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補助軍兵A氏作アイマス・トータルウォー支援SS「咆哮する軍旗」第二話

補助軍兵A氏から支援作品の続編を頂きました。
毎度ありがとうございますorz

今回は補助軍兵A氏の過去の作品を読んでいるとニヤリとさせられますぜ。


では、続きからどうぞ!

5 百人隊長プロデウス


それから4年間、クイントゥスたちは内政と訓練に追われる毎日を送っていた。基本的に内政が苦手なクイントゥスを何とかプロデウスが補佐していた。とはいえ、それだけで足りるわけがなかった。ドゥルーススを通じて元老院のティベリウスからのサポートを受け、サムニウム族領をオタキリウスが抑え込む形でどうにか持たせてきたのだった。
プロデウスの存在も大きかったが、一番大きかったのはどう考えてもオタキリウスの存在だった。占領直後の不満を全て引き受け、騎兵増強を受け持つなど、クイントゥスと同い年とは思えないほど、並大抵の手腕ではなかった。今ではマニウス・オタキリウス・クラッススとローマ式の名前を持っており、とりあえずは同化政策に協調してくれているらしい。
ただし、綽名として付けられたクラッススには「肥えた」という意味のほかに「粗暴な」というものもある。精々固太りとしか言いようのない体格なので、後者を意図して付けられたことは明らかだ。言うまでもなく、ローマ中枢の人間にはいい印象を持たれていなかった。しかし、それでもクイントゥスはオタキリウスを信頼することにしていた。
「私はサムニウム族の人間を守りたいだけだ。サムニウム族の人間から正当な権利を奪うようなら、私は幾度でも反乱を企ててやる。降伏したのもサムニウムのためだということを忘れるな。」
などとクイントゥスは脅されたことがある。クイントゥスはそれを聞き流すことにしていたし、隣で聞いていたドゥルーススとプロデウスも、誰かに告げ口をしようとは思わなかった。要するに、正当な権利を奪わずに人身御供以外の文化や風習を尊重して、同化政策を行えばよい。理想家クイントゥスはただ単に、まともな政策をするように釘を刺されたとしか思っていなかった。
クイントゥスにとって環境が変わったことといえば、結婚したこともある。これもまた、スキピオ家の後継者としての仕事だ。子供も、生まれた。妻子が彼にとってかけがえのないものになったことは、間違いない。ただ、この日常は窮屈ではあった。
「俺もマルスの子孫ということなのか……。」
こう漏らして窓の外を眺めながら書類を片付けるのが、ここのところの癖だった。戦場で戦うことこそが一番のローマ人の義務である、とはローマの人間の大半が考えることである。その意味では、典型的なローマ人ではあった。

そんな彼の下に、ティベリウスから連絡が一つ入った。
「カンパニアとラティウムの境界付近に山賊出現。街道を封鎖して物資を奪っている。ローマ本国はガリア人の侵入の対応に追われているため、身動きが取れない。至急援軍を求む。」
待っていた、とばかりにクイントゥスは父コルネリウスに出陣要請をする。彼の父はというと、「内政から逃げる口実だな? まあいい、行ってくるといい。だが、少しは今回のことで現実を見て来い。」などと言っていた。何のことやら、と思いながらも、彼が自ら編成したハスタティ部隊の招集命令を各部署に送り、オタキリウスにも援軍の指令書を郵送した。当然という形で、彼はハスタティ一部隊の指揮をプロデウスに任せる。
「というわけで、頼んだ。俺にとって頼れる人間といえば、プロデウスが最初に来るんだからな。何とか頑張ってくれよ。」
ぽんと軽く肩を叩いて、扇形の羽飾りがついた百人隊長の兜を手渡されたプロデウスは、半分嬉しそうな顔をしていたが、もう半分は困惑していた。
仕方のない話だ。貴族の後押しがあってはじめて、この地位にいるのだから。特に歩兵隊で活躍したわけでもない。ただただ、エクイテス階級の人間で、それもクイントゥスのお気に入りでしかないのだ。しかも、元々騎兵だったということも、歩兵隊の誰もが知っていることだ。これでは、馬に乗るのが下手で歩兵にされたくせに威張っている、などと陰口を叩かれても、文句は言えなかった。
「しかし、それを払拭する必要は、絶対にある。俺は、やる……!」
軽く歯軋りすると、彼はクイントゥスから受け取った兜を被り、集合場所であるカプアの広場に向かう。そのプロデウスに、どうやら空気の読めない、精神年齢の低い男が馬に乗って同行するつもりらしい。4年もクイントゥスと同居していたにも拘らず、全くと言っていいほど成長していない。
「やあ、プロデウス。なかなか百人隊長の兜、似合ってるよ。」
「……どうも。」
「暗いなあ。ま、でも大丈夫だよ。あんな短い鎗と、中途半端なスパタで白兵戦できてたんだし。槍の投擲も練習してたんでしょ? 指揮の方も訓練してるんだし。自信持たなきゃ。」
言うのは簡単だが、人心掌握が桁違いに面倒だ。百人隊長としてやっていくには、人望がなければ務まらない。一応慰めてくれてはいるのだろうが、ドゥルーススのあまりの気楽さに、プロデウスは溜息を吐いた。
「僕たちがついてる……といっても、それを表に出しちゃまずいか。とりあえず、応援してるから。じゃ、僕は騎兵なんでこっちだね。また後で。」
軽く街路を駆け足で進ませ、先に広場へと向かう。取り残された形のプロデウスは、もう一度大きく溜息を吐いた。

広場では、プロデウスの配下となるハスタティたちがにやにやしながら彼を待っていた。
「やあ、我らが敬愛すべき隊長殿。貴族へのご機嫌伺いご苦労様です。」
いきなりだ。問答無用とはよく言ったものだ。百人隊長には家族に対する家父長権クラスの権限が与えられており、不服従な兵士を罰することも、死刑にすることさえも出来た。だが、プロデウスはそれをしようとは思わない。言われていること自体、それほど不当ではなかった。だが、これではまともにまとめられない百人隊長、という評判が付いて回るだけだ。ある程度の人気取りをするか、それともせずに部隊を規律で引き締めるか。簡単な選択ではない。
「能無しの下じゃ、命がいくらあっても足りやしないんですがね。」
「軟弱者に率いられる方の気持ちも、ちょいと考えてもらいたいもんですが。」
百人隊長は、百人隊、つまりケントゥリア内での選挙によって選抜されることになっている。一応、プロデウスが受け持つ百人隊、正確な人数は160人となっているが、この中の80人以上はクイントゥスのクリエンテスとなっている。だが、残り半分はただの平民、プレブスであった。これでは半数の不満が噴き出すのも当然だ。いくらプロデウスの才能をコルネリウスが買い、クイントゥスが任命したとしても、無茶な話である。
しかも、不満が集中するのは百人隊長となったプロデウスにである。コルネリウスやクイントゥスに、ではない。ローマ軍団の屋台骨は百人隊長にあり、とはよく言われることではあるが、下部からの文句を浴びるのも彼らである。厄介な仕事を押し付けられたものだ。
「そこまでにしておけ。」
クイントゥスが姿を現しただけで、ハスタティたちは沈黙する。このハスタティたちを編成した張本人だからだろう。だが、プロデウスにとってはたまったものではない。これでは、また「貴族の力を借りている」と言われかねない。若きスキピオ家のクリエンテスは再び暗く沈んだ。

