広場を見てみると、何故か兵士達の前にプロデウスが立って、何らかの荷物を積んだ荷馬車を横に、演説めいたことをしている。
「兵士諸君! よくぞ指揮官クイントゥス・スキピオの命に従って略奪を堪えてくれた。諸君らの指揮官は満足しておられる。これは、略奪を耐えてくれたことに対する、諸君らへの報奨金である。全員分あるから、順に並んで受け取ってもらいたい!」
兵士達が、歓喜の叫び声を上げている。プロデウスとドゥルーススが、荷馬車の幌を外して銅貨を確かめながら一人一人に手渡す様子が、クイントゥスとティベリウスからは見えた。
プロデウスは、ドゥルーススの言葉から、クイントゥスが略奪を禁じるのではないかと、心配していたのだ。だから、実家に手紙を送って金品を工面し、何とか戦闘終了にまで間に合わせた。さすがのプロデウスも、内心では間に合わなかったときのことを想像して、冷や汗を流しっぱなしだった。死体撤去が終わるまでに到着してくれたので、その報告を聞いたとき、彼はその場でへたり込んだものである。
「……いいクリエンテスを持ったな。彼に感謝すべきだぞ。」
「はい?」
「兵士達が本来の仕事を放り出して、戦場に出ていることを忘れてはならない。全員が我らのように経済的余裕があるわけではないのだぞ。」
この時代の兵士達は、徴兵によって戦場に赴いていた。簡単に言えば、戦争に参加することこそが「税の支払い」である。その間、農家ならば畑仕事を放り出して、商家ならば商売を放り出して戦場にいるわけだ。その仕事ができなかった分、損失が発生するので、略奪でもしないとまともに生活できなかった。ある意味、略奪はルールのようなものである。一方的に禁じれば、ストライキどころの話ではなかった。
「う……。」
「プロデウス・ナムロス、か。重用して損はない。彼が困っていたら、助けてやれ。パトローネスとしての責務を果たさねばな。」
ティベリウスはそれだけ言うと、ローマ本軍の兵士達の下へと戻っていった。一人残ったクイントゥスは考える。
「略奪は必要……か。何だか悔しいな……。そんなものに頼らなくていい世界があれば……。」
いつかはそんな世界も作れるはずだ。若きクイントゥスはそう思った。
「クイントゥス様、こちらにいらっしゃいましたか。」
「プロデウス。」
疲れた顔で、プロデウスがクイントゥスの下にやってくる。ドゥルーススをはじめとする護衛騎兵の面子も揃っていた。クイントゥスの前で、プロデウスとドゥルーススは膝をついた。
「申し訳ありません、独断であのようなことをしました。いかなる処分でも。」
「僕が唆したから、処分なら僕ってことにして。」
明るい笑顔を見せながら、理想に燃える若きスキピオ家の後継者は、二人をまとめて抱き寄せ、言葉を大にして放った。
「二人のお陰で助かった! 感謝しているぞ、プロデウス、ドゥルースス殿!」
「カミルスじゃないんですよ。このくらいは工面して置かないと、後々厄介ですから。」
「そうそう、嫌われ者になってもらったら、プロデウスもクイントゥスさんも、皆大変なことになるんだし。」
カミルスはローマでは非常に有名な男である。エトルリアを下した功績を持ちながら、ローマ軍初の冬営をして嫌われ、凱旋式を派手にやりすぎて嫌われ、攻め落としたウエイに遷都しようという案を退けて嫌われ、別の都市と戦争をした際に略奪を禁じて嫌われた。それでも、ガリア人によるローマ劫掠からの立て直し、同盟都市の離反、その全てに対抗しきった、ローマ第二の建国の父とまで言われている人物だった。
プロデウスは、一度嫌われたらカミルス並みの働きをしないと挽回できない、という意味で言ったのだ。無論、それはクイントゥスにも伝わっていた。
「二人の言うことはよくわかった。困ったことがあったら、相談する。だから、俺を頼ってくれ。」
「頼りにしています、我がパトローネスよ。」
「僕も同じパトリキとして、手伝わせてもらうよ。」
クイントゥスは思う。この繋がりこそがローマなのだと。ローマは人と人の繋がりを最大限の利用している。パトリキと都市単位でのパトローネス・クリエンテス関係も少なくなかった。事実、カプアはスキピオ家のクリエンテスという扱いである。
「ローマ人で、良かった。」