クイントゥスたちは軍勢を連れてカプアを北上した。今回の編成はハスタティ960、ウェリティス320、弓箭兵160、クイントゥス護衛騎兵団48、ドゥルースス護衛騎兵団48となっている。対する山賊もどう編成したのかわからないが、農民兵720、市民哨兵320、ハスタティ160、エクイテス108という兵力を有している。合計人数なら1536と1308と、200強のアドバンテージがある。
だが戦力比較すれば、山賊団などスキピオ軍には到底及ばない。まず、スキピオ軍には飛び道具専門部隊がある。それに、ハスタティにはピラとピルムがあり、ハスタティの数自体も圧倒的に多い。これでは接近する前にそれこそ「弾幕」の餌食になるだけだ。それに、騎兵の質も違う。機動性ではエクイテスの方に分があるが、突撃力と防御力ではローマ将官護衛騎兵団に勝てるわけがない。しかも、念には念を入れてオタキリウスの支援散兵団の援軍要請もしている。
この条件下で苦戦するはずがない。クイントゥスもプロデウスも、そう思っていた。しかし、どうやってこれほどの戦力をかき集めたのか、それが気になる。クイントゥスが行軍中にそれをぼそりと口にしたところ、横から声が飛んできた。
「ま、うまみのある商売だと思ったら、皆集まってくるんだよね。幹線道路を封鎖して、『金寄越せ!』なんて、大儲けだもんね。人間、楽をしようと思っちゃいけないらしいね。」
ドゥルーススの言葉にクイントゥスは、貴族の貴方が言うか、というツッコミを入れたくなった。しかし、この空気の読めない男に先手を打たれた。
「ま、僕らが言えたことじゃないけどさ。僕らには僕らなりの苦労があるってことにしてもらうか。」
ドゥルーススは脳天気なだけだと、クイントゥスは思っていた。だが、今の言葉を口にしたドゥルーススの瞳に、暗い陰が差したのを見逃さなかった。
「……?」
「ほら、内政が得意じゃないのに内政させられたり、どう考えても戦えない人間が戦うことになったり。僕らには僕らなりの苦労はあるでしょ?」
疑問を持った目に勘違いしたのか、ドゥルーススはそう口にする。クイントゥスも、深く追究する気がなくなってしまった。
「……そうだな。」

出陣から数日後、とりあえずは山賊団に威嚇攻撃を加えて山岳地帯方向に追いやり、サムニウムからの援軍と挟撃できる位置にまで誘導することに成功した。この後追撃する必要があるが、まずは休憩だ。宿営地の設営が終わるとすぐに、ドゥルーススはオタキリウスに、誘導成功の報告と援軍要請の手紙を認め、配下の者に送らせた。
「仕事が速いんだな。」
すぐ横で見ていたクイントゥスがそう言うと、ドゥルーススは軽く頭を掻きながら応えた。
「いやあ、情報なんて相対的なものだし。ちゃっちゃと送んないと、あの山賊団も逃げ回るかもしれないからね。」
「……情報の有用性を理解しているのか。」
「僕の場合、知識だけは有り余るほど持ってるからね。小さい頃から書物漬けにされてたもん。『理解』だけはしてるさ。」
嫌味か、と一瞬クイントゥスは思ったが、どうも違うらしい。ドゥルーススは続ける。
「知識って、持ってるだけじゃ意味ないんだよ。活用できてないから。本に書かれていることは、多分、他の人の経験を記したものだからさ。でも、実践とは微妙に違うんだよね、どうしたって。正直、クイントゥスさんが羨ましいよ。僕は連絡係でしかないのに、クイントゥスさんは実際に内政と指揮をしてるんだし。」
少々気恥ずかしくなりながらも、クイントゥスは反論した。
「しかし、連絡係をしていたから、今回の仕事も速かったのだろう。ならば、それは経験を生かしていることになるのではないのか?」
「ありゃ、一本取られた。」
にっと笑ったドゥルーススの顔を見遣り、仏頂面を少しだけ崩した。その時だった。宿営地全体が騒然としている。
「何かあったらしいな。」
「……僕も行くよ。」
二人は指揮官用の赤い布で覆われたテントから、身を乗り出した。外では、あちこちで口論が勃発している。単純にクリエンテス網の平民と、その外にいる平民同士が口論しているだけでもない。散らばっていた百人隊長たちがクイントゥスたちの下に駆け寄ってくる。
「何があった?」
クイントゥスの問いに応えたのは、プロデウスだった。
「申し訳ありません、私のところでの、百人隊長選出についての揉め事が拡大してしまったらしく……。」
プロデウスの百人隊長選出は、クイントゥスの指示によるものであり、クリエンテス網にある平民を80人投入することによって行っている。プロデウスはまだ若く、才能も開花前だ。歩兵として経験を積ませるべきだったかも知れない。プロデウスに責任はない。あるとするなら、自分自身だ。クイントゥスはそう思い、宿営地の演台に立った。
まずは鎮静化を図らねばなるまい。全員集合のラッパを吹かせてみたが、あまり効果はなかった。それはそうだ。ほとんどの兵士たちの頭に血が上っている。クイントゥスはまだ冷静だと思われる兵士たちをかき集め、水の入った桶を持たせ、あちこちで白熱している兵士たちに水を被らせた。これで、どうにか収まってくれた。
「……よし。」
自分にはまだ、一声で白熱している兵士たちを黙らせることなどできはしない。じっくりと説得するほかないだろう。クイントゥスはそう思いながら声を張り上げた。
「兵士諸君! 今回の討伐に選抜された諸君は、初陣という者も多いかと思う。諸君らの張り切りは理解できる。私自身もそのような過去があった。だが、諸君らの気迫はこのような場で消耗されてはならない。賊相手に使うべきものだ。このようなことになった原因が何であるかは、私も理解している。しかし諸君、このような不満は百人隊長を通して行うべきものではないのか。何故このような無配慮な事態になったのか、それは私には理解できないところだ。」
未だ整列もしないままに行われた演説だ。あちこちからブーイングが飛び交い、不満の声が放たれる。
「その百人隊長の選び方に問題があるんじゃないかって話なんですよ。」
「いくら俺らを選抜してくれたからって、やり方が強引過ぎやしませんか。」
「他の隊も、同じことしてないでしょうね。」
このようなことを言われるだろうことは、クイントゥスもわかっていた。しかし、クイントゥスとて引き下がるわけにもいかなかった。
「私が選抜した百人隊長は一人だけだが、彼はとても優秀な男だ。彼の悪い噂を気にしてはならない。彼は諸君らと私を繋ぐ、大事な存在である。我らパトリキよりは諸君らによほど近しい人間なのだ。彼がいかに優秀な男かは、これからの戦いで証明されよう。諸君らはその証人となることだと信じている。」
ある程度は鎮静化したらしいが、それでもざわめきが収まる様子はない。隊列もばらばらのままだ。自分が信じているからお前たちも信じろ、と言っているだけである。確かにサムニウム戦線では初陣でも戦果を残し、自分たちの部隊を編成した本人ではあっても、完全に信用が獲得されたわけではないのだ。
「じゃあ、クイントゥスさん。これはもう指揮官への反逆なわけだし、デキマティオしかないんじゃない?」
幼い顔をして、演台のすぐ横にいたドゥルーススが恐ろしいことを口にした。デキマティオは十分の一刑とも言うが、これはローマ軍団の処罰の中でも最大の酷刑である。適応範囲はコホルス、つまりは大隊規模で、抽選で10人の内1人を選び、残る9人が選ばれた1人を棒や石で撲殺するというものだ。これは、部隊全体に対する処罰という意味で行われる。殴り殺されるのもたまったものではないが、殴り殺す方も戦列で近くにいた人間を集団で殴りつけるのだから、トラウマを抱える羽目になる。その上、生き残った兵士も小麦ではなく、秣である大麦を支給され、宿営地の外にテントを張ることになる。あまりにも残酷すぎる上に兵力が9割になるため、これまでも例は大して多くない。指を折って数えられるほどだ。
「はっきり言って最終手段だけど、黙らないようなら仕方ないんじゃないかな?」
全員が冷や水を浴びせられたように固まっていた。下手をすれば、暴動に発展しかねないのだが、どうやらドゥルーススは「賭けに勝った」らしい。しかし、彼の提案に反対したのはクイントゥスではなく、クイントゥスの後ろに控えていたプロデウスだった。
「待ってください。今回は私に原因がある! 私の生硬さに問題があるのですから、せめてそれだけは!」
しかし、ドゥルーススも引き下がらない。軽く振り返って、何でもないような口調で言葉を紡いでいく。
「まあ、貴方も処罰は受けなきゃいけないけど。でも、ここまでの騒ぎになっちゃったらね。原因はどうあれ、ここまでの騒動に発展してる。兵士の皆にだって、止められたら止められたはずだよ。この軍団の構成員である皆に、全くの責任がないわけ、ないでしょ?」
「そうだとしても! どのように思われていても隊長として、隊の人間が精神的苦痛を抱えながら仲間を殺す、などということを見逃すわけにはいきません! せめて別の処罰を!」
食い下がるプロデウスを見遣りながら、ドゥルーススはしれっとしながらクイントゥスに向かって口を開いた。
「まあ、決定はクイントゥスさんがすべきことだしね。僕はただの援軍だし、本当は口出しできない。クイントゥスさん、貴方ならプロデウスの隊員を想う気持ちも理解できるかも知れないし。指揮官として、判断しなきゃね。」
今まで黙っていたクイントゥスは、目を兵士たちに向けた。判断を先送りにすることはできない。短時間の思考が、後々まで響く。絶対に過ちは許されない。全員の生存にも関わる。
「兵士諸君。私は諸君に対して特別な思いを持っている。私が諸君らの編成を手がけたことは、知っているかと思う。だからといって、私は手心を加えるわけにはいかない。それは、公正さを失わせることになるからである!」
一呼吸を置き、クイントゥスは再び口を開いた。
「諸君らには今晩、大麦が支給されることとなる。また、百人隊長プロデウス・ナムロスには、次の戦いの際に鞘袋を携行することを禁ずる。」
ざわめく中、大麦の支給が始まった。小麦よりは臭いなどのクセがあるため、あまり好まれない。とはいえ、兵士たちの顔にあったのは、死刑を免れた安堵だった。そんな中、赤い天幕の下にクイントゥス、ドゥルースス、プロデウスが集っていた。
「やれやれ、危なかった。」
疲れたように、ドゥルーススがずるりと椅子に座り込む。このポンピリウス家の男に、プロデウスは食ってかかった。
「十分の一刑だなんて! 無茶苦茶ですよ!」
この百人隊長の怒りも、彼にはわかっていたらしい。ドゥルーススはにっと笑って、応えた。
「やだな。本気で十分の一刑を実行させたいわけないじゃん。ああでも言わないと収まらないしね。ま、暴動になるか、鎮静化するか、賭けだったけど。」
憮然とした調子で、クイントゥスも口を開く。
「俺も本気だとは思わなかったが、打ち合わせも何もなかったからな。心臓に悪い。」
「あ、あれ? 本気だったのは私だけですか?」
唖然としたプロデウスを見遣ってからかい気味に笑いながら、幼い男は言葉を紡いだ。
「いやあ、プロデウスが出てきてくれると思ったよ、うん。あそこで出てくれなきゃ、うまく処理できなかったよ。」
相変わらずの仏頂面で、クイントゥスは重い口を動かす。
「今回のことは俺にも責任があるからな、強く出ることができなかった。もしあそこでドゥルースス殿がああでも言ってくれなければ、処罰は片手落ちだったろうな。」
これではドゥルーススの普段の空気の読めなさが、ただの演技にしか感じられない。しかし、ドゥルーススは言う。
「ま、この手の処理と普段の人付き合いは違うからね。とりあえずの解決策ってわけ。これも持ってる知識の結果だね。」
それにしても、とクイントゥスは思う。
「だが、これでは俺の人気取りのために、ドゥルースス殿の人気がガタ落ちになりかねないのでは?」
十分の一刑の最大の問題はこれだ。確かに厳罰によって綱紀は守られるが、これを実行したり、進言したりした人間の人望が低下するのは避けられない。ほとんどの将軍がこれを実行したがらないのも、人気取りのためだった。まともに実行できるのは人気取りとは無縁の人間、例えるなら、大量のクリエンテスを抱える大貴族か、最初から緊急事態の解決を求められた独裁官だけだ。
しかも、人気がなくなるというのは、貴族や元老院議員にとっては致命的である。公職は基本的に選挙で選出されることになっている。票を入れてもらえなくなれば、公職に就けない。名誉を重んじるローマでは、他にも増して致命的な打撃だった。
「別にいいよ。僕は議員になれたらいいかな、くらいにしか思ってないし。僕はね、基本的に人に慕われる人間だと思ってないから。だったら、この手の役を引き受けなきゃ。それから……そうだな。仕上げに僕との親交関係を絶ってね。僕とクイントゥスさんは仕事上だけの関係にする。これで、僕の不人気が伝播することはなくなるからさ。」
コネの1人になってくれと言ったり、縁を切ってくれと言ったり、この男の言動には矛盾があるが、一つだけ言えることがある。それは、本気でクイントゥスやプロデウスの踏み台になろうとしている、ということだ。しかし、クイントゥスはそれを見過ごす気はなかった。
「俺はドゥルースス殿を見捨てはしない。サムニウム攻略戦の時の恩を忘れたことはなかった。プロデウスにしろ、ドゥルースス殿にしろ、困っていれば助けると言ったはずだ。」
「……不人気になっても知らないよ?」
相も変わらず、子供のような笑みを浮かべているドゥルーススに向かって、これまたいつも通りの仏頂面のままクイントゥスは口を動かす。
「そのときは、また解決策を考える。それで十分だ。」
プロデウスは思う。何故、空気が読めない割に人のことを気にかけるのだろう、と。空気が読めないからこそ、かも知れないが、それにしても過剰だ。
「もう少し、ドゥルースス殿は理解されてもいいとは思うのだが……。」
若き百人隊長は、二人のパトリキに聞こえないよう、そっと呟いた。