クイントゥスは心の底から、そう思った。

「それじゃ、僕はローマに戻るよ。」
ローマ本軍がローマに、スキピオ軍がカプアに戻り、兵士達が元の生活に戻る中、ドゥルーススもローマに戻ることになった。黒い愛馬にまたがり手綱を握り締めている。クイントゥスとプロデウスが直接見送りをすることにした。何しろ、元老院からの預かり物であることは、間違いない。それに、恩人でもある。
「貴方には色々助けてもらえて、感謝していますよ。」
「いやだなあ、コネってのはお互いに手を貸してこそじゃないかあ。」
やはり、子供だと思いながら、プロデウスが顔を引きつらせているとクイントゥスが言葉をかける。
「また会おう。」
「近いうちに会えるよ、多分。それじゃ、クイントゥスさん、プロデウス。また。」
馬首をローマに向けようとしたドゥルーススに向かって、プロデウスは声をかけた。
「あ、待ってください。」
「ん、なあに?」
少しばかり躊躇いがあったが、プロデウスはあえて、首だけ向けたドゥルーススに問うてみることにした。
「その、大丈夫ですか? 初陣でしょう? 手が震えたとか……。」
その質問に、少しだけ体を強張らせたが、馬ごと振り返ってドゥルーススは笑顔で返事をした。
「やだなあ。僕は平気だよ。」
「……もし何かあるなら、俺とプロデウスが相談に乗ろう。」
クイントゥスも、やはり人を殺した衝撃は大きかったらしい。だからこそ、気持ちがわかる。パトリキである以上、それを押し隠して戦わねばならない。精神的打撃と責務で押しつぶされそうになる心を、誰かが支えねばならないのだ。クイントゥスにはプロデウスがいる。だが、あのドゥルーススには誰かがいるのか、それが心配だった。
「大丈夫だって。ま、困ったら助けてよ。助けられっぱなしにはならないけどね。じゃっ!」
ドゥルーススは馬を走らせて、ローマへと向かっていった。その後ろに、ドゥルーススや世話役の荷物を載せた荷車、そして彼の護衛二人が続く。二人はどこか引っかかりを覚えながらもカプア市街に戻っていった。

「……大丈夫なわけ、ないじゃん。やっぱり、人殺すのって、気持ち悪っ……。」
カプアから離れると、急に幼い顔が歪んで、手がカタカタと震え出した。これが戦争なのだと、彼は思った。
「楽しくない……でも、これがパトリキの仕事なんだ。僕の……僕としての、仕事だ。果たさなきゃ、うん……。」
震える手を押さえつけ、ローマ市を取り囲むセルヴィウス城壁が見える距離になるまで、彼は馬を走らせ続けた。


4 一時の休息


「何だってこんなことに……。」
プロデウスは頭を抱えざるを得なかった。確かに、クイントゥス・スキピオのクリエンテスになると、神に誓ったのは間違いない。だが、だからといって逃亡の手引きをする羽目になるとは思っていなかった。
「いいか、チャンスは一回だけだ。裏手に回って馬を用意しろ。お前なら怪しまれずに済むからな。幽閉されている俺が自由になるには、これしかない。」
足音を殺して館の廊下を二人は歩いて行く。「見張り」の目を掻い潜りながら、だ。心臓に悪い。プロデウスは半分呆れながら口を開いた。
「何か、大げさじゃないですか?」
「大げさなものか。この環境、俺には耐えられん。」
軽く頭を掻きながらクイントゥスは出口がある方に目を向けた。わずかに出口から漏れる光が、クイントゥスにとっての救いそのものだった。
「だからって、俺まで巻き込むんですか!?」
「お前だって外の世界を知りたいだろう。いい機会だから、ついて来い。」
「はあ……。」
プロデウスはクイントゥスと別れ、厩舎に向かうことにした。彼のパトローネスはというと、脱出のタイミングを見計らっているようだった。

話は数時間前に遡る。クイントゥスとプロデウスはそれぞれの父親と共にカプアの統治者の邸宅で会うことになった。その場で、若い二人を対面させてプロデウスを友人兼側近にしよう、という企みが前から計画されていたと知り、プロデウスは父親に怒りを爆発させたものである。
「わざわざ誘導したのですか! そんなことしなくたっていいじゃないですか! 普通に正面から紹介すればいいものを……!」
「悪い悪い、相性は心配していなかったからな。それに、お前は苦労してでも義理を果たすだろう?」
じりじりと詰め寄るプロデウスに、彼の父親は少しずつ後ずさりする。
「言い訳無用! 一発殴らせろ!」
「家父長権行使するぞ!」
「知るかあああああ!」
パトローネス親子の前で、ナムロス親子の追いかけ合いが始まった。半ば呆れながら、コルネリウスとクイントゥスがその様子を眺めていたが、プロデウスの拳一撃が父親の後頭部に命中したところで終わった。
「とりあえず、本題に入ろうか。」
本題って何だっけ、と思いながらプロデウスとクイントゥスは、40代にして生え際が大きく後退したコルネリウスの輝く額を見つめた。
「プロデウスには、歩兵隊所属になってもらう。」
いきなりか、とプロデウスは思わざるを得なかった。騎兵としては、戦力外に等しいことは、今回の戦いで実証済みだった。とはいえ、まだプロデウスは19歳である。これから伸びる可能性もある。しかし、コルネリウスは問答無用とばかりに続けた。
「エクイテス階級にあるお前にとっては、辛い話かもしれないがな。だが、馬上戦の限界は、お前自身が感じたことではないかな?」
「はい……。」
「しかし、スキピオ家のクリエンテスとしての教育は受けているわけだ。それについてはお前の父から聞いているのでな。」
「……。」
「歩兵隊の指揮をいずれ任せることになろう。次の戦いまでに、歩兵としての訓練を積んでおくがいい。」
コルネリウスはプロデウスの才能を買っていた。ただ、騎兵として不適格なだけだ。このスキピオ家の頭領は、早い内からプロデウスを歩兵隊長にしようと考えていたのだ。
違う兵種同士が連繋するためには、指揮官同士の繋がりが要求される。だが、互いが信頼できなければ、勝手に張り合うことになり、双方共に自滅することになる。この問題を解決するために、あえてプロデウスを護衛騎兵に組み込み、クイントゥスと接触させておくことで対応した、というわけだ。無論、プロデウスはそれに気付いていない。だが、いずれわかるはずだとコルネリウスは思っていた。
「それから、クイントゥス。お前はスキピオ軍団の編成に関わってもらうぞ。」
クイントゥスの眉が跳ね上がった。現段階では、部隊の編成に制限がある。「各都市をクリエンテスに持つパトリキは、農民兵と市民哨兵以外の部隊を編成してはならず、兵力が必要な場合は元老院に申請の後、ローマ本軍から麾下に編成される」というものだ。要するに、都市をクリエンテスにしているパトリキの軍拡を防ぐためにこの法律があるわけだ。軍団の編成に関わるということは、軍団編成がある程度可能になったということであり、法律の効力が薄れたことを意味する。
「それでは……。」
「うむ、サムニウム族を下したことでカンパニア一帯は我らの勢力圏内だ。こうなると、南方のギリシア植民都市群の動きが気になる。元老院は我がスキピオ家にハスタティの編成の認可を下した。軍団創設は是非とも必要だ。」
「我らがこの先の戦いをしていく上では、重要なところですからね。」
クイントゥスが頷く様を見て、コルネリウスはにやりとしながら、どこに隠していたのかと思うほどのパピルスの束を、クイントゥスに押し付けた。
「というわけで。ハスタティ編成に関する資料、その他諸々だ。全てに目を通しておけ。」
このスキピオ家の跡継ぎは、ふらふらとバランスを崩しそうになりながら反論する。
「その他諸々の方が多いと感じるのは気のせいですか……?」
「まあ、気にするな。ローマ貴族子弟の受け入れや開墾、それから武器調達の報告書に兵糧保管庫の確保についてのまとめ……。」
「諸々の方が多い!」
しかし、コルネリウスは知らぬ顔で続ける。
「サムニウム攻略戦で破損した箇所の修復見積もり、都市再編計画、オタキリウス氏の身柄保証の手続き証明、そんなものか。」
「……ええと、父上。反論していいですか?」
「問答無用。スキピオ家の後継者なら、この程度こなして見せろ。いいな。」
クイントゥスが沈んだ表情をするのを見ていたプロデウスにも、コルネリウスは声をかける。
「それから、プロデウス。お前も手伝うのだ。色々と覚えておくといい。」
「……はい。」
こうして、二人は執務室に閉じ込められたのであった。

「ただのサボタージュだよな。幽閉なんて大げさだと思うんだが……。」