「第3ハスタティ、正方陣のまま最前線に! 第1、第2ハスタティはそれぞれ横列編隊に組み直して、第3ハスタティの後詰につけ! 第4から第6ハスタティ、弓箭兵、ウェリティスはそのまま後ろに続け。」
山岳地手前の平原部に山賊団を追い詰めたクイントゥスたちは、オタキリウスの到着を待たず、攻撃を開始する。最前線に出された第3ハスタティとは、プロデウスの指揮下にある部隊である。鞘袋の携行を禁じられているプロデウスには、危険な条件だった。
何しろ、この罰則は常時抜き身の剣を握らされるということであり、投擲槍など基本的には使用不能だ。しかも、百人隊長の位置は部隊の最前列左端であり、隊列から少しばかり離れている。つまりは孤立しやすいがために、自分の身は自分で守らねばならず、それでいてクイントゥスからの指示を見逃してはならない。
とはいえ、プロデウスは自分のパトローネスを恨まなかった。むしろ、汚名返上のチャンスとして受け取っている。クイントゥスにしても、不当に誹謗中傷を浴びているクリエンテスを放置する気はなかった。
「俺たちの隊は最前列に出るぞ! 我らが軍団長の期待に応えるときだ!」
隊員達も、今日は大人しい。十分の一刑の脅しからか、それともプロデウスが隊員を庇ったからかはわからないが、特に文句は聞こえず、ぴりぴりした雰囲気もない。ただ、口を開きがたい空気だけはあった。それでも仕事は仕事である。若き百人隊長はクイントゥスから飛んでくる指示を適切に百人隊へと下していく。
眼前の山賊団も前衛にハスタティを出し、両脇を農民兵で固め、後詰に市民哨兵を配している。クイントゥスは以下のような計画を立てていた。まず、弓箭兵の射撃とウェリティスの一斉掃射で戦列を破壊する。続けてやや鋭角的な配置、所謂錐行の陣形のハスタティで突破して敵の軍勢を分断、援軍の騎兵とともに撃破する。この程度の配置であれば援軍なしでも戦列崩しは難しくはあるまい。とはいえ、分断するために最前線に配置した部隊の消耗が激しくなるのは当然で、その真正面にプロデウスがいる。プロデウスにとって、そしてクイントゥスにとって危険な賭けであることは間違いなかった。
「両ウェリティス、両翼の農民兵にピラ掃射! 2本目の後すぐに後退せよ! 弓箭兵隊、後衛の市民哨兵に火矢放て! 第3ハスタティ、敵ハスタティに突撃! 槍は投げるな、突進して突き崩せ! 残るハスタティは第3ハスタティの後ろに待機して指示を待て。陣形を崩すな!」
やはり指揮官として戦場にいるのはいい、とクイントゥスは思う。だが、同時に心の中の曇りを感じていた。
「何故、このようなことをするのだろう。真面目に働いていれば、戦う必要もないというのに。」
これはもう、発想が逆であるとしか言えない。元々、真面目に働けない環境だからこそ、食いつなぐことが出来ないがために賊をしているのが彼らである。その後膨れ上がっていったのは、人の業だ。楽に稼げるとわかれば、そちらに流される。うまみのある「商売」だと思わせず、同時に職場を与えるのが政府というものであり、国というものだ。それに失敗したツケを、賊になった人々に払わせている。
確かに、正業ではない仕事をしたのだから、違反した者は罰せられるべきである。だが、彼らをそこに追い込んだのは、共同体全体の責任であり、同時に国家の責任であり、為政者の責任である。つまり、国政を担うパトリキである以上、クイントゥスにもその一端は少なからずある。それに気付いていない。これが彼の、現在の思考における限界だった。
しかし、気付く暇もない。クイントゥスはプロデウスたちの戦いを見守るように、眦を引き締めた。

同じ頃、返還された本拠地であるサムニウム領ボウィアヌムから出兵し、クイントゥスとの合流を急ぐオタキリウスは、思わぬところで足止めを食っていた。敵の伏兵ではない。兵士達から不満が噴出したのだ。今回の出兵はローマのためであって、彼らサムニウム人のためではない。気が進まないのは当然だ。今の今まで、何とかオタキリウスが抑え込んでいたのだが、もう限界まで達したらしい。
「私はサムニウム人のことを考えて戦うつもりだ。今回の出兵とて、ローマに口実を与えないためだ。これは自衛戦争と心得よ。」
連れてきたウェリティス320、補助軍騎兵216に言ってはみたものの、反応は薄い。彼らがオタキリウスの言うことを聞いてきたのは、最後の最後までサムニウム人のために抵抗し続けてきた人物の息子だからだ。しかも、父親によって強引に降伏させられている。誰よりもサムニウム人のことを考えてくれているはずだと、彼は信じてられていた。だが、実際にマニウス・オタキリウス・クラッススと名乗る男がしていることは、サムニウム人からすれば、ローマとの融和を進めているように見えてしまう。
オタキリウスはローマに抵抗するのは得策ではない、と考えているだけだ。それがローマと融和しようとしているように見えるのは、ローマの伝統的なやり方が実に自然で巧妙すぎるからであって、オタキリウスの責任ではない。抵抗せずに適宜に協力し、交易を行い続けるだけで大きな変化は出てくる。しかし、たかが4年で敵対意識が消え去るわけがない。もっと長く付き合わなくてはならない。今がその過渡期だ。その状況での出兵だった。
「……行かねば。このままではサムニウムを守れない……!」
焦りだけが、募る。時間が、削り取られていく。オタキリウスは馬上で歯噛みしたが、それを抑え込んで再び説得を試みた。

「はああああ!」
百人隊長プロデウスは既に血塗られた長剣を、さらに血で汚していた。歩兵で突破陣形を組んで攻撃するのは、先端部に犠牲を強いるようなものだ。だが、クイントゥスはプロデウスの名誉挽回を兼ねてこの作戦を実行することにしたのだ。ここでこの百人隊長が怯むわけもなく、盾で賊を殴り倒しては長剣を突き出して止めを刺していく。
「前進しろ! 軍団長が我々をただ死地に追いやるはずがない! 歩みを止めたときが死だと思え!」
隊員たちに声をかけながら、右以外の全方位から襲い来る攻撃をいなし、盾で殴り、赤黒く染まった刃をくれてやる。馬に乗って戦うのが苦手なだけで、戦闘自体は不得手ではない。クイントゥスもそれについては、この百人隊の面子に伝えてはいたが、実際に目にするのは初めてだ。その異様さに目を剥きながらも、隊員は互いの肩を押し合いながら前方へと歩を進めていく。
前方からは盾を構えたハスタティが、左からは短剣を構えた農民兵が襲ってくる。プロデウスは盾で殴り合いをしながら押し込みつつ、相手の盾を右のカリガで蹴りつけた。この盾とカリガのせめぎ合いのまま押し合いになる。続けて横合いから突進する農民兵の脳天に盾をぶつけ、ふらついているところに体を捻って刺突を叩き込んだ。心臓目掛けて刃が吸い込まれ、引き抜くとワインを詰めた革袋が破れたように血があふれ出す。
「……く……。」
盾を支えている伸びきった脚を別の農民兵に狙われた。素早く脚を引き戻し、はずみでハスタティと農民兵がぶつかったのを確認する間もなく、農民兵の首を刎ね、ハスタティの顔面に突きを入れる。4年前よりは慣れたが、やはり血を見るのは気分のいいものではない。仕事とはいえ、人殺しには違いない。
「だが、これを嫌がっては務めが果たせない。前進あるのみ……!」
楕円形の盾を引き寄せ、カリガのスパイクで戦場を踏みしめ、歩を進める。
「あの隊長、あんなに強かったのか……。」
誰かが言った気がするが、プロデウスは聞こえない振りをした。直に見ないことにはわかるわけもない。だが、直に見たからといって、急に見方を変えられるのも癪ではある。自分の複雑な心の動きを見せないためにも、聞こえない振りをするのが一番だった。そうこうするうちに、敵ハスタティの陣形を突き崩して突破したらしい。後詰の市民哨兵と顔を付き合わせることになった。それを見てとったクイントゥスが、声を張り上げる。
「第3ハスタティは任意射撃に切り替え、市民哨兵、エクイテスに攻撃せよ。第1、第2ハスタティは第3ハスタティに続け! 第4、第5、第6ハスタティは残る敵ハスタティと農民兵の処理に当たれ! 弓箭兵は後退、ウェリティスは白兵戦に移れ! ドゥルースス殿、右翼側から背面に。俺は左翼側から回りこむので、エクイテスの襲撃を。」
次々と指示を下し、自分も馬の手綱を操ってハスタティ隊の後方から迂回を始めた。
「僕たちも行こうか。お仕事お仕事、っと。」
ドゥルーススもハスタティの右翼側から馬を駆り、護衛騎兵を連れて敵軍後方へと向かう。途中で壊走状態になった農民兵に追撃をかける護衛兵に、彼は鋭く指示を下した。
「僕たちの仕事はエクイテスへの攻撃。勝手は許さないよ。」
護衛兵たちは心の底からぞっとした。先日の十分の一刑発言は、忘れたくても忘れられない。自分たちが相手でも、容赦なく言うに違いない。そう彼らに思わせた。ドゥルーススは無論、そんなことをしたいわけでもない。あれは言うなれば、方便だ。だが、彼は誰にも聞こえないように呟いた。
「人気取りしないことにしたけど……やっぱり寂しいな。」
騎兵たちが動き出したのと同じタイミングで、プロデウスたちは市民哨兵部隊の突破に成功していた。死傷者は全ハスタティで50人を越していた。その半数近くが、第3ハスタティからだ。だが、この部隊の人間の士気が落ちている、ということもなかった。恥を雪ぐ一念のプロデウスと、それに引き摺られる格好のハスタティたちの奮戦で、最早市民哨兵たちすら壊走状態になっていた。
「逃げる市民哨兵に追撃をかけるぞ! ピラ構え、放てええええ!」
牽制用の軽量槍とはいえ、逃げる敵には十分すぎる凶器だった。背中を貫かれて絶命し、肩に当たって悶え、脚に刺さって草地を転がる。市民哨兵たちが射程範囲外に出たのを確認したプロデウスは、続けて自分たちに向かって攻撃を仕掛けてきたエクイテスに向かって、ピルム投擲命令を放ちにかかる。
「正面エクイテスの動きを封じるぞ! ピルム構え! 放て!」
その重みで身動きを封じる投擲槍が、ハスタティたちの手から離れた。その時だった。
「!?」
プロデウスの思考が停止した。ピルム投擲命令と全く同じタイミングで、クイントゥスの護衛騎兵団が逃げようとするエクイテス隊に突撃していた。第3ハスタティ隊のピルムが、敵味方関係なく騎兵目掛けて飛んで行く。クイントゥスの左肩に、ピルムが掠って体勢が崩れた。これを敵のエクイテスは見逃してくれなかった。スキピオ軍の指揮官を攻撃しようと鎗を構えている。
「……総員、突撃!」
クイントゥスを救わなければならない。プロデウスの頭にはそれしかなかった。ハスタティたちの盾が馬体を叩き、軽装のエクイテスたちが、馬上から叩き落される。この混乱で、クイントゥスも体勢を立て直せた。クイントゥスへの攻撃は、空振りで終わった。止めにと、ドゥルーススの騎兵隊が襲い掛かり、これで勝負は決まった。山賊団全体が崩壊し、壊走状態になる。
「……。」
だが、プロデウスには追撃するだけの気力がなかった。クイントゥスも、追撃命令を出せなかった。クリエンテスとしての誓いを立てたというのに、パトローネスたるクイントゥスを、他ならぬ自分の命令で殺しかけた。このショックは、どうやっても隠せるものではなかった。
「……追撃は僕に任せて!」
慌ててドゥルーススが馬を駆り、命令を聞く間もなく追撃掃討を始める。追撃しなければ、山賊団はまた現れる。ドゥルーススはそれを懸念して行動していた。
「……せめて、オタキリウスが来てくれたら状況は変わったのに……!」
ここにいない人間の悪口を言ったところで、状況が変わるわけもない。クイントゥスが追撃できない以上、彼がやるしかないのだ。
「最優先でエクイテスを攻撃! 足は向こうの方が速いだろうけど、少しでも疲れさせて討ち取って!」
「了解!」
残るエクイテスは20人にも満たないが、ドゥルーススは騎兵ほど危険な部隊はないと考えている。どうしても逃がすわけにはいかなかった。そこに、ようやく退路を断つようにオタキリウスが現れた。説得に手間取ったものの、どうにか戦場にたどり着くことが出来た。
「遅れて申し訳ない!」
「文句は後で言うから、逃がさないで!」
聞くが早いか、オタキリウスは麾下の補助軍騎兵にピラ投擲命令を下していた。
「逃がすな! ピラ放て!」
サムニウム騎兵から放たれた槍によって、容赦なく山賊たちがどこかから奪った馬の鞍を赤く染め上げていく。続けて、残る山賊指揮官にオタキリウスが突撃をかけた。
「止めだ!」
50本以上の鎗が繰り出され、山賊団の首領が討ち取られた。オタキリウス麾下のウェリティスも到着し、逃げ惑う残党に向けて槍が放たれる。山賊として街道を封鎖していた者は、全て屍と化した。
「……遅れて申し訳ない。」
オタキリウスが馬から下りて謝罪したが、ドゥルーススは悲しそうに応える。
「今となってはもういいよ。今は、あの二人の方が心配だ。」
クイントゥスも、プロデウスも、勝ち戦だというのにその場で項垂れていた。プロデウスは、クイントゥスを殺しかけたことに、クイントゥスは、プロデウスにショックを与えてしまったことに。二人は、互いの間に溝が出来たように感じていた。


6 緑色の香り


結局、山賊団討伐の犠牲者は30人にも満たなかった。元々相手は大して訓練もされておらず、士気も低い。中央突破による分断も、陣形崩壊を早めた要因になっていた。確実に、クイントゥスの技量は向上している。だが、精神的打撃は決して少なくなかった。
プロデウスは、あれから2週間経つというのに出仕してこない。家に閉じこもったまま、顔を出そうとしない。どうにも辛すぎてクイントゥスに会いたくなかった。クイントゥスには、それが悲しかった。この状況を打開したいとは、彼らを知る人々の多くが思うところだった。
「私が早く来ていれば、こうはならなかったのかも知れませんね。そう思うと、やりきれない。」
カプアの統治者の邸宅に来ていたオタキリウスが漏らしたが、椅子に座った話し相手のドゥルーススは同意しない。それはそうだ。オタキリウスは急ぎたかったのに、説得に時間を取られてしまっただけである。だからといって、サムニウムの人間に責任を取らせようとも思わなかった。
「貴方は貴方なりに頑張ったんだから、別に謝ることはないよ。それを言い出したら、僕だって間に合わせることが出来たかもしれないし。色んな要因が混じり合って今の状況を作ってるんだから。今は二人の関係を修復することを考えなきゃ。」
さすがのドゥルーススも、その場にいなかったオタキリウスに毒づいてしまったことを悔やんでいるらしい。とりあえずは兄のティベリウスにも連絡したが、「お前のほうが二人との関わりが強いのだから、関係改善に尽力すべきはお前だろう。私が手出ししたところで、事態がこじれることは目に見えているからな。」などと返ってきた。
「とりあえず、オタキリウス。手伝ってくれないかな。一応、貴方もスキピオ家のクリエンテスってことになってるわけだし。」
「そうは言いますがね。私はクイントゥス殿の人柄は知っていても、人間としての側面を全く知らないのですよ。」
「僕よりはマシさ。僕は空気が読めなさ過ぎる。関係修復が、僕にとって一番の難事でね。気まずくなった人間との関係修復をしてこなかった僕が、仲裁に入れると思う?」
悲しそうにそう口にするドゥルーススを見て、オタキリウスも黙ってしまう。いかに幼いように見えていても、彼にもそれなりの人生経験はある。過去に何かあったということだろう。それに、人には得意不得意もある。ドゥルーススにとって、人との付き合いが不得意分野だった。
空気を読めない人間を傍から見ていると、辛さとは無縁に見えるかも知れない。だが、本人にとっては凄まじい苦痛だ。空気の読めなさの大半が、周囲が持っている情報と本人の持っている情報の差が原因となっている。共有している情報が少なすぎて、自分が考える反応と、他人の考える反応に違いが出てしまうため、「空気が読めない」と言われることになる。こうなると周囲からの情報収集もままならず、空気の読めなさが加速度的に進行していく。しかも、共有できる情報を手に入れられなくなる環境とは、本人とは無縁で構成されることがほとんどで、余計に悪化するだけである。
これで、孤独を孤高などに摩り替えて耐えられるのなら大きな問題にはならない。精々、周囲の無理解に当たり散らすだけで済む。しかし、それでも他者とのつながりを欲するタイプの人間である場合、地獄を見る。理解したいから、当たり散らすなどもっての外だ。理解しようにも、理解する材料がそもそもない。こうなると理解者の存在、最低でも話し相手が不可欠だった。それもなければ、ストレスが蓄積されて精神が崩壊するだけだ。これが、ドゥルーススの時折見せる暗さの原因だった。
「とりあえずさ。」
沈黙に耐えられなくなったドゥルーススが再び口を開くと、オタキリウスの目を見遣る。
「僕が思うに、今回のことは誰も悪くないはずなんだよ。さっきも言ったことだけど、原因を求めるならいくらでも出てくる。クイントゥスさんの迂闊な任意射撃指示、プロデウスの焦り、二人のタイミングミス、僕の気配りの不足、貴方の援軍の遅さ。でも、一つ一つ見てたら、要因一つで今の状況が成立するわけない。全部がタイミング悪く重なったから、発生したことなんだよね。」
「……確かに。」
「全員に責任があるし、誰にも責任はない。クイントゥスさんも、プロデウスも、十分に苦しんだはず。もう、終わりにしないと。」
冷静に分析できる割に空気は読めないんだな、と思いながら、オタキリウスは言葉を紡いだ。
「そうだとしても、納得できる形で折り合いをつけないと。まずは、二人の人間関係やその他諸々を伺いたいのですが。」
「うん、それは任せて。」
幼い男はゆっくりと二人の出会いから始まる親交関係について語りはじめた。