そうぼやきながらも、プロデウスの手は彼のパトローネスの脱出のために動く。嘶こうとする馬を宥め、鞍を用意し、手綱を繋いだはみを咬ませた。
馬を牽いて裏手に回ったところで、プロデウスはクイントゥスと合流できた。
「抜け出せたぞ。リベルタス! リベルタス!」
「リベルタスって……奴隷の解放要求ですか?」
完全に呆れた顔でクイントゥスを見遣ったが、スキピオ家の若き後継者はどこ吹く風だ。
「あんな牢獄は真っ平ごめんだ。さあ、行くぞ!」
どう考えても、いずれは連れ戻されるはずだが、とプロデウスは思ったが、まあいいか、と考え直す。それまで自由にしているのもまた一興か、大した距離も逃げるまい、と。
案の定、馬を走らせてたどり着いたのは、カプアの繁華街だ。貸し厩に一時預かりを頼んでおき、二人はふらふらと歩き出す。カプアはスキピオ一族の統治が行き届いているためか、人通りも商品も多い。小麦や野菜などの食品類、ワインに、塩にハーブ類の調味料まである。
「賑やかだ。ここに来るのは楽しい。」
普段の仏頂面が解けていないが、元々このクイントゥスという男は表情の変化が少ないだけだ。しばらく羽を伸ばしておくのもいいだろう、と考えながらプロデウスは周囲を見回した。そんな彼の目に、一つの看板が目に入った。
「ドラベラ商会の酒場『ポエニ』」
入り口のすぐ横には、木彫りの宣伝文句がかかっていた。
「カルタゴ直輸入物産は、我がソチエタスの代表が直に卸していますので、品質は保証いたします!」
クイントゥスも、どうやら気になったらしい。というよりも、見慣れない、というべきだろうか。スブッラの貸し店舗スペースという恐ろしく狭い場所に、やけに新しい店、というよりも屋台が押し込められているように見えた。
「こんな店、ありましたっけ?」
「俺たちがサムニウム戦線に行っている間に開店したらしいな。何だかんだであの戦線、3週間かかったからな。新しい店が開かれていてもおかしくはないか。」
大半が戦後処理だったがな、と心の中で付け足しながら、クイントゥスはこの目新しい酒場に足を向けていた。プロデウスも彼についていく。戸をくぐるとカウンターの向こうに、フェニキア系のブロンズ色の顔立ちをした男がいた。おそらくは店主だろう。カウンターの手前にも客なのか、ローマ人と思われる若い小太りの男が陶製のコップを手にしている。
「いらっしゃい、何にします?」
店主のフェニキア男は、カウンターの手元にある品書きを指し示し、にっこりと笑う。営業スマイルというものだろうが、不自然さは全くなかった。品書きにはイタリアワインや魚の塩漬けなど、イタリア半島の産物もあったが、カルタゴワイン、カルタゴビール、さらには茶というわけのわからない飲み物まであるらしい。プロデウスはこの、茶を頼んでみることにした。
「それじゃあ、この茶というものをください。二人分で。」
「はい、毎度。」
店主は店の奥から乾燥した草のようなものを取り出し、彼らの眼の前で金属製の目の細かい籠に入れて、注ぎ口のついた陶器の入れ物に嵌め込む。そこに熱湯を注ぎ、蓋をして軽く揺すった。続けて、陶器のカップに湯を注いでからその中身を捨て、陶器の入れ物から、緑色の液体を注いだ。
「どうぞ。」
二人は熱いカップを手にし、一口含んだ。
「苦いな。」
パトローネスの方は多少眉根を寄せたようだが、クリエンテスは違った。確かに苦味があるが、ほんのりと甘みが舌に残る。それに、心が落ち着くようだ。緑色の草むらに、正面から柔らかく倒れこんだような気分になる。
「でも、俺は気に入りました。この緑色の香りというか何というか……。」
離れた席の小太りの男が、ほう、とでも言いたげな表情でプロデウスの顔を見ている。クイントゥスは気が進まないのか、カップをカウンターに置いてしまった。
「ふん……俺の味覚はどうせお子様だ。」
茶を啜りながら、若きクリエンテスは苦笑いした。
「……むくれないでくださいよ。」
今はこの味わい深い嗜好品を楽しむことにしよう、と思いながら、プロデウスは香りを楽しみつつ、喉に流し込んで行く。クイントゥスが不思議そうにプロデウスを眺めているのは眺められている本人も知っていたが、だからといって飲むのをやめられるはずもない。単価は高いらしいが、自分の資産で茶葉を直接買おうか、などと考えていたその時だった。