カプアの統治者の館にいたクイントゥスも、頭を抱えていた。最大の理解者であるはずのプロデウスを、追い詰めてしまった。自分が怪我したことなどどうでもよかった。その後、プロデウスは自らの手でクイントゥスを助け、直前の失敗を挽回していたのだから。
「俺の失敗でプロデウスがああなるとは……。」
だが、こうなった以上、自分が直接顔を出すわけにもいかない。それに、プロデウスからどんな罵声を浴びせられるのか、怖かった。政務のための机に突っ伏し、また頭を掻き毟った。
「クイントゥス、自分の頭皮に当たるのはよせ。私のような頭になるぞ。」
後ろから、彼の父が声をかける。クイントゥスは手を止めはしたが、黙ってしまう。
「私としては、何故山賊があのようなことをしているのかをわからせるために出兵させたのだが。こうまで精神的打撃を受けるとは思わなかったぞ。」
「……。」
無理もないか、とコルネリウスは思った。ここまで軍務政務問わずに、二人三脚で来たパートナーに打撃を与えたショックは小さくあるまい。
「クイントゥス。いつまでもお前がそうしていたところで、プロデウスは納得しないぞ。」
クイントゥスは突っ伏したまま、くぐもった調子で応えた。
「今俺がプロデウスに会いに行ったところで……プロデウスは俺の言葉を聞きはしないでしょう。それだけのことを……俺はしてしまった。」
これは駄目だ、とコルネリウスは輝く額を撫でた。思ったより重傷らしい。どうしたものかと考えていると、オタキリウスが部屋に入ってきた。
「オタキリウス殿。どうなされた。」
「我らサムニウムのパトローネス、コルネリウス・スキピオよ。私は今の状況を打開すべく、やって参りました。」
真面目な顔をして言うオタキリウスに、コルネリウスは嫌な顔一つせずに耳を傾けることにした。
「何か方法でも?」
コルネリウスがその気だということを確認した、サムニウムの若き首領はコルネリウスを部屋の外に連れ出した。次いで、声のトーンを落として囁きかける。
「まずは二人をどうにか引き合わせましょう。引き合わせて、会話のきっかけさえ作れば関係修復できるかと。私は話でしか二人の仲は知りませんが、この絆は生易しいものではないはずです。」
「それはいいのだが……。どうやってきっかけを作るつもりか?」
少々不安そうな調子で言うコルネリウスに、オタキリウスは真面目な調子で返した。
「そちらの方は、手を回しておきました。何とかして見せます。」
「ふむ……だが、オタキリウス殿は何故クイントゥスとプロデウスに入れ込むのだ? 大した回数も会ってはいないはずだが。」
不思議がるコルネリウスの質問に、オタキリウスは窮した。自分自身、その答えが出ていない。とはいえ、応えないわけにもいかない。ゆっくりと、彼は口を動かした。
「そうですね、私もわかりません。ただ……私自身にも責任の一端があるから、でしょうか。それに……あの二人の仲を引き裂くには惜しい、とでも言うべきでしょうか。」
彼は言葉を切り、再び考えるように続けた。
「敵として戦ったときから、絆は感じていました。私は逃げ去るときに少ししか見ていませんが、落馬して取り残されたプロデウス殿を、クイントゥス殿は騎兵隊を率いて助けたようですね。そこからパトローネスとクリエンテスの関係が始まったと聞きました。私のように負けたがために組み込まれたわけではなく、二人自身の手で作り上げた関係ですから。今までも、共に歩んできた、信頼できる存在になっている。だとするなら、これが崩れ去るのは勿体無さ過ぎるのですよ。まだまだ先を見てみたい、と、そう思えるのです。」
コルネリウスはふっと笑みを見せ、オタキリウスを見遣り、言葉を紡ぐ。
「そこまで心配してくれるとは思わなかった。オタキリウス殿も我らローマの一員になってくれて、嬉しい限りだ。」
「い、いや、それは……。」
そういうわけではないのだが、と言いかけるオタキリウスを制するように、コルネリウスは続けた。
「元老院議員として、推薦しておこう。ああ、無論適正年齢になってからの話だが。それに、元老院議員になっておけばサムニウムを常識的な範囲で優遇できるかもしれない。たとえば、街道の敷設や水道の整備のような形でな。」
「……!」
コルネリウスは底の見えない笑みのまま、言葉を紡いだ。
「わかっているとも、オタキリウス殿がサムニウムの者を守ろうとしていることくらいは。だが、我らローマの者となることで守る手立てもあるのではないのかな?」
「……。」
「今回、私の息子のことは任せよう。頼んだ。」
それだけ言うと、コルネリウスはオタキリウスを残して去っていった。取り残された形のオタキリウスは、クイントゥスの下に行く。
「クイントゥス殿。」
反応がない。とはいえ、寝ているわけではないだろう。オタキリウスに諦めるつもりはなかった。これが、最初の一歩だった。
「クイントゥス殿。いつまでそうしているおつもりか。」
「…………。」
「私とて無理に二人の関係を拗らせたくはないのでな。少しばかり、私の気分転換に付き合ってもらいたいのだが。」
クイントゥスが少しだけ身動きしたような気がしたが、オタキリウスは畳み掛けるように言葉を紡いだ。
「貴方とて、そのままでいても何の解決にもならないことくらい、わかっているはずだ。外の空気を吸えば、少しは頭も冷えるかもしれない。それに、ここにいても精神を腐らせるだけだ。違うか? 私は貴方の首に縄を括りつけてでも行くぞ。」
クイントゥスが、むっくりと机から身を剥がした。椅子から立ち、身支度を整え始める。
「……わかった、付き合おう。」
「私は馬の準備をするように伝えてくる。正面玄関にいてもらえるか。」
そう言い残すと、表情を変えずにオタキリウスは厩舎のある方向に向かった。そこでドゥルーススが待ち受けていた。
「どう、首尾は。」
「問題ありません。それより、ドゥルースス殿こそ大丈夫ですか?」
柔和かつ真面目な表情を崩してにやりと笑うオタキリウスを見遣りながら、ドゥルーススもまたにっと笑って見せた。
「大丈夫だよ。今回ばかりは、僕の空気の読めなさを有効活用して見せるからさ。」
山岳民族の若き長は、呆れ半分笑い半分の表情で幼いパトリキの男に言葉を投げかける。
「頼もしい限りです。」
「じゃ、適当に遅延戦法展開しててね。」
ひょいと軽く左手を上げ、ドゥルーススはカプアの住宅街へと向かっていった。