「若様ー、どこですかー? 総領がお呼びですよー!」
どうやら、屋敷から抜け出したことがばれたらしい。クイントゥスは慌てて銭入れから銅貨を取り出し、叩きつけるように置いて、椅子を蹴立てて店から飛び出して行く。プロデウスも、まだ茶を飲みきっていないのに、と残念そうな顔をしながら、クイントゥスの後を追った。
通りに、屋敷の者たちがいた。これでは見つかるために出て行ったようなものだ。クイントゥスは脚をフル回転させながら、貸し厩のある方向に走り出した。
「若様、逃げないでください!」
「うるさい、俺はあんな退屈な仕事は嫌いなんだ! 逃げるぞ、プロデウス!」
クイントゥスのクリエンテスは頭を軽く掻きながら、彼もまた脚を急がせた。
「……うちのパトローネスは頼りがいがあるのかないのか……わからんな……。」
だが、屋敷の者は市内だというのに馬を乗り回している。少なくともローマ市内の馬の通行が規制されるのは200年以上未来のユリウス・カエサルの法律ができてからだから、法的には何の問題もない行為だ。だが、危険なことには変わりない。いくらクイントゥスを連れ戻すためとはいえ、強引な手段だ。
「プロデウス! お前、歩兵隊になるんだろう、騎兵を抑えろ!」
「装備もないのに無理です!」
二人して通りを疾走していたが、馬の脚に勝てるわけもなかった。
「おごっ!」
「のぶっ!」
馬上から小突かれてノックアウトされた。続けて後からやってきた徒歩の者達に二人とも羽交い絞めにされ、ずるずると引き摺られて行く。
「放せ! 何をする! プロデウス、何とかしろ!」
クイントゥスは試しにもがいてみたが、全く抵抗できない。プロデウスも同じ状況だ。クリエンテスの方は、諦めの溜息を吐きながらパトローネスを諭そうと試みた。
「我がパトローネス、クイントゥス・スキピオよ、それがあなたの運命というものです。あなたはスキピオ家の跡取りとしての職務をこなすべきでしょう。」
「達観するな! 他人事だと思って……。」
羽交い絞めにされてはいても、咬み付かんばかりに叫んでいる。これではいつまでも臍を曲げたままでいるだろう。やれやれ、とプロデウスは再び諦めの溜息を吐いた。
「……わかりましたよ、手伝いますとも。……はあ、これもクリエンテスの仕事か……。」
カプアの人々が眺める中で引き摺られて屋敷に戻された上、二人纏めてそれぞれ父親に叱られ、今度こそ彼らは執務室に見張り付きで閉じ込められた。机の前に座らされたクイントゥスは、プロデウスにしか聞こえない絶叫を放った。
「うううう……こんな退屈な仕事、大っ嫌いだああああああっ!」
「私も手伝いますから、そんなにがならないでくださいよ……。」
パピルスの束をクイントゥスの横で担いでいる、プロデウスの説得もまるで通じない。インクを浸したペンも、全く進まない。苛々が募って、クイントゥスはがりがりと頭皮を掻き毟った。指先に髪の毛が纏わりつき、はらはらとパピルスの上にこぼれていく。
「うわ、髪の毛抜けた!」
「掻き毟ったらそうなりますって。」
「まだ俺は16だぞ、父上のように禿げたくないっ!」
そう叫びながらまたクイントゥスが頭を掻き毟っているのを見て、プロデウスはパトローネスに聞こえないように一言漏らした。
「……絶対禿げるぞ、こりゃ……。」
だが、蚊の羽音程度でしかないはずの音声を、彼のパトローネスは聞き逃してくれなかった。
「プロデウス……何か言ったか……!?」
「いえっ……何も。」
「禿げる、と言ったか!? 俺が一番気にしていることを!」
クイントゥスが拳を振り上げたのを見て、プロデウスはパピルスがばら撒かれるのも忘れて、両手を挙げながら笑顔を見せつつ、後ずさりした。しかし、彼のパトローネスの怒りは収まらないらしい。
「勘弁してくださいって!」
「問答無用!」
クイントゥスのヘッドロックがプロデウスの頭を締め付ける。ヘッドロックとは別の痛みを頭に感じながら、当分この部屋から出られそうもないな、と思いつつ、プロデウスは床に撒き散らされたパピルスの束を見つめていた。