一方のプロデウスも、頭を抱えていた。言うまでもなく、クリエンテスとしてあるまじき行為を働いたと思っているからだ。閉じこもりっきりで、両親の呼びかけにも応えない。部屋から出てくるのは、食事と用を足すときだけだった。髭も伸び放題で、徐々に顔色が悪くなっていった。
ドゥルーススがナムロス家の門前にやってきたのは、そんなときだった。
「あの、僕プロデウスに会いに来たんだけど。入っていいかな?」
とりあえずは、とプロデウスの父と対面することになった。プロデウスの父も、ほとほと困り果てていたらしい。ドゥルーススが持ってきた提案に、一も二もなく飛びついた。元々、百人隊長となったプロデウスやクイントゥスを助けるために、自らを犠牲にしてくれた恩人でもあるのだ。またも借りを作ることになるが、それはまた後で考えればいい。
「関係改善を図ってくれるなら、これ以上のことはありません。是非とも。」
「あー、一つだけ条件付けていい?」
突然のパトリキの頼みにプロデウスの両親は身構えたが、今の状況は打開したい。借りもある。プロデウスの父は、迷いながらも口を開いた。
「ああ……はい。」
「これがうまくいったら……プロデウスとは友達になりたいんだ。パトリキとかエクイテスとか、パトローネス、クリエンテス関係なしで。だから、それを見逃して欲しいんだ。お願いしていい?」
思いも寄らない提案だった。ナムロス夫妻は戸惑い、次いで微笑んで頷いた。
「こちらこそ、我らの息子をよろしくお願いします。」
「じゃあ、プロデウスを借りてきますね、おじさん、おばさん。」
どうしても、この言い方をしたかったらしい。まるで子供だな、と思いながらも、プロデウスの両親は息子の部屋に向かうドゥルーススを見送った。見送られた幼い男は、軽い足取りで若き百人隊長の部屋の前に来た。
「えっと、ここだっけな。プロデウス、出ておいでー!」
返事がない。今日も朝食には姿を現していたらしいので、余程のことがない限りは大丈夫のはずだ。
「強行突破しちゃうぞ!」
戸口をくぐり、プロデウスの部屋に入り込んだ。その光景は、このドゥルーススですら絶句するものだった。トゥニカとトーガがあちこちにばら撒かれ、蝋板と鉄筆は床に転がっていた。パピルスの巻物は広げられたままいくつも折り重なるように、机から簾のごとく垂れ下がり、インク壷が倒れているにも拘らず、その中身は乾ききっていた。部屋全体が、生臭さと汗臭さがない交ぜになった臭気で満ちている。その中で、それらの転がった物と同化するかのようにプロデウスが丸まったまま寝転がっていた。
「あー……。プロデウス!」
まだ反応がない。仕方ないな、と思いながら、ドゥルーススはプロデウスの左耳を引っ張り、思い切り息を吸い込んだ。
「プ! ロ! デ! ウ! ス!」
「うわあああああああああっ!?」
やっと飛び起きてくれた。ドゥルーススはにっと笑いながら、プロデウスの顔を覗き込むように喋りだした。
「いつまで籠ってるのさ。不健康になっちゃうよ。」
当のプロデウスはというと、再び頭を抱えて丸まってしまった。
「……放っておいてください。」
「放っとけないって。こーんな環境にいたら駄目だってば。病気になっちゃうよ?」
「俺は……いっそのこと病にかかって死んでしまいたい……。」
ちょっと難しいかもしれないな、と思いながらも、ドゥルーススは説得を続ける。
「そんなことしたら、クイントゥスさん悲しむよ。」
丸まったままのプロデウスは、先ほどから続けているのと同様に、靄がかかった調子で返事をする。
「俺に愛想尽かせたに違いない……。」
「それ、一番あり得ないよ。クイントゥスさんは貴方にショックを与えたことにとっても後悔してるんだ。僕はそれを実際に見てるしね。」
「……。」
また黙りこくってしまった。まあいいか、と思い、ドゥルーススは改めて口を開く。
「今日はそのことじゃなくってさ。まずは外の空気を吸わないとね。とりあえず、風呂入って、新しいトゥニカに交換しようよ。部屋もちゃんと換気してさ。それからゆっくり方法を考えようよ。ねっ?」
それならば、と思いながら、プロデウスはむっくりと、熊が冬眠から覚めたように体を起こした。
「……私、そんなに臭いますか?」
「うん。絶対不潔。家に風呂はあるんでしょ? まずさっぱりして、それからカプアの街に行こうよ。今日は気分転換に遊ぼう。」
にこにこと笑うドゥルーススに、さしものプロデウスも力なく微笑を見せて、風呂のある方向へと歩いていく。
「じゃあ僕、待ってるから。準備できたら教えて。」
ドゥルーススはにっと笑い、街並みを赤く染め上げる夕焼けが流れ込む玄関に足を向けた。