結局、作業が終わったのは3日後のことだ。トイレに行くのも食事も全て監視付だったため、猛烈にストレスが蓄積されていた。作業終了直後、安堵と眠気から二人ともしばらく床に倒れていたが、様子を見に来た屋敷の者達が大騒ぎする羽目になり、またも揃ってそれぞれの父親から叱責を食らうことになった。
「俺らって、何でこう不幸なのかな。」
「タイミングが悪いんですよ、きっと。でも、死ぬよりマシだと思いますけどね。」
「それもそうか……。」
二人同時に項垂れたものだが、さすがに仕事は終えたので自由時間を得ることは出来た。ただし、完全に解放されたわけでもなかった。
「この間お前たちが世話になった酒場、『ポエニ』と言ったかな。そこに行ってもらう。お前たち二人にローマから二人ほど客だ。ここで会うのもいいのだが、外の方がよかろう?」
ローマから客となると、サムニウム戦線で知り合った人間だろうか、とプロデウスは考える。同時に、「あの人物」の顔が思い浮かんだ。
「……このタイミングでカプアに来ることができて、しかも酒場に呼び出しそうなローマからの客って……一人しかいませんよね。」
「……ああ。悪い奴じゃないが、このタイミングだとしんどいことはしんどいからな。」
「……死にはしませんって……多分。」
ギリシア系ローマ人の青年ががっくりと肩を落としながら言うのを見て、スキピオ家の若き後継者も同じようにして、ぼそりと口を開く。
「そうだな……おそらく。」
前と同じように二人は貸し厩に馬を預け、例の酒場に向かうと、果たして入り口で想像通りの人物が待っていた。
「やあ、待ってたよ。おひさし。」
言うまでもない。ドゥルースス・ポンピリウスだった。トーガを纏ってはいても、重厚さよりも軽薄さの方が前面に押し出される。どう考えても、童顔と幼い仕草のせいだ。巻き付け型の重々しい服が、空気のようだ。軽い調子でトーガの端があるはずの左手を挙げ、笑顔を見せた。
「あれ、お疲れかな?」
「……内政の書類を片付けていた。」
「……手伝っていました。」
どんよりとした目の下に出来た隈を見せながら、二人は幽霊のような調子で返した。さすがに自分の空気の読めなさに気付いたか、ばつが悪そうな顔をして、ドゥルーススは口を開く。
「あ……あはははは……ま、まあ、クイントゥスさんは武人タイプだしね……。でも、ハスタティ編成の仕事も入ってたんでしょ?」
何故知っている、という顔でクイントゥスとプロデウスがドゥルーススを見ると、幼い男は再び口を動かした。
「僕の兄者が教えてくれたよ。兄者は元老院議員だからね。スキピオ家とユリウス家の編成規制が緩和されたんだって? それから、オタキリウス家はスキピオ家の傘下に入るんだね。元々の所領を戻す代わりに、馬の飼育が義務付けられたらしいけど。よっぽど騎兵がほしいのかな。」
サムニウム領の一部であるアペニン山脈は、僅かではあってもイタリア半島で唯一と言っていいほどの馬の産地だから、本来の統治者であるオタキリウス家に任せようということだろう。それはわかるが、そんな知らせはまだ届いていない。どう考えても、つい最近公式発表がさせる前に議決された法案だ。彼に元老院議員の身内がいるのは確かだ。
「兄者、か。俺にも弟はいるが……。」
道理で責任感が軽いはずだ、とクイントゥスは思う。クイントゥスにも弟ガイウスがいるが、ドゥルーススほどではないにせよ、責任感は今のところあまりない。9歳だから仕方ないのかもしれないが、多少生意気でもある。兄弟がいて、それも年下となると、甘えも出てくる。ドゥルーススの軽さは、これが原因らしい。
「へえ。ま、いっか。兄者が酒場で待ってるから、二人も来てよ。兄者が飲み代を奢ってくれるってさ。」
奢ってもらえるのはともかく、この怪しいドゥルーススの兄という人物が、どのような人間なのかは知りたい。そう思いながら、二人は酒場の戸口をくぐった。
「兄者、二人をお連れしたよ。」
「ご苦労。迷惑をかけていないだろうな?」
「いやあ……あははは……。」
やれやれ、という顔でクイントゥスとプロデウスに顔を向けたのは、見覚えのある、告発者めいた男だった。
「ティベリウス殿! あなたが!」
ティベリウス・クラウディウス・ネロという名を持つ、元老院議員の男は、意外そうな顔をするクイントゥスに、これまた意外そうな顔をして言葉を紡いだ。
「……おや、話していなかったかな? ……おっと、プロデウス殿に身内がいるとしか言っていなかったか、これは失念した。」
さすがにプロデウスも驚いたものだ。何とかして口を動かそうとするが、どうにも言葉が引っかかっているらしい。
「しっ、しかし、家門名が明らかに……。」
「兄者はアッピウス伯父さんに気に入られちゃったんだよ。アッピウス・クラウディウスって名前は聞いたことあるでしょ? ほら、監察官アッピウスさ。兄者、クラウディウス家の相続権を保証するために伯父さんの養子にさせられたんだよね。だから、兄者の本当の名前は『ティベリウス・クラウディウス・ポンピリウス・ネロ』なんだよね。」
「面倒だから普段はティベリウス・ネロで済ませているがな。」
監察官アッピウスといえば、ローマ初の本格的な街道と水道を整備した張本人に他ならない。しかも、ドゥルーススは父親の名前を「デキウス・ポンピリウス」と言っていた。ここから察するに、彼らの母親が監察官アッピウスの妹だということだろう。それも、アッピウスが現在老人としか言えないような年なので、相当に年が離れている兄と妹ということになるだろうか。どう考えても30歳近くの息子がいて、尚且つ16歳の息子までいる年齢というのは、40代後半から50代の範囲しか、プロデウスたちには想像できなかった。
「それにしても……。」
クイントゥスが呆れたようにティベリウス・ドゥルースス兄弟を見遣ると、ティベリウスは告発者めいた顔を緩め、口を開いた。
「似ていない、と言いたいのだろう。年も12歳離れているし、性格も正反対に近いからな。だが、気は合うのだよ。兄弟だからか、性格が反対だからこそなのか、わからんがな。」
「そそ。割れ鍋に綴じ蓋って言うし。」
ドゥルーススがにっと笑いながら言うのを聞き、プロデウスは全力でツッコミを入れた。
「それ違いますから。似たもの同士って意味ですからそれ!」
「そうだっけ? まあいいや。」
小首を傾げたドゥルーススだったが、すぐに首を立て直して兄に向けて口を開く。
「とりあえず兄者。本題。」
そうだった、とティベリウスは注文もせずに喋っていたことを思い出し、苦笑いしている店主に半ば謝りながら注文をする。
「その前に飲み物を頼もうか。店主、すまんな。私はイタリアワインをストレートで頼もうか。ドゥルーススは?」
「僕はイチジクの蜂蜜漬けと水。」
酒場に来て水を頼む奴があるか、と思いながら、クイントゥスも注文する。
「カルタゴワインを水割りで頼む。」
「では、私は茶で。」
貴族三人は揃ってプロデウスを見遣ったが、エクイテス階級の暫定歩兵隊長はどこ吹く風だ。高すぎると文句を言われればその時はその時だ、とでも言いたげな顔をしている。
「……気に入ったのか?」
不思議そうな顔をしてクイントゥスが言う。彼のクリエンテスは楽しそうに返事をした。
「はい。」
反論のしようがない。気に入ったのなら仕方ないな、とクイントゥスは思いながら、店主が出してくれた飲み物類を配っていく。
「では、行き渡ったようだな。適当に飲みながら話といこう。」
ティベリウスは前口上を口にすると、軽くワインを呷ってから話を始めた。
「現在のローマ連合の状況は知っているな。現在、イタリア半島北方はユリウス家の、カプア周辺はスキピオ家のクリエンテスになっている。そして、中央のローマ。元老院はスキピオ家相手にしろ、ユリウス家相手にしろ、無闇な軍拡を防いできたが、それも今回の法案で終わった。」
「我々がクリエンテスにしている地方は元々、ガリア人の侵入の際にローマから離反した勢力ですからね。元老院も少しばかり安心したということでしょうか?」
水割りワインを口にするクイントゥスに、再びティベリウスは言葉を放つ。
「完全にではない。相変わらず、弓箭兵や騎兵、歩兵種でもプリンキペス以上の編成は未だ禁じられていることだ。今回許可されたのは自衛手段の確保、というところだろうな。ただ、それでも反乱を恐れているらしい。元老院としては、ユリウス家、スキピオ家を抑えられる第三の勢力を欲しているのだ。こうしておけば、互いに監視し合えるからな」