クイントゥスとオタキリウスは、あちこちの酒場をハシゴしていた。二人とも自棄になったように飲みまわり、二人とも足元がふらついていた。だが、簡単には飲み潰れないらしく、意識もはっきりとはいかないものの、失ってはいないらしい。
「さあ……クイントゥス殿。もう一軒、もう一軒だけ行こうではないか。」
「うっぷ……。」
覚束なくなりはじめた足を叱咤し、二人はスブッラの貸し店舗スペースに屋台を押し込めたような酒場に入った。
「いらっしゃい、何にしますか?」
少々やつれていたが、そのブロンズ色の顔には見覚えがあった。看板を見逃していたが、この店はこの4年間、幾度となく来たことのある酒場「ポエニ」だった。だが、今回はその相方が別の人間だ。少しばかりクイントゥスは寂しそうな顔を見せたが、そのまま注文をする。
「では、カルタゴワインの水割り二人前で。」
「はい、毎度。」
微笑むフェニキア人の店主が、店の奥の甕から汲んだワインと水を混ぜ合わせ、二人の前にことんと置いた。二人は少しずつワインを呷る。
「……ふう。しかし、飲み歩きもたまには悪くないな。」
「悩みが溜まったときは、こうするといい。尤も、相談相手がいるなら、その必要もないが。」
オタキリウスの言葉に、クイントゥスは表情を曇らせる。一番の相談相手が、この場にいない。眼の前に、ぽっかりと空いた穴が黒々とした空間を形作っているような感覚が、クイントゥスを襲う。オタキリウスは残るワインを全て飲み干し、椅子を蹴立てて立ち上がった。
「すまん、催した。近くの公衆トイレに行ってくる。すぐに戻るから、待っていてくれ。」
慌てて出て行くオタキリウスにクイントゥスは声をかけようとしたが、その暇を与えなかった。一人残されたクイントゥスは、灯火に照らされて赤く輝くワインの液面を見つめていた。
「……。」
「どうかなさったのですか?」
店主が声をかけてみたものの、クイントゥスの反応は希薄そのものだった。
「はあ……。」
どうしたものやら、と思っていると、別の客が顔を出した。人の気配を感じて振り向いたクイントゥスは、それが見慣れた人影であることに気付くのが一瞬で十分であることを、自らに思い知らされた気分になった。信頼すべきクリエンテスにして、最も親しいはずの男、そして共に歩いてきた百人隊長。プロデウス・ナムロスだった。
「……!」
「クイントゥス様……!」
プロデウスは身支度を整えた後、ドゥルーススに振り回されるように、クイントゥス同様あちこちの店を回っていた。ところが、その肝心のドゥルーススは近くの屋台に立ち寄り、次いでこう口にしたものだ。
「ごめん、この屋台の魚の丸焼き美味し過ぎるのとおっき過ぎるのとで、ちょっと動けそうにないや。後で必ず行くからさ、先に『ポエニ』に行っててくんない?」
串が刺さった焼き魚を口に咥えた姿は、まるで獲物を捕まえた猫か何かにしか見えなかったが、どうも二人はオタキリウスとドゥルーススにはめられたらしい。二人の思い出の店ということでドゥルーススが口にしたため、鉢合わせさせる場所として選んだのだった。
やられた、と慌ててプロデウスは振り返ってみたが、ドゥルーススはおろか、オタキリウスまで姿を晦ましている。それに、一応は店に足を踏み入れている。何もせずに出るわけにも行かない。プロデウスはクイントゥスから少しばかり離れた席に座った。
「いらっしゃい。今日は別々なのですね。」
フェニキア人の店主がそう声をかけてみたが、プロデウスは返事しない。クイントゥスも赤い液面を見つめたままだった。その様子を見て取った店主は、注文を聞かずにお湯を用意した。そのまま茶葉を急須に入れ、お湯を注いで茶を淹れて、二人の前に茶がなみなみとした陶製のカップを静かに置いた。
「これをどうぞ。気分が落ち着きます。これはお勘定とは別ですから。」
とりあえずは、と二人は新鮮な葉の香りが漂う液体に口をつけ、ふう、と一息吐いた。
「どうやら、揉め事か何かしたらしいですね。…………少し、私の昔話をさせてくださいませんか。」
二人とも沈黙している。店主はそれを肯定ととって話を始めた。
「私、カルタゴから逃げてきたのですよ。今は代表の手伝いという形で、ドラベラ商会に身を寄せておりますが、カルタゴに居た当時は内政官付の広報担当官でした。私の上司だった内政官は、国論分立を苦々しく思いながらも、あえて中立でいた方でした。」
外は日が暮れていたが、人通りが途絶えることがなく、にぎやかさは相変わらずだった。だが、この店内には外の状況とは無縁の静けさが降りていた。店主は続ける。
「私はその頃、熱心な国内派でした。カルタゴ本土の農業と経済発展を望み、そのためなら何でもするつもりでした。今考えれば馬鹿馬鹿しい話ですが、イベリア植民地の発展を望むイベリア派の内情を探っていたのです。何か国内派に有利な情報がないか、と。確かにありました。ですが、それが元で私は祖国を離れなければなりませんでした。あれほど、私の上司である内政官が制止してくれていたというのに……。」
クイントゥスもプロデウスも、もう目を伏せてはいなかった。暖かな陶製のカップを手にしたまま、この店主の顔を見ている。
「私は同志と共に脱出しました。ですが、追撃を受け、仲間たちは皆死に絶え……そこを商会の代表に拾われました。商人としての手腕を貸してくれないか、と。そんな中、私のかつての上司は、私がローマにいることを知ると、カルタゴの船籍証明書を発行してくれました。これで、商会の船はカルタゴの避難港を使えるようになり、沈没せずに済んでこられたのです。ですが、そこから嗅ぎ付けられ、内政官が行おうとしていた治安維持対策が裏目に出て……地位を剥奪された上に逮捕されました。今はもう、生きているのか、死んでいるのかすら…………。」
ごくり、と二人は息を呑んだ。店主は言葉を再び紡ぎつつ、二人を見遣る。
「その騒ぎで、商会の手助けをしてくれた傭兵隊長も、一生治らない傷を負って、傭兵稼業を引退せざるを得なくなりました。もうどうやってもあの優しかった内政官に償うことすらできません。……私は、かつての上司に会うことすら出来ない。ですが、貴方たちはまだ手を取り合える距離にいるではありませんか。何があったかは知りませんが、お二人が最初にこの店にいらしたときのことは覚えておりますとも。あのときのお二人は、本当に楽しそうだった。あの頃に、戻れないのですか?」
簡単にいくものか、と二人は思ったが、確かにこの店主の言うとおりだった。彼は、かつての上司に会うことすら出来ない。だが、二人は今、こうして顔を合わせているのだ。
「あの。」
「プロデウス。」
同じタイミングで、言葉が口から出た。慌てて二人は似たようなことを口にする。
「あ……クイントゥス様から。」
「いや、プロデウスから。」
一頻り唸ったところで、意を決したようにプロデウスが口を開いた。
「俺、ずっと怖かったんです。貴方が、ショックを受けていたのも知っていた。ですが、俺は貴方がもしかしたら、俺を責めているんじゃないかって思いこんでしまった。それであの様だった……。俺はクリエンテスとして、やっていけるのか、わからなくなりました。俺は……。」
「それを言うなら、俺も同じだ。お前が悩んでいたのを知りながら、いや、知っていたからこそ、行こうとしなかった。お前が困っているときに助けると約束したというのに。パトローネス失格だな、俺は。」
この酒場の入り口の方から、二人分の拍手が聞こえてくる。オタキリウスとドゥルーススだった。
「そこまでだな。お互いの心中は明かしたのだから、最早互いを責める気持ちがない。もう沈黙しあう関係は、これで終わりにすべきだと私は思っているのだが、どうかな?」
穏やかにそう口にするサムニウム族の頭領に続いて、幼さを持つパトリキの男が口を開いた。
「それでも自分の過ちが許せないのならさ、今からこの4人で反省会しようよ。オタキリウスにも言ったけど、今回のことは全員に責任があって、全員に責任がないんだし。責任感じてるなら、今から4人で色々話し合おうよ。」
また助けられたか、と思いながら、プロデウスはふっと微笑んだ。彼はそのままクイントゥスの隣に席を移し、それに合わせてオタキリウスとドゥルーススが椅子に座る。
「では、皆さん。どうせですから、お茶で乾杯しませんか。あちこちで酒を飲んできたのでしょう?」
このフェニキア系の店主に見抜かれていたらしい。苦笑いしていたドゥルーススとオタキリウスにも、茶の入ったカップが渡された。
「じゃ、僕たち4人の前途を祝して、かんぱーい!」
ドゥルーススの音頭に合わせて4人は、軽くカップを掲げ、緑色の液体を口につけた。
「うううううう、にっがああああああああ!」
音頭を取った張本人がのた打ち回っているのを見て、3人は揃って苦笑した。店主は心得た、とばかりにイチジクの蜂蜜漬けを出した。
「お茶には甘いものが一番ですよ。さあ、どうぞ。」
はむはむと小動物めいた仕草で蜂蜜漬けを口にしたドゥルーススを見遣り、3人は再び苦笑する。蜂蜜漬けを頬張った本人はというと、追加で蜂蜜漬けを注文し、甘味と苦味を交互に口にしていた。
「俺たちは、色々な人々に支えられているらしいな、プロデウス。」
パトローネスの言葉に、若きクリエンテスは頷いて思った。今感じた緑色の香りは、多分一生忘れられないものになるだろう、と。そして、同時にこうも思った。いつまでも続くわけがないだろうが、せめてこの支え合う関係が少しでも長く続けば、と。
このプロデウスのささやかな願いを壊しかねない災厄が、ローマに近づきつつあった。

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