茶の香りを楽しみながら啜っていたプロデウスが気付いたように、口を動かした。
「……ブルトゥス家、ですか? 元老院からの信頼も薄くないですし、勢力も小さくないですから。」
「そうだ。ただ、与えられる所領がない。可能なのはイタリア半島南部のマグナ・グラキア、つまり、ギリシア系殖民都市群だが、攻めるための大義名分もない。」
ティベリウスの後を受ける形で、イチジクを食べ終わったドゥルーススが口を開いた。
「まあ、その大義名分が見つかってイタリア半島全土を手に入れるまでの間、両勢力を元老院はとっても警戒してるってわけさ。で、自分たちの息のかかった代官を派遣して、何かあったら即座に元老院最終勧告をぶち上げる、要は反逆者と見なすつもりなんだよ。そのスキピオ家担当の代官っていうのが、兄者ってことなんだな。」
こういう話は屋敷で父とした方がよかったのでは、とクイントゥスは思ったが、待てよ、と思い直す。
「もしかして、非公式の監視者ということですか?」
「その通りだ。だが、一方的に監視するのも私の主義に反するのでな。ユリウス家には何とかというセルヴィウス家の人間が向かったはずだが。あちらは私とは方針が違うらしい。……任された私と貴公は顔見知りでもあることだ。怪しい動きでもすれば容赦はしないが、全く知らされずに監視されるよりはマシだろう?」
どうやら、ティベリウスなりの気遣いらしい。確かに黙って監視されるよりは、知り合いにわかっていて見られている方が幾分か気は楽だ。とはいえ、告発者にしか見えないティベリウスがカプアにいるのも、別の意味で気疲れしそうだ。
「しかし、私もクラウディウス家の人間としての責務もある。だから、私の代理人をカプアにおいておくことにした。」
クイントゥスとプロデウスは同時に嫌な予感がした。それは数秒後に的中していたことがわかったが。
「弟の僕が代理人。ってことで、屋敷に護衛と一緒に引っ越すから、よろしくね。」
別に二人はドゥルーススが嫌いではない。助けてもらったこともある。嫌いではないが、これはこれで気疲れするかもしれない、と思い、スキピオ家の後継者と、そのクリエンテスはがっくりと肩を落とした。
「大丈夫だよ、僕は二人を簡単には売ったりしないから。楽しくやろうよ、ねっ。」
この子供っぽさがなければ、と二人は同時に思ったが、この空気の読めなさがたまらない。相変わらずドゥルーススはにこにこしている。
「そういうわけだ。逆に、援助が必要ならドゥルーススを通して連絡するといい。私が会議で口を利くこととしよう。」
できれば代理人を交換してほしいのだが、とクイントゥスは思わず言いかけたが、危ないところで飲み込んだものである。
「店主、世話をかけたな。ここで我々が口にしたことは口外しないでもらいたい。これで済むか?」
ティベリウスが差し出した銀貨3枚を、フェニキア系の店主は受け取って返事をした。
「大丈夫です。」
「また機会があれば、この店に寄らせてもらう。では、私はこれで失礼する。ドゥルースス、少しは空気を読む特訓でもしているがいい。あまりクイントゥス殿とプロデウスを困らせるなよ。いいな。」
クラウディウス家の養子である男は、すっと立ち上がると、重厚な体を軽い足取りで運びながら、店から出て行った。店に残された三人も、これでお開きということで席を立つ。
「毎度ありがとうございました。」
カウンターの向こうから聞こえた声に、クイントゥスは振り向いた。
「この間は急に席を立ってしまって済まない。代金は足りていたかな?」
「丁度でしたよ。さすがスキピオ家の跡継ぎ、計算が速くて助かりました。」
ブロンズ色の顔が楽しそうに微笑んだのを見て、彼は普段の仏頂面を少しばかり崩した。
「そうか、よかった。また来るよ。」
「はい、ありがとうございます。」
この間は散々だったが、たまにはここに来るのもいいかも知れない。ここに来れば茶もあることだからプロデウスも喜ぶだろう。そんなことを考えながら、スキピオ家の後継者は貸し厩に足を向けた。
スポンサーサイト

Comment

Comment Form

管理者にだけ表示を許可する

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。